~シルフ舞う滑走路~11
【ルドラークシャの矢】
目の前で起きているコトは、いったいなんなのデスカ!?
呆気にとられて指がとまりそうになると、庭の方から、聞くからに気の強そうな声が叫ぶ。
「箏を止めるなーー!! 」
あー 上級生から怒鳴られちゃったよ。 それにしても、おかしいじゃない? いま、令和だよ。 もうオリンピックも終わっちゃったんだよ。 なんで、古めかしい恰好をした女の子と化け物みたいなのが戦っているの??? それもピョンピョン空中を飛んでいるんだよ?
『トーテイ理解不可能!! 』
この座敷から見える景色は、まるで映画のスクリーンのように、現実から切り取られている
倫子は率直にそう思うと、なぜだか他人事のように俯瞰した心持ちになっていた。 それなのに‥‥‥。 胸の鼓動が早足で脈打って、自然と箏の音色も速くなる。
横目で深月のほうを見ると、持ち前の澄んだ瞳を大きく見開き、硬直した顔をしているのが見えていた。 それでも、筝曲を止めないのは、勝気な性格のなせる業か。
強情っぱり! ワタシも負けてられないじゃない! 倫子は、そう自分に言い聞かせると、ひと息ついて、指先を深月の箏の拍子に乗せていった。
曲も佳境に近づいたころ、庭の鬼も力尽きたか、地面に転がり断末魔の声をあげている。
白拍子の少女が、びっしりとお経が書かれている板を鬼にあてがっていると、鬼は最後の力をふりしぼるようにそれを振りほどき、一直線に座敷へと向かってくる。
『!! 』
鬼は、わき目もふらずに深月へと跳びかかる!
「ワタシが、カワルのーーーーーー! コノ髪モ、コノ瞳モ、コノまっしろな肌モ!! ワタシノモノ。 トモダチモ、セイカツモ、アナタノスベテがワタシノモノーーーーーーー!!! 」
そういって深月に襲いかかると、鉤爪を白い首元へと近づけた。
鬼が顔を舐めるようにして口元を近づけたその時、深月は、その深い藍色の瞳を見開いて相手を睨みかえす!
「えーいっ 煩い!! 緊張して黙っていたけど、私と替わりたいだって? アンタちょっとわたしの何がわかるっていうのよ! 教室にいるときも、校庭にいるときも、私はいつだって異質。 私は誰とも交わらない。 それなのに、自分が何をしたいのか? どうしたいのかもわかってない。 わたしは! いつだって! どこでだって! ひとり、ぼっち、だーーーーーー!! 」
「ぶぅぅぅぅぅぅぅん! 」
白拍子の少女が、長い箏弦を使って振り子のように座敷の中へと侵入すると、鬼の軀を捕まえて羽交い絞めにした!
「だからって! 負けてられるかーっ!! 」
深月は渾身の力を使って鬼の面へと頭突きをすると、不意をつかれた鬼は戻す振り子のように白拍子に連れられて『風月庵』の野外舞台へと連れ戻されていった。
「ガシャガシャガシャ!! 」
白拍子の少女は、鬼を抱えたままで、庭の山水へと落下する。
箏弦がからまり、蓑虫のようになった鬼は、その怪力で、這うようにして奏宴の間を目指す。 白拍子の少女もずるずると、引きずられていった。 庭の落とし石までさしかかり、鬼は立ち上がると、鉤爪で箏弦を断ち切って再び叫び声をあげた!
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
弦を切られた白拍子の少女は、もう飛翔することができない!!!
