後編 社会人編
こちらは【初恋の行方 前編 高校生編】からの続きになります。
そちらをお読みになってから、【社会人編】をお楽しみください。
春になって、また夏になって、何度か季節が巡っていく。
そうして三年生の夏、見事、正式にキッチリ振られた千佳は元々が庶民の出ということもあって、この先は疎遠になるのかなあと思っていた。
「……おかしい」
カフェの窓際のカウンター席で熱めのブラックコーヒーを飲みながら、こちらに向かってくるスーツと眼鏡が小憎たらしいほど似合っている美青年を見やりながら独り言ちた。
ダークグレーのピンストライプのスリーピーススーツは仕立てたことが分かるピッタリさで、陸の精悍な雰囲気にとてもよく似合っている。
シャラリとグラスチェーンを揺らしながら銀縁フレームの眼鏡を仕舞う仕草もスマートすぎて、千佳は思わず半目になった。
「なにか言った?てか、その顔なに?」
「……なんでもない」
相変わらずサラサラと流れる焦茶の髪は後ろだけ短めだ。前髪は長めだが額を出すように中央だけが上げられていて、残りは両脇に緩く垂れていた。
高校卒業前に髪を切って前髪を上げ、伊達眼鏡を外した陸は隠すことをやめた。
あの時の女子と一部男子の悲喜交々が含まれた叫び声と、ぐんと身長が伸びてさらに逞しくなった陸の変貌を間近で見ていた千佳は、(イケメンが自覚すると恐ろしいな)としみじみ思っていた。
陸に足りなかったのは自信だけで、その証のように光っている、左手に嵌められているシンプルな指輪には、今も何とも言えない気持ちになるけれど。
すでに振られて十年以上が経っている。
それでもたまに燻る気持ちが頭を出してくることは仕方がないと思う。
(初恋って厄介だなあ……)
千佳の隣りの椅子に座ったら、コーヒーが入ったカップの蓋を開けてくるくると回しながら冷ましている陸の横顔をチラと見て、頬杖をつきながら深い溜息を吐いていく。
「はー……、初恋は実らないって本当だったなー」
まだ熱いブラックコーヒーをがぶりと飲みながら嘆息する千佳の呟きに、少しだけ目を見開いた陸が小首を傾げた。
「なんか、ごめんね?おれは成就しちゃったから賛同できなくて」
「っっっ……ムカつくっ」
ニヤリと優越感がたっぷりと含まれた言い方なところもさらに千佳の逆鱗に触れていくが、それも仕方がない。
「……まあね、最初から分かってたからね」
「うん?」
千佳に陸を紹介すると話したとき、輔は言ったのだ。
(いや、たしかに可愛かったけど)
いくら幼馴染でも、男に向かって可愛いと言い切った輔の心にすでに居ただけなのだ。鈍感すぎる輔の自覚がまだだっただけで。
「あー、まあ、……うん。でも輔のほうがカッコいいし、可愛いところもあるよね?」
「惚気るな」
サラリと言われた言葉に噛みついてしまったが、いつものことなので流しておく。
「それより、わたしも暇じゃないんだけど?」
「あー。重ね重ね申し訳ない」
今日は「陸が調子悪そうだから話を聞いてやってくれ」と言われて、仕事終わりに待ち合わせをしたカフェで陸とこうして会うことになったのだ。
卒業後からこういう連絡が何度もあり、そのたびに「もー!」と文句を言いつつも二人に会ってしまっている千佳は頭を抱えていた。
高校を卒業して、毎日のように会うこともなくなって、疎遠になって。そのうちいい思い出の一つとしてこの気持ちも薄れていくのかなーなんて思っていたのに、ガンガン向こうからやってくるものだから全然過去になってくれない。とても困る。
自分が断ればいいだけの話なのだが、仕事を早く切り上げてまで会っているのだから、これこそもうどうしようもないと分かっている千佳は小さく溜息を吐くだけにした。
「……まあ、いいけどさ。それよりそっちでしょ。なんで企業法務担当のはずの弁護士が、畑違いの刑事事件の担当してんの?」
「いやー、それはおれも何度も抗議してるんだけどね?『俺の職場の弁護ができないで、お前は何のための弁護士だ?』って言われたらやるしかないじゃん?……まあ、コンプラ違反とか企業の危機管理的なことにも関わってるから、完全に畑違いってわけでもないところがまたアレなんだけどさ」
「惚れた弱みにめちゃくちゃつけこまれてるなー……」
警察官になった輔は出世街道を爆走し、現在はもうすぐ警視正になる手前の警視殿だ。
