秘密 その3
「―――? なぜ、そうまでして千年魔術師の秘術を求めるのか、だと? それは―――まあ、魔術師としての求道心とか収集癖とか―――その他諸々だ。なに? だったら、こんなところで足止めをさせて申し訳ない? ……ふふっ、主よ、気に病むことはない。全くもって、ないぞ」
「なに、たかだか数年程度の足休めだ。別に、急ぐ旅でもない。この身は暇人ゆえ、暇だけは多分にある身。あなたが成すべきを成した後、ゆっくりと捜索に戻るさ」
「今夜は色々なことがあったが、これだけは言える。主よ―――私は、あなたの事を、ますます好きになった。私は、好きになると、そう簡単には諦めぬからな。覚悟しておけ」
最後にそれだけ残したあと、エルフィオーネは「よい夢を」と、アルフレッドの額に軽く接吻をし、退室していった。
眠気と酩酊とが入り混じり、意識が宙をフワリフワリと漂うような中、アルフレッドは今も額に残る感触、その余韻に浸っていた。―――なるほど、この柔らかな余韻を忘れずにいれば、きっと良い夢が見られるだろう。
ゼファーは何をしているだろうか。うまくメルフィナを口説き落とせたなら、今頃、そこらの宿で、いい思いをしているのだろう。だが、こちらも十分過ぎるほど、いい思いをさせてもらった自負がある。エルフィオーネと言う才色兼備の美女が傍らに侍り、傅いてくれる。自分がいかに、他者がうらやむような状況に居るのかを、あらためて認識させられた夜だった。
そしてもう一つ、再認識させられたことがある。
なすべきを成した後、と彼女は言う。だが、それがいかなる結末に終わるのか。アルフレッドは瞳を閉じ、真顔で、その未来を思い浮かべる。
「さすがは我が主、私が見込んだ男」で終わるか。
「気に病むな。主は健闘した」で終わるか。
エルフィオーネ本人は、前者のグランド・フィナーレで終わらせる気でいるのだろう。だが、残念ながらアルフレッドには、その光景は未だ輪郭すらみえてこない。果てしなく、後者のデッド・エンドだけが、くっきりと見えているという有様だった。
「与え姫奇譚」の第三巻の原稿作業は、いよいよ大詰めを迎えるところだ。
作品の質は、凄まじい具合に向上した。今までの原稿を見直しても、本当にこれが自分の書いた作品なのかと疑うくらいだ。
エルフィオーネの知識による資料提供の迅速化と正確さによって、歴史的背景に基づく登場人物の台詞、行動、伏線はさらに洗練された。中世時代の風景、風俗の描写も同様にだ。当時主流だった泥臭い戦法・戦術を、アルフレッドの魔術に頼らない実戦経験を生かして、わかりやすく簡潔に、しかしダイナミックに描き出す戦闘描写。その当時の従来の戦闘の中に、熟練の魔術使いと言う反則級の存在が数名紛れることが、いかなる強大な戦力となるかを読者にまざまざと見せつける展開。本来なら咬ませの悪役で終始する、聖武王に敵対した諸侯達、その末裔である貴族たちを取材して得た、彼らの先祖たちの真の思惑、信念、そして意地。
これらの要素が見事に交じり合い、どちらが悪でどちらが善とも言えない、信念と信念、意地と意地とがぶつかり合い、時には主人公たちの葛藤も交えて展開される物語は―――従来の『暗黒期物』の、聖武王が王道に立ちふさがる悪役の貴族達をバッタバッタと蹂躙し屈服させる単純な展開とは一線を画し、ただ爽快感やカタルシスを味わえれば良いという物語とは違う、全く新たな機軸の娯楽小説となっている。
ここまで自画自賛のように言うと、エルフィオーネが代筆したのではと疑う者も居るかもしれないが、作品のプロットは基本的に弄ってはおらず、物語の展開は、作者であるアルフレッドが全て、自身の中に温めていたものだ。
助手としてのエルフィオーネは、歴史・魔術の監修、文章の校正、誤字指摘等は手伝うが、一部無茶な展開以外、物語の基本的な構成に口出しをしたことは一度たりともなかった。全て、既存の資料からの引用で、アルフレッドをサポートしただけだった。少し頼りなかったプロットを確固たるものにし、堂々と肉付けを行えたのは、彼女が持つ史学の造詣のおかげであったことは言うまでもない。
既刊1巻2巻の、ともすれば情けなくも見える聖武王の幼少時~雌伏時代の苦難、そして、師である「与え姫」より次々と与えられる試練は、これから始まる聖武王雄飛の刻への、いわば下準備だった。
そして3巻の冒頭ではついに、エドワード王子がアークライト領に潜伏していることが密告され、アークライト領には、王子の身柄を確保すると言う名目の、征伐軍が差し向けられる。だが、かねてよりの王家の悪政、何より、妹であるアークライト王妃を讒言により謀殺されている当時のアークライト領領主、エリオット=アークライト伯爵は、甥であり、愛する妹の子でもあるエドワード王子を引き渡す命令を断固として拒否。辺境伯領の常備軍に領民からの義勇兵も加わり、征伐軍を完膚なきまでに叩きのめし、追い返してしまう。エドワード聖武王蜂起の瞬間だった。
