私の頑張る動機
小説家になろうデビュー作です。
よろしくお願いします。
朝、6時半に起きてシャワーを浴び、ご飯を食べて歯磨きをする。
終わったらカバンを背負い、家を出る。準備はもちろん前日に済ませてある。
玄関の扉を開けるのは大体7時半。ここから学校に着くまでおよそ15分。登校時刻の8時には、余裕を持って間に合わせる。
規則正しい、私の日常。
「ユウガ、今日の日程、教えてくれる?」
私の母。名門高校の教師。
「今日は夜まで塾だよ。集中講義。夕飯も外で食べるから」
学校が終われば、部活か塾。
どちらも夜まであるため、家に帰るときにはクタクタで、お風呂に入ってそのまま寝落ちすることも多々ある。
春の温かな気候から、徐々に蒸し暑い日が続き始める頃、大抵の中等部三年生は部活に塾に大忙しだ。
高校への進学を希望する者は、受験勉強に励むことになり、さらに部活生は最後の大会も控えているため、夏の終わりまでは息の詰まるような日々が続く。
私の進路は、母の教える名門「明桜華学園」と決まっている。
別に何かしたくてそこに行きたいと言う訳ではない。
ただ、私にとっても周りの人たちにとっても、それが一番の選択なのだ。
「子鉄さん。今回の模試の成績なら、明桜華への合格は間違いないでしょう。君は我が校期待の生徒です。部活も大変でしょうが、頑張ってください」
「はい、頑張ります先生」
朝のホームルームで、先生から先週の模試の返却がされる。
成績は順調に伸びている。毎日の努力の成果が出てくれるのは、本当に嬉しい。
「ユウガちゃん凄い! あの明桜華学園の判定Aだよ!」
「それ本当かよ!? やっぱスゲーよな!」
「私なんてこんなにボロボロなのに……、さすがユウガちゃん」
自分の席に戻ると、すぐにたくさんのクラスメイトが私を取り囲む。
「そんな、今回がたまたま良かっただけだよー」
私は、自分の脳内にある当たり障りのない発言を探し出し、それを見つけて愛想を振る舞う。
小学生の頃から私の人生はこんな感じだ。随分と慣れたものである。
「うっそだー! この前も良かったじゃん!」
「ちょっとは自慢したって良いのに!」
両肩を掴まれてぐわんぐわんと揺らされる。
「ちょっとやめてよー」
苦笑を浮かべながら戯れに身を任せる。
自慢? そんなことしたら、皆からの評価が下がってしまう。嫌な奴と思われるかもしれない。
そんな損しかないこと、誰が好んですると言うのか。
「本当に明桜華学園に行くつもりか?」
放課後、所属する部活の顧問に呼び出しを受けた。
職員室には、まだ多くの教師、その他職員が残って業務を行っている。
私は女子バスケ部のキャプテンを務めている。
この夏で引退だ。最後の大会は近い。
これまで苦楽を共にしてきた皆と出られる最後の大会。目指すは当然優勝。全中国内制覇が懸かっている。
「はい。この大会が終わったら、必死で受験勉強に励みます」
「そうか……、バスケで食っていく道もあるんじゃないのか?」
顧問の先生は、中学の入学当初から、私に目を付けてくれていた。この人には本当にお世話になった。
「峰天高校のスカウトが来ていてな。この夏の結果次第で、お前をスカウトしたいと言っている」
驚いた。峰天高校は、縁の国全土で有名なバスケ強豪校だ。
そこからスカウトが来るなど、バスケットボールプレイヤーからすると非常に光栄なことなのだ。
「ごめんなさい先生。ありがたい話なんですけど、断ってもらえないでしょうか」
「いや、最後に選択するのはお前自身だ。謝る必要はない。勉強、頑張れよ!」
「はい、失礼します」
励ましの言葉を顧問の先生から受けると、人口密度の高い慌ただしい職員室を後にした。
私の道はもう決まっている。峰天高校に行くことは、きっと両親の望む道じゃない。
私は、皆に喜んでもらえる私でいたい。