そして管理官なので忙しいはずなのに、かなり頑張って定時近くには家に飛んで帰っているらしい。
(まあね、こんな格好良くて可愛い嫁が家にいるなら、そりゃあまっすぐ帰るよね)
振られてからこっち、気になる人すらできていない自分の現状に頭を抱えたくなる千佳とは雲泥の差だ。
(わたしだって誰かが待っている家にそろそろ帰りたいぃぃ……)
それもこれも、顔面偏差値が高い人を好きになり、さらにその美形一家たちを知ってしまったからだと勝手に八つ当たりをしておく。
これを言うと、「山吹が勝手に近付いてきたんじゃん」と言われた言葉を思い出した千佳はたまらず口をへの字にしてしまった。
「なに?」
「なんでもないよっ」
自分ばかりが幸せになりやがってと、物理的にも八つ当たりをしようと陸の肩に拳を軽く当てていった。
まだ輔が来ないなあとぼーっとしながら外を眺めていた千佳は、そう言えば聞いたことがなかったことを思い出した。
「ねえ」
「ん?」
また蓋を外してカップの中のコーヒーをくるくると掻き回している陸に、「もう冷めたんじゃない?」と突っ込みつつ、椅子に座り直して向き直った。
「ねえ。陸くんはいつから自覚して、いつバレたの?」
「……それ訊く?」
「うん。だって訊いたことなかったから」
まだ輔は来なさそうなので、良い機会だからと尋ねることにした。
「あー……、えーと……」
窓の外を見上げながら、何度か躊躇いを見せていく陸に気付いた千佳は慌てて手を振る。
「あっ、言いたくないなら言わなくていいからね!」
これはかつて、千佳が輔に言われた言葉だ。
特に、恋愛関連ならそっとしておいて欲しいこともたくさんあるだろう。
けれど気付いた陸が小さく笑い、大丈夫だと頷いた。
「けっこう前のこと過ぎて、どこから言えば分かりやすいかなと思っただけで、言いたくないわけでも隠したいものでもないよ」
「……そう?」
それなら聞いてみたいけれど、無理はするなと言ったらまた笑われてしまった。笑わせてる気はないのだが。
「ああ。前からだけど、たまーに山吹の言葉とか雰囲気とかが輔に似てるなーと思ってただけ」
「えっ!?」
好きだった人に似ていると言われて赤くなった顔を両手で隠すように覆った千佳は、俯きながらも呟いた。
「わたし、野武士っぽいの……?」
「輔のことそんなふうに思ってたの?」
思わず口に出た千佳の言葉に、陸の端正な顔が思いっきり歪んだ。
こほんと一息吐いて仕切り直したら、まずは自覚した日からだろうと手のひらを向けて聞き直すことにした。
「いや、自覚した日にバレたから同じ日だね」
「速すぎない!?」
「そうなんだよー。普段はデリカシーないし鈍感なのに、そういう時の勘は鋭いとかなんなの?」
はーっと疲れ切った深い溜息を吐いた陸は、組んでいた腕を離して整った長い指で前髪をかき上げていく。
切れ長の目元を持つ家族の中で、母親似の陸は兄弟の中で唯一の垂れ目だ。
そんな垂れ目と同じくらいに八の字になった眉毛と焦茶のサラサラな髪のせいで、長毛種の大型犬がしょんぼりしているように見えて困る。
(ゴールデンレトリバー?それともアフガンハウンドか……)
昔の陸だったらチワワ一択だなと一人で納得する千佳は、そうじゃないと首を横に振る。
「わたしにまで可愛くならなくていいから」
「……なんの話?」
そういう姿は家の中で、輔の前だけにしてくれと手のひらを向け、もう不毛な片想いは結構だと拒絶していく千佳に、何を言われているのかが分からない陸は首を傾げていく。
「??……まあ、いいや。えーと、それで。『お前、俺のことが好きなのか?』って言われて」
「唐突っ!!」
まだ残っているコーヒーを口に含まなくて良かった。絶対に吹き出す自信がある。
二つの意味で唐突すぎると口元を押さえた千佳の隣りで、外を見上げながら淡々と話し続ける陸は気付いていない。
「自覚したばっかりなのに本人に言われたら隠しようがないじゃん?だからとりあえず逃げようとしたら腕を掴まれて……」
「ふんふん」
「こう、そのまま腕を引っ張られたら今度は顔を両手で掴まれて」
「ほう!」
何かのドラマを観ているような感覚になった千佳の、ミーハー心が湧き立っていく。
「それで!?」
「えーと、それで、『逃げる力があるなら俺を惚れさせるほうに使えよ!』って言われて」
「へいっ!?なっ!?」
(なんて????)
