第25話 恐獣 5
「ん…ここは……」
見慣れない天井。しかしどこか見たことのあるような気がする。あれはいつだったであろうか。それにこの状況…
「なんかデジャブ…」
目を覚ましたら知らない場所。初めて剛柔さんに乗っ取られた時のことを思い出す。まだあれから1年も経っていない。しかし前回は実家の天井、今回は…
「もしかして王都の屋敷?」
以前学校の受験のために泊まった屋敷に似ている。いや、間違いなくそのはずだ。しかしなぜここにいるんだろう。キメラと戦っていて、剛柔さんに変わってそれから…
「剛柔さんが今までずっと変わらなかった?けど眠れば会うはず…」
すると部屋にロッテが入って来た。私が起きているとは思いもしなかったのだろう。ノックもしていなかった。
「お、お嬢様!お目覚めになられたのですね!今みなさんをお呼びします。」
「あー…その前に私はどのくらい寝ていたの?」
「もう1週間以上になります。何があったのかは、みなさんを呼んでからの方が良いでしょう。」
1週間。ロッテがノックをしなかったから長い間眠っていた可能性を考えていたが、1週間とは思いもしなかった。その後、部屋で待っているとロッテがバドラとあの時の護衛の隊長を連れて戻って来た。
「お待たせしました。早速ですが、お嬢様は何か覚えていることはありますか?」
「剛柔さんと入れ替わったところまで。あのあと何があったの?」
「正直言って我々にもわからない部分があるんです。けれど、とりあえず何があったかだけお話ししますね。」
そこでロッテたちから剛柔とキメラとの戦いを聞いた。3人で話してくれているので情報の修正や誰かが見ていない情報も他の誰かによって追加される。
「え!剛柔さん負けたの!じゃあなんで私たちはこうして生きているの?」
「正直言って…それが不可解なんです。ある程度は説明できますが、なぜそうなったかというと……我々も剛柔様に聞きたいのですが、とりあえずお話ししましょう。何があったのか。」
「剛柔さんが…負けた?」
「もう…もうおしまいだ。」
キメラの勝利。それは剛柔たちの死を意味していた。逃げることも叶わないだろう。たったの20数名。あのキメラならば逃げてもすぐに追いつく。もうなすすべはない。
そして今まさに剛柔が目の前で喰われようとしている。そしてキメラは知っている。剛柔を食べることで残りの人間の希望を奪い、恐怖のどん底まで落とせることを。
キメラはゆっくりと剛柔を他の人間たちに見せびらかす。お前たちの負けだ。もう諦めてそこでおとなしく待っていろと。
その時、ゆっくりとだが、風が剛柔の元へと吹いていった。その風は周囲のチリを集め剛柔の元へと集まる。砕けた長剣に刀、さらには血までもが剛柔の元へと集まっている。
マリーたちは忘れているが、剛柔は魔付きと呼ばれる存在だ。この世界で剛柔を構成しているものはマリーの肉体に宿る魔力。つまりこの世界での剛柔とは魔力だけの存在。しかしその魔力もマリーの肉体を離れれば、剛柔とは何の関係もない、ただの魔力になる。
しかし剛柔の執念か、それとも元々は同じものである魔力が剛柔の無念を聞きつけ、集まって来たのか。異様な光景だ。離れた魔力が戻って来るなんて聞いたことがない。
ましてや聖炎のエネルギーとして消費されたはずである。しかしその消費から逃れて一部の魔力が集まって来た。主人を探し、さまよっていた魔力たちが戻って来たのだ。
しかし一度体外に出た魔力はもう肉体に戻ることはない。だからその魔力は剛柔の周囲をただたださまよっていた。しかしその魔力は知っている。その記憶を、その魂を。
なんの統一性もなかったはずの魔力が何かを形づけはじめる。ゆっくりと、だが確実にそれは一つの形になった。人間、しかも老人だ。細い細い枯れ枝のような老人だ。ただその老人は妙に大きかった。180cmといったところだろうか。腰も曲がっておらず、まっすぐしているから余計大きく見える。
