天才博士の終わりなき挑戦 その3
総勢十四名の大集団が、改札前でいつまでもお喋りし続けるわけにもいかない。ということで、駅前での挨拶を終えた私たちはひとまず場所を移すことにした。
その道すがら、オビーさんから素朴な疑問が飛び出た。
「ところで、スノハラさんはどうして "simple fracture" したのですか?」
「シンプル・ふらくちゃあ?」と私。すると椋ちゃんがすかさず「単純骨折のことです」と教えてくれた。
陽平おじちゃんが骨折したことも、およそ一月で退院したことも、私たちとの手紙でことみちゃんたちも知っている。ただ、骨折した理由までは知らない。あまりにもアホすぎてそこまで書く気になれなかった、というのが手紙を書いたお父さんの言い分。
オビーさんの質問の内容が分かると、私やお父さん、杏先生の表情は、さぞかし複雑なものに変わっていたことだろう。だから、私たちの無言の返事を受けて言ったオビーさんの言葉が、とても気まずそうだったのだと思う。
「聞いては、いけなかったですか?」
「いや、そんなことはないんだけど……」と、やむなく歯切れの悪い返事をしたのはお父さん。その後を引き継ぐように、杏先生がどこか遠い目を誰もいない方へ向けて「あまりにもアホすぎて……」と呟いた。智ぴょんも、「まったく、本当にあいつは日本の恥だ」と独り言をこぼしている。
智ぴょん、それはさすがに言い過ぎなんじゃ。
などというリアクションを私たちがしたところ、気まずそうだったオビーさんの表情が、途端になるほどと納得したようなものになった。
「つまり、彼らしい理由で、ということですか」
オビーさんにもこう言われる陽平おじちゃんって……。
「春原くんらしいって言われても、やっぱり原因が気になるの。いったい何があったの?」
「口にするのもアホらしいんだがな……。一言で言っちまえば、単なる自爆だ。スネで車を思いっ切り蹴って、んで病院行き」
「それだけじゃ、ぜんぜん訳が分からないの」
そりゃ分かんないよね。
真相はこう。
取引先との商談が終わった陽平おじちゃんと猫田さんが帰ろうとしたところ、自分たちの車のすぐ横に車が止められていて、しかも前後にも車が止まっていて、自分たちの車を出すに出せず、腹を立てた陽平おじちゃんが、邪魔している車の後部バンパーを革靴の裏で思いっ切り蹴ろうとした。ところが目測を誤って靴裏ではなくスネで蹴ってしまい、結果単純骨折。
お父さんと杏先生からそれを聞いたことみちゃんは、心底痛そうな顔をしながらも「確かに、春原くんらしいの」と納得し、オビーさんは「さすがスノハラさん、とってもミラクルです」とやたら感心していた。
なお、この話にはまだ裏があったのだけど、さすがにそこまでは、身内として情けなさ過ぎて言えないと思ったのか、お父さんも杏先生も口にしなかった。
その裏というのがこれ。
猫田さんから得た証言によると、蹴ろうとする陽平おじちゃんを、猫田さんは慌てて「訴えられでもしたらどうするんですか」と止めようとしたのだけど、陽平おじちゃんは「どうせこれ運転してるの女だろ? 騒がれそうになったら、ボクの迫力で向こうが全面的に悪いことにさせりゃいいんだよ。つうか、そもそもこんなところに車を止めたヤツの方が悪いんだから、当然の権利さ」と、猫田さんの忠告を無視。
陽平おじちゃんがなぜ運転手は女の人と断定したのかというと、その車が丸みのある真っ赤な小型車で、いかにも女性が乗りそうな車だったから、というのが理由だそうだ。
結局、車を傷つけるどころか、自分の足を折っただけの陽平おじちゃんは、その場で救急車を呼び、病院に担ぎ込まれた。
ただこの自爆、不幸中の幸い以外の何者でもなかったりする。実は、その車の運転手は確かに女性ではあったのだけど、一緒にいた人がいかにもそのスジの人っぽい男の人だったそうだ。救急車が到着する前にその事実を目の当たりにした陽平おじちゃんは、蒼白な顔で激痛に耐えながら、営業スマイルで「行ってらっしゃいませ、どうぞお気を付けて~」とお見送り。そして猫田さんは、陽平おじちゃんが自爆したことに対して、心の底から神様に感謝したとか。
自爆してなかったら、なんて、私だって考えたくないもの。