先ほどとは違う意味で口元を押さえて拳を振る千佳は、全身を震えさせながら堪えていた。
(何それカッコいい!)
吹っ切れたはずの初恋が高速で戻ってきた千佳は全身が真っ赤になる。
一体あの男は何度、千佳を惚れさせれば気が済むのか。
「あ、これ小四の時ね」
「ふぐっ」
絶対に小学生の吐く台詞じゃないだろうと突っ込みたかった千佳だが、ずっと昔から真っ直ぐな輔だったことが分かってまた悶えてしまう。
「ああ。あとこれ真正面のかなり近距離で言われたからさあ。……そんなの逃げられるはずがないよね?」
「羨ましいぃぃぃ……」
「え?」
小さく本音が出た千佳の言葉は思い出している陸の耳には届かなかったようだ。
少しだけ首を傾げたら、また窓の向こうの過去へと視線を向けていく。
「ええと、……それでおれが輔を口説いて惚れさせられることができたなら、高校卒業後の進路も口を出さないって言われて、ついでにそういう事情なら早めに後継者を姉さんに変更するかってなって」
「ちょっと待った」
サラッと重大発表しないでほしい。
けれど手のひらを向けてストップを掛ける千佳に、陸はキョトンとした顔で首を傾げた。
「あれ?おれが後継者から降りて弁護士を目指してるって話は言ってたよね?」
「言ったし聞いたし弁護士になったのも知ってるけど、そこからだとは思わなかった」
「……だっておれは高槻家の長男で、輔は姫守家の長男だよ?」
姫守家は旧家でなかなかなお屋敷にも住んでいるけれど、基本的には消防士の父の収入でやりくりしていたし、あの恐ろしく大きい家も政治家という祖父を持っていても、必要がないなら何も継がなくていいと言われていた。
……言われていても、なんとなーく、長男なんだから家を継ぐのは当然、て考えはあったのだろう。
実際、高槻家のほうは二番目だけど、長男だからという理由で陸が会社を継ぐと思っていたみたいだし。
「後継ぎが必要な家の長男て大変なんだねえ」
「まあね。でもウチはやる気満々の姉さんがいたから、まだ良かったかな。てか、輔が自覚するのが先か、おれが諦めるのが先かって親たちは賭けてたって後から聞いたから、まあ、諦めなくて良かったよ」
「待て待て」
サラッと重大発言を繰り返すんじゃない。
「え、何?親バレしてたの?」
「……おれが自覚する前からね」
めちゃくちゃ恥ずかしいよねと言いながら、赤くなって照れた顔を両手で隠す陸が可愛過ぎて千佳もつられて赤くなった。
「……うん。それは、うん。恥ずかしいね」
「どうりで生温かーく見てるなーとは思ってたんだけどさ」
「あー……、たしかに」
二人の家族が否定するような言葉もだが、応援をすることもなかったけれど。
それでもなにも言わずとも二人を見守っている空気は感じていて、それがまた千佳には良い家族だなあと眩しく思っていた。
……というか。
「ねえ。散々、『俺を口説けよ』って言っといて、無自覚に向こうから口説いてない?」
「……だよね?」
顔を隠していた指の間から、視線を向けてきた陸が先ほどとはまた違う照れた可愛い顔を見せてくるので、そりゃあ何度も口説くし離さないはずだわと、千佳は心の底から納得した。
「でもさ、そうすると八年近く陸くんより気付かなかった姫守くんは鈍感が過ぎない?」
「ホントだよ」
真顔で言う陸に、自覚してから八年越しの成就という重みとともに千佳はしみじみと何度も頷いた。
そして、はーーーっと、そんな人を好きになってしまった自分たちに、呆れた深い溜息を吐いてしまうのだった。
「まあ、おれのほうはそんな感じだけどさ。一人っ子の山吹もなかなかなプレッシャーじゃないの?」
「……いまはわたしのことはいいから」
それこそ二人のように継がなきゃいけないものがある家ではないが、親の老後や何かを自分一人で対処しなきゃいけないのに、相手がいない現状を思い出して頭を抱えるしかない。
「わたしのことは、いいからっ!はい、続き、続き!」
パンと手を叩いて話題を戻す千佳の強引さに驚きつつも、どこまで話したっけ?と今度は天井を見上げていった。
「あ、ああ。ええと、それで、家のことを親に言われた輔も自分の立場を思い出して、困ったなーとはさすがに言ってたんだよね」
「ああ、そうだよね」
そりゃあ困るよね、孫の顔を見たいとか言われたりするかもしれないし。無遠慮な親戚から結婚はまだかとも言われそうな家だしと、うんうんと頷いていた千佳だったが、輔がそんなことで困る性格ではないことを忘れていた。
千佳の賛同に頷いた陸は、少しだけ呆れた溜息を吐いて言う。
「そうなんだよ。『俺はお前と一生離れる気がないのに、俺の好きとお前の好きは違うんだろ?このまま分からないまま歳取ったらお互いに困るよな』ってさ」
「ごふっ」
「それで『お前の将来が賭かってんだから、俺を全力で口説いて分からせろよ』って流れになるんだけど」
「ゴホッゴホッ」
予想と全然違った、輔らしいというかなんというかな言葉に、千佳はさっきは堪えられたコーヒーを思いっきり吹き出した。
(な、なんという台詞を……)
「あとそれ全然困っているようには聴こえないんだけど!?」とも突っ込みたかったが、コーヒーでむせてそれどころではない。
「山吹、大丈夫?」
「っだ、ゲホッ、だ……」
(全然大丈夫じゃないっ!)
