コーヒー豆殺人事件 2/2
四人の容疑者が待つ広間に探偵が姿を見せた。二つある出入り口には屈強な制服警官が門番のように立っている。
「さて、皆さん」
ソファに座った四人の容疑者を前に、探偵は立ったまま話しだした。ちらと壁の時計を一瞥して、
「長時間拘束してしまい申し訳ありませんでした。警部に代わってお詫びします」
「では、もう帰ってもいいんだな」
ブレッドが言うと、
「ええ、犯人の方以外は」
四人は互いの顔を窺いあった。「それじゃあ……」と誰かが呟いた。その様子を見て探偵は、
「はい、星浦さんを殺害した犯人は、あなた方四人の中にいます」
部屋は一瞬、どよめきに支配された。探偵は、その動いた空気を微動だにせず受け流して、
「順を追って説明しましょう。食事会が終わり、星浦さんは自室に戻ります。犯人はあとを追いました。無論、すぐに動いたわけではないでしょう。怪しまれないように、時間を置いて、トイレにでも行くかのように自然にこの広間を出たに違いありません。犯人は部屋で星浦さんと二人きりになります。星浦さんに警戒の色はなかったでしょうし、恐らく犯人もこのときはまだ、星浦さんを殺害しようなどとは思っていなかったのでしょう。が、不運なことに、犯人は部屋にあったトロフィーで星浦さんを殴り殺すことになってしまうのです。隙を突かれて後頭部を殴られた星浦さんでしたが、薄れゆく意識の中、犯人を名指ししようと行動を起こしました。その方法は、自分の前にあったコーヒー豆です。キリマンジャロ、モカ、ブルーマウンテン、この三種類の豆がブレンドされたコーヒー豆の山。星浦さんはその中から豆を取り、握りしめました。最後の力を振り絞って。お手伝いさんの発見時、死体が握りしめていた豆は……ブルーマウンテンでした」
「ブルーマウンテン――!」
誰かが呟いて、他の三人の目が一斉に青山に向いた。
「ち、違う! 私じゃない! 警察にも話したが、私は居間でずっと電話をしていたんだ!」
青山は立ち上がって抗弁した。
「その通りです。星浦さんの死亡時刻、青山さんは居間で電話中でした。皆さんもご覧になられたか分かりませんが、この家の電話は子機などないアンティークなもので、通話をしながら星浦さんの部屋まで移動することは不可能です」
探偵が青山のアリバイを保証した。
「ということは……」
また誰かが呟いた。落ち着きを取り戻した青山が腰を下ろすと、今度は彼を除いた三人が互いに顔を窺い合う。
「ところで、ブレッドさん」探偵が外国人翻訳家に声を掛け、「あなた、コーヒーには詳しいですか?」
「いや、好きでよく飲みはするが、星浦さんや、桐間さん、今日いらした青山さんのような博学では全くない。正直、喫茶店で飲むものも、家で淹れるインスタントも、ほとんど味の違いは分からないという程で」
「僕もです」
探偵は笑った。
「でも、それでは」と、また青山が口を開き、「どうして星浦先生は、死に際にコーヒー豆、しかも、ブルーマウンテンの豆を握ってなんて……」
「そこです」
探偵は青山の顔を指さし、「失礼」とすぐに指を引っ込めると、
「ブレンドされて山になったコーヒー豆の中から、ひと粒だけ取って握りしめていた。これは明らかに意図的な行為です。そう、星浦さんは自分を殺害した犯人を名指しするため、最後の力を振り絞って豆を取ったのです。しかし、犯人がその行動に気が付いていたとしたら? 星浦さんが今際の際に取った行動の意味を感づいたとしたら?」
「それは、つまり……」
「そうです。星浦さんは確かに犯人を指し示すコーヒー豆を握りしめた。ですが、それに気が付いた犯人は、星浦さんの手を開いてその豆を取り除いた。そして、自分とは関係のない別の豆を代わりに握らせておいたのです」
「それじゃあ、最初に星浦さんが握っていた豆は、キリマンジャロか、モカ?」容疑の圏外に逃れた青山は、桐間と加茂の顔を見て、「いや、二種類以上の豆を握っていたのなら、ブレンド、つまりブレッドさんのことを示していたのかも……」
黙り込んだ四人を前に、探偵は、
「つまり、こういうことになりますね。犯人は自分が殴り倒した星浦さんが、目の前にあった山からコーヒー豆をひと粒手に取ったのを見た。もしくは、その現場を目撃はしておらず、絶命したあとに不自然に握られた星浦さんの手を見て、それに気が付いたのかもしれませんね」
「それで、犯人は星浦先生の手を開いて、自分のことを示したその豆を取り除き、代わりにブルーマウンテンの豆を握らせた。私に罪を着せるために……」
青山の喉がごくりと鳴った。探偵は「そうです」と言うと、
「犯人は星浦さんの残したダイイングメッセージを見破って、逆に利用したのです。ですが……」ここで言葉を切って、「ですが、それは誰にでも出来ることではありませんよね」
「……どういうことですか?」
青山が探偵を見る。探偵も彼を見返して、
「例えば、僕が犯人だったとしたら、星浦さんのダイイングメッセージを見破ることは出来なかったでしょう」
「……」
青山は言葉を詰まらせる。探偵は大きく頷いて、
「絶対に無理です。だって、星浦さんの握りしめた豆の種類が何だったかなんて、見ただけや香りをかいだだけでは分かりっこないんですから!」
四人は雷に打たれたように、はっとして息を呑んだ。三人は得心して、ひとりは自分の犯した過ちに気が付いて。
「三種類もの豆がブレンドされた山の中から握り取られた豆。それがどういう種類の豆だったかを知ることが出来るほどのコーヒー通は、この中に二人しかいません。桐間さんと青山さんです。そして、先に述べたように青山さんには完璧なアリバイがあります」
