1話『では早速…………まずは殴らせろ』
「──君には私の使徒として異世界に行ってもらいたい。行ってもらう世界は魔物や魔獣が居て魔法のある世界だ。君たちにわかりやすく言えば、ラノベやRPGゲームのような世界を思い浮かべてもらうと良い」
「はぁ……」
23歳。
ごくごく平凡な個人農家を営む小川 美穂の目の前には、突拍子のない発言をする男が居た。
理解が追い付かずぼんやりしている美穂に、手を変え品を変え、同じ内容を繰り返し言い続けている。
美穂は記憶を辿る。
明日から休みが始まるという週末の金曜日。
記憶違いでなければ、昨夜はいつも通りのんびりと過ごし、可愛い愛犬や愛猫たちと一緒にベッドに入って眠りについた筈だった。
そして、気づけば真っ白な空間に立っていたわけだが……
「夢かな」
「違う」
(まあ……夢にしては妙に感覚が生々しいし。何となく違うんじゃないかなぁとは思ってたけど)
「ちょっとくらい現実逃避させてくれても良いのでは?」
「それに意味があるのか?」
「は…はは……さいですか」
神と名乗った無駄に顔面の整った男には、困惑しきった美穂の内心が理解できないらしい。
心底不思議そうな顔をしている。
美穂は小さくため息を零し、それからなんだっけか、とやっと男の相手をすることにした。
「あー、えっと異世界でしたっけ?」
「そうだ。小川美穂、君には君の故郷とは違う世界に行ってもらいたい」
きりっとした表情で改めて言われるが、答えなんて決まってる。
「いやです」
「……え?」
「……え?って……いや、むしろ私がそう言いたいんですけど」
(むしろ、なんで拒否されないと思った?)
「な、なな、何故だ?!異世界だぞ?!魔法があるんだぞ?!」
「いやいや、そんな魔法楽しそうだからーってだけで、不満の無い充実した今の生活を捨てて、知り合いが居ない危険そうな世界なんて、行くわけないでしょう」
「今までの子たちの大半は異世界へと行けると聞いたら大喜びしていたが」
「はぁ……単に夢で現実だとは思わなかっただけでは?」
「…………」
「それに『大半は』とおっしゃいましたよね?つまり嫌がったとか、理解できない状況に混乱している間に流された人もいるってことですよね?」
「…………」
思い当たる部分はあったのか神は沈黙した。
しかし、それでも「じゃあ別の人にしよう」とは言わない。
嫌だと言った美穂に、「わかった」と頷かない。
美穂は嫌な予感がした。
「……どうしても行かなきゃダメなんですか?」
農家の仕事をやめ、生まれた家を離れたいと思ったことは無かった。
幼い頃から祖父母と共に過ごした野菜畑や、黄金の稲穂が垂れる田んぼは、美穂にとって幸せの象徴だったから。
育ててくれた大好きな祖父母や、生まれるのを心待ちにしてくれていたという父母のお墓だってある。
故郷を捨てて新天地へと向かうなんて、考えられなかった。
「ああこれは強制だ。君がどれだけ嫌がっても君が異世界に向かうことは決定事項だ」
「っ……」
問答無用と勝手に決められた未来に、苛立ちが募った。
「その代わりに君の望みを叶えよう。何かないか?世界に害を成すことや、異世界へ向かうことの拒否以外ならなんでもいいぞ」
「……その望みは幾つあってもいいんですか?」
うっそりと、どこか妖しい笑みを浮かべる美穂の心境に気づいた様子もなく、神はあっさりと頷く。
「今まで救世主として送り込んだ子たちは何故か一つだけと思い込んでいたが、世界を滅ぼすような願いでなければなんでもいいし、いくらでもいい」
「では早速……」
美穂は、その右手を持ち上げ……握りこぶしを作った。
「──まずは殴らせろ」
「へ…………」
格闘もスポーツも一切やっていない一般人。
しかし、日頃から体を動かしている農家の綺麗な右ストレートパンチか──神の左の頬に食い込んだ。
「ベブラアァァアッ!!」
神が奇声を上げて吹き飛んだ。
「これを咎めないこともお願いしておきますね」
確かに何でも叶えるとは言ったが………とかなんとか、ぶつぶつ言っている神の言葉を聞き流し、美穂は先ほど抱いた疑問を投げかける。
「ちなみに……望みが一つだけという思い込みは何故正さなかったんですか?」
「? 必要があるのか?」
「は……?」
美穂は、神の顔を凝視する。
神の端正な顔はキョトンとしていた。
(え……本気……?)