ゲホゴホとむせ続ける千佳の背中を軽く撫でたら、「水取ってくるよ」と陸が席を立った。
なんとか醜態を見せないようにと気休めのハンカチで口元を隠しながら、輔と同じ、真っ直ぐに伸びた背中を見やる。
出会った頃は千佳のほうが少しだけ高かった身長も卒業間近には越されていて、繊細な手元も儚げな雰囲気も、もういまの陸は纏っていない。
「はーーー……」
陸とは同じ人を好きになったことで学生時代も何かと相談したり、呆れたり、突っ込んだりしていた。
それは今も続いていて、さらに可愛らしい美少年から格好いい美青年へと変わっていった姿も見ている。
「不毛すぎる……」
輔から「指輪を贈ったぞ!」という報告を聞いた千佳は、それならお祝いをしようと集まった。
その時にものすごく照れながらもはにかみながらも全身で嬉しさを表していた陸の笑顔を見て、輔の時とは違った感情が芽生えてしまったことを千佳は自覚していた。
(惚れた途端に失恋とかあり得ない)
これは絶対に墓まで持っていこうと誓った千佳は、それからも普通の友人枠に収まった二人と連絡を取り合っているし、こうして会ってもいる。
……そのことを、もう諦めの境地で受け入れている自分に頭を抱える。
「何が不毛なんだ?」
「え?」
「あ、お疲れ、輔」
はーっとまた深い溜息を吐いた千佳の背中に声が掛かり、声のしたほうを振り返ったらネクタイを緩めている最中の輔がいた。
「っ!?っ!っ!」
不意の姿に椅子から転げ落ちそうになった千佳は、テーブルに手をついて足を踏ん張ってなんとか耐えた。
「なんだ、山吹?どうした?」
輔を慌てさせてしまったが、素知らぬ顔で座り直した千佳はツンと横を向いて逸らして言う。
「…………なんでもない」
「嘘を吐け」
(バレた)
とてもバレバレだがなんでもないと言い張って深呼吸で気持ちを落ち着かせようとしているのに、目の前の輔に一瞬で吹き飛んだ。
(あああぁぁぁ……、もうっっ!!!)
学生時代と同じく、短く刈り上げた黒髪は走ってきたからか若干乱れていて、黒縁眼鏡を乱暴に外す仕草がワイルドすぎる。
さらにシャツの第二ボタンまで外してネクタイを緩めながら近付いてくるものだから、千佳は叫びたい気持ちを口元を押さえることで何とか抑えるしかなくて大変困る。
輔の着ているスーツは鍛えた体にピッタリと合っている絶妙な仕立て具合がまた格好良くて、とても似合っていた。
色は濃い目の茶色の無地のスリーピーススーツだが、並ぶと型やネクタイが陸とお揃いなことが分かるところにまた千佳は悶えてしまう。
(スーツ姿のイケメン二人の破壊力、すごすぎ……)
陸が入ってきた時もだが、輔と揃った時の店内はものすごく騒ついていた。千佳にはその気持ちがとてもよく分かる。
けれどそんな周囲の熱視線にまったく気付いていない輔は、緩めた首元から大量の色気を振りまきながらこっちに向かってくるのだから、とっても、いや、ものすごく困る!
