再会の大地 その8
夏休み最後のイベントも今日が最終日。
その日、午前中からけっこうな数のご近所さんがあっきーと早苗さんを見逃すまいとやって来た。その人たちの多くは、昨日の午後来てみたはいいけど、ちょうど私たちがブドウ狩りに行ってる最中だったので会えなかった人たち。なんだか、こうして注目を浴びている様子を見ていると、二人がちょっとした芸能人にも見えてくる。取り囲む人たちの平均年齢はかなり高めだけど。
そうこうしているうちに出立の時間になり、お父さんは見送ってくれるご近所さんたちに「父さんと史乃さんのこと、よろしくお願いします」と頭を下げ、そして直幸おじいちゃんの運転する車に乗り込んだ私たちは、また来年も来てねと手を振って見送られ、駅へと向かった。
駅に着けば、直幸おじいちゃんと史乃おばあちゃんとお別れするのはもうすぐそこ。正味たったの二日間の再会が終わってしまうとあって、やっぱり心残りは出てくる。正直、満喫するには日数的に全然足りないし、話したいこともまだまだあったから。という気持ちをみんな抱いていたかどうか分からないけど、駅に着いてお別れのご挨拶をする中には寂しさもあった。でも、それ以上に楽しい思い出がたくさんあり、笑顔とともにありがとうという言葉が互いに行き来していた。そして私たちの乗る電車が間もなく到着することを告げるアナウンスが流れると、いよいよその時間となった。
「それじゃ史乃さん、体に気を付けて」
「朋也さんもね」
「はい」お父さんはそう答え、続いて直幸おじいちゃんに「無理して、怪我なんかするなよ」と微笑む。
「もちろんそのつもりだよ。朋也こそ、体を大事にするんだぞ」
「ああ。それじゃあ、また来るからな」
「うん。待っているよ」
そうして、お父さんたちは改札をくぐっていった。私も最後尾でくぐったのだけど、その直前に一度回れ右をして、直幸おじいちゃんと史乃おばあちゃんの元に駆け寄った。そして何事だろうと思っているらしい二人に、耳を貸してとゼスチャー。二人が私に顔を寄せてくると、ひそひそ話をするように言った。
「そのうち、一人で遊びに来るからね。それと、お母さんたちにはまだ内緒ね」
それだけ伝えると、にっと笑って、もう一度回れ右をして改札をくぐる。そして振り返り、またねと言いながらぶんぶんと手を振った。そのあと、お父さんに何してたのか聞かれたけど、そのときみんなを驚かしたいという思惑があって、適当なことを言って誤魔化しておいた。ま、年齢的に驚かれるような行動ではないのだろうけど、気分の問題ということで。
入線した電車は私たちを飲み込み、発車のベルに続いて、ゆっくりと動き出した。そののっそりとした滑り出しは、後ろ髪を引かれているかのように感じさせる。やがて電車はスピードを増し、私たちを見送る直幸おじいちゃんと史乃おばあちゃんの姿はすぐに見えなくなった。
その後、電車を乗り換えること二回。その途中で駅弁を買い、私たちは周囲をすっかり緑に囲まれた田舎駅に降りた。駅舎はこぢんまりしていて、時代を強く感じさせる造りをしていることもあって、とても古めかしく映り、それでいて朽ち枯れてゆく気配がまったくない。その姿は私がこの場所を記憶し始めてから何一つ変わっていないように見え、まるで時間に取り残されたような空間だった。
あっきーや早苗さんも、話や写真で知ってはいたけど、初めて実際に見るこの光景に目を見張っていた。
どこまでも長閑な風景の中、青々と茂る木々からの木漏れ日に気まぐれに照らされ、数カ所から聞こえるアブラゼミの鳴き声を耳に、私たちはあまり喋ることなく歩いた。もう十年以上見てきた道の風景も、駅ほどではないけど、時が止まっているように感じる。
私はふと、こんなことを思った。
町に意志があるとするなら、ここにも意志があるのではないのだろうか。そしてその意志は、変化を望まず、今の姿のままでいたいと願っている。だからここはずっと変わらずにいるのだろうか、と。
ということはつまり、私の住む町でも、町の望まない変化を人間がしようとしても、結局町に受け入れられずに事なきを得る、という結果に終わるということなのだろうか。そう言えば、智ぴょんが言ってた。結局は町の願いのとおりのことをすることになると思うって。
うん。きっとそのとおりだ。町の願いはちゃんと届く。そしてこの場所の願いもずっと。
やがて、私たちは木々のトンネルのような道を抜け、最後の目的地へとやって来た。そこにある光景に、一昨日の夜に蛍の群れを見たときのような反応、とまではさすがにいかないまでも、あっきーも早苗さんも、とても感動していた。道の左手に、黄色い花びらでぎっしり覆われた広大な菜の花畑が、青空の中で燦々と照る陽の光を、めいっぱい浴びていた。
何度見ても、やっぱり綺麗で壮観な風景だ。私はんーっと大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出し、ずっと向こうを見る。
「しおちゃん」
「うん?」
