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寄り道紀行 その4

 正一くんは、嬉しそうにお父さんと手を繋いで帰っていった。その別れ際、女子のわりにはスゲー上手かったぞと、ちょっと悔しそうに、でも楽しそうに褒めてくれた。どういたしまして。

「それで、なんで汐ちゃんがこんなところに?」

 二人きりになると、智ぴょんがすかさず問い質すように聞いてきた。

「智ぴょ――、じゃなくて智ちゃんこそ」

「私は、つい先程までこの近くで仕事してたから。今は事務所に帰る途中。で? 汐ちゃんは?」

 あっさり答えられてしまうことは分かりきっていたけど、智ぴょんのターンがこんなに短いなんて反則だ。

「え、と……。通学路……だから?」あえて疑問形で答える、ちょっとピンチな私。

 ちなみに智ぴょんは、岡崎家が引っ越した事は知っているし、引っ越し先の住所も知っている。今日は部活の練習日だということも。

 それは、智ぴょんがお母さんとお父さんの高校の時からのお友達で、私も智ぴょんとは小さいときから何十回と一緒に遊んだ仲で、一ヶ月ほど前にも会っていろいろお喋りしているから、といった理由があるけど、他にもある。

 智ぴょんの旦那さんが、我がソフトボール部の顧問、倉橋先生だから。

「なるほど。と言いたいところだけど、随分とその道から外れてるんじゃないのか?」

「あはは……。なんとなく、吸い込まれちゃって……」

 照れ笑いの私に、智ぴょんは「まったく」と苦笑しながらため息をついた。そして私はこの隙をついて、つい今し方手に入った形勢逆転の一手を、ばしっと力強く打った。その眼差しは、なかなかに鋭かったと思う。

「それより、智ちゃん!」

「な、なに?」急に声を大きくした私に、智ぴょんがちょっと驚く。そんな目の前の智ぴょんに、ビシッと指を差して言った。

「イエローカード!」

 智ぴょんは「え!?」と驚きの声を上げ、すぐに「私、普通に話してたでしょ?」と弁明する。けど、残念ながら私はしっかり聞いていたし、聞かなかったことにはしない。チャンスは確実に活かして、一点でも多く取ろうって、倉橋先生がいつも言ってるからね。

「ううん。『外れてるんじゃないのか?』って、言ったよ?」

 その言葉で思い出した智ぴょんは、「あ……!」と口を押さえた。

 実はこれ、智ぴょんの男の子口調に対する注意。

 私がまだ小学生の低学年だった頃、自分の口調をどうにかして直さないとと困っていた智ぴょんに、私も協力すると言い出して始めたもの。男の子しかしないような言い方をしたら、今したように「イエローカード」と注意するのだ。

 なんで智ぴょんがそんなことを言い出したのか、その当時の私には理解できなかったけど、いまだ理解できないほど馬鹿じゃない。

 その頃の智ぴょんは、この町のために何かできないかと考えていて、周りの声にも押されて市の議員さんを目指すことになったんだけど、その為には喋り方を直す必要があるっていうことになって、という次第。

 確かに、あの口調のままじゃすぐに色々と問題が出るだろうと、私だって思う。

 そして、智ぴょんは恥ずかしがりながらも努力して、特例は別として、今ではよっぽどのことがない限りは、眉をひそめられたり注意されたりするような男言葉を口にすることはなく、市議会議員としてがんばっている。って、普通の女の子だったら、がんばらなくても喋れるんだけどね。

 で、今みたいに男の子口調になるときも希にあるから、その時は注意するようにしている。

 智ぴょんは申し訳なさそうに「すみません。気をつけます」とぺこりと頭を下げ、私が「うん。気をつけなきゃ駄目だよ?」と言うと、二人でくすくす笑いあった。どうやら私の寄り道の話はどこかへ行ってくれたみたい。良かった良かった。

「さて、いつまでもここでお喋りしてるわけにもいかないから、帰ろうか」

「はい」

 私はそう答えて、はたと思った。

 ここ、どの辺りだっけ? っていうか、どっちに行けばいいの?

