第十三話 千引の暁
黄泉の、いちばん底は、しずかだった。
冬の落ちた裂け目の、さらに奥。光も、音も、ない。澪は、半分透けた体で、その底へ降りていった。
降りるたびに、また、削れた。もう胸のあたりまで、向こうの闇が、透けている。けれど、足は止めなかった。
ここまで、来た。
斎を、迎えに。直が放って、命を懸けてくれた。鶚が、言葉を遺してくれた。織津姫が、血で道を敷いてくれた。
底の者が、要を守ってくれた。世界じゅうの嘘も、覆した。残るは、これだけ。ここまでのぜんぶが、この一歩のための、ものだった。
澪は半分、向こう側の体で、最後の闇を降りた。もう、こわくなかった。こわいものは、ぜんぶ、上で置いてきた。
底のいちばん深いところに、ひとつの、影が沈んでいた。
斎だった。
神の宿った体。白い礼装は、もうぼろぼろに、薄れていた。黄泉の、いちばん深いところで、神は斎の体を、ゆっくりと、喰い尽くそうとしていた。
あと、わずか。あとわずかで、斎はぜんぶ、神に、なる。
澪はその前に、立った。
斎の目が、澪を、見た。
古い、底の知れない、神の目。けれど、その奥に、まだ小さな光が、あった。沈んだ斎が、まだそこに、いた。
消えていなかった。間に合った。
間に合った、という言葉が、こんなに重いとは、思わなかった。あとわずか。澪が、座敷の誘いに留まっていたら。直の手を取っていたら。
冬の論に呑まれていたら。どれかひとつでも、足を止めていたら、斎はぜんぶ、神になっていた。間に合ったのは、澪ひとりの力では、なかった。澪をここまで来させた、すべての放つ手の、おかげだった。
「斎」と澪は、呼んだ。
*
斎の喉が、動いた。けれど、出てきたのは、斎の声では、なかった。
「縫い手よ」
低く、ひろく、古い声。神の声だった。底で何度も、聞いた声。冬に、どこか似た声。
似ているのは、当然だった。冬も、神の代弁者だった。慈悲の顔で、喰う。
神も、おなじ。優しい顔で、掴ませて、失わせる。体制と神は、おなじ口で語っていた。
掴め、と。所有しろ、と。澪はその声を、もう聞き分けられた。
「よく、来た」と神は、斎の口で言った。「やはり、お前は自分から、来た。掴みに。引き戻しに。人は愛するものを、掴まずには、いられない。さあ、掴め。この器を。掴んで、引き戻してみよ。日之大神が、そうしたように」
神は斎の手を、ゆっくりと、持ち上げた。澪のほうへ。差し出すように。
罠だった。
澪がその手を、掴めば。神話が、繰り返される。日之大神が、后を掴んで、失ったように。
掴んだ瞬間、糸が切れ、斎は神の底の、いちばん深くへ、沈む。澪も、引き込まれる。掴めば、ぜんぶ、こぼれる。
神はそれを、待っていた。
人は愛するものを、掴まずには、いられない。だから、必ず、掴む。掴んで、失う。神は何百年も、それを見てきた。
日之大神も。澪の母も。直も。みな、掴んでこぼした。
澪もそうすると、神は信じていた。
それは、神の、いちばん深い知恵だった。人を、愛で罠にかける。愛するなら掴むだろう、と。愛が深ければ深いほど、掴むだろう、と。
だから、いちばん愛する者を、いちばん掴みたくなる場所に置く。神は、正しかった。澪は、斎を誰より愛していた。だから、誰より掴みたかった。
神の罠は、完璧だった。ひとつだけ、神が知らなかったことが、あった。澪は掴んで失う愛を、もういやというほど見てきた。日之大神。
母。直。そして、自分自身。掴んでこぼした、その手の痛みを。
*
澪は、斎の、差し出された手を、見た。
触れたい、と思った。
十六年、誰にも触れられずに、生きた。爛れぬ指を、隠して。そして、たったひとり、触れたいと願った、その人が、いま目の前で、手を伸ばしている。
