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もしも運命の人に出会えたら  作者: 柳瀬光輝
32/40

亡霊

 顔を洗ってから、俯きながら教室に戻り、席に着くと、和人が話しかけてきた。

「おだんご、かわいいね」

 そういえばさっきは動揺してしまい、櫻子がどんな髪型にしてくれたのか気にもしていなかった。

 手で触って確認してみると、横の髪が編み込まれて、丁度怪我をしている部分でおだんごになっていた。

 櫻子に、お礼すら言っていない。

 今からでも遅くは無いのだろうが、どうしてもそんな気分になれなかった。

 自己嫌悪に陥り、思いっきり泣きながら誰かに愚痴りたくなる。

 和人ならばきっと、黙って話を聞いてくれるだろう。

 だが、それだけはダメだ。色々とダメだ。

 それは、和人の好意の上に胡坐をかくようなものだろう。

 そして何より、恋愛相談に乗ってもらっていた異性とくっついた、という話をよく聞く。

 こんな弱っている時に優しくされたら、流されてしまわないとは限らない。

 こういうのは同性に限る。

 とは言え、櫻子に愚痴るわけにもいかないし、愛や緑には避けられているし、まだそこまで仲良くは無い。

 故郷の友人、ゆかりに電話するという手もあるが、こんな時は面と向かって慰めてほしい。

 ――――慎二がいてくれたら……。

 スマホを取り出し、Lineとメールを打つ。

『慎ちゃん、お願い、早く帰ってきて』

 以前に送ったLineも、ずっと未読のままだ。

 無性に慎二が恋しくなり、慎二から貰った物を鞄から取り出し、スカートのポケットに無理矢理突っ込んだ。

 布越しに、ずっしりとして冷たいその感触は、頼もしい安心感を与えてくれる。

 握りながら念じる。

『慎ちゃん、お願い、早く帰ってきて』

 きっと、伝わるはずだ。



 何事も無かったかのように、授業は続く。

 櫻子は、教科書とノートを広げ、板書を写しながら、放課後の事を考える。

 工藤君を、どうやって呼び出そうか。

 電話番号もアドレスも交換してあるので、すぐにでも呼び出しはできるし、逆に、すぐじゃなくても、学校が終わってからどこかに呼び出す事もできる。

 だが、この学校にも御多分に漏れず、伝説の木、というのが存在する。

 その木の下で告白して結ばれたカップルは、幸せになれる、というアレだ。

 伝説と言っても、昔はここは女子高だったらしいので、いつから始まった噂なのかはわからない。

 しかし櫻子は、新聞部で、伝説のその後を取材したことがあった。

 先輩から先輩、そのまた先輩へと紹介してもらい、そこで告白して結婚したというカップルを10組程取材した。

 みんな幸せそうだった。

 櫻子も当然、そこで告白するのが夢だった。

 心の中で、親友に語り掛ける。

『環奈、あたしもやっと、好きな人ができたにゃ。環奈は今、天国で長瀬君と一緒だよね? 辛い事いっぱいあったけど、今、幸せだよね? 環奈、あたし、頑張るから! 応援してにゃ!』


