アビリティ・バイヤー3
「またあのお客さんでふか? もう4年は削っていると思うのでふが、大丈夫なのでふかね?」
食器を洗いながら、カルチェは先ほどの男性客の話をアティカから聞いていた。シュプロイアーがこの店に来るのは、もう8回目だ。
「ま、そういう人もいないと、この商売やっていけないけどね」
「どうなのでふかね。確かにうちらは、政府公認の店ではあるでふが」
「それだけ信頼されてるってことよ」
幸運と同じように、能力や経験を入れ替える、などということは簡単にできてよいことではない。容易に悪用されることが考えられるからだ。それゆえに、許可制となっている。アティカとカルチェは、この許可を取るために随分苦労したものだ。
「それにしても、父さんも母さんも、何でこんな変な職業を勧めてくるのでふかね?」
「さぁ、分からないわね。もっとも、お客さんは1日に何十人も来るわけじゃないし、楽は楽なんだけどね」
「生活には困らないというのはありがたいでふよね。そうでなければこんな仕事なんてやらないでふよ」
「ま、お金にならなきゃ意味ないからね。というわけで……」
「あの……またギャンブルでふか? そろそろ他の能力でお金を稼いだ方がいいんじゃないでふか?」
「だって、一番稼ぐのが楽じゃない。ささ、出かける準備するわよ。ついでに、夕食も食べていきましょ」
「まったく……うちの姉はどうしてこうなのでふかね」
今までは金運やギャンブル運をもとに生活資金を稼いでいたが、さすがに安定性がなかった。能力を扱えるようになったことで、運との掛け算でより稼げるようになったのだ。
アティカは「今日は店じまいよ!」と言いながらエプロンを取り、外に出ようとしたその時だった。
「さーて、今日は何にしようかなぁ。競馬かパチンコか……って、うわっ!?」
髪の長い、二十代とみられる女性が、入口の前で立っていた。
「あ……あの、今日はもう終わりでしょうか……?」
アティカは慌てて事務用のイスにかかっていたエプロンを付け直す。
「す、すみません、誰も来ないと思って店を閉めようとしていたところだったもので……ささ、どうぞどうぞ」
アティカは慌ててその女性を中に招き入れる。女性は小さな声で「失礼します」と言いながら、テーブル席に着いた。出かける準備をしていたカルチェも、女性が入ってきたのを見て慌ててコーヒーを淹れに給湯室に向かった。
(うわぁ、よく見たら綺麗な人……でも……)
入口で見た時は、周囲が暗かったこともありはっきりと見えなかったが、よく見ると顔立ちが整っていて美人だ。しかし、前髪で目が隠れているものの、どうも浮かない顔をしている。
カルチェがコーヒーを出したところで、アティカはパンフレットをテーブルに準備して話を進めることにした。
「えっと、今日はどのようなご用件で……」
「私、今死のうかどうか悩んでいるところなんです」
「え? 死ぬ? 何かあったのですか?」
テーブルに置いたパンフレットを開く手が止まる。女性は「実は」と続けた。
「産まれてからずっと、いいことが無いんです。父親は早くから病気で亡くなるし、勉強もうまくいかなくて志望校には行けず、お付き合いしていた男性には暴力を振るわれて……」
女性の顔はますます暗くなり、涙があふれてくる。アティカはどう声を掛ければよいか分からず、言葉に詰まっていた。
「えっと……このお店、能力や経験を売ってくれるんですよね? 私、何も取りえが無くて、交換できるものなんて無いと思いますけれど、どうにかして自分を変えたいと思うんです」
女性はそう言うと、心を落ち着かせるためかコーヒーに口をつける。話を聞いていたアティカは、パンフレットを片付け、「それなら」と声を掛けた。
「あなたのその経験、こちらで買い取る、という形でいかがでしょう? 嫌な思い出、経験、すべて忘れてしまえば、前に進めるかもしれませんよ?」
「え、そ、そんなことができるのですか?」
「はい。当店では、お客様の貴重な経験の買い取りも行っております。お金は出せませんが、寿命でお支払いさせていただいております。ただ……」
「ただ?」
アティカの言い方に、女性の表情が曇る。
「その……どうしても、そういった経験は『負の経験』となってしまいますから、需要がほぼ無いのです。それで、買い取りではなく、処分という形になります。さらに言うなら、処分にも費用が掛かりまして、そちらも寿命でのお支払いとなります」
「寿命で……どのくらいかかるのですか?」
「そうですね……個人識別カードはお持ちですか? ちょっと見積もりをさせていただきますので」
女性は持っていた黒いバッグから財布を取り出し、個人識別カードをアティカに手渡す。アティカはそれを機械に通すと、いくつかの作業をして印刷を始めた。今回は契約書ではなく、見積書だ。
その見積書を女性の前に出し、指をさして説明を行う。
「……以上の経験を買い取り、というか処分させていただくとして、ざっと10年3カ月ほど必要となりますが……いかがいたします? このうちの一部の処分も可能ですが……」
女性は見積書に書かれた内容をじっと見つめる。10年の寿命が必要、というよりも、経験の多さに驚いているようだ。
「10年……たった10年寿命が短くなるだけで、私は前向きになれるのですね」
「それはお客様次第ですが、『負の経験』を処分された方の多くは前向きな人生を送られているようです。ただ……10年は結構大きいですよ。よくお考えになった方が……」
アティカがすべて言い終わる前に、女性は首を振った。
「考えることはありません。私はこれから死のうとしていたところです。それが、10年短くなったとはいえ、まだ幸せに生きることが出来るのなら、そちらの方が良いに決まっています」
女性の顔は、先ほどの暗い表情から一転して笑顔が見えるようになった。アティカは「そういうことでしたら」と、すぐに契約書の印刷に取り掛かった。契約書を渡すと、女性は迷いもなくサインをし、アティカに返す。
女性がドアを開けると、店から出ずにその場で立ち止まった。
「……嫌なことを忘れるって、こんなに気持ちがいいことだったんですね」
そう言って、アティカの方へ向いて笑顔を見せた。
「なんだか生まれ変わったような気がします。これから、前向きに生きることが出来そうです。今日はありがとうございました」
アティカに一礼すると、女性は店から出ていった。