その瞬間。
──美穂の中で、本能が警鐘を鳴らした。
これは重箱の隅を突くほど細かく要望を出さないと駄目だ、と。
美穂は高校の受験や面接バリに気を引き締めた。
「何かしなきゃいけない義務もないんですよね?」
一番最初に言われていた事だが、念のため念押しして確認すると、神は頷いた。
「ない。君たちを私の世界へと招くのは、世界の安定のためだからだ」
「安定……?」
「君たちに私が加護を与えることで、加護の恩恵により魔力が滞りなく流れ、汚染された魔力が浄化され安定する。君たちは、ただそこに居てくれるだけでいい」
「……なぜ、私だったんでしょうか」
「私の加護との相性が良かったからだ。私の与えた加護の恩恵を最大限に引き出せる魂の持ち主。それが、君やこれまでの使徒たちだった」
淡々と言葉を紡ぐ神に、美穂は複雑な心境となった。
きっと、諸手を上げて喜ぶ類の人間は、他にもいるだろう。
なのに選ばれたのは、それを望まぬ美穂。
たまたま条件に合致したから、目が留まっただけ。
美穂一人が我慢すれば、その他大勢の生活が守られる。
(まるで生贄……人柱ね)
運が悪い……と、美穂は小さくため息をつく。
同時に、どうしようもないなら仕方がない、とも思う。
(なら……せいぜい快適な異世界生活のために要望を出しまくってやるわ)
そう、自棄に似た感覚で、無理やり吹っ切れる。
「まず、愛犬たちと愛猫たち……私の大切な家族も連れて行きます。良いですよね?」
両親は赤ん坊の頃に亡くなり、育ててくれた祖父母は、美穂が無事に高校を卒業し、畑を継ぐ意思を示したあと、安心したように老衰で亡くなった。
愛犬と愛猫たちはそんな美穂に残された大切な家族だった。
美穂が居なくなったあと、彼らはどうなるだろう。
親戚たちも気のいい人は多いから、保健所行きは可哀そうだと引き取ってはくれるだろう。
しかし、どこの家も大型犬3頭に猫二匹は引き取れないだろうし、かといって離れ離れにするのは可哀そうだ。
何より、あの子たちは私有地となる山の中を自由に出入りし、小さなころから山の中を駆けまわってきた。
今さら都会の犬や飼い猫のように家の中に押し込められたら、窮屈すぎてストレスが溜まってしまう。
なら、美穂が異世界へと一緒に連れて行く。
「かまわない」
「ありがとうございます」
無事に許可が下りてほっとする。
(ん?あれ?)
「そういえば私って元の世界だとどういう扱いになってるんですか? 病死とか突然死でしょうか」
「ん? いや君は肉体ごとそのまま異世界に向かうから行方不明になる」
「……」
(まじか……)
それは、少なからず取引先や親戚に迷惑をかけそうだ。
「自宅で死亡したということにしてくれませんか? 自殺とか他殺とか疑われないように病死とかにしてほしいんですけど」
(あれ、ていうか、そもそも……)
「別の世界……魔法がある世界に行くってことは、私が持ってない病気の耐性とか、魔法を使えるようにするとか、肉体を多少作り替えるのでは?なら、体ごと異世界に向かう必要はない気がしますけど」
「ふむ?……うむ、そう言われるとそうだな」
だろうとも。
むしろ、何もしないと言われたらその要望も出さないといけないところだった。
「必要なのは魂であって肉体ではないしな。うむ、肉体は戻し、幼少期から患っていた持病で亡くなったように偽装しておこう」
無事頷いてくれた神にほっとする。
祖父母が亡くなった後、よく気にかけてくれた取引先の担当者や親戚の顔が浮かんだ。
(今までお世話になりました。私は元気なので、どうかみなさんもお元気で)
美穂は心の中で、彼らへの感謝と祈りをささげた。
新しい作品の連載をはじめました。
初めましての方も、そうでない方も、よろしくお願いします!