 ペキッ、という音と共に、シャーペンを持っていた右手の親指に激痛が走る。

「いっ!!」

 思わずシャーペンを取り落とし、親指を握りしめて席を立つ。

 日本史の教師が「どうしましたか?」と聞いてくる。

 握った手から、血が滴り落ちた。

 そっと手を開いてみると、親指の爪が、縦に……割れていた。

 教師は息を呑み、目を逸らす。

「だ、誰か。保健委員。保健委員は、躑躅森さんを保健室に連れて行ってあげなさい」

 櫻子も振り向いて、保健委員の席を見た。

 一輪のカサブランカが飾られている。

 保健委員は、環奈だった。

 環奈は、将来、看護師になりたい、と言っていたのだ。

 父親に逆らってでも、高校を卒業したら、看護学校へ行くのだと言っていた。

 環奈、天国でナースになれてるかな。まさしく白衣の天使だ。環奈には、ナース服、似合うだろうな。

 できれば、その姿を一目でも見たかった。

 一緒に、その日を祝いたかった。


「あ、あの……、わ、私が、連れていきます」

 小さな声でおずおずと、琴子ちゃんが言ってくれた。

「あ、先生! 三神さんは足を怪我しているので、僕は三神さんの付き添いで」

 ならば佐々木君があたしに付き添ってくれればいいだけのような気もするけれど、琴子ちゃんの手前、それはまずいか。

「先生、俺、ちょっとあちこち痛いから、一緒に保健室行きます」

 工藤君までそんな事を言い出す。

 それならば普通、工藤君に私を連れていけと言えば済む話だと思うのに、先生はあからさまにホッとした顔をして、あたし達4人を教室から追い出した。


「櫻子、手、どうしたの?」

 教室を出てすぐに、琴子ちゃんがあたしの手を無理に開いた。

「爪……確かに、霊障が抜けるには時間が掛かるって聞いたけど、ここまでの影響は……タカ、どうなの?」

 そう聞かれた工藤君は、何か難しい顔をしている。

「終わった……んじゃ、なかったにゃ? ねえ、終わったんじゃなかったにゃ? 昨日、電話でそう言ってくれたにゃ? ねえ!」

 工藤君にしがみついたら、工藤君はあたしを抱きしめて、「大丈夫」って言ってくれた。

 でも、その後で、「俺が命を懸けて守るから」って。

 それって、どうなの? 命懸けで守ってもらわなきゃ、大丈夫じゃない、ってこと?

 思わず、工藤君から離れて、琴子ちゃんと腕を組む。

 琴子ちゃんのほうが頼もしく思えてしまったのだ。

 無言のまま、ゆっくりと保健室のある1階へと下りた。


 琴子ちゃんの体が、硬直した。

「え?」

 顔を上げると、前方が黒く煙っていた。

「なに? 火事?」

 何故だろう、あの煙は、……怖い。

 触れてはいけない物のような気がする。

 琴子ちゃんは返事もしてくれず、ただ固まっている。

 工藤君の方を見ると、工藤君も固まっていたが、私の視線に気付いて、こちらに手を差し伸べた。

 その手を掴むと、黒い煙の方へとあたしを連れて行こうとした。

「いやっ!そっちには行きたくないにゃっ!」

 そう言ったのに、工藤君は力任せにあたしを引っ張る。

「外に出るんだ! 玄関まで走れ!」

 工藤君に引きずられるように玄関に向かい、煙の手前で左に曲がる。

 ガラス張りの玄関からは、外の光が差し込んでいた。

 だが、天井にはもう煙が溜まっている。

 こういう時は、そう、姿勢を低くして、口元をハンカチで押さえて……。


 天井の煙。

 いや、煙では無い。

 墨?

 もっとねっとりとしている。

 そう、まるでコールタールだ。

 粘度の高いその黒い闇から、ボトリ、と、滴がしたたり落ちた。

 ボトリ、ボトリとしたたり落ちた滴が、1カ所に集まる。

 それは形を作り、人の形へと変わり、語り掛けてきた。

「どうかしら? あたくしのナース服姿。櫻子、見たかったのでしょう? ほら、ご覧あそばせ。どうかしら? あたくしが、今、幸せか、ですって? 櫻子、あなたもこコこここここにいらラララららしタらわヮワかりマすわよ。ホホホほホホほホホホほほほほ」

 目の前に突然現れた環奈は、血まみれの、深紅の白衣を着ていて、笑う度に頭を振り、抉り取られた頭から脳漿を飛び散らせた。

 それでも前に進もうとする工藤君の手を振り払い、煙の立ちこめていた職員用玄関の方へ走った。

 天井に溜まった真っ黒な闇が大きくたわんで、ドシャッと音を立てて一気に落ちてくる。

 人の形になり、起き上がったそれは、佐東さんだった。

「ねえ、躑躅森さんは、私の友達だよね? 私だけの、友達だよね? ううん、いいの。言わなくてもわかってるから。わかってワカッテわかワカってててててるから。ねえ、友達なら、一緒にキテくれれれれれるよね」