「お昼ご飯、あとにする?」
私はすっかり見入っていたようで、いつの間にかお父さんとあっきーが木陰にビニールシートを広げていた。
「今」私はそう即答して、“花より団子”だとお父さんたちを手伝う。でも実際は“花と団子”。目の前の黄色い絨毯を眺めつつ、食べずにおいた駅弁をつつくわけだから。その姿は、桜を見上げながらお弁当をつつくお花見に似ている。ただし、本当に桜を見ながら、という人がどれだけいるかはかなり疑問なところだけど。
お弁当からひとつまみして口に運び、もぐもぐと食べながら菜の花畑を眺め、空っぽになるとまたひとつまみ。たまに空を見上げて、そう言えばここで雨に降られた事ってないなあ、とぼんやり思っては、それもこの場所の意志だったりして、と半分本気で考えてみる。そうして、ゆっくりと時間が流れていく。私たちを除けば、動くものといえば忙しなく飛び回る昆虫たちと、風に揺れてさざめく花たち、それと頭上にある申し訳程度の雲ぐらい。
なんとなく、私たちのいるこの場所を外界から隔離された閉じた世界のように思ってみた。このままここに居続けたら、ひょっとしたら浦島太郎と同じように、一歩外に出たら何百年も経っていた、ということもあり得るのではないか。そんな冗談を口に出すと、誰も笑い飛ばすことなく、むしろその逆で、その可能性を認めるような言葉がみんなから返ってきた。普段なら絶対に茶化したことを言ってくるであろうお父さんからも。
それだけ、この場所が変わらずにいたいと願っているということなのかな。
最後の一口を食べ終えると、これで団子は終了、あとは花だけだと立ち上がり、私は菜の花畑へと歩み出した。昔は食べ終わると同時にシートから飛び出し、その中を嬉々として走り回り、いつまで続ける気だとお父さんに呆れられるぐらい遊び続けていたけど、それはとっくに卒業していた。そして今、花の香りを楽しみながらその中をゆっくりと歩いている。隣には早苗さんがいて、二人ともあまり言葉を交わさずに、この世界に溶け込んでいた。お母さんにお父さん、あっきーはシートの上でのんびり。
まったりとした午後を、時間の許す限りそれぞれがまったり過ごす。
そうして歩き続けていると、不意に何かを蹴った。遠くを長めながら歩いていたので、何を蹴ったのか分からず、足を止めて視線を下に落とす。
「どうかしたの?」
「うん。何か蹴ったみたい。なんだろ」
私は、ここらへんにあるかなと当たりを付けて菜の花を掻き分け覗き込む。はずれ。じゃあこっちの方かなと掻き分ける。またもはずれ。別の方向に蹴っ飛ばしたのかな。向きを少し変えてもう一度捜索。そんな私に、早苗さんが「大切なものなの?」と聞いてきた。それだけ私が必死になっているように見えるということだろうか。
「どうだろ。わかんない」
「なら、あまり気にしなくてもいいんじゃない?」
「そうなんだけどね……」
そう答えるも、捜索を止めようという気は起きてこない。正直、自分でもどうしてこんなに探し出そうとしているのだろうかと不思議に思う。でも、何故だか諦められないのだから仕方がない。私の頑固気質が発動したのだろうか。早苗さんが、私も探しましょうと言ってくれたのだけど、すぐに見つかるだろうからと断った。これも何故だか、一人で探したいという気持ちがあったからの返事。
そして、今度はそんな様子を見ていたお父さんの「汐ー、どうかしたのかー?」という声が飛んできた。うまく説明するのも面倒なので、「なんでもなーい、気にしないでいいよー」と答える。
それからしばらく、私は一人で辺りを探した。気が付けば早苗さんの姿はなく、お母さんとあっきーの姿もない。たぶん高台の方に行っているのだろう。お父さんだけが、シートの上でこっくりこっくりうたた寝をしている。
思いっ切り蹴ったわけじゃないし、菜の花で覆われた地面を転がるように飛んだわけだから、わりと近い範囲内にあるはず。そう思って扇状に広がる前方の捜索範囲を慎重に捜し進めど、なかなか見つからなかった。そこで、蹴られてすぐに茎に当たって逆方向に転がっていった可能性に気づき、ひょっとしたらとUターンした。ただ、蹴った場所を正確に記憶していたわけではなかったので、捜索はさらに頼りないものになってしまった。そもそも、何を蹴ったか見ていないのだから、最初から頼りないものであったわけだけども、それでも私は探した。
どれだけの時間そうしていたかは分からない。でも、陽が大きく傾くほどの時間ではないことは確か。ふうと顔を上げると、お父さんが目を覚ましていて、こちらをぼんやりと眺めていた。お母さんたちはまだ戻ってきていない。
「見つかったのかー?」あまり関心なさそうなお父さんの声が、向こうからどこかのんびりと聞こえてきた。私も「まだー」とどこかのんびりした声で答える。
「そうかー。ほどほどにしておけよー」
「わかってるー」
