第七話 忍の師
「光一殿」
「うお!?」
人ごみに紛れた光一の前に、突如として景久が現れた。
「お前、どこから出てきた!? 逃げて来たのか? 宿題から!?」
源蔵さんに捕らわれた筈の景久が、自分の目の前にいることに動揺を隠せない光一。
「宿題は死んだ! 拙者の頭脳では、明日までとか到底不可能だからな!」
恥知らずな事を吠え出す景久に、頭を抱えて溜息をつく。
「そんな事より、さっきの女性でござるが、大きかったでござるね。どんな知り合いでござる?」
どうやら、光一と白い髪の女性の一部始終を見ていたらしく、づけづけと聞いてくる景久。
本当に宿題よりそっちの方が興味ありそうだな、と光一は感じ取った。
景久は所謂恋愛経験の無い、オタクであったからだ。
「いや、忘れ物探しただけだよ。だが、確かに高かったな。180センチはあったんじゃないか?」
「いや、おっぱいが」
「その根性を叩き直す」
「え、いや、ちょ!? 殺意にあふれた一撃ィーッ!?」
容赦のない光一のノーモーションパンチが、景久を襲う。
この後、景久はしっかり源蔵に連行された。
◇
光一が学校から帰り、掃除や洗濯をすると、時計の針は五時に差し掛かろうとしていた。
「もうこんな時間か……」
それを確認すると、急いで鏡に触る光一。
鏡に触れた手は、そのまま何の抵抗も無く鏡の中に入っていく。
「あっ」
だが、肘まで入れた所で光一は手を引っ込めると、そそくさとベッドで横になり、目を瞑った。
光一の意識は沈み、落ちていく――――。
◇
――――気がつけば、そこは星の海。
落ちていく感覚があるが、そこに不安も恐怖も無い。
雲を突き抜けて眼下を見下ろすと、そこには武家屋敷の家が連なっている町があり、その中心ではクリスタルでできた高層ビル街が立ち並んでいた。
ここは日の丸区、東にあるジャテン大陸の中でも、日本人の人口が最も多い都市である。
地面が近づくと、光一は着地の体勢を整える。衝撃を覚悟した光一だったが、思いの他痛みを感じるようなことは無かった。
少しジャンプして感覚を確かめるが、普通にジャンプした着地の方がよっぽど痛みを感じる。
「やっほー。思念体の初体験はどう?」
気がつくと、着物姿の真希奈が隣にいた。
何故和風の装いなのかと光一は疑問に思ったが、口には出さないことにした。
「どうも。ええと……そんなに変わりないように感じます。ただ、高所から着地したというのに、痛みが無いのが不可解な点でしょうか」
「どれも皆そんな感じだって。生身であろうと思念体であろうと、星からの着地に痛みは感じないからね」
「そうなんですか……。でも、ここまでだとは思ってなかったです」
「びっくりしちゃうよねー。わかるわー」
うんうんと頷きながら、自分にメガネをつける真希奈。
「前回、現実世界に帰る前に、私のテレポートここに寄ったわけですが! 今回はどんな目的で来たか覚えてる?」
キュピーン! とメガネを光らせ、教師ぶりながら質問を振る真希奈。
「はい! 俺の特訓の為です!」
それに対し、いつも通りな模範的生徒として光一は答えた。
光一の真面目な態度に、真希奈は満足そうに頷いた。
「そうそう。聖剣の扱い方も、忍者としての素質も伸ばさないとねー。と言うわけで、今回はその専門家二人に会いに行きます。質問は?」
「はい!」
律儀に手をピンと上げて、質問がありますアピールをする光一。
真希奈は、どうぞ! と教師ごっこを続けながら答えるように促す。
「忍者の専門家がこの町にいるのは、なんとなく納得できるんですが、聖剣の扱い方が分かる人もこの町にいるんですか?」
「いるっていうか、今回君の為に西の大陸から呼び出しました」
「えっ」
顔を青ざめさせる光一。
「私のテレポートとか無しに、飛行機とか車とか使って来ました。私も他の仕事とかあって迎えに行けなかったからね。多分自腹です」
「えっ」
さらに光一の顔が青ざめて、身体が硬直していく。
「あ、あの、俺の為だけに……?」
「そうです」
