第十八話 ラムせんせーの拷問タイム
お風呂から出てピンクパンダのパジャマに着替える。時計を見るともう夜の七時を過ぎていた。
ぐぅ、と腹の虫が切なく鳴っている。
「あーお腹空いたぁ! バニラ兄ちゃんまだなのぉ!?」
我が家のルールは、誰かが残業や用事がない限りは、夕食は家族みんなで食べること。
一家団欒を大事にするのはアイスケも同感できるが、こうも空腹状態で待ち続けるのは苛立ちも隠せない。
「残業ないって言ってたのに、急な用事でもできたのかな?」
タオルでふわふわの髪を拭きながら、ユウキが首をこてんと傾げる。
二人で一緒にお風呂から上がったところだ。節水のため、黒野家は二人一組でシャワーを済ませることが頻繁である。
「何か嫌な予感がする………」
「アイちゃんの嫌な予感は大体当たるよね!」
「笑い事じゃねーよ…………」
「ははは………あ、そういえばどうしてアイちゃん、さっきのお風呂でお尻にフライパン巻き付けてたの? 新ネタの一発ギャグ?」
「変態犯から死守するためだよ」
「変態犯!? どこ!?」
お前だよ、とツッコみたいが、空腹感でそんな気力もない。
それに、何だかリビングが騒がしい。
兄たちの言い争う声が聞こえる。
「帰ってきたのかな?」
急いで階段を駆け下りた。
「だから、あれほど喧嘩はやめなさいといつも言ってるでしょう!!」
どん! としかめっ面のベリーがちゃぶ台を叩いた。
ちゃぶ台の前には、双子がムスッと不貞腐れた様子で座っている。
バニラが帰ってきたわけではなかったが、リビングはただならぬ空気が漂っていた。
「うっせーなぁ。向こうから売ってくんだからしょうがねーだろ」
「そーだそーだっ! 売られた喧嘩は買うのが男ってもんだろ!!」
フウガとコウガは負けじと兄に反論する。
どんどん! とベリーは二回ちゃぶ台を叩いた。
「いいえ! 礼儀作法をわきまえてこその男です! お前たち、このまま不良を続けていたら、周囲からの信頼も失いますし、女の子にもモテませんよ!!」
「あ? 万年フられまくりのセクハラ野郎に言われたかねーよ!!」
「そーだそーだっ! おっぱい星人は黙っておっぱい揉んでろよ!!」
ぐぬぅ、と歯を食いしばるベリー。
その横で、まぁまぁとラムが宥めるように肩に手を置いた。
「確かに二人は学園長も悩ます問題児だけど、一応補習にも来てるし。ヤンチャしたいお年頃なんだしさ? ちょっとくらいは大目に見てあげないとキリがないよ兄さん」
「またそうやって甘やかす! ラム、お前は曲がりなりにも教師なんですから、指導すべき時はビシッと指導しないと」
「いやぁ俺仕事とプライベートの切り替え空間移動並みに速いから」
「速すぎですよ!! もっと家でも教育してくださいよ先生!!」
「先生は定時で消えました」
「せんせぇーカムバック!!」
そろり、そろり、とつま先立ちでリビングのドアの方へ忍び寄る双子。
「こら! 待ちなさい!」
長男の目は誤魔化せなかったようだ。
「フウガ、コウガ、いいですか。例えアルバイトでも社会人の一員です。お給料をいただいでいる以上、しっかり社会に貢献できるように常識とルールをよく学んで………」
プルルル、とベリーのスマホが鳴った。
「失礼。はい、黒野です…………あ、ミキちゃ~ん!! はいはいこちらこそ今日はありがとうございます~! 楽しかったですよ~! シャンパンも美味しかったしぃ~! ミキちゃんのおっぱいも柔らかかったしぃ~! あはははっすみませ~ん! え? 次? もっちろん行きますよ~! ミキちゃんのためなら僕いくらでも貢いじゃうぅ~! 愛してますよぉ~! はい! は~い! また会いましょ~マイハニ~!!」
プツン、と電話が切れると、そっとスマホをちゃぶ台に置いて、向き直った。
「いいですか! もっと社会人としての責任を持ちなさい!」
「よくこの流れで言えたなお前!! 神経疑うわ!!」
「そーだそーだっ! 何カップ揉んだのか教えやがれーっ!」
双子の反撃が波に乗るように押し寄せる。
ぐぬぬぅ、とひん曲がった唇を噛み締めるベリーの背後に、眼球が剥き出すほど開眼した白衣の悪魔が立っていた。