私はそう答え、視線を落として菜の花を分けては探す。またはずれ。そしてちょっと移動。すると、私のつま先が何かにこつんと当たる音がした。これが私の探していたものであることを願いつつ、足元周辺を探す。そしてそれはすぐに見つかった。私はそれを拾い上げると、まじまじと見る。
すると、とたんに私の胸に熱いものがこみ上がってきた。それは突然燃え上がった巨大な炎が私を飲み込むように、一瞬にして私のすべてを焦がした。全身が震え、視界はぼやけ、喉が焼かれたように痛み、大音量の音が鼓膜を壊さんばかりに響いている。
私は、生まれたばかりの赤子のように大声で泣き叫んでいた。
どうして泣いているのかなど考えることもなく、大粒の涙をぼろぼろと落としながら、ただただ大声で泣き叫んだ。
どこか遠くで、私を心配するお父さんの声が聞こえた。私はひどく歪んだ視界の中でお父さんを探し、手を伸ばせば届きそうなところまで走ってきていたその姿を見つけると、迷わず飛び込む。私を受け止めたお父さんは、最初は泣いている理由を聞こうとしたけど、何も答えられない私に諦めて、泣きやむのを待つことにしたらしい。私を抱きしめたまま、なにも言わずにいた。
それが私に拍車を掛けることになったようで、私の泣き叫ぶ声はもう一段階上がる。お父さんの戸惑いも一段階上がったようだけど、だからといって今の私にはどうにもできない。私は、気持ちが落ち着くまであふれ出てくるものにすべてを任せた。涙も、泣き声も、感情も。
そうして時間が過ぎ、ようやくすすり泣きの状態にまで鎮静化してくると、いくらかだけど、どうにか自分をコントロールできるようになった。気持ちの整理はまだまだ出来そうにないけど、ひとまずお父さんから離れることは出来た。見ると、お父さんの胸のあたりがびっしょりと濡れている。
「気は済んだか?」
「ん……」お父さんの優しい声に、そう呟いて小さく頷く。
「で、どうして泣き出したか、説明できるか?」
私は首を振って答える。私にもよく分からない、という意味で。でもお父さんは、説明できる状態にはまだないと答えているのだと受け取っているよう。
「……そか。とりあえず、痛いところはあるか?」
この質問にも首を振って返答。怪我が理由ではないと知って、少しホッとしたような様子で「それじゃ、シートのところに戻って休もう。歩けるか?」と言って、私を支えるように肩を抱いた。それに対し、首を振ると、また心配したように「気分、悪いのか?」と私の顔を覗き込んだ。
やっぱり言葉で答えなきゃと、「違うの……」とどうにか声を出した。その声はかすれていて、ちょっと途切れがち。しかも喉が痛い。
「じゃあ、他のところ――」
「そうじゃ、なくて、これ……」
「ん?」
私は目をぐしぐしと拭い、胸に抱きかかえていたそれを、お父さんに見せた。
泥だらけで、あちこち痛んでいる、古ぼけたロボットのおもちゃを。
「これが、どうかしたのか?」
「これ、見たら、ああなってた……」
「なんでまた」
だから、私にもよく分かんないの。
そう心の中で呟きながら、込み上がってきていた感情がどういったものだったかを思い返してみようとした。すると、私はふと思い出し、全てが繋がったかのように思えた。
「お父さん、前、言ってた、よね。別の世界の、ここのこと」
別の世界。お母さんのいない世界。その世界のこの場所で、五歳の私はお父さんに初めて買ってもらったおもちゃをなくしてしまった。探しても探しても見つからず、とうとう見つけ出すことは出来なかった。でもその代わり、私はお父さんの胸で泣くことが出来た。五年間我慢してきた想いを、やっと伝えることが出来た。
もしかしたら、いま手にしているおもちゃがまさしくそれなのかもしれない。残念ながら、記憶を探ってもこれがそのときのものと同じ形をしているかさえ分からないのだけど、そう考えても不思議ではないと思う。それに、急に私が泣き出した説明も、込み上がっていた感情の正体の説明も、これでつく。……と思う。
心のどこかで、お父さんがハッとした表情で迷わずそうだと答えてくれることを期待しながら、私は聞いた。
「これが、そのときのおもちゃ、なのかも。お父さん、わかる?」
でもお父さんは、私の手にあるおもちゃをじっくりと観察することすらなく、あっさりと「さあな。俺にも分からん。たぶん、知らない誰かが落としていったものだろ」と答えた。現実的に考えればそれはそうだろうけど、でもちょっと寂しい気もして、「やっぱり、そうなの、かな」と俯いた。すると、私の頭にお父さんが手をぽんと乗っけてこう付け加えると、その寂しさはどこかへ行ってしまった。
「でも、汐の言うとおりだとしたら、すごい奇跡だよな」
「うん」
「んで、それどうするんだ?」
そう私に尋ねるお父さんの顔には、聞くまでもないかと言いたげな悪戯っぽい笑みがあった。そしてそんなお父さんは、奇跡って代物は、たまにそこらに転がっていたりするものかもしれないな、とときおり冗談交じりで言ったりしていた。
まだそんな経験はしていないけど、不思議と私もそう思っている。だから――。
Episode「再会の大地」 -了-