そんな陽平おじちゃんの話をしているうちに、目的地に到着。智ぴょんに案内されるままに私たちはレストランに入った。ひとまず落ち着ける場所が必要だろうと、智ぴょんが事前に予約しておいたのだ。
夕方になるといつも満席になるようなこのお店も、お昼時を過ぎていることと、加えて十四人分の予約が入っていたこともあり、数人のお客さんがいるだけで、閑散とした印象があった。
テーブルに着くと、飲み物やちょっとした食べ物、例えばケーキだとかを頼み、お喋りをしながらとても賑やかに過ごした。その間、私はできるだけシャーリーちゃん、ベティちゃんと仲良しになろうと、頼りない英語を織り交ぜ、所々ことみちゃんの助けも借りて、いろいろと話し掛けた。その甲斐あって、シャーリーちゃんとは打ち解けることが出来た。ベティちゃんとは、もうちょっとだけ時間が必要かな。このあたりは、ことみちゃん曰く二人の性格の違いによるものだから、まあ焦らずじっくり行きましょう。
トマスくんともここで仲良しになりたかったけど、座った席がちょっと離れていてそうもいかなかったから、お店を出た後だ。
そうして一時間ほど経った頃、そろそろ出発しようかとお店を出た。
椋ちゃんとゆかりちゃんとはここでお別れ。最初こそことみちゃんのご家族におっかなびっくりといった様子のゆかりちゃんだったけど、レストランの中でほんの少しだけどお話が出来たことで、その緊張感がいくぶん解けたようで、別れ際に「ばいばい。またね」と笑顔で手を振っていた。
そして私たちは、町の散策を始めた。
実は、ことみちゃんの家族が揃ってこの町を訪れた理由の半分が、これなのだそうだ。ことみちゃんの生まれ育った町を、ご両親と子供たちにも見てもらいたいというオビーさんの強い希望で。
残りの半分はというと、私たちとこうして直接会うことだったので、すでに果たされている。
さて、その散策のコースなのだけど、基本、智ぴょんがガイド役になっていた。といっても、あくまでもことみちゃんのいくつかの希望を踏まえてのコースとなっている。
観光地でもないし、観光スポットと呼べる場所もないこの町を歩いて、実際のところショーンさんにメアリさん、それに子供たちも退屈なんじゃないのかな、なんて散策を始めたばかりの頃はそう思っていたけど、それは無用な心配だった。
ショーンさんもメアリさんも、この町の風景を楽しんでいるようだし、すっかり仲良しになった私の手をしっかり握って、きょろきょろと視線を移ろわせているシャーリーちゃんも、楽しそうに目を輝かせていた。また、寄り道好きな私としても自然と心が弾み、杏先生も「こうして改めて自分の町を歩くっていうのも、けっこういいものねえ」と、満足している様子。お母さんやお父さんも同じ。しかも、ときおり「ここ、こんな風になってたんですね」というお母さんの声や、「ここは変わらないわねえ」という杏先生の声も聞こえる。
そして、ことみちゃんもまた、気付かなかった町の変化に少し驚いていた。
とここで、今なら私がついつい寄り道したくなってしまう気持ちも分かってくれるかも、というほのかな期待が、ふっと湧き上がった。
よし、今がチャンス。
「ねえお父さん、こういうのっていいよね」
「ん? ああ、そうだな。車でよく通るような道も、こうしてゆっくり歩きながらだと、随分と違って見えるもんだ」
「うん。町の色んな風景を、こうやってじっくり眺めながら歩くのって、すごく楽しいね」
「ああ。でもな、汐」
「うん?」
「これと寄り道は、まったくの別物だからな」
いつもはこっちが心配するほど鈍感なお父さんなのに、このときばかりは何故か私の思惑はバレていた。しかも、「同じだよお。ていうか、寄り道三昧だったお父さんにだけは言われたくない」と抗議する私に、お母さんまで「しおちゃんの場合、散策じゃなくて探検ですから。それに、パパのことはともかく、学校が終わったらなるべく真っ直ぐ帰らなくちゃ」と笑顔で参戦。
むう、二対一なんてずるい。それに、お父さんはともかくっていうのも理不尽だ。
「これは勝負あったわね、汐ちゃん」
うわっ。杏先生まで。三対一じゃ多勢に無勢すぎるよ。これで智ぴょんまで敵に回ったらたまったものじゃない。とそれよりも、こっちも味方を集めなきゃ。
ということで、私たちの会話を聞いていたシャーリーちゃんに早速援軍要請。
「シャーリーちゃんは、お姉ちゃんの味方だよね」
"Mikata?"