掴めば、届く。抱きしめられる。
掴みたかった。
胸が灼けるほど、掴みたかった。
掴めば、こぼれる。それを、澪は知っていた。頭ではなく、もう手で知っていた。雛の紐で。
直の最期で。織津姫の記憶で。掴む手は、守れない。掴む手は、失う。
十六年、握ることしか知らなかった手が、いまひらこうとしていた。いちばん掴みたい、その瞬間に。これまでの人生で、いちばん難しいことだった。
けれど。
澪は自分の手を、ひらいた。
掴むためでは、なく。手のひらを、上に向けて。開いたまま。
差し出した。斎の手の、すぐ下に。触れるか、触れないかの、ぎりぎりのところで。
「斎」と澪は、言った。「掴まない。わたしはあなたを、引き戻さない」
神の目がわずかに、揺れた。
「迎えに、来た。でも連れて帰るんじゃ、ない。あなたが自分の足で、還ってくるのを、待つ。だから――選んで。神の底に、沈むか。わたしの手まで、自分で来るか。わたしは、掴まない。ただここで、手を開いて、待っている」
それは神話の、反転だった。
日之大神は、掴んだ。澪は、放した。掴むのではなく、開いた手を、差し出して、待つ。相手に還ることを、選ばせる。
それが黄泉返りの、ほんとうの作法だった。鶚が、命をかけて、遺した言葉。掴むな、放て。その、いちばん奥に、あったもの。
「愚かな」と神は言った。「開いた手に、誰が、来る。器は、もう、私のものだ。沈むだけだ」
澪は、答えなかった。ただ、手を開いたまま、待った。
待つ、というのは、信じる、ということだった。斎が、自分の足で来ると。神に半分喰われても、斎の自我が、まだ澪のほうを向いていると。その見えない光を信じて、ただ手を開いて、待つ。
掴めば、一瞬で終わった。確かめられた。けれど、放って待つのは、賭けだった。
来ないかも、しれない。それでも、澪は待った。掴んで失うより、放って信じるほうを、選んだ。
*
そして、澪は、もうひとつのことを、した。
開いた手のひらから、自分の血を、流した。命の、いちばん濃いところを。斎へ、贈るために。
織津姫が、世界にしたように。掴むのでも、捧げさせられるのでも、なく。自分の意思で、与える。
澪の血が斎の沈む底へ、糸になって、伸びていく。引き戻すための糸では、なかった。斎が自分で、上ってくるための、道だった。
「斎」と澪は、もう一度、呼んだ。「あなたに、生きていてほしい。だから、来るな、じゃ、ない。来て。あなたが、来たいなら。わたしが、道を、作る。あとはあなたが、歩くだけ」
斎の体が、震えた。
神の操る、震えではなかった。
斎の目の奥の、小さな光が、ふいに大きくなった。沈んでいた斎が、澪の作った道を、見つけた。澪の、贈った血の、糸を。
それは掴む手では、なかった。引っぱる手でも。ただ開いて、待っている、手だった。
斎が生まれてはじめて、誰かに何かを、与えられた。何の見返りも、求められずに。受け取れない手をしていた、あの斎が。
斎はこれまで、何も与えられたことが、なかった。神の器として生まれ、喰われるために育てられた。誰も、斎に、見返りなく何かをくれたことが、なかった。
だから、斎は受け取り方を、知らなかった。底の子の小石さえ、受け取れなかった、あの手。いまはじめて、澪が見返りを求めずに、斎に命を贈った。
掴むためでなく。斎が自分で選べるように。その贈り物が、斎のいちばん深く沈んだ自我を、呼び起こした。
その手がゆっくりと、澪の、開いた手のほうへ、伸びた。
神の操りでは、なく。斎が、自分で。
*
「やめろ」と神が、斎の喉で叫んだ。「器は、私のものだ。動くな」
けれど、斎の手は止まらなかった。
神に半分喰われ、それでも消えなかった、斎の自我が。沈んでいた、いちばん深いところから、澪の血の道を、たどって、自分の足で、上ってきていた。掴まれたから、では、なく。