キメラはその様子をただ眺めていた。キメラ自身何が起こるかわからなかった。しかし変えようのないものがある。それは自身の絶対的優位性。この場において何をされようがこの立場が揺るがないことを知っている。
しかしキメラはその魔力が形を作り出した時から何かを悟りだした。キメラはまだ生まれたばかりだ。だから短い期間でどんどん成長する。そしてキメラは剛柔たちとの戦いの中で力を見極める能力がついた。
能力を見極める力があったからこそ、キメラは剛柔との一騎打ちにわざわざ挑んだのだ。そこで勝てばもうこの人間たちが全てを諦めるとわかっていたから。
そしてその見分ける能力によって、蛇に咥えられている剛柔の能力が格段に増して来ているのを感じ取っていた。とっとと食ってしまえば終わることだ。しかしキメラは動けずにいた。理由はわからない。ただ動けないのだ。
剛柔の周囲で渦巻いていた魔力は完全に形を成した。それは死ぬ間際の剛柔の肉体であった。齢150、まともに動くことすらままならないはずの高齢。しかし死の前日には弟子300人と組手を行っている。それも息一つ切らさずに。
死ぬまで上り詰める。それが剛柔の信念だった。いや、今もそれは変わっていない。そして剛柔はそれを確かに実現していた。
キメラは震えていた。武者震いではなく、恐怖によって。決してわざとではない。生物としての、モンスターとしての本能だ。その本能が告げている。これはまずいと。
形づけられた魔力の剛柔がふと、目を開けた気がした。しかし、それはただ目を開けたという風に魔力が形づけられただけだ。実際の剛柔は先ほどからピクリとも動かず、気を失っている。
しかしキメラにはそうではなかった。目が合った。その目はかつて武神と呼ばれ、地球が誕生してから並ぶものなどいないと言われた英傑、戦原剛柔その人だった。それは絶対的強者であるはずのキメラに死の恐怖を与えた。
キメラも理性ではわかっている。今、目の前にいる人間はもう何もできやしない。これはただの餌だと。口の中に放り投げて噛み砕いてやれば終わる話なのだと。そんな簡単な話なのだ。
しかし本能は告げていた。逃げろと。今目の前にいるのは餌ではない。絶対的強者、絶対的捕食者、恐怖の存在。これはもう人間ではない、獣だ。恐怖の獣だ。そんな獣の餌になる気は無い。
キメラの理性と本能のせめぎ合いは一瞬で終わった。
キメラは逃げた。持てる力の全てを出し切って逃げた。キメラはモンスターの集合体。だから本能による影響もそのぶん増えていく。本能には抗えなかった。
キメラは森を越え、野を越え、山を越え、村を越え、街を越え、国を越えた。そしてとある山脈の洞窟の中に逃げ込んだ。キメラはそこまで逃げて、ようやく本能が安らぎを得た。キメラは恐怖から逃れることができたのだ。
剛柔の元にいたロッテや護衛たちは何が起きたのか全くわからなかっただろう。急にキメラが消えたのだ。キメラの本気の移動を、誰もその目で追うことができなかった。
この勝負、護衛たちにとってはキメラから生き残った。キメラは何も捕食することができなかった。つまりは目的の達成ということでは剛柔の勝利である。しかし剛柔はこの勝利を決して受け取ることはできないだろう。
なすすべなく圧倒的に負けたのだから。つまりは引き分けということにでもなるだろうか。それでもキメラと剛柔、どちらも納得はできそうにない。これが事の顛末だ。
しかしロッテたちが知っているのは剛柔の周りの塵芥が人の形になったらキメラが消えたということだけ。キメラが何を思ったのか、剛柔の魔力がなぜ形を成したかなど、永遠にわからないだろう。
次回、学校編です。