(ちょっ、待って待って!首!スーツ!)
ジタバタともがく千佳の姿と輔の格好を見て察した陸が、グラスを千佳と輔に渡していく。
「はい、水」
「お、サンキュー」
「……すみません」
それ以外の言葉は何も発していないが、陸の千佳を見る目が明らかに呆れていて、逆に千佳はスン…と冷静になって落ち着いた。
(呆れられた……)
しかし、こうなってしまったのは仕方がないと思う。
だって蓋をして遠くに放り投げたはずの気持ちが、陸からの過去話でぶり返しているところでのコレなのだから。
(これだから初恋は困る……)
何とか水と一緒にいろいろな気持ちも飲み込んだら、当たり前のように千佳と陸の間に座る輔が自分が買ったはずのコーヒーのカップをテーブルに置いて、なぜか陸のコーヒーに手を伸ばして飲んでいった。
「うん、苦いな」
「冷めても苦いヤツにしたからね」
そして何事もなかったかのように輔が買ってきたほうのコーヒーを飲み始めた陸に、千佳は怪訝な顔を向けてしまった。
「ああ。こう見えて輔は猫舌なんだよ」
「こう見えてってなんだよ」
「あー、そういえば」
自販機のおしるこが飲みたいと言った時も、言い出した本人なのに全然飲まないでいた姿を思い出した。
「それで先に買って冷ましてたの?」
「うん」
(過保護だなあ……)
そして陸がそうしているだろうと分かっている輔は、自分が買ったコーヒーを陸に渡したのだ。
そんな二人の阿吽の関係が、また千佳の心を騒めかせていった。
二人が並んでカウンターに座ったことで、どこぞのホテルのラウンジ並みの高級感溢れる空間になっていた。
仕立てたスーツに最強の顔面を持つ二人が並べばそう見えるよなあと納得した千佳は、長い脚を優雅に組んでいる二人と自分の格好を見比べて嘆息する。
(すみませんねえ、この二人の隣りにいるのが既成スーツのくたびれた女で)
これは出会った高校の時からだからと諦めながら、コーヒーをゆっくりと飲んでいく。
輔が買ってきたカップからは、熱そうな湯気が出ている。それを平気な顔で飲む陸に、輔が拗ねた顔でムッとした。
「喉もだが、舌が鍛えられないんだから仕方ないだろ」
「別に、熱いものが飲めるほうが偉いとか強いとかは言ってないよ?」
「それはそれだ」
ムッとしたままでも熱いほうを寄越せとは言わない輔に小さく微笑みつつも、千佳は別なことが気になってしまっていた。
「猫……」
「ん?」
かつて輔に、「男同士とはどうするんだ?」と聞かれたことがあった千佳は、「それ、振った相手に訊くの?」とは突っ込まず、元来の勉強好きと真面目な性格から調べたことがあった。
そっち系の典型的な古典や漫画に始まり、より具体的な描写がハッキリ分かりそうな小説にいきつき、最終的には人体についてや保健体育的な教科書まで履修した千佳は、二人がどっちでもいいように、懇切丁寧に伝えていたのだった。
そして元来デリカシーがなさすぎる輔なので、「経過報告も事後報告も、相手以外には言ったらダメだからね!」と念を押しておいたので、どういう結果になったのかは分からない。
「……」
しかし輔からはなんの報告もなかったが、しばらくした後、全身を真っ赤にさせた陸から「その節は輔が大変なご迷惑を……」と言われてしまったので、必然的にあの辺りかなと致した日の検討がついてしまい、その後もしばらく気まずかったことも思い出した千佳は遠い目をしてしまった。
そもそも「そういうのは女子が得意って聞いたぞ」と言ってくることもだが、それを千佳に訊くのは女子違いというものだと追加で呆れていく。
(女子は女子でも腐女子だからね)
そんなことを輔に言っても仕方がないということも知っているけれど。
それから立派な腐女子になってしまった千佳は現在も最新情報を更新しているが、二人に似ているキャラがいても、本人たちで妄想しないように気を付けていたのだ。
なのに『猫』とか言うからと、こっちも『猫違い』なのだが置いておいて。危うい思考に囚われる寸前でハッと気が付いた千佳は、何とか頭から追い出そうとパタパタと手を振って一生懸命に追い出す仕草をしていった。
「なんだ?」
「なんでもない」
「あー……」
まったく気付いてない輔は片眉を上げるだけだが、気付いて困った顔で輔をチラッと見た陸が小さく手を挙げた。
「あー、山吹。そろそろ言ったほうがいい?」
「言わなくていいですッ!」
「じゃあ、想像にお任せします」
「任せないでよッ!」
任せられたらせっかく追い払った妄想がダッシュで戻ってくるではないか。勘弁してくれ。
「なんなんだ?」
「あー……、ええと。犬派か猫派かって話」
「あ?飼う動物の話か?そんなこと言ってたか?」
「言ってたの」
陸のフォローのような、よく分からない逸らしでそういうことにしてもらってる間に、千佳は何とか追い払うことができた。
(はあ……、危なかった)
「いや、顔が赤いぞ。熱か?」
「ひいっ!?」
いつもは千佳を見下ろしている輔が下から覗き込むことも珍しいけれど。
(み、み、見てない!見えてないからっ!)
