幸運保険販売員2
「こんにちは、どなたかいらっしゃいますか?」
姉妹が言い争いをしていると、玄関から声が聞こえた。
「はい、どなたでしょうか?」
アティカが事務所から顔を出すと、スーツ姿でショートカットの、メガネをかけた大人の女性がドアから顔をのぞかせて周囲を伺っていた。
アティカが「中へどうぞ」と促すと、スーツの女性は「お邪魔します」と礼をしながらドアを開ける。
「あ、すみません、私、こういうものです」
女性はビジネスバッグから名刺を取り出すと、アティカに手渡した。
「幸運保険販売員、サバーサリー……さん?」
「はい。私、幸運保険というものを取り扱っておりまして、その営業でやってまいりました」
「幸運保険……ですか。私は、アティカと申します。とりあえず、こちらにおかけください」
怪しい勧誘にぽかんとしながら、ひとまずアティカはいつも接客している木製テーブルへ案内した
同時に、いつの間に来客を知ったのか、カルチェがコーヒーを持ってきた。そのコーヒーをサバ―サリーの前に置くと、「あ、砂糖とミルクを忘れたでふ。ちょっと取りに行ってくるでふ」とそのまま事務所に戻っていった。
「それで、幸運保険というのは?」
コーヒーを手に取るスーツの女性、サバ―サリーに、アティカが尋ねる。
「はい。文字通り、人の幸運に保険を掛けるものです。人生、どんな不幸があるかわかりませんし、運というものには保証がありません。ですから、自分自身の運にも保険が重要である、という考えの元、幸運保険という商品を開発いたしました」
「はぁ……しかし、そんな怪しいものは私たちには……」
「あら、あなたも……アティカさんも、幸運自体を商品としていらっしゃるのではなかったかしら?」
「うっ、それは……」
サバ―サリーの突っ込みに、思わず後ずさりそうになる。
「まあまあ、あなたのような商売をしている方でも、なかなか想像がつかないと思いますが……まずはこちらのパンフレットをご覧下さい」
サバーサリーはビジネスバッグからB4サイズのパンフレットを取り出した。
パンフレットには、「幸運保険とは何か」「どのような種類があるのか」「加入した場合の保障」などが記載されていた。
「たとえば、仕事運保険ですと、仕事で事故にあったり、不運でやめてしまった場合に保障が降りるわけです」
「えっと……それは単なる失業保険では?」
「いえいえ、ちゃんと保障内容をごらんください」
そう言われ、アティカは仕事運保険の保障欄を見た。
「……仕事で事故に遭ったら最長3年6ヶ月? えっと、これは……」
「寿命ですよ。つまり、仕事で運悪く事故に遭ってしまった場合、3年6か月分の寿命をお支払いするわけです」
「お支払いって……一体どういうこと?」
「あら、あなた達と同じよ。さすがにこのような商品をお金を出して購入しようとは思わないでしょう? なので、私達も寿命を担保として運営を行っているのです」
「ああ、そういうことですか。理解しました」
ふむふむ、とアティカは腕を組んで首を縦に揺らす。幸運に対する保険も、幸運の販売も、同じ仕組みとなっているらしい。
「しかし、私たちに保険なんて……」
「お姉ちゃんならかけたい保険とかあるんでないでふか?」
突然背後から声がした。アティカが驚いて振り向くと、カルチェがトレーを持って立っていた。
「か、カルチェ、急に話しかけないでよ!」
「別に、砂糖とミルクを持ってきただけでふよ。私はそんな保険はいらないでふが、お姉ちゃんは恋愛保険とかかけておいた方がいいんじゃないでふか?」
そういいながらカルチェは砂糖とミルクを置くと、「それでは、ごゆっくりでふ」と事務所に戻ってしまった。
「はぁ、まったく余計なお世話を……すみません、話の途中で……」
カルチェが事務所に向かったのを確認し、振り返る。すると、心なしかサバーサリーの目の色が変わっている気がした。
「あら、もしかして、恋愛運保険をお求めですか? でしたら、オススメの商品がございます」
ビジネスバッグから別のカタログを出したかと思うと、サバ―サリーはものすごい勢いでページをめくる。
「こちらです! 10年間恋人が出来なかったら13年8ヶ月保障の恋愛運長期保険!」
「恋愛運が無い状態でさらに13年8ヶ月も生きてどうするのでしょうか……」
「それだけではありません! 今ならちょっとした恋愛運もサービスします!」
「うっ……」
何故か「恋愛運」という言葉に、アティカは反応してしまった。
「さあ、いかがです? 1ヶ月で10日の保険寿命! これはお買い得ですよ?」
今だけですよ、とサバ―サリーはさらに身を乗り出して説明する。さらに「無料特典で金運も!」と押され、ついにアティカは観念してしまった。
「わ、わかりました! 契約します!」
「ありがとうございます! ではこちらにサインをお願いします。あと、個人識別カードをこちらに」
アティカが決断を下したのが早いか、いつの間にかサバ―サリーは契約書とカードリーダーのようなものを取り出していた。
アティカが契約書にサインを書いている間、サバ―サリーは個人識別カードをカードリーダーに読み込んだり、書類を印刷したりして、準備を進める。
「はい、手続きが完了いたしました。こちらが控えとなります。保険証券は後日郵送いたしますので……」
サバ―サリーがあれこれ説明するものの、アティカは上の空である。「それでは」というサバ―サリーの声でアティカは我に返り、「ありがとうございました」とサバ―サリーを見送った。
「やっと帰ったでふか? ちょうどお客さんが来なくて良かったでふ」
事務所のテレビで野球中継を見ながら、カルチェは戻ってきたアティカを迎えた。
「はぁ……めんどくさい人だったわ。でも、これでたとえ彼氏が出来なくてもいいの! そして恋愛運がちょっと増えたの!」
「へ? 結局契約したんでふか? どういう契約なのでふか?」
「1ヶ月で10日の寿命保険で、10年間恋人ができなかったら13年8ヶ月の保障だって」
「保険料合計3年以上の寿命を払ってほんのちょっとの恋愛運でふか? だったらうちの在庫を使えばよかったのでふ」
「何を言うか妹よ、不確実な恋愛運より、堅実な保険に限るではないか!」
「もう何を言っているのかわからないでふね。……あ、また打たれたでふ。今日のスパローズは調子よくないでふね」
負け試合を見ながら不機嫌そうにカルチェが言う。が、それを尻目にアティカは浮かれ気分だ。
「……で、契約内容は大丈夫なのでふか? 保険契約って、大体初回の契約料みたいなのががかかるものだと思うのでふが……」
ルンルン気分のアティカから、カルチェは持っていた契約書を奪い取り、契約内容を再度確認した。
「えっと、初回契約料として寿命80年を支払う……って、え!?」
「え、80ね……?」
カルチェの思わぬ発言に驚くのが早いか、アティカは突然脱力感を覚え、倒れ込んだ。
「ちょ、お姉ちゃん? どうしたんでふか?」
カルチェが声を掛けるものの、アティカに反応はない。