第6話 迷宮を操る者
『深き岩窟』の入り口に到着したのは、それから二時間後のことだった。
入り口はさほど大きくなく、ぽっかりと開いた黒い穴が地面に口を開けていた。
「ここか」
リリエンが辺りを見回す。周囲には岩山がそびえ、風が冷たく吹き抜けている。
「地図は?」
「過去の調査記録をもとに描きました」
「うん、それで良いだろう」
二人は洞窟の中へと足を踏み入れた。
中は思ったより広かった。天井は高く、壁には発光苔が生えている。通路は複雑に分岐しており、迷路のような構造だった。
「まずはボスの間を特定したい」
トオルはスケッチブックを開き、これまでの調査記録を確認する。
「過去のデータによると、ボスの間は入り口から北西に二百メートル、さらに下に三十メートルの位置にあるそうです」
「真下か」
地図を覗き込んだリリエンが足を踏み鳴らす。固い岩盤の音がした。
「そこに直通の通路を作れないか?」
「やってみます」
トオルは現在地を地図に書き込み、そこからボスの間へ向かう最短経路を計算した。普通なら迷路を迂回して進む必要があるが、もし直線で穴を掘ることができれば――
「ここから真下に、階段を作ります」
トオルは鉛筆を走らせた。正確な寸法で、一段一段の高さ、幅、奥行きを描き込む。手すりの位置まで細かく指定する。
「ここに、ボスの間へ続く階段があったことにする」
そう呟いた瞬間、ゴゴゴ……という低い音と共に、地面が割れた。いや、割れたのではない。“最初からそこにあった”かのように、石の階段が下へと続いている。
「よし!」
リリエンが先に立つ。トオルはその後を追った。
階段を下りること数分。突き当たりには分厚い岩壁があった。
「ここがボスの間の真横か」
トオルは壁に手を当てた。冷たい。固い。
「ここに、ボスの間への入口を作ります」
鉛筆が走る。今度は通路の高さ、幅、そしてボスの間の位置を正確に測量したデータをもとに。
「ここに、通路があったことにする」
ガラガラ……という音と共に、壁が左右に割れた。向こう側には、広大な空間が広がっている。
「いたぞ!」
リリエンが思わず叫ぶ。
そこには、確かに四人の冒険者がいた。銀の鎧を身にまとった青年――ギルバート・シュタイナー。それから名前は知らないが、彼の仲間――重戦士、魔術師、神官。皆、疲れ切った表情を浮かべている。
「な……!」
ギルバートが目を見開く。彼の目の前に、突然通路が現れたのだ。
「なぜここが……!?」
「救助だ! うちたちは地図屋とその相棒だ!」
リリエンが大声で伝える。ギルバートは一瞬、トオルを見て、何かを理解したように表情を変えた。
「……まさか、お前たちが……どうやってここまで」
「後で説明します。まずは脱出を」
トオルとリリエンは手を差し伸べる。
だがそのとき低い唸り声が、空間全体に響いた。
ボスの間の奥から、一つの影が現れた。その姿は不定形で、時々刻々と形を変えている。石でできた壺のようにも見えるし、生き物のようにも見える。
「来たか……」
ギルバートが剣を構える。
「あれはルーム・シフター。この部屋を自在に操るボスだ。壁を動かして閉じ込めたり、床を消して落とし穴を作ったりする」
「なるほど」
トオルはスケッチブックを開いた。
「だから三日間も閉じ込められていたわけですね」
「そういうことだ。お前たちの手に負える相手では――」
「やってみます」
ギルバートの言葉を遮り、トオルは鉛筆を握りしめた。
ルーム・シフターが壁を動かす。ボスの間の形状が、瞬時に変わる。天井が低くなり、床が波打ち、壁が迫り出す。
しかしトオルは、それよりも早く鉛筆を動かしていた。
「壁を……元に戻す」
彼が地図に線を書き足すと、動いていた壁が停止した。いや、“最初から動いていなかった”かのように、元の位置に戻る。
「なに……!?」
ギルバートが驚きの声を上げる。
ルーム・シフターもまた、驚いたように震える。自分の能力が通じない――いや、上書きされたのだ。
「次は――床を固める」
トオルが書き換える。波打っていた床が、みるみるうちに平らになっていく。
「グオオ……!」
ルーム・シフターが怒りに震え、今度は天井から落石を降らせようとする。しかし――
「落石も……なかったことにする」
トオルの鉛筆が走る。落ちかけた岩が、空中で静止した。そして、ゆっくりと元の位置に戻っていく。
「す、すげえ……」
重戦士が声を漏らす。魔術師も神官も、驚愕の表情を浮かべている。
「これで――とどめだ」
トオルは最後の線を書き足した。
「ボスの間を、ただの空き部屋にする」
その瞬間、ルーム・シフターの体が歪み始めた。自分の縄張りであるはずの部屋が、自分を拒絶し始めている。
「グアアアア……!」
ルーム・シフターはもがくが、もはや何もできない。壁は動かない。床は変わらない。天井も落ちてこない。
――ここは、ただの空間。魔物の住む場所ではない。
「今だ!」
ギルバートが剣を振るう。ルーム・シフターの核を正確に捉えた。
「はあっ!」
重戦士の斧が追撃する。魔術師の魔法が炸裂する。
ルーム・シフターは、最後に小さな断末魔を上げて、消え去った。
「……終わったのか?」
リリエンが呟く。トオルはスケッチブックを閉じ、深く息を吐いた。
「終わりました……たぶん」
「たぶん、じゃないだろうが」
ギルバートが近づいてくる。彼の表情は、困惑と尊敬が混ざったようなものだった。
「お前は、一体何者なんだ?」
「観月トオルです。地図術士です」
「そんなことはわかってる。そうじゃない――あの能力は何なんだ?」
トオルは一瞬、リリエンを見た。彼女は小さく首を振った。
「……僕のスキルは――詳しいことはまだ言えません」
「なに……?」
ギルバートは怪訝な顔をする。
「今はまだ、そのときではありません」
「おいお前、F級の癖になんだその口の利き方は!」
重戦士が激昂するが、ギルバートはそれを手で制する。
「ただ一つ言えるのは――これが僕の力なんです」
トオルは真っ直ぐにギルバートを見つめた。
「戦えない僕でも、これで誰かの役に立てる。それで十分です」
ギルバートはしばらくの沈黙の後、深く息を吐いた。
「……わかった。このことは、黙っておく。ただし」
「ただし?」
「一つだけ、約束してくれ。決してその力を、悪用しないと」
トオルは小さく笑った。
「約束します。僕はただ、地図を描き続けたいだけですから」
◇
その夜。
トオルは一人、ギルドの屋根の上に座っていた。星がきれいな夜だった。
スケッチブックを開く。そこには、今日書き換えた地図の数々。壁、通路、階段、そしてボスの間。
「……これで、いいんだよね」
呟いた声は、誰にも届かなかった。
しかし、その答えはもう、自分の中に出ていた。
――自分の力で、誰かを救えた。それだけで十分だ。
「おい、トオル」
振り返ると、リリエンが屋根に上がってきていた。
「こんなとこいても、寒いぞ。帰ろう」
「……そうですね」
「うっしし~、信じられないほどの報酬が手に入っちゃったね」
リリエンはご機嫌に、報酬袋を取り出す。
「せっかくだから、なんか美味いもん食って帰ろ」
「ええ、そうですね」
トオルはスケッチブックを閉じ、立ち上がった。
戦えない。でも、ダンジョンの設計図なら、俺の思いのまま。
その事実が、今は少しだけ誇らしかった。
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