輔の緩めた首元というか鎖骨のあたりにあるモノを見つけて慌てて顔を逸らして、「なんでもないからっ!」と言って離れてもらう。
「……見た?」
「見えてないっ!」
また気付いて気まずそうな顔になった陸の問い掛けには、全身を真っ赤にさせて顔を逸らしたことでバレバレだけれど全力で誤魔化していくことにする。
「??なんなんだ?」
「なんでもないよっ!」
いいから早く、その首ごと隠してくださいっ!
それからなんとか微妙な空気が落ち着いたら、「飼うなら俺はメダカだな」とキラキラした少年のような瞳で言う輔に「小学生ですか!?」と突っ込んだり。
陸が、「おれは何かなー。真っ黒い犬はもういるしなあ」と言いながら輔を見るので、また千佳が惑わされながらもようやくコーヒーを飲み切った。
「はあ……、なんか疲れた。あ、今日の夕飯なに?」
テーブルを拭いてカップを捨てに行きながら、日が暮れ始めた外に出ていつもの話をしていく千佳に、少し上を見た陸が答えていった。
「ああ、今日は生姜焼きとコールスローサラダと豚汁と、あとはナムルと豆ご飯かな。んー……、デザートが欲しいな。フルーツが何かあったはず」
「え、お皿持って行ったら分けてもらえる?」
「おい、俺の食べる分がなくなるだろ!」
家は二駅くらい離れているが、もう陸のメニューのお腹と舌になってしまった千佳は通りのコンビニを指差して、「あそこでお皿買ってくるから」とついて行く気満々だ。
「自分で作れよ、一人暮らし」
「料理できない姫守くんには言われたくないんですけどー?」
「掃除と洗濯はしてるからいいんだよ!」
一人っ子な千佳は、いつまでも親がいるわけでも無限に外食できる財産もないので、何とか基本的なものは作れるようになっていた。
しかし輔は作れない。いや、作ることを止められていた。
「ダメダメ。輔はキッチン出禁だから。二度と料理しようとしないで」
いつにない強めの陸の拒絶に、なぜか言われた輔は「実家の厨房も出禁だぞ!」とドヤ顔で言って千佳は呆れてしまった。
「おやつを取りに行く以外は近付くなと料理長に言われたからな!」
「当たり前じゃん」
絶対にやめてと首を横に振る陸の反応は、あまり輔に対して拒否をする姿を見たことがない千佳には新鮮で、よっぽどなことが伝わってきて思わず窺うように陸を見上げてしまった。
半目になった陸は疲れ切った溜息を吐きながら、出禁にした流れを話していく。
「生卵をレンジに入れて爆発させたり、味見しないでできたとか言ってきて生焼け出したり……。すべて目分量と勘でやらかして、最終的にキッチンぐちゃぐちゃにされたらさすがに山吹も怒るでしょ?」
「うん、絶対に許さない」
「流しとコンロだけじゃないからね?床と壁と天井もだからね?」
「うっわ」
そんな惨状やられたら、あとでやらかした本人が丁寧に掃除をしてくれても、もう二度としないでくれと厳命したうえで出禁にする。絶対だ。
そしてさらに料理初心者がしがちなことを全部やった輔には、逆に感心してしまった。
そんな二人からの視線を頂戴する羽目になった輔は、「いや、俺ももうしないから安心しろ」と手と首を横に振って「二度としない」と誓ってくれた。
いつもいつも会うたびに、こうしてあの頃に戻ってしまう自分にどうしようもない気持ちになる千佳は、それでもなんとか友人枠からはみ出さないように気を引き締めるために背筋を伸ばした。
「あ、そういやこの前、現場で山吹の母親に会ったぞ」
「はあ!?」
せっかく背筋を伸ばしたのに、輔の言葉でずっこけそうになった千佳はなんとか踏ん張るけれど。
現場って、警察官の輔が言うなら殺人事件現場のことかと青い顔をした千佳に、そうじゃないと軽く手を振る。
「現場から帰る途中で呼ばれたんだよ」
「……は?」
「本庁戻るかってなった時に名前を呼ばれて振り返ったら、お前の母親が笑顔で手を振ってんだぞ」
「はい?」
(殺人事件現場で陣頭指揮を取っている管理官の名前を笑顔で呼ぶ母とは……)
何を言っているのか理解できなくて固まる千佳に、輔は若干の呆れを含んだ溜息を吐いた。
「お前、アレだぞ?ピリついてる現場で『初恋拗らせたアラサーの一人娘を持つ母親の愚痴』を聞かされる俺の身にもなってみろ?」
「うぐっ……」
(お、……おかあさん……っっ!!!)