塾の講義を終えてからバスに乗り、明るい道を通って高級マンションの前に立つ。
鍵を使ってエントランスに入ると、エレベーターで6階へと向かう。
「ただいまー」
「お帰りユウガ、早くお風呂に入りなさい。話があるから」
家の玄関からリビングに入ると、父と母が夕食を取っている最中だった。
「うん、分かった」
父はニュースを見ている。最近は忙しくて無理だが、以前は私も世間の動向を掴むよう口酸っぱく勧められ、平日の夜のニュースはきちんと見るようにしていた。
父は国立病院に勤める医者だ。両親は国外の名門大学で知り合い、流れるように結婚したという。
お風呂から上がると、テーブルに着席させられる。
「今日は模試の成績が返却されるんだったな? どうだった?」
父は私が椅子に座るや否や、模試の成績を尋ねてくる。
予想はできていた。テスト返却の日は、その日で反省や今後の対策などの家族会議が行われるのだ。
「待ってて、今持ってくる」
私は部屋にあるカバンから、成績が細かく書かれた紙を取り出すと、リビングに戻り父に手渡した。
「ふむ、偏差値は69か。素晴らしい」
「本当は、今回で70まで持っていけたら最高だったんだけどね」
父は私の成績を眺め、誇らしそうに微笑む。母は目標としていた70に届かなかったことを悔しそうにしているが、それでも上機嫌だ。
良かった。二人に喜んでもらえて。
親、親戚、先生、友達。私が頑張れば皆が喜んでくれる。誇りに思ってもらえる。
私の頑張りが、皆の活力に繋がるなら、皆の笑顔に繋がるなら、こんなに良いことって無い。
これが私の頑張る動機。幼い頃から、ずっと同じ。
「桜の蕾がほころび始めたこの温かな春の日に、この式典が執り行われることを大変嬉しく思います。私たち卒業生は本日を以て、誇り高き学び舎から未来へ向けて飛び立ちます―――」
季節は巡り、春。
私は生徒会長と言うこともあり、卒業生代表挨拶を先生方から任された。数日掛けて考えた挨拶を暗記し、全校生徒、先生方、保護者、来賓の方々の前で答辞を述べる。
私は、第一志望である明桜華学園に難なく合格した。
バスケ部の中学最後の大会では、死力を尽くして見事優勝を勝ち取ることができた。
「よくやった。胸を張れ」
高校入試合格後の父のセリフだ。何かから解放されたような、安堵の表情だった。
「やったよ! ユウガ! やったよ!」
「あはははっ! 優勝だー!!」
全中制覇直後のチームメイトの反応。今でも鮮明に思い出せる。
明桜華学園でもバスケは続けるつもりだ。
「母さん、あなたがとっても誇らしいわ」
母が卒業式の後、私にそう言ってくれた。心が潤うのを感じた。
私はこれからも、皆の笑顔のために頑張るんだ。
私との出会いを誇ってもらえるように。
その気持ちが変わることはないと、本気でそう思っていた。
◇
一か月後、私は明桜華学園の美しい敷地内の地を踏みしめる。
天気もあってか、空気が心地よく、晴れやかな気持ちで初日の登校を迎えることができた。
「おはようございます」
校舎内ですれ違った先生に、立ち止まって深くお辞儀をする。
「あら、おはようございます」
快く挨拶を返してくれた。
この明桜華学園では、こういった礼儀作法もきちんと教育されるらしい。まあ、私の場合は常日頃から行っていることを続けていくだけだ。
「新入生の皆さん、入学おめでとうございます。まず、数ある高校の中から、この明桜華学園を選んでくれたことに感謝します―――」
入学式にて理事長先生の挨拶が始まる。長過ぎて、途中意識を失いかけてしまった。
睡魔に必死で抗うそんな私の肩を、誰かが軽く数回叩いた。
突然のことに体がビクリと跳ね、慌てて振り返る。
「ねえねえ、子鉄ユウガでしょ? あたしのこと覚えてる?」
「え?」
「ほら、決勝で当たったじゃん!」
「ああっ!?」