倫子は、この『風月庵』へと降りかかった災難に、唖然と立ち尽くしていた。 頭の中は、『逃げ出したい! 』というモヤモヤで埋め尽くされている。 周りを見渡すと、鬼との闘いで崩れてしまった、生垣、灯籠、庭木たち‥‥‥。
あの美しかった日本庭園が、見るも無残な姿に変わっていた。 そして、ズタズタに断ち切れた箏弦だけが、廃墟にかかる蜘蛛の巣のように、侘しく風に揺れ動いている‥‥‥。
座敷を見下ろすと、めちゃめちゃにされた箏たちが横たわり、唐くれないの振袖をはだけさせた、深月の真っ白い脚がのぞいている。 そして彼女の横顔の、薄桃色の頬から白蝋のような首筋にかけて、一筋の鮮血が流れ落ちていた。
あー心臓がバクバクする! あーもうパニックになる! どうなってるの?? だけど‥‥‥。 あのコの藍色の瞳が庭先を睨んでいる。 まっすぐに放射した睫毛が負けるもんかと言っているように鬼を射貫いている‥‥‥。
その光景に心を奪われた倫子は、何かを決意するように腰紐を外すと、振袖にたすきがけをしはじめた。
「わたし! 逃げ出さない!! こんなときこそハラを決めないと、このコに『弱虫』っていわれちゃうからね! 」
そう心の中でつぶやくと、倫子は、ある考えが浮かんだと、不適な笑いを見せた。
「深月! ちょっと助けて。 この箏をささえられる? 」
そういって、箏の端を持ち上げると、まるで縦型の弦楽器のように構えだした。
深月は急いで立ち上がって近づいてくると、少し照れたように嬉しそうな顔をしていた。
「はじめて私の名前を呼んだね。 いいよ。 手伝ってあげる。 わたしも倫子って呼ぶわ。 今日は特別だということで。 それにしても、重いーーー! この借りは、ちゃんと返しなさいよ! で、どうするの? 」
「わたしが、合図をするほうに、箏を向けて! もちょっと右の方向。 ななめ上でね!
あっ、いきすぎ、いきすぎ」
倫子は、深月のささえに助けられて、箏の方角を定める。 そして、結い上げた髪からルドラクシャの簪を一本ひきぬくと、箏を巨大な弓に見立てて、鬼に向かって射かけていった。
「いちの矢ァ! いっけェーーーーー! 」 倫子が叫ぶ!
簪の矢は、みごと鬼の左肩へと命中し、鬼をひるませる事に成功した!
『 リン 』
闇の中に涼やかな音が響き渡る。 ひるんだ鬼が後ろを振り向くと、白拍子の少女の左腕に巻かれた、金剛石の数珠に取付けられた小さな鈴が鳴っていた。
『無慙愧は名づけて人とせず。 名づけて畜生とす』
「あなたの中の畜生道の心。 今日で終わりにさせましょうね」
そういって白拍子の少女は菩薩の表情を見せると、広げた経板を刀剣状にたたみ、鬼へと一直線に走り向かって下段から横一文字で斬りかかる! それをするりと鬼が避けて、空中へと跳ね上がると、その懐の横を二本目の簪の矢が勢いよく通り抜けていく!
すると外れた簪は『風月庵』の数寄屋門の柱の高いところへと刺さっていった!
「外れた!! 次! 」
奏宴の間の二人の少女たちは、乱れた着物など気にもせずに、次の弓引きのモーションへと入っている。 そして、白拍子の少女は鬼を追って、先ほど門の柱に突き刺さった簪を足がかりにすると、鬼の跳躍を超えてさらに高くーーーーー!
月をも超えるようなほど跳ね上がっていった!!