青くなって固まってポカンとした千佳は、全身を真っ赤にさせて震えている。もちろん、初恋相手の輔に愚痴を言う母親に対する羞恥の気持ちで、だ。
「大体、豆粒だった空が二十歳になってんだぞ?自分の年齢をそろそろ自覚しろよ」
「してるよっ!!」
アラサーになっている自覚なんて、毎日してるし、なんなら誕生日が来るたびに独り身なことにガッカリしてるし、こうして二人に会うたびに進歩のない自分にものすごく呆れているし、諦めてもいる。
顔を隠していた両手を輔の言葉で拳に変えた千佳は、そんなことはとっくに自覚してるけどなにかッ!?と逆ギレしていった。
「デリカシーをいますぐ拾ってきてっ!」
「それは無理だよ、山吹」
「どういう意味だ、陸?」
アラサーとか拗らせているとか、本人に向かって言うなと怒鳴ったら、遠い目をした陸に「輔に求めても無駄だ」と諭されてしまった。
「まあ、それはいい。だがな、俺や陸が無理だということは分かっているから、他に良い人はいないかって毎回聞いてくるのは勘弁してもらいたいんだが」
「ひいっ!?」
(お、おおおお母さん!?なんてことをっっ!!)
三十歳を過ぎても恋人を紹介するどころか、いまだに名前が出るのはこの二人だけだからって、なんということを誰に向かって言ってるのだと千佳は頭を抱えてしまう。
「一応、同僚とかに聞いてみたんだが」
「ああぁぁ……、お、お手数おかけしてます…」
「無理じゃないかと言われたんだが、山吹に心当たりはあるか?」
「ふぐっ」
一応でも聞いてくれたことに感謝をしながらも、千佳自身も(無理だろうなあ……)とは思っている。
さらに「おれも別な日におばさんに聞かれたから事務所の人とかに聞いてみたんだけど、輔と同じ答えだったよ」と言う陸の言葉で膝から崩れ落ちそうになった。
「大丈夫か、山吹!?」
「え、大丈夫?」
「……っっっ」
無理だろうなと周りからも言われる顔面を持つ二人から心配をした顔を向けられた千佳は、心の底から叫びたかった。
(やっぱり、全然大丈夫じゃないっ!)
眉間を思いっきり寄せて頭を抱える千佳の苦悶の表情に、珍しくやや狼狽たえた輔がフォローのようなことを言っていく。
「ちゃんと山吹の写真を見せたらな、俺のとこは食事だけでもとか、呑んでみたいとか言ってくるヤツはいたんだぞ?」
「……それ、どんな写真見せたの?」
「花見のヤツ」
ほら、と輔に見せてもらった画面には、千佳がジョッキを持って満面の笑みを浮かべている姿が映っていてまた頭を抱えたくなった。
「あとは、これだな。体格が分かるものがいいと思って」
「…………」
それは陸が撮ってくれたもので、桜の木をバックに輔と並んでピースサインをしてるものだった。
「おれはこっちだよ」と陸が見せてくれたのは、輔が撮った陸との同じ日の似たような構図の写真で、千佳は恥ずかしさで全身が真っ赤になる。
「でもな、山吹が無理だと思うからって言われるんだ。なんでだ?」
「ああ、おれもそれ言われた。なんでだろうね?」
「…………」
同じ角度で首を傾げる二人を見ながら、自分にそういう縁がなくなったのは、高校ですべて使い切ったからなんじゃないだろうかと心の底から思った。
(にしても、なんでこの写真を選ぶかな!?)
