第三話 魅惑の歌姫
「「「「いってきまーす!!」」」」
「いってらっしゃい!」
四つ子を見送り、その愛おしい背中が遠くなるにつれ、ベリーの笑みは花が萎むように崩れていった。
廊下を歩きながらエプロンを脱いで、リビングに戻る。
さっきまで託児所のようににぎやかだった部屋が、嘘みたいに静まり返っている。
床に寝そべるミントの丸まった背中をまっすぐと見て、一家の長男は神妙な顔で言った。
「あまりあの子たちに母親のことを話すんじゃありませんよ」
「…………分かってるよ」
ミントはその言葉を覚悟をしていたかのように、静かに答える。
まるで秘密の合言葉のように、視線一つ合わせずとも、二人の心は共鳴しているように同じ眼差しをしていた。
『さて、次にお送りする懐かしの歌は…………あの魅惑の歌姫、桃井 ねねによる、【私の宝物】──』
テレビの画面が桃色に映り変わり────二人の目が見開く。
サラサラと腰まで届く姫カットのシルエットをした、ピンク色の髪がふわりと桜みたいに舞い、雲の上のステージに、あどけない歌姫が舞い降りた。
黒目がちの瞳が潤み、初めて恋を知った乙女のように頬に朱が走り、ぷっくらとした小さな苺色の唇が開いた刹那────天使の歌声が、響いた。
羽も輪もない。
だが、そこにいるのは天使としか例えようのない、可憐で、純真で、いたいけな少女だった。
囀りのような透き通る高らかな声は、どの歌手でも真似できるものではない────神の賜物だ。
画面越しでも、音楽に縁のない二人でも、呼吸さえ忘れてその瞳に、声に、惹きつけられた。
そして、口から滑り落ちるように呟いた。
「ほんっと…………アイちゃんは恐ろしいほど母親似だね」
「ええ…………でも、あの子は、時々…………」
「?」
「いえ、何でもありません」
そのあとは、一つも言葉を交わすことはなく。
歌姫の声だけが、リビングに花咲くように響いていた。
「あっ、ねね姫!」
坂道を走る四つ子は、遠くの大きな街頭ビジョンに映る少女を見て、ピタリと駆け足を止めた。
熱の帯びた眼差しに吸い込まれるようで、ビブラートの効いた歌声は胸を突き抜けて心の臓を震わせる。
『愛で助けなさい 愛ですべてを包みなさい
さぁ渡りましょう果てしない夢の架け橋を
鼓動と共に生きる熱い心を抱いて
大胆な一歩を踏み出す勇気を忘れずに』
ドクン、と四つの胸が同時に鳴り響いて、リンクしたような感じがした。
『大切なもの 全部持ってくよ
贅沢に生きるわ 欲張りでもかまわない
離さない 離したくない この掌の輝きは みんなが私の宝物』
時が止まったような、そんな錯覚を起こさせた。
彼女は魔法使いでもないのに、勇者でも魔王でも成せない、魅了という名の魔法を全身に纏い、声にものせて町に響かせているのだ。
「ユメたちが最初に見たミュージカルのDVDでも、ヒロイン役やってたよね〜!」
「懐かしい。アイスケの初めての憧れで、俳優目指すきっかけになったのよね」
「でももったいないよねぇ………あんなに才能あるのに若くして電撃引退しちゃって」
「透間との熱愛報道もあったらしいし………って、これはアイスケには禁句だったわね」
「ん? アイちゃん………?」
兄姉は街頭ビジョンへ向く末っ子の顔を覗く。
まさに、釘付けだった。
真っ向から風を浴び、髪をなびかせ、瞳を桃色一面に焼き付けられ、だがその乱反射した水面のように煌めく瞳だけは、一心に動かなかった。
「待ってろ!!」
少年は、歌姫に拳を突きつけ、その同じ色の瞳に誓った。
「ぜってー追いついてみせるッ!!」