引かれたから、でも、なく。澪が開いて、待っていたから。来てもいいと、言ってくれたから。
「俺を」と斎が、言った。今度は、斎の、声で。掠れて、けれど、たしかに斎の声で。「俺を、皿じゃ、なく……見て、くれた」
「うん」と澪は、言った。手を、開いたまま。
「ずっと……お前の手まで、来たかった。でも来れば、お前を引き込むと、思って……来るな、と言いつづけた。でも――いま、お前が道を作ってくれた。掴まずに。だから……行ける。お前の、ところへ」
斎の手が、澪の、開いた手のひらに、触れた。
*
触れた。
その瞬間、澪は息を止めた。
接触の禁忌。十六年、澪を縛ってきた、いちばん大きな掟。清き者と穢れた者が、触れれば、死ぬ。
触れたら、死ぬ。だから、触れない。触れないまま、焦がれる。
それが二人の、ずっとの、距離だった。千引岩の、逢瀬の夜から。三尺の、距離から。
あの夜。千引岩の奥宮で、二人は触れずに、おなじ夜気を吸った。触れれば死ぬ、だから触れない。触れないまま、指一本分の距離を詰めるのが、精いっぱいだった。
それが二人の、ずっとの恋だった。焦がれて、届かない。届けば、死ぬ。
けれど。
触れても二人は、死ななかった。
斎の手が澪の手の上に、ある。重なって、ある。温かかった。半分透けた澪の手と、神に喰われかけた斎の手が、触れ合って、それでもどちらも、消えなかった。
かつて、死を意味した触れが。
いま黄泉返りの、業になっていた。死から、還るための、触れに。
かつて、国じゅうの前で、澪が斎に触れた、あの禁忌の夜から、ずっと。触れることは、死と隣り合わせだった。触れて、神罰に弾かれなかったのは、澪が織津姫の裔だったからだと、いまなら分かる。
いま、その触れが、ぜんぶ裏返った。死を呼ぶ触れが、生を呼ぶ触れに。二人の物語の、いちばん最初のエンジンが、いちばん最後に、完全に反転した。
「触れて……死なない」と斎が、言った。信じられない、というふうに。
「うん」と澪は、言った。涙は、出なかった。半分、向こう側の体は、もう涙を流す力も、薄い。けれど、胸の、いちばん透けにくいところが、灼けるように、熱かった。「もう、死なない。触れても」
二人はしばらく、ただ手を重ねていた。何年も焦がれた、その触れを。確かめるように。何度も。
掴まずに。ただ、手のひらと手のひらを、合わせて。それだけで、十分だった。それ以上は、要らなかった。
神の声が遠くで、ほどけていった。
「人は……愛するものを……掴まずには……」
「掴みませんでした」と澪は、神に言った。斎の手を握らずに、ただ重ねたまま。「最後まで。だから――返ります。あなたの、いちばん古い理を、わたしたちは、反します。死者は、連れ戻せる。掴まず、放って、贈るなら」
神が斎の体から、ほどけて、黄泉の底へ、沈んでいった。喰い損ねた御魂が、もう、器を得られずに。あとには斎だけが、残った。半分、透けた、けれど、たしかに、斎の、体が。
*
世界が、変わりはじめた。
千引岩の、要から、神織の糸が、新しく、織り直されていく。喰う収穫で、繕われたのでは、なかった。澪の、贈った血で。織津姫の、贈った血の、続きで。
切れていた糸が、結び直されていく。けれど、もとの、神織とは違った。もとの神織は、誰かを喰って、保たれていた。
新しい神織は、贈り合いで、織られていた。誰も、喰わずに。分かち合って。
それは織津姫が、ほんとうに望んだ世界だった、と澪は思った。何百年も前、ひとりで降りて、血を贈った女神が。受け取る手がなかったから、その贈りは犠牲に見え、喰う仕組みにすり替えられた。いまようやく、織津姫の贈りを、受け取る世界ができた。