「どうしたの?」

「あ……、大丈夫」

 完全に方向が分からなくなっちゃった。こうなったら秘密兵器を出すしかない。

 私は鞄をあけ、中に入っているはずの秘密兵器をごそごそと探し始めた。だけど、すぐに見つかるはずのそれがなかなか見つからず、徐々に焦りが出てくる。そして、ついには教科書とノートを引っ張り出して隅々まで探したけど、結局それは出てこなかった。

 信じ難いこの結果に動揺してしまった私だったけど、その理由を思い出したとき、自分の間抜けさに思いっ切り脱力してしまった。

 そう。今日学校で友達にそれを見せたあと、鞄に戻さず机の中に突っ込んだんだ。ああ、なんてこと……。

「何を探してるの?」

「秘密兵器……」

「秘密、兵器?」

 智ぴょんが疑問形で返してきた。そりゃそうだよね。

「お父さんがくれた、地図」

 これが秘密兵器。一週間ほど前に、万が一に備えてとお父さんがくれた、新しい通学路周辺の地図をパソコンでプリントアウトしたもの。番地もしっかり記載されているので、まさに今この時の為にもらったような地図だった。だけどそれは今、学校の机の中。

「ひょっとして、道が分からないの?」

「……この辺りは、まったく」ため息混じりに答える。

「やれやれ。寄り道なんかするから、こういうことになるんだぞ?」

 うう、そのとおりです。

「それじゃ、私が家の近くまで送ってあげよう。だいたいの場所は分かってるから」

 実を言うと、どっちに向かえば大通りに出られるかさえ教えてもらえば、あとはどうにかなると思っていた。だけどせっかく智ぴょんとこうして会えたのだから、早々にバイバイしてこの偶然を終わりにしてしまうのは、あまりにももったいなさすぎる。ということで、私は「お願いします」と答え、引っ張り出した教科書とノートを鞄に戻して、智ぴょんの横にぴたりとついて歩き始めた。

 こうして並んで歩いていると、冗談抜きで寄り道して良かったなと思ってしまう。なんて口にしたら、智ぴょんはどんな顔するかな。

 帰り道の話題は、新しい家のことに終始した。智ぴょんが質問するというより、私が一方的に喋り続ける感じで。それはもう、引っ越しする前は何だかんだと言っていたのに、いざ引っ越して暮らしてみると、こうも自分の言うことが変わってしまうのかと呆れるほどに。だもんだから、話し始めて一分も経っていないのではと本気で思えるほど、その時間は一瞬のうちに終わってしまい、大通りに出て足を止めたとき、物足りなくてしかたなかった。

「ここまで来れば、もう大丈夫じゃない?」

 大丈夫だけど、どうしようかな。もっとお喋りしたいし、どうせなら家まで来て欲しい。

 なんて考えている姿が、智ぴょんには自信がないと映ったようで、「この道は通学に使ってないの?」と聞いてきた。

「使ってるけど……」

「だったら、問題ないんじゃない?」

 問題はある。とっても個人的な別の問題が。

「ねえ、智ちゃん。このあとも仕事?」

「仕事というほどのものはないけど。あとは事務所に戻って、書類をしまうぐらいかな」

 これはチャンスかも。私は勢い込んで「だったら、このまま家に来ない?」と誘った。すると、それまで私が曖昧な言い方をしていた理由を理解した智ぴょんが、少し目を細めて「そういうことか」と呟いた。

「駄目かな」

「そういうわけにもいかない。こんな時間にお邪魔しては、迷惑になってしまう」

「迷惑じゃなければいいの?」

 とそのとき、車の短いクラクションがすぐ側で響いた。私も智ぴょんもちょっとびっくりして、思わずそちらに振り向く。そのときは、なんてタイミングで邪魔するのよと腹が立ったけど、すぐに前言撤回することになった。

 なんとそこには、光坂電気と大きく書かれたバンが路肩に止まっていて、その車の運転席には、作業服を着たお父さんがいた。ちなみにその隣に座っているのは芳野さん。どうやら、私たちを見つけたお父さんが車を止め、声をかけてきたようだ。