「兄さん、ミキって誰?」
殺気に研ぎ澄ました声。
「ねぇ、誰? どこのどいつ? いつ知り合ったの? ねえだれ? だれだれだれだれだれだれだれだれだあれ? ねぇにいさぁあん、聞いてるぅ? 答えろよぉ、ねええええ」
漂う瘴気はアスモデウス特有の超猛毒入りで、周囲の兄弟は臭いだけでも激しく咳き込んだ。
まずい。
どうやら開いてしまったようだ。
ラムの心の底に眠る闇の蓋が。
「俺、あれほどキャバクラには行くなって言ったよねぇ? 知らない女に貢ぐなって言ったよねぇ? 三千九百六十二秒前にも言ったよねぇえ?」
「いい、いつですっ!?」
「兄さんはいつも悪い女に引っかかるんだから………不要な芽は俺が摘まなきゃ…………一本残らず…………ねぇそうでしょぉ? 馬鹿な兄さんは俺が正してあげないと駄目なんだからぁ。それが兄さんのためなんだからぁ。ねえ分かってるぅ? あれれ〜兄さん何で逃げるのぉ? 逃がさないよぉ? 筋弛緩剤まぜまぜしちゃおっかぁ………」
「お、おおおお落ち着いて、ラム」
物怖じする小鹿のようにびくびくして後ずさるベリーに、ラムは食いかかる獣の勢いで顔を近づけ、壁まで追い詰めた。
「ていうか兄さん、今日依頼で神社に行ってたんじゃなかったっけ?」
「えっとー、そのぅー……………あっ! ミキちゃんっていうのは神社の巫女さんの名前でしてね!」
ブスッ!! と壁に注射器が突き刺さって、稲妻が走るように亀裂が入った。
「へぇぇええ、神聖な場所でシャンパン飲んで巫女さんのおっぱい揉んだのぉ?」
ベリーのこめかみを掠るギリギリの距離で、特製の猛毒を仕込んだ毒針はじゅわぁ、と煙を吹かせて壁を溶かした。
「楽しかったぁ? ねぇ楽しかったのぉぉ? うんって言ったらその舌ぶっ刺すよ? あはははははははっ!! 兄さん怯えてる可愛いなぁ!! ゾクゾクしちゃうからやめてよその顔」
悪魔は狂おしげに嗤いながら、注射器の針を壁にグリグリといじくり回す。
兄弟の間ではこれを壁ドンならぬ針ドンと呼んでいる。無論、された側はトキメキならぬトラウマ級の恐怖でいっぱいだ。今のベリーの血の気の引いた青白い顔のように。
「ねえ、正直に言って? あと三秒でラムせんせー特製の毒薬拷問タイムが始まっちゃうよぉ? 何色の吐瀉物出るかなぁ!? ひひひっ! はいいーちにーさ」
「すみませんすみません!! 依頼があまりにも早く終わったのと神職さんからいただいた報酬が想像以上に多かったので真っ昼間からキャバクラ行きました!!」
「何人にいくら貢いだ?」
「ミキちゃん一人だけですぅ! の、飲み代で三万………あ、あと………おっぱいビンゴ代に二万………えへへっ」
「ああそう。へーそうなんだぁ。ふぅぅ~ん。詳しく聞きたいし兄さんにはお説教が必要みたいだから、ちょっと俺の部屋に行こっかぁ」
「いやあああああああっ! お説教なんて可愛いこと言いながら毒の悪臭塗れの部屋に監禁してイスに縛り付けて針ドンしまくって女の子の連絡先も削除していくんでしょーっ!!」
「分かってるじゃぁん。さ、行くよ」
「嫌ですううううううう!! 誰かあああああああっ! 誰かお兄ちゃんに救いの手をおおおおおおおっ! 女神様あああああああああっ! ミキちゃんっ! カナちゃんっ! ヨーコちゃんっ! キャロラインっ! ナイチンゲールっ! たすけてえええぇぇぇぇっ!!」
首根っこをつかまれずるずる引きずられるベリーにもはや長男としての威厳はなかった。
マシンガンの如く女の子の名前を連発させて、罪状を増やしているという自覚はないのだろうか。どこぞのキャロラインは知らないが、天使と称されたナイチンゲール様も、この醜態を前にしては儚い吐息を漏らされることだろう。
ベリーの家庭内での教育的指導は徹底しているが、物理的にも精神的にも、所詮ラムには勝てない。エースがいない今、我が家の最強の座に居座るのは天才肌の次男に決まっている。
弟たちは哀れみの目で見送るしかなかった。
「……………ユウキ兄ちゃんとラム兄ちゃんって、似てるよな…………」
「え~? どこが?」
「……………愛が重い」