澪が受け取った。底の者が受け取った。全土が見届けた。織津姫の、長すぎた孤独が、いま終わった。
葦の里に滲んでいた、黒い水が引いていく。北の田の、凍りがゆるむ。穢野の、冷気が薄れていく。世界が終わりの淵から、ほんの少しずつ、引き返していく。
全土の水鏡が、それを映していた。
讃えるためでも、狩るためでも、乞うためでも、ない。ただ世界が、織り直されていくのを、見届ける目で。見られた嘘は、生きられない。けれど、見届けられた真実は――世界を、織り直す。
穢れと呼ばれた血が、いま世界を、贈りで縫い直していた。
*
底の郷では、雛が、火のそばで、待っていた。
火を、絶やさずに。ゆうべと、おなじように。けれど、その火がふいに、揺れた。坂の上から、底の者たちが、戻ってくる。
橡が。繁が。そして、その後ろから――半分透けた澪が、斎を支えて。
雛が、駆けてきた。
「ねえちゃ」
澪は膝をついて、妹と目の高さを、合わせた。透けた手で、雛の頬にそっと、触れる。掴まずに。ただ、温もりを渡すように。
「ただいま」と澪は、言った。
雛は、泣かなかった。笑いも、しなかった。ただ、姉の、透けた手を、両手で包んだ。
前と、おなじように。けれど、今度は、もう向こうに行っちゃうの、とは聞かなかった。
「斎さま」と雛が、言った。斎を、見上げて。「おかえり」
斎が戸惑ったように、雛を、見た。誰かにおかえり、と言われたことが、なかった。神の器に、生まれた少年。
抱きしめられた、記憶を持たない少年。その斎に小さな子が、まっすぐに、おかえり、と言った。
斎の目から、ひとつ、雫が落ちた。澪の、流せなかった涙の、代わりのように。
「……ただいま」と斎は、言った。
雛は、もう姉を誰にも、奪われない。直も、冬もいない。雛は、自由だった。
澪が握って守ろうとして、何度もこぼした、その妹が。いま握らない手のなかで、ちゃんと笑っていた。放しても、繋がっていた。
雛は澪の透けた手と、斎の手を見比べた。それから、こわごわ、斎の手にも触れた。かつて、依代に触れた穢人は、死罪だった。
けれど、もうそんな掟は、ない。雛の小さな手が、斎の手に触れて、二人とも笑った。
「あったかくない」と雛が言った。「ねえちゃと、おなじ」
「うん」と斎が言った。「半分、向こうだから」
「じゃあ、ふたりで、半分こだね」
その、なんでもない言葉が、澪の胸に灯った。半分こ。ひとりでぜんぶを背負うのでは、なく。
*
けれど。
世界は、甘く、戻りはしなかった。
斎を、返したかわりに。澪の血を命の一部を、贈ったかわりに。澪の体は、もうすっかりは、こちら側に、還らなかった。
胸まで透けた体は、半分、向こう側のままだった。
「わたしは」と澪は、橡に言った。「もう、ただの、澪には、戻れません」
「分かっていた、はずだ」と橡は、静かに言った。
「はい」と澪は、うなずいた。「縫い手は、縫い切れば、向こうへ引かれる。織津姫が、そうだったように。わたしは――両界の、境を守る者に、なります。生と死の、あわいに立って。新しい神織が、また、ほどけないように」
それは織津姫の、選んだ道と、おなじだった。けれど、ひとつだけ、違った。
織津姫はひとりで、消えた。澪は、消えなかった。境に立つけれど、こちら側にも、向こう側にも、繋がったまま。
雛がいて。底の者がいて。そして――斎が、いた。
「俺も」と斎が、言った。「いっしょに、行く」
斎も、半分、神に喰われた体だった。すっかりは、人に戻れない。けれど、それが二人を、おなじ場所に、立たせた。
「斎は、境を分かつ者に、なる」と橡が、言った。古い口伝を、たどるように。「縫い手の、隣で。生と死を分ける者と、繋ぐ者。二人でひとつの、境を」