ああ、英語が話せないのがもどかしい。けど私には心強い味方がいる。
「ことみちゃん、味方って英語で何て言うの?」前を歩くことみちゃんに、間髪入れず聞いた。
「この場合は、"Ally" なの」
なるほど。
「シャーリーちゃんは、私の "Ally" だよね」
"Yah! ofcourse!"
嬉しいことに、満面の笑みで答えてくれた。しかも、ことみちゃんの手を握って歩いていたベティちゃんも、"Me too." と私の味方になってくれた。
「ほらあ!」
「いや、何が『ほら』なのかまったく分からんのだが」
とにもかくにもこれで三対三。あとはことみちゃんとオビーさんを味方に付ければ。と考えている隙に、ショーンさんとメアリさんと並んで先頭を歩いていた智ぴょんが「学校帰りの寄り道は、私としても到底容認できることじゃないぞ」と振り向いた。
これで一歩後退。むむむ、ことみちゃんとオビーさんが敵側に引き込まれる前に手を打たないと。
「ことみちゃんは?」
「私? 私は、みんなと学校の帰りに寄り道するの、とても楽しかったから」
「よしっ! オビーさんは?」
「はっはっは。私はいつだって汐さんの味方です」
「やったあ!」
ついでに、当人の意志なんてまったく関係なくトマスくんも味方について五対三。これで、例えショーンさんとメアリさんがお父さん側についても負けはない。私は意気揚々と「どう?」と胸を張った。
「……汐、なんか主旨が変わってないか?」
「いいのっ」
「やれやれ……」
そんな光景に、智ぴょんが半分呆れた様子でこんな感想をこぼしていた。
「せっかく春原がいないというのにこれだ。結局、誰かが欠けても騒がしくなるのだな。こいつらは」
こうして賑やかに散策を楽しむ私たちは、やがて光坂高校へと続く坂の、桜並木へとやって来た。桜のシーズンならとてもきれいなこの並木道も、八月の今はとうぜん花は咲いておらず、青々と葉が生い茂っている。
以前私たちが送った写真で、満開に咲きほこる桜並木を知っているだけに、実際に見ることが出来るのかと密かに期待していたらしいシャーリーちゃんは、私の手をぶんぶんと振って「"Cherry blossoms tunnel" ないノ」と私に訴えた。
「ごめんね、桜が咲くのは春、スプリングなの。今は夏、サマーだから、ノー・チェリー・ブロッサム」
「ノゥ。とっても悲しいノ。とっても見たかったノ」
残念がるシャーリーちゃんに、私は「それじゃあ、今度は桜が咲いてる頃においでよ。私が案内、ガイドしてあげるから」と励ました。すると、この日本語はちょっと難しかったようで、私たちの後ろを歩いていたオビーさんに、私がではなく、シャーリーちゃんが助け船を求めた。
"Daddy, What did she say?"
"She said, if you visit to this town when cherry blossoms bloom, I will guide you."
すると、シャーリーちゃんは、"Realy?" と顔を綻ばせ、私に「次、絶対見るノ」と満面の笑みを見せてくれた。すると、この会話を背中越しにしっかり聞いていたベティちゃんが、握っていることみちゃんの手をぐいぐい下に引っ張って、何やら訴え始めた。聞き取れる単語から、またここに来たいとせがんでいる模様。
ことみちゃんの笑顔とベティちゃんのはしゃぎっぷりから、ベティちゃんの願いは通ったようで、次いで、ことみちゃんの手を放しオビーさんの元へ。こちらでも良い返事をもらえたようで、今度はシャーリーちゃんも加わっての大盛り上がり。そして最後に、ショーンさんとメアリさんの元に駆け出し、大はしゃぎで報告していた。ショーンさんもメアリさんも、それを一緒に喜んでいた。
なんとも微笑ましいその光景に、私も楽しい気持ちでいっぱいになったし、そのときが今から待ち遠しくもなる。
そんな私に、お父さんが「汐。約束したからには、そのときはしっかり案内するんだぞ」と、お父さんもまたどこか楽しそうな顔で言った。
「もちろん!」
夏の日差しを桜の葉が柔らかく受け止めているトンネルの下、私は高らかにそう宣言した。