目の前にいたのは、バスケ部で中学の夏の全国大会決勝で戦った、相手チームのキャプテンの顔だった。
「五十嵐カコさん!」
「正解! お久~!」
軽くパーマが掛かった肩までのショートヘアを、ハーフアップで纏め上げ、前髪にヘアピンを留めてある。
髪色は茶色、ヘアピンは緑。多分、いや絶対校則違反だ。
「久しぶり! 五十嵐さんもこの学校だなんて嬉しい!」
「カコって呼んでよ~。さん付けされるの恥ずいじゃん」
カコとは決勝戦の後少しお話しした程度だが、飛び抜けたその実力も相まって、よく印象に残っている。
「こら! そこのお前!」
私は、理事長先生の話の邪魔にならないよう声のトーンを落として話していたのだが、カコは周りが静聴していることなどお構いなしに、割と大きめの声で話す。
当然、広い体育館の淵に立っていた強面女性教師に目を付けられた。
「げっ、やべ……。こっち来る」
こちらに向かってくる女性教師の圧は、学生を震え上がらせるには十分なものがあり、カコはそれまでの柔らかい表情を強張らせ、顔の血色を青白く染め上げた。
「お前はこっちだ、来い!」
スーツを身に纏ってはいるものの、体育教師であることがすぐ分かるほど、体育会系の雰囲気を醸し出したその教師は、カコの後ろ襟を掴んで立ち上がらせ、体育館の外へと引っ張っていった。
「じゃ、後でね……」
「う、うん……」
弱弱しく手を振るカコに、私も小さく手を振り返す。
体育館外へ連れ去られるその萎れた姿は、決勝戦の鬼気迫る勢いで向かってきた彼女と同一人物とは思えなかった。
私とカコは、すぐに意気投合できた。
同じクラスで同じバスケ部ということもあり、学校で関わる機会もとても多かった。
「ユウガ、次の授業保健室行って良いかな?」
「ダメだよ。サボりたいだけなのバレバレ」
「うっ……、クソ真面目ちゃんめ……」
カコはちょっと面倒くさがり屋で、嫌な授業はすぐに休もうとしたり、宿題は何かと言い訳してやらなかったりと、素行は決して良いものではない。
しかし、そうかと思えば、テスト勉強はきちんとこなして高得点を取ったり、部活の練習には毎日一番に来て自主練を行っていたりと、意外と努力家な一面もあったりする。
曲がりなりにも、名門明桜華学園の生徒と言う訳だ。
私はと言うと、中学の頃とあまり代わり映えのない毎日を送っている。
日々の淡々とした勉強の成果もあってか、成績は学年トップを維持できている。部活は中学の頃よりは弱いけれど、カコと一緒ならこれから強くなっていけそうだ。学校の皆とも上手くやれている。
「子鉄、クラス全員分の進路調査書集めてきてくれるか? 帰りのホームルームで集め忘れてしまってな。すまない、お前にしか頼めない」
「全然良いですよ! 任せてください!」
「ユウガちゃん、今日私達カラオケ行くんだけど一緒にどうかな?」
「ごめんねー、今日は部活なんだー。また誘ってよー」
「オッケー!」
「へいへい、声出してけー、ナイスプレイ、ユウガ!」
「はい!」
「好きです! 付き合ってください!」
「ごめんね。でも、勇気出して言ってくれて、ありがとう!」
「ユウガ~、今日帰り一緒に帰らない? 方向一緒でしょー?」
「いいよ~、通り道のクレープ屋さん寄らない?」
「それマジ名案!」
入学してから何気ない日々が過ぎていく。
楽しかった。学校の勉強と部活の両立は大変だったけど、それも日々を彩る要素になった。
代わり映えのない、充実感のある毎日だ。
そんな日常が続いて数か月後のある日、私はバスケの練習試合の帰りに、初めてカコの家に遊びに行った。
「カコの家か~、楽しみだな~」
「どう? JKの家入るの緊張する?」
「私も同じJKです~」
カコの家は二階建ての一軒家。
マンション暮らしの私からすると少しだけ憧れがある。
「うわ~、広い!」
「今日は誰もいないから、自分の家だと思って好きにくつろいで良いよ!」