触れられる。もう、死なずに。けれど、二人とも、半ば、境に縛られて。
それは、ただの、幸せな、結びではなかった。失ったものは、戻らない。鶚は、いない。
直も、いない。澪の体も半分は、もう向こう側だった。
それでも。
澪は斎の手を、見た。開いた手。掴まなくても、繋がっている、手。
これで、十分だった。
ほしいものを、ぜんぶ手に入れる物語では、なかった。澪は、ただの娘には戻れない。斎とふつうに暮らすことも、できない。二人は境の番人として、生と死のあわいに立ちつづける。
鶚も、直も戻らない。母も。けれど、掴んでぜんぶ失う物語でも、なかった。澪は、斎を返した。
雛を自由にした。世界を織り直した。そして、斎の手を握らずに、繋いだまま、立っている。失ったものと、得たものが、どちらも本物だった。
それが放つ愛の、ほんとうのかたちだった。甘くも苦くも、ない。ただ、本当の重さを持った、結びだった。
*
千引岩の、縫い目に、暁が、差した。
黄泉の、いちばん深いところに、光など、差すはずが、なかった。けれど、新しく織られた神織の、いちばん最初の結び目から、夜明けの色が、にじみ出していた。境の、暁。生と死の、あわいに灯る、いちばん最初の、光。
千引の、暁だった。
澪と斎はその光のなかに、並んで立っていた。
かつて、三尺の距離で、焦がれた二人。触れたら死ぬ、と引き裂かれた二人。いまは触れて、立っている。
掴まずに。開いた手と、開いた手を、重ねて。死なずに。
「見られてる」と斎が、言った。全土の水鏡が、まだ二人を、映していた。
「うん」と澪は、言った。
かつて、見られることが、いちばん、こわかった。隠れて、心を殺して、生きた。見られたら、穢れがばれて、狩られる。けれど、いま澪は世界じゅうに、見られながら、隠していなかった。
透けた手も。半分、向こう側の体も。斎と、触れ合った手も。ぜんぶ、見られたまま。
見られても、もう、こわくなかった。
視られて、愛されてもいい。穢れと呼ばれた娘が、ようやく、それを自分に、許した。
それが、いちばん長い道だった。斎を黄泉から返すよりも。世界の嘘を覆すよりも。
澪が自分を、視られていい、愛されていい、と思えるまでの道が、いちばん長かった。十六年、隠れた。穢れだと、信じ込まされて。
視られたら、終わりだと。その娘が、いま世界じゅうに視られて、隣に愛する人がいて、それでもこわくない、と思えている。そこまで、来た。
水鏡は、もう、誰も讃えなかった。誰も、狩らなかった。誰も、乞わせなかった。
ただ千引岩の、暁を映していた。世界の、いちばん底に灯った、夜明けを。喰う世界が、終わって、贈り合う世界が、はじまる、その、最初の光を。
すぐには、変わらないだろう。明日も誰かは、誰かを穢れと呼ぶかもしれない。けれど、種は撒かれた。全土が、本当を見た。
穢れは、贈り物だと。掴むより、放つほうが、人を救うと。その種が芽吹くまで、何十年もかかるかもしれない。
それでも、芽はまかれた。底の火のまわりから。世界の、いちばん底から。
雛が、澪と、斎の、あいだに立った。
二人の、透けた手を、ひとつずつ、両手で握った。雛の手だけは、こちら側の、温かい色を、していた。生きている者の、待っていた者の、手だった。
「帰ろう」と雛が、言った。「火のとこ、まだ、あったかいよ」
澪は、斎を、見た。斎が、うなずいた。
掴まずに。けれど、ちゃんと繋がって。三人は暁の光のなかを、歩きはじめた。
世界のいちばん底で、綻びの底で、心を殺して生きた少女は、いま死から、愛する者を、返した。掴む愛でも、消える犠牲でも、なく。放つ愛で。贈る愛で。
愛は、解き放つ。
その一行を、証して。
暁がゆっくりと、二人とひとりの、上にひろがっていった。




