プロローグ
◆王国暦843年、空は曇天で、容赦なく降り注ぐ雨が男の体温をどんどん奪っていた。
だが男は、そんな事など意にも返さない。
男の意識は腕の中の今にも事切れそうな女性に注がれていた。
「すまない……すまない……私の所為だ……フリーダ。すまない、こんな事になるなんて…………」
男が謝罪の言葉を口にするのを腕の中の女はそっと手を差し出して止める。
女は身体中をナイフで刺された様で、大量の血を流していた。
たとえ腕の良い医療魔導士に診てもらったとしても、もう助からない。
女の命は今にも尽きようとしていた。
女は最後の力を振り絞り、言葉を紡ぐ。
虚な視線の先には雨から守る様に大木の根本の隙間に隠されてた赤子が入れられた籠があった。
赤子は大雨の中、何も知らずにスヤスヤと眠っている。
「お願い……あの娘を……貴方と私の……娘……未来を……護って……」
「ああ……ああ!約束する!」
男がそう言うと、女は安心した様に微笑み、その瞳から光が失われて行った。
「ああぁぁぁぁあああ!!!!!!」
男の慟哭は降り頻る雨の音に飲み込まれ、消えて行った。
◆王国暦878年、私は戦場に身を置いていた。
王国の東に広がる魔物の領域インディーナ区域、そこから溢れ出す魔物から王国を守る為、多くの軍人や冒険者が名誉の地へと旅立つのがこの戦場の日常だった。
高貴なる者の義務があるとは言え、子爵家の令嬢であり、未成年である私が、なぜ軍人として戦地にいるのか。
例え強力な魔法力が有ったとしても、命のやり取りをするには私はあまりにも若かった。
だが、例外は有る。
同じ魔法で有っても、より希少な医療魔法の使い手は幾ら居ても足りないのだ。
私の実家は代々医療魔法を継承する貴族だ。
その為、私も国を守る兵士や冒険者達を1人でも救えれば、と志願し戦地へと向かったのだ。
当然家族には反対されたが、魔物と直接矛を交える訳では無く、後方の比較的安全な場所での任務に限定すると約束する事で、ようやく許されたのだ。
そして私はひたすら軍務に励んだ。
状況が変わったのは1年程経った頃だ。
後方の夜戦病院が魔物の襲撃を受けたのだ。
ゴブリンが放った矢が私の肩を貫く。
矢を放ったゴブリンは愛用の拳銃で額に風穴を開けってやったが、ゴブリンの群れの数に対して私の拳銃の残弾は余りにも少なかった。
死を覚悟し、自らの尊厳を守る為、残していた最後の銃弾を使うかと考えていた私を救ったのは、勇敢なるマレー2等兵だった。
彼の娘は私と歳が近いらしく、何かと気に掛けてくれていた紳士である。
彼には感謝しても仕切れない。
マレー2等兵に駄馬に乗せられ、更に後方の拠点に逃げ延びた私なのだが、そこから更に矢の毒で生死の境を彷徨う事になった。
1ヶ月後、何とか一命を取り止めた私は、負傷を理由に上官から退役を勧告された。
どうやら父が手を回したらしい。
戦友に迷惑を掛ける訳にもいかず、また私に回復の時間が必要な事も事実。
故に私は、父に代わりの医療魔導士を数人回す様に頼み、軍を退役する事に決めたのだった。
王都に戻ってきた私は、同年代の貴族の子女よろしく、魔法学園に入学する事になった。
このアーサー王国の王都で1番と言われるロンドン魔法学園の編入試験(軍役経験者なので多少の優遇を受ける事が出来た)をパスした私は、学園に近い学生寮、ベイカー寮へとやって来ていた。
「あらあら、貴方が編入生ね?」
「はい、よろしくお願いします」
初老を間近に控えているとは思えない程、かくしゃくとした寮母から説明を受けた私は、彼女に連れられ、部屋に向かう事となった。
しかし、そのタイミングで寮母に何やら急ぎらしい電報が入った。
どうしようかと悩んだ寮母は、たまたま目に入った寮生に声を掛けた。
「ちょうど良かったわ、スタンフォードさん。
彼女を部屋まで案内して貰えるかしら?」
「構いませんよ、ハドソン夫人」
寮母……ハドソン夫人から紹介されたその生徒は、1年の学年長を務めているらしいライナ・スタンフォード嬢だった。
「あれ?スタンフォード嬢?」
「あれ?貴女もしかして⁉︎」
私達は同時に幼い頃に会った事がある事を思い出したのだ。
部屋に案内して貰いながら懐かしい話に華を咲かせると共に、私の戦場話を語って聞かせてた。
「ところで貴女の部屋なんだけど……」
「どうしたの?」
「同室の娘が少しね」