ほぼ名指しされたに等しい、その人物の顔を、他の三人は一斉に見た。探偵もゆっくりと視線を向けて、
「桐間さん、あなたですね」
桐間は押し黙ったまま、焦点の定まらない視線を宙に浮かべていた。
「君の言った通り、星浦の手からは、ブルーマウンテンの他にもう一種類の豆の欠片が検出された。キリマンジャロだった」
後日、事後報告のため探偵の事務所を訪れた警部は言った。「そうですか」と探偵は、警部に出したコーヒーを勧め、
「星浦さんが自分のスペシャルブレンドだと言って四人に出したコーヒー。あれはただのインスタントでした」
「星浦は、どういうつもりでそんなことをしたんだろう?」
警部は湯気の立ち上がるコーヒーカップを手に取り、ぐいとひと口、喉に流し込む。
「他愛のない稚気だったのかもしれませんね。台所にあったインスタントコーヒーは、加茂の務める会社のものでした。お客の帰り際にそのことをばらして、十分に美味い商品を出しているのだから、有名人のネームバリューなど借りなくとも、もっと自分の商品に自信を持ちなさい、というメッセージを贈るつもりだったのかもしれませんね」
「コーヒー通の桐間や青山まで、偽りの星浦ブレンドを絶賛していたそうじゃないか。あれはただのおべんちゃらだったのかな」
「少なくとも、桐間だけは本気で絶賛していたのではないでしょうか。それが殺害動機のひとつになってしまったのだから」
「そうかもな」
桐間は犯行を自供した。敏腕編集者は、実はギャンブルに狂い多額の借金を背負っていた。今夜の勝負に飛び入りで参加して見事優勝した桐間は、星浦が自室に引き上げた隙を狙ってこう持ちかけたのだという。「先生ブランドのコーヒーの販売権を当社に譲ってもらえませんか?」人気作家星浦の名前を冠したコーヒーの販売で手柄を立てて臨時ボーナスを、などと画策していたのだろう。星浦ひとりだけのときを狙ったのは、コーヒー会社の加茂と青山の目から逃れたかったからに違いない。しかし、星浦はその頼みを断った。今回のこともただの余興で、もし加茂か青山が勝っていても、自分ブランドのコーヒー販売は許可しないつもりだったという。星浦は桐間の借金のことも知っていた。それで功を焦る余り、博打のような企画をごり押ししては失敗、ということを繰り返していた桐間に、「私がデビューした当時のように、純粋に面白い本を作りたい、という気持ちに戻ってやり直さないか」そう声を掛けたという。そしてさらに、「このまま君の仕事ぶりが直らないようでは、次回作は他社から出すことも考えないといけない」そのひと言が桐間に火を付けた。語気を荒げる桐間に星浦も反撃する。「インスタントを絶賛したような舌しか持っていないくせに」桐間はスペシャルブレンドと知らされて飲んだコーヒーが、ただのインスタントだったことを知った。
もう相手はしない、とばかりに机に向かい、コーヒー豆のブレンドを再開した星浦の背後に桐間は迫る。手には自社が贈ったトロフィーが握られていた。そのトロフィーの隣には、星浦と桐間が笑顔で収まった、受賞記念に撮影した写真も飾ってあったのだが、桐間の目には入らなかったのだろう。
犯行後、茫然自失としていた桐間は、星浦が完全に絶命しておらず、手を動かしたのを目撃する。手に顔を近づけるとコーヒー豆の香りがする。この香りは……。固く握られた手から指を剥がしてみると、果たしてそこにはひと粒のコーヒー豆が握られていた。キリマンジャロ。意味を察した桐間はその豆を山に戻し、代わりにブルーマウンテンの豆を握らせておいた。ここに来る前、青山が「電話を掛けてくる」と言って、携帯電話を握りしめて広間を出て行ったままだったのを目撃しており、アリバイが不完全な青山に罪を被せることが目的だったという。青山が携帯ではなく固定電話を使うつもりだったなどとは分かろうはずもなかった。加えて、星浦の手から豆を取り除いただけでは、豆の香りが手に残ったままとなり不自然だと感じ、別の豆を握らせようとも思ったのだという。香りに敏感なコーヒー通としての顔がここでも出てしまった。
「これも君の言った通り、現場に残されたブレンド豆の中から、桐間の汗の成分が付着した豆が出た。その豆は星浦が一週間前に買い付けてきたばかりのもので、桐間の汗が付着しているはずがなかった。君が叩き付けた推理に加え、この物証が決め手となったよ」
警部は満足そうな表情になってコーヒーをすすった。
「ところで警部、そのコーヒー、実は僕がブレンドしたものなんですよ。あれ以来、ちょっとコーヒーに目覚めてしまいましてね。どうですか? インスタントとは違いますか?」
探偵は期待を込めた目で警部を見つめる。
「ああ、どうりで……」と警部はカップの中の褐色の液体を覗き込んで、「インスタントにしてはまずいと思ったよ」
探偵は苦笑した。
お楽しみいただけたでしょうか。
本作は、ちょっとした思いつきから話が膨らんでいった作品です。「登場人物全員の名前が、たまたまコーヒーに関連したものになる」という、いかにもミステリクイズ的な虚構感溢れるものに仕上がりそうだったため、シリーズ探偵の安堂理真ものとして書くのは違和感があるかなと思い、ノンシリーズとして書いてみたものです。たまにはこういうものもいいかなと思います。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。