―――これが、3巻のざっとした粗筋だ。実をいうと、粗筋だけを見れば、従来の『暗黒期物』と大差はない。だがここで、濃密に描写した下積みの、1巻2巻が効いてくる。苦難・試練を乗り越えた先の反撃だ、大きなカタルシスを得ることができるという仕組だ。
そこから先、つまり4巻以降も、従来の『暗黒期物』と同じく、聖武王の進撃を、史実になぞらえながら描いていく予定でいるわけだが―――聖武王対諸侯の構図を、世に氾濫しているような、善と悪の構図で簡単に片付けることは回避するつもりだ。あくまで取材や資料によって得られた情報を元に、当時の時代背景、各諸侯の御家事情などを加味した上で、葛藤の上での、互いに譲れないものを賭けた戦いと言う構図に昇華させ、読む者に対し、考えさせる「何か」を与えられる展開を提供する心積もりでいる。最早、売れ筋展開である「聖武王無双」への転換ははかれないし、そもそも、真っ向から切り捨てている。アルフレッドの中の聖武王三人衆―――エドワード、アリス、アレックスは常に、戦地での生傷と、同じ国の人間同士で戦わねばならないという葛藤、懊悩にまみれている。
面白い。間違いなく面白い。―――少なくとも、アルフレッドにとっては、過去最高の作品と言っても過言ではなかった。そう―――最善は尽くした。
だが、自分にとっての傑作が、他の読者にとっての傑作かどうか。自分が面白いと思っている物が、他人にとっても面白いかどうか。それは―――。それは……。
今の今まで、アルフレッドにとって作品の作成は、いわば趣味だった。だがここに来て久しぶりに、こんなにも、売れるかどうかを意識している。処女作の「紅恋の剣」以来の感情だ。
あの時は、文壇に誘いをかけてくれただけでなく、作品を世に知ってもらおうと奔走してくれたゼファーに報いようと。
そして今は、自分の目的すら擲って、アルフレッドを無償でサポートしてくれるエルフィオーネに、売上で報いようと―――。
私に、任せてほしい。
エルフィオーネの言葉が、まるで跪いた身に手を差し伸べるかのように、脳裏に再現される。すると、どうだろう。爆発寸前の風船のようだったアルフレッドの煩悶が、シュルシュルと、まるで空気が抜けるようにしぼんでいった。そして逆に、不思議な安心感が心を包んでいく。「彼女なら、本当に何とかしてくれるのではないか」という、根拠も何もあったものではない安心感だ。
情けない話ではあるが―――落ち着いた。あの時のサーノスではないが、どうして、彼女が言うと、こうも落ち着くのだろう。
(……本当に、何者なんだろうね、あのお嬢さんは……)
アルフレッドは、呆れるようにして笑った。
彼女を詮索しない、と心に誓った。だが、気になるのも、確かだった。
その姿。纏う神秘的で浮世離れした雰囲気。いにしえの「魔法」と見紛うかのようなその桁外れの魔術。そして、その名前―――。最初にその名を聞いたとき、シャーロットと一緒に仰天し、何が何だかと混乱したときの事を、今になって思い出す。
そう。彼女の姿こそ、自身が紡ぐ物語「与え姫奇譚」の主人公の一人、エルフィオーネ夫人こと「与え姫」そのものなのだ。まるで、作内から顕現し、アルフレッドを叱咤激励してくれているかのような……。
―――あなたが何の気なしに従えている、その女性が、一体何者かっていうこととかね。
今度は、メルフィナの間延びした艶声が、秘めた探求心を呷るように、脳裏にまとわりついてくる。折角、詮索しないようにしているのに、なんと邪魔な事か。
―――彼女の正体と聞いて思い当たることといったら、一つしかない。だが、それは絶対にありえない事。―――有り得ない事なのだ。
そう、彼女はたまたま、そういう神秘的な姿をしていて。
たまたま、凄い魔術が仕えて。
たまたま、同じ名前を持っているというだけで―――。
―――
――
-
……そういえば、エーリック。彼がエルフィオーネの顔を初めて見たとき。
何か、聞いたことのある名前を、思わず口走っていた。
一体、何だったか。
確か……、エ……エディ……
エディ……なんとか……
…
その思考を最後に、アルフレッドの意識は、暖かいまどろみの中に埋没していった。
◆◇◆◇◆
予期した通り、アルフレッドは、エルフィオーネの夢を見た。
―――不思議な夢だった。
暖かな日なたの、一面の花咲く草原の中。彼女は背を向け、一人佇んでいた。
長い、銀髪にも似た薄紫色の髪は風に靡き、透き通り、まるで清流を思わせる。
服装は黒一色。長袖のゆったりとした黒のドレス。それはまるで喪服のようだった。
しばらく見惚れた後、思い出したように、その後ろ姿に声をかける。
彼女がゆっくりと振り返―――
―――ろうとしたところで、目が覚めた。
その日の朝は、何かにつけて、エルフィオーネの後姿をぼんやりと眺めながら、心ここにあらずの表情で物思いにふけっていた。その場に居る全員から、不審だと注目を浴びたことは言うまでもない。