真希奈はうんうんと頷き、光一は今にも目眩で倒れてしまいそうになった。
自分の為だけに、遠路はるばる西から東の大地に来て貰う事に、申し訳なさを感じていたのだ。
光一には、具体的な距離は分からない。だが、西の大陸から飛行機で東の大陸までとなると、それはとてつもなく手間暇がかかっているだろうな、ということぐらいは分かるのだ。
そんな光一を見て、真希奈は光一の肩をポンと掴む。
「逆に考えよう。それだけ投資されるほどに、君は期待されてるの。もし君が失敗しても、まだ私達若いんだから、失敗はいくらだってしていいの。ましてや練習だし」
「え?」
その言葉を聞いて、光一は不思議そうな顔で真希奈の顔を見る。
「失敗しても、いいんですか……?」
「いや、そりゃそうでしょ! 初めての事やらせるのに、いきなり全部成功しろとか言わないって!」
相も変わらず、あっけらかんとした物言いで言う真希奈。
「だいたいさぁ、失敗しない人間なんかいないでしょ? 完璧求めてる方が間違ってるよ」
「――――そう、です、か」
真希奈のその言葉に、不思議そうな、けれどどこか納得したような顔で光一は頷いた。
「……そういうものか? そうだったのか……」
「お、おーい? なんか意識どっかいってない? 私見えてるー?」
光一の様子がおかしい事に気がついた真希奈は、光一の肩を揺さぶり、ベルの手で顔の前に手を振る。
意識が確かかどうかを確かめようとした為の好意だったが、光一がすぐに眉をひそめたので、真希奈は一安心した。
「な、なんですか?」
「いや、それはこっちの台詞だって。……まあいいや、ちゃちゃっとゲルグの所に行きましょうか」
真希奈は光一の肩を掴んだまま、もう片方の手で自分の額に指をあてる。
次の瞬間、二人は音も無く、その場から消え去った。
◇
光一が瞬きする間に、目的地に着いていた。
二人が瞬間移動した場所は、武家屋敷の庭園のようだった。足元は砂利が敷き詰められており、周りは邪魔にならない程度に木々が生えている。
そして縁側には、和服を着た男が座っており、その傍には上半身が裸の筋肉ムキムキ男がタオルを持って立っていた。
「…………?」
光一は幻覚を見てしまったかと誤解し、目を擦り見直す。
すると、和服の男と目が合った。男は気まずそうな顔をすると、縁側に置いてある服を掴み立ち上がった。
「おい来たぞ! 服着ろ! 見苦しいだろうが!」
筋肉男に無理やり着せようとするが、筋肉男がそれに抵抗する。
「着る! 着るからそう服を粗雑に扱わないでほしい! それと! 私の筋肉は見苦しくない!」
どうやら自分の服が破けてしまいそうなので慌てているようだった。
「格好の事言ってんだよバカ野郎!」
和服の男がもっともなことを言うと、雑に筋肉男に服を渡す。
「だから丁重に! 筋肉でボタンが飛んでしまうんだ!」
「ボタンの無い服を着ろ! 後もうちょい緊張感持てや! 半裸の変態だと思われたらどーすんだっつーの!!」
「私は変態ではない!」
「その格好じゃ説得力が皆無なんじゃい!!」
二人がギャーギャーと言い争いをしていると、二人のすぐ後ろに真希奈が瞬間移動をした。
そのまま気づかれずに二人の耳を掴むと、思い切り引っ張った。
ギャー!? と痛がり、のたうち回る二人。
「何コントやってんの馬鹿ども?」
真希奈が見下しながら、辛辣な意見を述べる。
「いや、今の俺悪くねえだろ! 旦那の露出癖が悪い!」
和服の男は筋肉男を指さすと、慌てて弁解し始める。
「私は乾布摩擦をしていただけだ! 決して露出癖があるわけでは断じてない!」
その筋肉男の言葉に、だからタオルを持っていたのかと納得する光一。
「そんな事はどうでもいいのよ! そんなんじゃ、教え子にすぐ舐められるわよ!」
真希奈が筋肉男の服を掴むと、瞬間移動の応用か、すぐさま筋肉男に服が纏わった。
「おお、ありがたい!」
「こんな事に使いたくなかったけどねッ!」
語気を強めに筋肉男を睨む真希奈。
すまない、と筋肉男は気まずそうに眼を逸らした。