どれを見ても楽しそうに、嬉しそうに笑ってる千佳はものすごく良い笑顔だ。……お酒が入ってるから、ということもあるだろうけれど。
それでも分かる人が見れば分かってしまうバレバレの写真過ぎて、それでは「無理だ」と向こうからお断りされるわと納得した。
「まあ、山吹が仕事に生きるなら何も言わないが、たまには家に連絡してやれよ」
「……そうする」
一人娘な千佳は、跡取り息子のはずの二人の視線に唇を尖らせながらも小さく頷いた。
心配を掛けている自覚はあるからだ。
「うー、でも婚活かー」
『ここから入れる保険はありますか?』的なノリで、『ここから好きになれる人は現れますか?』とぼんやり呟く千佳には、なんとも言えない顔を向けてくる無言の二人に遠い目をしたくなったけれど。
(デスヨネー)
乾いた笑みを浮かべるしかない千佳に、「まあ、なんとかなるだろ」と笑う輔は軽い。
「政略結婚の海がまあまあ楽しそうにしてるみたいだから、お見合いとかもいいんじゃないか?」
「お見合いかー」
それなら紹介できるかなあと呟く二人の言葉で、少しだけの希望が見えた気もするけれど。
「んー、まだピンとこないから、その時は頼むよ」
とだけ言って、その時とはいつなのかという疑問は未来の自分に丸投げをすることにした。
「まあでも、山吹ももうちょっと頑張れよ」
「ぐっ……。分かってはいるよ」
分かってる、とてもよく分かっている。
このままではいけないことは十分に分かっているけれど、いまさらどうすればいいか分からないだけだ。
だってこの二人と完全に離れることはないのだから。
うーんと考え込む千佳に、やれやれと輔が首を振る。
「まあ、俺にとっての陸みたいなヤツが山吹にもそのうち現れるだろ」
「んっ!?」
急に惚気られて、思わず顔を上げた千佳を見た輔が、「ちょっと待て」と手のひらを向けてきた。
「いや、俺は陸がいなくなったら一日も保たないからなあ……。耐えられん」
「う、……うん?」
渋い顔で「そこまでじゃないほうがいいか」とブツブツ言っていくが、隣りの陸がどういう顔をすればいいのかと真っ赤になりながら慌てていて、千佳はそういう場合じゃないのに(可愛いな)と思ってしまった。
けれど気付いていない輔は「よし!」と拳を握り、千佳に顔を向けて言う。
「俺は陸じゃないと無理だから、飽きられないように頑張る。山吹も頑張れ!」
「はいっ!?……うん、分かった」
本当に、なんでもないことのようにサラッと言っていく輔の笑った顔と、言われた言葉を噛み締めるように静かに微笑む陸の嬉しそうな顔が特等席で見れる立場は、やっぱりしばらく誰にも譲れないと千佳も小さく笑いながら思った。
「じゃあ、またな」
「またね」
「またねー」
同じ家に帰る二人に手を振って、千佳は反対側の道を歩いていくために踵を返す。
「はー……」
夕飯をお裾分けしてもらうことはできなかったが、次の約束ができたことに満足してしまっている自分に落ち込んだ。
しかし落ち込んでる暇はない。家に電話をして、母親にデリカシーを拾ってきてもらわなければいけないからだ。
なぜ、よりによって初恋相手とその次に好きになった人に娘の相手を探してくれと言うのか。
……ついでに、仕事中であろう二人との遭遇率の高さが羨ましかったので、コツか何かがあるのかどうかも聞いておこうと思った。
「まったく……」
あの二人と高校の三年間を過ごせたことは、いまでも良い思い出だし良い縁だと実感している。
別々の大学に行ったがその間も交流は続いていて、そんな関係が社会人となった今も変わらないでいることを嬉しく感じていた。
「やっぱり不毛だ……」
二人が一緒にいることも、出会った最初からだから当たり前ではあるんだけれど。
……ちょっと、ほんのちょーっとだけでも、自分が隣りにいた未来はなかったのかなあと考えて、それこそあり得ないと首を横に振る。
自分が好きになった人が好きな人と一緒に居て、幸せそうに今日も笑い合っている。それだけで十分なのだから。
「よしっ、わたしはわたしで頑張るか」
頑張れと言われたのだから、頑張るしかない。
そういう出会いはいつ自分にあるのかなあと思いつつ、とりあえずはスーパーに寄って豚肉を買って帰ろうと、千佳は顔を上げて走り出した。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
初BLで、かなり久しぶりのオリジナルでもあるのですが、少しでもお楽しみいただけたら幸いです。




