ある猫について その六
コンはそれから五年と少し生きた。
夕暮れ、遠く日暮の声が聞こえてきた頃だった。
私は無言でただ背中を擦っていた。
最期にぐっと目を見開いて私を見つめたまま、あ、あ、と短く鳴いて、私を探るように前足を虚空に伸ばし、それきりコンの心肺は活動を停止して再び動き出すことは無かった。
終わった。
夜の闇よりなお深く暗い虚空に冷たい一滴が吸い込まれて行く。
私は阿呆のように、コンの顔を背中を痩せた腹を擦っていた。
長かったような短かったような、一瞬でもあり永遠でもあるような、そんな日々を、コンと私は一緒に過ごしたのだった。
泣いたり笑ったり、怒ったり焦ったり、心地よかったり痛かったり、つまり私にとっての喜怒哀楽のすべてコンと共にあった。
コンにとって私との暮らしは幸せな時間だったのだろうか?
もっと違う幸せもあったのかも知れない。
この私には何も分からない混沌とした世界の中で、本当にちっぽけだが、けれども確かに互いを大事に思いながら一生懸命に生きた日々だった。
それだけは確かな事だったと思いたい。
私の布団の上でうずくまっているコンはまだほんのりと温かく、儚い生命の名残が時間をかけて私の指先からすり抜けてゆくのがはっきりと伝わってきた。
兆候はあった。この数日食欲も減衰し、しんどそうに布団の上でやたらと私に頬を刷り寄せて眠ってばかりいたのだ。
前からずっとしんどかったのかも知れない。
食事を用意しても、今は食欲がないから後で食べるよ…。前足で砂をかけるような仕草を見せて、私の膝に乗って丸くなってしまう。
心配になり連れていった病院でも、大分衰弱していると言われていたのだ。
獣医師は難しい顔付きで、お家の方が安心するでしょう、しばらく様子を見て下さいと言っていたのだ。
もう少し、なんとかならなかっただろうか?
打つ手を全て打てたのだろうか?
どれ程考えてみても、今確かにある事実として、コンは力尽き死んでしまったのだ。
だがしかし手を尽くして、却って苦しい思いを長引かせるよりも余り苦しまなくて良かったのかも知れない。
ほろ苦い安堵の裏側から滲み出てきた、深い闇に似た果てない喪失感が私を内側からゆっくり崩落させようとしていた。
為す術もなく、崩れてゆく自身の心模様のなかを彷徨うしかなかった。
コンの居らぬ世界を何処にも想像し得ぬまま、いっそ私もコンの居る向こう側へ行こうか、こちら側で侘しく一人生きてゆくよりもどれ程気楽で安らぐであろうか。
そんな甘く儚い思いが胸中に充満しつつもある。
けれども、私は最早ふてぶてしい疲れたおじさんに過ぎなかった。
そうも行かぬではないか。
私がいなくなったら、誰がこの世界の片隅に生きたちっぽけな一匹の猫の事など覚えているだろう。
私が生きている事が、覚えている事が、手触りを鳴き声を眼差しを存在を思い出す事こそがコンの確かに存在した証なのではないか。
仕方ない。私は断然コンを見送る側であらねばならぬのだ。
そっと労るように、固く冷たくなりつつあるコンの背中を撫でてみた。
コンは目を閉じたまま、ただただ深い深い眠りの中にいた。
あの日々からどれ程の時間が流れ去っていっただろう。今でもまた草むらからちょこんと顔を出してきそうな予感が散歩中の私の視線をうろうろとさまよわせるのである。
家に居ても、何処からかコンが笑顔でトコトコ歩いて来そうな予感がするのである。
コンよ…。
コンよ…。
汚れたおじさんである私は、みっともなくもしばらくは夜毎布団に入ると涙が滲んでくるのを止められなかった。
コンは今どうしているだろう。会いたいなぁ。
今でも寝床に入るときに何時も想っている。