 佐東さんが喋る度に、喉の穴からどす黒い液体が飛び散る。

 もうイヤだ。あたしが何をしたと言うのだろう。

 みんなに好かれるように、ソツなく生きてきたはずだ。

 感情を抑えて、いつでも笑顔を欠かさずに、本当はもっと話が合う子達がいるのに、そのグループにも入らず、どこか浮いていて、一人でいる子達にわざわざ声を掛けてあげて、一緒にいてあげて、優しくしてあげてたのに。

 こんなの違う。間違っている。


 踵を返して階段へと向かい、こちらに手を伸ばしていた琴子ちゃんと、それを支えていた佐々木君を突き飛ばす。

 邪魔。

 何が「タカと琴子さんが何とかしてくれたから、もう大丈夫だよ」だ。

 何ともなってないじゃないの。使えないったらありゃしない。

 二階から回って、反対側の階段から下りて、職員用玄関に向かおう。


 そう思って2階へ駆け上がったのに、廊下には既に長瀬君が立っていた。

 にこにこ笑いながら、瞬きを一切せず、「ねえ、環奈、知らない?」と聞いてくる。

「下にいたにゃ!」と答え、横をすり抜けようとすると、腕を掴まれた。

 佐東さんと同じように、喉に黒い穴が開いていて、そこからやはり同じようにどす黒い液体が飛び散り、櫻子にかかった。

「いっ!!」

 パキッ、と音がして、人差し指の爪が縦に割れる。

「ねえ、案内、してよ。一緒に、一緒にににニにニニ来てよ」

 また液体が飛び散り、櫻子にかかる。

「うぁっ!!」

 また、パキッ、と音がして中指の爪が縦に割れた。

 長瀬君の手を振り払い、後ずさって3階へと上る。


「なあ、櫻子。お前、俺の気持ち、知ってたよな」

 ユーマの声をした肉の塊が、這いずりながら近付いて来る。

「わかってて、いいように利用してたよな」

「なあ、俺と一緒に来いよ。一緒に一緒にいっしょにイっしョにイッシょニ」


 4階へ上がると、今度は見たことも無い人達が、年齢もまちまちの、だが、体のどこかが潰れて、もげて、血まみれになっている大勢の人達が、こちらに向かって、爪の無い手を伸ばしてくる。

 5階も同じ。下へと下りる階段は、大勢の、ゾンビのような人達で埋め尽くされている。

 もう逃げ場は無い。

 屋上へのドアには、鍵が掛かっていたはずだ。

 泣き叫びながらドアノブを回すと、ドアは、あっけない程に簡単に、開いた。


 屋上に出てドアを閉め、両手で一生懸命体重をかけてドアを押さえたが、隙間から、鍵穴から、どろりとした闇が染み出してくる。

 端まで走り、振り返ると、ドアから溢れ出した闇が一筋の流れを作り、櫻子へと向かって来る所だった。

 ガシャン、と、背中がフェンスにぶつかる。

 後ろ手で金網を握りしめた。

 サラサラと、かすかな音を立てて、櫻子の足元に茶色い砂が降る。


「え?」


 桜子の周りの金網が、一瞬のうちに腐食し、切り取られたように穴が開く。

 金網から手を放し、支柱を掴もうと体をひねったが、バランスを崩し、縁に躓いた。

 なんとか残った金網を掴んだが、それもどんどん腐食して崩れていく。

 体はもう外へ投げ出されている。

 屋上の縁になんとか掴まり、ぶら下がった。

 パキリ、と音がして、爪が割れる。

「いっ!!」

 思わず手を放しそうになるが、歯を食いしばり、力を入れて縁を握る。

 パキリ、パキリと音を立て、爪が次々に割れていく。

「い・・・・・・やだ、まだ……まだ死にたく……ないにゃ」

 喉が張り裂けるほどに大声で叫ぶ。

「誰か! 誰か!! 助けて! 助けて助けて助けて助けて、助けてっ!!」

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