「えー、私カコの部屋見たいな」
そう言うと、カコは私の要望に応えて、自分の部屋がある二階の方へと連れて行ってくれた。
カコの部屋は綺麗に片付いており、日頃の少しがさつで面倒くさがりな一面を見ているからか、この整った景色が私にとって意外だった。
「意外! てっきりメッチャ汚いと思ってたよ!」
「ユウガって偏見えぐい時あるよね……」
部屋の中に入ると、彼女の好きなバンドのポスターと共に、ギターがケースに入れて置いてあるのが目に留まる。
「ギター弾けるの!? そんなに器用なの!?」
「取り敢えず、一旦ユウガの中のあたしについて詳しく聞こうかな」
カコは壁に立て掛けてあるギターケースからギターを取り出すと、勉強机の椅子に座って、おもむろに弦を弾き出した。
「買っただけで~、取り出したのはこれが初めてさ~」
聞くに堪えない不協和音と共に、あたかもアーティストであるかのように歌い出す。
「だよね~、やっぱり」
ふと、カコの勉強机の上に何やら大きな封筒が置かれてあるのが目に入る。
気になって、手に取ってみた。
『八併軍アカデミー、既過生試験の概要について』
八併軍。
もちろん知識として持ってはいるが、私がこれまで生きてきてあまり馴染みのないワードだ。
どうしてこんな物をカコが持っているのだろうか。
「あー、それね。あたし、八併軍の戦士になりたいんだ」
初耳だった。彼女は入学から今日まで、そんな素振りは微塵も見せなかった。
「でも、アカデミー試験って、高校に上がるときに受ける高校入試みたいなものじゃないの?」
私が明桜華学園の入試を受けたように、戦士志願者も、ほぼ同時期に行われる八併軍アカデミー試験を受けなければならないはずだ。
「落ちちゃったんだ。明桜華学園は第二志望。別に隠してたつもりはないんだ。ただ言う機会が無かっただけでさ」
そうだったんだ。人とは分からないものだ。毎日一緒にいる友人でさえ、こんな秘密を持っていたのだから。
「だから次は二回目の挑戦。既過生試験って言うのは、再挑戦者専用の試験ね。普通のアカデミー試験より枠は大分少なめだけど」
へー、そんな制度があるんだ。こういった試験があることも、彼女は受験期にたくさん調べたりしたのだろう。
「でも、何で八併軍?」
「八併軍の戦士になって、『白の国』に行ってみたい」
「ええーーーっ!?」
人類未踏の未開拓領域、白の国。
かつて赴いた探検家たちが次々と死体になって戻ってきたと言われる、八併軍の戦士にのみ入域が許された危険地帯。
今も一般人による無断入域は続いており、毎年多くの死者、行方不明者が確認されている。
白の国に踏み込むという命知らずな行為は、私には到底理解できなかった。
しかし、こんなにも身近にその思考を持つ者がいたとは。
「昔から夢だったんだ。テレビとか雑誌とかで、白の国の話題が取り上げられてたら、ぜーんぶ見てたし」
夢か……。いいな……。
羨ましいと思った。
そしてすぐに、自分の中に芽生えたその感情に疑問を抱く。
どうして? 私、何で今「いいな」って思ったんだろう……。
考え始めたら止まらない。
「なぜ?」の疑問符が、私の脳に多勢で襲い掛かってくる。
私はこんなにも幸せなのに、充実しているのに、これ以上何を求めると言うのだろうか。
両親に私の活躍を喜んでもらえて嬉しい。友達と過ごすのが楽しい。先生に、クラスメイトに、学校の皆に頼られるのが誇らしい。
彼女が語った「夢」くらいで、何をそんなに羨ましがることがあると言うのだろうか。
「ユウガ? 大丈夫?」
「え? ああ、うん、大丈夫!」
取り敢えず、その場は何も考えないようにした。
しかし、ガラスに一度亀裂が入ったら割れやすくなるように、私の中の「綻び」が徐々に大きくなっていくのを感じられた。
お読みいただきありがとうございました。