「お前ら、そんなとこで何やってんだ?」

「お父さん! ナイスタイミング!」

「は?」

「あ、芳野さん、こんばんは。ねえお父さん、今から智ちゃんがうちに来ても、全然問題ないよね」

「そりゃあ問題ないだろうけど……」

 お父さんは話が見えないといった顔で智ぴょんを見た。そして私も、してやったりと智ぴょんを見る。

「ほら! 問題ないって!」

「しかし……、やはりそういうわけにも」

 とここで、話に置いてけぼりのお父さんが「ちょっと待て汐。いったいどういう流れでそういう話になってるんだ?」と私に質問した。

「さっき智ちゃんと偶然会って、だから家に招待したいって思って」

「……なるほど。お前らしい話の流れだな」

 なんで呆れ顔?

「まあ、智代がよければ、いいんじゃないか?」

「岡崎まで。さすがに今からはマズイだろ」

「マズくはないし、むしろ渚も喜ぶと思うぞ。いや、喜ぶこと確実だな。なんだったら、電話してみようか?」

 電話をすれば、余程のことがない限りお母さんが喜んで招待することは目に見えている。智ぴょんもそれが分かっているから、「う……。そう言われたら、何も言い返せないじゃないか」と答えるしかない。いいぞお父さん。

「んで、都合はどうなんだ? 冗談抜きで都合が悪いのなら、しかたないけど」

 そして智ぴょんは、観念したという手振りで「……分かった。少しぐらいなら大丈夫だから、遠慮せずにお邪魔させてもらおう」とOKしてくれた。

 よしっ!

「じゃあ決まりだな。汐、智ぴょんを頼んだぞ」

 私は「はあい」と答えて、走り出す車に手を振し、智ぴょんは拳を握り顔を赤くして「お、岡崎っ!」と叫んだ。智ぴょん的には、誰よりもお父さんにこう呼ばれるのが一番恥ずかしくて、腹立たしいらしい。だからお父さんは、たまにわざと「智ぴょん」という言葉を本人の前で言ったり、今みたいにそこだけ強調したりしているんだけど。

 お父さん。あんまり意地悪すると、いつかの陽平おじちゃんみたいに、智ぴょんに三途の川を何往復もさせられることになっちゃうよ?

 そうそう。お父さんと喋っていたときの智ぴょんの口調。本来ならイエローカード連発なんだけど、実はお父さんと陽平おじちゃんと喋るときだけ特別に免除される。それが三人にとって一番不幸じゃないから、って三人揃って言ってるけど、私から見れば、お父さんと陽平おじちゃんが失礼すぎるだけ。

 だって二人とも、女の子らしい言葉遣いをする智ぴょんと話すと、すぐに笑いだすんだもの。しかもいまだに。まあ、智ぴょんの女の子言葉を耳にしただけで笑いだしてた昔に比べれば良くなったんだけど、それでも失礼なことにはかわりない。ほんと、二人ともデリカシーないんだから。

 その後、智ぴょんは連絡なしに伺うのは失礼だからと我が家に電話し、予想と寸分違わぬ答えをお母さんがして、めでたくご招待となり、私は智ぴょんを連れて上機嫌で帰宅。お母さんも、「来てくれて本当に嬉しいです」とにこにこ顔で出迎えた。

 そして、この日最後のサプライズが。

 三歳になる晴樹くんのお母さんである智ぴょんは、本来なら三十分ほどで帰る予定だったのだけど、うちで晩ご飯を食べていくことになった。その経緯はというと、まず倉橋先生から、同僚の先生と飲みに行くことになったと電話があって、その際、私の家にいることを言ったら、先生がこう言ったそうだ。

「晴樹のことならお義父さんとお義母さんに任せればいいよ。私からも言っといてあげるし、今日はまっすぐ帰る。だから、気にしないでゆっくりしておいで」

 さすが倉橋先生。ちなみに先生と智ぴょんは、晴樹くんが生まれたことで、智ぴょんの両親と一緒に暮らしている。

 それはさておいて、こうしてこの夜、十七個のだんご大家族の物欲しげな視線をさらりと流しつつ、私とお母さんとお父さんと、そして智ぴょんとで、賑やかで楽しい夕食を食べた。

 寄り道って、いいものだね。


Episode「寄り道紀行」 -了-

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