「さて、それじゃあコーチのお二人さん。……お二人さん? あれ? アイツは?」
キョロキョロと辺りを見回す真希奈。彼女が見渡しても、庭園にいるのは彼女を含めた四人しかこの場にはいない。
「ああ、アイツなら宿題やってるから遅れるってよ」
「こういう時ばっか宿題するの何なのアイツ!?」
和服の男の言葉に頭を抱える真希奈。
三人の元に近寄る光一には、どうやらもう一人コーチがいるらしいということぐらいしかわからなかった。
「……まあいいや、取り敢えず自己紹介してね。はい、まずゲルグから」
「お前が仕切るのかよ。いや、まあいいけどよ」
和服の男が光一の前に立ち、まっすぐ光一の顔を見る。
そこまで間近になって、光一はこの男が日本人の顔立ちではない事に気がついた。
「俺の名前はゲルグ・太田だ。この太田家の正当後継者にして、最強最速の忍者だ。よろしくな、坊主」
和服の男、ゲルグがそう言うと、光一の頭をグシャグシャと頭を撫でる。
よろしくお願いしますと何とか述べることができた光一だったが、その内では混乱していた。
外国人だと言うのに何やら忍者の正当後継者だと言う発言に、上手く理解できなかったのだ。
「ゲルグはドイツ系アメリカ人だけど、その実力を認められて、太田家っていう凄い忍者の名家に、わざわざ養子として迎え入れられた凄い人なの」
「お? 真希奈にしては素直に褒めるじゃねーか」
真希奈の解説に、気をよくするゲルグ。
「うん、だって事前に言っておかないと、本当にいい先生なのか私が疑われるし……」
「なんでそういう事言っちゃうかなお前!?」
「ハイ時間押してるから次ー!」
手を叩き、筋肉男に早く自己紹介するよう促す真希奈。
その意図を察すると、男は光一の方を向いて話し始めた。
「私はクリストフ・カルノー。表ではフランスで考古学を研究をしており、こちらの世界では伝説の武具の管理をしている。君のアクシスカリバーも、私の管轄の一つなんだ」
「そ、そうだったんですか!?」
何やら凄い経歴を持つ人物に、威圧されてしまう光一。クリストフという男は、筋肉だけではなく、脳もきちんとトレーニングをかかさない男のようだった。
「とはいっても、使い方を全て熟知しているわけではない。こういった人を選ぶ武器は、なかなか癖が強くてね。根気強く力の使い方を調べて行こう」
「は、はい!」
クリストフから手を差し出され、とっさにその手を握る光一。
光一のクリストフの印象は頼れる大人に振り切れており、先程まで半裸だったことなど頭の中からすっぽ抜けていた。
「そして拙者、佐々木景久でござる!」
聞き覚えのある声が、聞き覚えのある名前が、光一の後方から聞こえてくる。
表情を引きつらせながら振り向けば、着物を着こんだ佐々木景久の姿があった。
「なぜ、貴様がここに……!?」
「いや、拙者も様子を見てやった方がいいと上の人間に言われてここに来た次第」
きょとん、とさも当然のようにいう景久だが、それでは光一は納得できなかった。
「そうではない! まず貴様が、どうしてこの世界の存在を知っていて、ここにいるんだという事だ!」
「生まれた時から。拙者の家、代々そういう家系でござるし」
「なん……だと……!?」
次から次へと殴りかかってくる情報量に、驚愕の色を隠せない光一。
そんな二人を見て、ふとクリストフが呟く。
「佐々木か。……もしや、日本国の三代名家の一つの佐々木家の人間か?」
「ああ、うちと同じく、先祖代々この世界に多大な貢献をしてきた一族だ。大体が凄い侍」
なるほど、と納得したように頷くクリストフだったが、光一にはさっぱり理解ができなかった。
小学生の頃からの一番仲の良い幼馴染が、実は別世界では名家の侍であるなど、想像しようがなかった。
もし想像できているならば、それは妄想や妄言の類である。
「というわけで、修行のアシストを拙者もさせていただく。よろしく頼むでござるよ! 光一殿!」
「あ、ああ……」
どこか引っ掛かりを覚えながらも、いつものように満面の笑みで語り掛けて来る景久に、光一は頷く事しかできなかった。