「何か問題が?」
「いいえ、良い娘何だけどね。ちょっと変わってるって言うか……」
スタンフォード嬢は歯切れの悪い言葉を返す。
「まぁ、会えばわかるわ」
そう言って案内された部屋、221B号室。
スタンフォード嬢がノックするが扉が開かれる事はなかった。
「おかしいわね。今日はずっと部屋にいる筈なのに……ちょっと!居ないの?入るわよ?」
どうやら部屋の鍵は空いている様で、スタンフォード嬢はドアノブを捻り扉を開けた。
その部屋は異様だった。
部屋の中央のテーブルにはガラス容器やビーカー、試験管などが所狭しと並べられ、実験用の小型魔導ランプの火がゆらゆらと揺れている。
棚には沢山のファイルや薬品と共に、何故か高級スリッパが置かれており、床には見るからに上等だと分かるヴァイオリンが無造作に転がっていた。
そんな部屋には1人の令嬢が居た。
学園の制服の上に白衣を羽織った私と同年代の(学生寮の同室なのだから当然か)令嬢だった。
右側のもみ上げだけ伸ばされ三つ編みにされ、後ろは肩まで伸ばされた銀髪、身長は私より少し低く156セルス程。
「やったわ!成功よ!」
私達の存在に気付いていないのか、此方を見る事なく令嬢は手元の試験管を見て跳び上がって喜びの声を上げた。
そこでようやく私達に気付いた少女が小躍りしながら入り口に立ち尽くす私達の所にやって来た。
「とうとうやったわ!聞いてライナ!人間の血中魔力にのみ反応する試薬が完成したのよ」
「そ、そう、良かったわね」
「これは凄い事なのよ!この試薬が有れば今まで証拠不十分で捕まえられず、今も大きな顔で堂々と生活しているクズ共をすべからく監獄へ叩き込む事が出来るわ」
「そう……」
「これまでは怪しい容疑者がいて、その容疑者の服に赤黒い染みが見つかったとしても、その染みが血痕なのか錆なのか泥なのか、はたまた東方の島国の伝統的な調味料であるソイソースなのか、見分けが付かなかったわ。
先日のジョン・ビショフの事件なんかもそう!この試薬が有ればあのいけすかない男を監獄にぶち込めるのよ!ところで……」
そこで少女は突然言葉を切り、その青い瞳を私に向けた。
「貴女は誰?」
スタンフォード嬢は呆れた様に息を吐き出す。
「ハドソン夫人から説明されたでしょう。今日から貴女のルームメイトになる編入生よ」
「ああ、そうだったね」
少女は私の頭の天辺から爪先まで視線を動かした。
「ふ〜ん、インディーナ帰りの退役従軍医療魔導士か」
私は大変に驚いた。
私は彼女に対して一言も自分が医療魔導士として従軍していた事も、その戦場がインディーナである事も話して居ない。
いや、そもそも私はまだ彼女と一言も言葉を交わして居ないのだ。
「何で分かったの?」
「ん?そんなの簡単な事よ」
少女は何故か棚に置かれたスリッパの中から香りタバコを取り出し、猫が彫り込まれたパイプに詰めてマッチを擦った。
「身に付けている装飾品から考えて貴女は貴族でしょ。子爵家の上位か伯爵家の下位くらいね。
しかし貴女の肌に残る日焼けの痕、日差しを親の仇の様に嫌っている貴族令嬢としては有り得ないわ。
貴女は日差しを気にしないタイプの少数派なのか?
いいえ、貴女の日焼けは大分薄くなっている。コレは貴女が日差しに気を使っている証拠。
では、なぜ日焼けしていたのか、それは日差しなんて気にする余裕なんて無い場所に居たと言う事。
そしてコートの隙間から見えている飾り布、身に付けている場所と色からして『王国献命勲章』でしょ?
負傷退役した軍人に与えられる勲章だわ。
貴女の年齢で従軍していたと言う事は、医療魔導士ね。
今、若い貴族の令嬢が医療魔導士として従軍する程の戦場はインディーナくらいな物よ。
よって、貴女はインディーナで負傷退役した従軍医療魔導士で間違いないわ」
少女は甘い薔薇の香りの白煙を吐き出しながら何でもない事の様に話した。
私を見ただけでそれだけの事を言い当てて見せた少女は、左手でパイプを玩びながら空いている右手を差し出した。
「私はシャーロット。
シャーロット・ホームズよ。これからよろしく」
私は同じく右手を差し出しながら自分の名を告げた。
これが後に、数々の謎を解き明かし、多くの冒険を共にする事になる2人。
名探偵シャーロット・ホームズと、医療魔導士にして伝記作家ジーン・H・ワトソンの出会いであった。