簪の矢を構える倫子が、顔は鬼へと向けたままで、わきで箏をささえる深月へとつぶやく。
「深月、あんたさぁ。 さっき、ひとりぼっちだって言ってたけど、なんかアタシあんたとカラんでるとき、ちょっと楽しかったんだよね。 そりゃ、ほとんどはムカついてたけどさ。 だからさ、もう一人とか言わないで。 あたしがいつでも相手してあげるからさぁ」
「ふん。 上から目線ね。 まあいいわ。 わたしもちょっとだけ楽しかったから」
深月は頬を桃色に染めて答える。
「それより、深月。 そのオデコ‥‥‥ 血がでてるよ」
倫子が心配そうにそう言うと、深月はその血を袖でぬぐい、「なんか、燃えてきた」と、ひとことだけいって、ペロっと舌なめずりをした。
そして、深月は指先を拳銃の形に構えると、鬼の方向へと射し示しこうつぶやく。
『さぁ倫子。 心を信じて揺らさずに、真っすぐにいこう』
「あんただったの、そのセリフ‥‥‥!? 」
倫子は、タンポポの綿毛のような妖精たちと出会った、あの日の弓道場での不思議な出来事を思い出していた。
「「 いっけーーーーーーーーー!! 」」
二人の声が重なったとき、ルドラクシャの簪は、ひとすじの光る矢となって、鬼へと向かっていく。 暴れ狂う鬼が松の枝の反動を使って、矢の標的から外れようとしたそのとき‥‥‥。 とたんに目の前の時間がスローモーションになって流れだす。 そして、漆黒の闇の中をどこからともなく綿毛のような妖精たちがひとりふたりと集まってくると、渦をまくようにして矢を運びながら、深月、倫子、二人の瞳が向かう方向へと軌道を変えて、空中の鬼へと突き進んでいった!!
「ぁぁぁぁああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ! 」
ルドラクシャの簪の矢は、見事、鬼の眉間へと命中し、しゃれこうべのような面を割ると、中からあどけないどこにでもいるような少女の顔が現れた‥‥‥。
『 咒! 』
そのとき、音にならない声が闇に響いた。 そして、空中高く飛翔していた白拍子の少女が木の葉のように舞い降りながら、手に持った経板で鬼の背中を『ぱーん』と叩くと、鬼は力尽きて、崩れるようにゆっくりと地面へと落下していった。
「ユキ‥‥。 アンタだったの? どうして‥‥‥ 」
割れた鬼の面の中から、クラスメイトのひとりの少女の顔が現れた。 校庭で、教室で、いつも深月のことを追いかけて、気を引くための話をかけていたあの少女の顔だ。
深月は、足袋の汚れなど気にせぬ素振りで、ぬれ縁を駆け降りると、落とし石を飛び越えて鬼の前まで進んでいった。 そして、鬼の体をやさしく抱き上げると、帯からハンカチを取り出して汚れた顔を拭いてあげた。 すると帯揚げから一本の櫛がこぼれ落ちる。 白蓮会の先輩から預かっていた《月の螺鈿細工》が施されている、あのときの櫛だ。
「アンタ、わたしと替わりたいなんて言ってたけど、わたし、ユキみたいな顔きらいじゃないよ。 だってさ、いつだって微笑んで話しかけてくれたじゃない。 わたしなんて、そんなつもりもないのに、いつも怒ってる?っていわれちゃうんだよ。 それにね、アンタのその髪も、お日様の熱をあびると、ゆっくりとふくらんで、いつもいいなぁなんて思ってた」
「それが、こんな風に汚れちゃって‥‥‥」
深月は、そう言いいながら、月の櫛で鬼の髪を何度も何度も漉いてあげた。
そして鬼だった少女の真っ黒に沈んでいた瞳に、うっすらと月光が差し込むと『風月庵』全体に響くような大声で泣きはじめる
「ぁぁぁぁぁぁあああああアアアアアア アーン アーン! アーン!! 」
「わたし、ミヅキちゃんみたいになりたかったんだよう」
少女は、両手を凍えるように震わせながら、深月の頬にあてがうと、「ごめんね、ごめんね」 と言葉にはならないような泣き声で叫び続けていた。
深月は困ったような顔をしていたが、やがてすべてを悟った顔をすると、ひとこと「ばかね」 とつぶやいた。
「ユキやみんながいるから、わたしは、これからもこの学校に通い続けるよ。 だから元気になったら、またいろんな話を聞かせてね」
そう言うと、深月の顔は聖母のように柔らかな笑顔に変わっていった。
そして鬼だった少女は、割れてしまった爪を、深月の微笑んでいる唇の形に何度も何度も沿わせると「ありがとう。 やっぱり私がなりたかったのは、ミヅキちゃんだ」 と、ひとこと言って、やすらかな顔をしながら意識を失わせていった。




