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077.消失

 ◇◇◇◇◇


 黒仮面の剣士は、失った娘達と変わらぬ年の者の前に立っていた。

 眼下に伏しているのは、娘達の死を冒涜(ぼうとく)した女性冒険者。

 特殊な戦闘技能を持ち、実力も申し分なかったが、人間の心を知らなかった。


 人間が決してやってはならない事の一つに、死者への冒涜がある。


 この者は、その愚行を犯した。

 人の死とは縁遠い世界で生きてきたのだろうが、これでは、ならず者と代わりない。

 どちらも、故人を(いた)む心を知らないのだから。


 ゆえに、この報いは必然。このような者が生きている方が罪悪である。


 シリィは、すでに意識を失っている眼下の冒険者に容赦なく剣を振り──


【ドゴォッ!】 


 降ろそうした時、頭上に影が差した。


 油断なく周囲に気を配っていたシリィは、余裕をもって落ちて来た巨魁(きょかい)を避ける。


 そこに現れたのは、百二足(ヒャクニ)と呼ばれるムカデの魔物。

 その身に毒を持ち、ジワリジワリと獲物を(むしば)んで弱らせていく害虫。

 だが、その魔物は、無数の裂傷と打撃痕が与えられていた。

 瀕死の状態で落下して来た百二足。


【バギッ!】


 その上に、新たな一撃が加えられた。

 急降下して来た人影による飛び蹴りで、その身は真っ二つに分断される。

 そこに現れたのは、人間に似て非なる者。黒い爪を持つ人型の獣。


「こんな所に、犬畜生が入り込んでいるとは驚きだ」(コーホーコーホー)


 シリィは、百二足の上に飛び降りて来た黒爪の人狼種を前に(つぶや)く。

 それは、前日にコウヤが、黒爪狼(ブラッククロー)と名付けた新種の人狼種。

 そして昨晩、この近くで子猫達(ネコレンジャー)が見失った個体でもあった。


 黒爪狼は、百二足の(かたわ)らで、虫の息となっているハツカと、シリィの姿を捉える。

 と、次の瞬間、武器を持つシリィの方を脅威と判断したらしく、新たな標的と定めた。

 対してシリィも、避けては通れない戦いであると認め、剣を向ける。


 人間と魔物が出会ってしまった以上、起こるべくして起こった新たな戦い。


 その結果、いずれは土に(かえ)るであろう無力な存在として、ハツカは放置された。


 ◇◇◇◇◇


「私は、なぜ生きているのでしょう……」


 まず最初に、朦朧(もうろう)とした中、意識を取り戻した事に気づいて驚く。

 次に、意識がしっかりとしてきて、隣に魔物の亡骸があった事に驚く。

 そして現在、自身に異常が無いか、と不安になりながら身体を触っていた。


「やはり、宝具が出ませんね……」


 加えて、意識がなくなる前に使えなくなった菟糸燕麦の確認をして落ち込む。


「生活魔法は……使えますね。少しだけ安心しました」


 ハツカは『着火(イグニッション)』『流水(ストリーム)』『送風(ヴェンタレイト)』の生活魔法三点セットが使える事に安堵する。

 これで少なくとも、火越こしと、ある程度の飲み水は確保出来る。

 また、マジックバック内にも水は確保してあるので、多少の余裕はある。


「二日もあれば、ルネ達が戻って来るでしょう。少しくらいなら大丈夫ですね」


 ハツカは、足下の剣を拾い、杖代わりとしながら夜営地とした洞穴へと向かう。

 洞穴の入り口には、一枚の(まく)が張られている。

 また、その周囲は、木の枝葉による偽装が(ほどこ)されていた。


 それはコウヤ達が、少しでも魔物達の目を()らせれば、と(ほどこ)していったもの。

 いまは、それをありがたく思いながら、ハツカは足を引きづりながら中へと入る。


 土まみれとなった身体を壁にあずけ、昨晩使っていた焚き火(あと)で火を起こす。

 外に流れていく煙は、入り口を隠蔽している枝葉によって拡散され、消えていく。


 土埃(つちぼこり)と汗にまみれた身体を不快感を感じながら湯を沸かす。

 しばらく時を待ち、温められた湯を取り分けて水桶に移す。

 水桶に水を加えながら、手で掻き回して温度を調整をする。

 熱すぎない温度まで冷ますと、タオルを浸し、軽く絞って身体を(ぬぐ)う。


 温かな湯の香りが精神を癒し、清拭によって取り除かれた余剰温が清涼感をもたらす。

 疲弊しきっていた身体は、ささやかな幸福と共に、一握りの活力を取り戻していく。


 サッパリとした気分で、一息ついたハツカ。

 しかしながら、ここは魔物が闊歩する危険地帯である。


 衣類は着替えたものの、否応(いやおう)にも、再び汚れた防具を身に着けなければならない。

 憂鬱(ゆううつ)ではあったが、宝具が使えない以上、いままで以上に頼らなければならなかった。


 ハツカは、今回の依頼を受けるに際して軽量な胸当てなどの防具を新調していた。

 しかし、その効果の実感は無い。


 いや、あの黒仮面の攻撃を受けて生き残れた以上、その効果は確実に有ったのだろう。


 ともあれ、いま身に着けている防具では、どうにも心細かった。

 周囲の魔物の強さに対して、あまりにも貧弱なのだ。


 基本的に、菟糸の拘束力と燕麦の防御障壁があれば、並みの魔物には後れを取らない。

 その鉄壁の防御能力があったからこそ、防具は身軽さに重点を置いた物にしてあった。


 実際、この防具は純粋な防御面の強化、と言うよりも対外的な意味が大きかった。

 人間は、目に見える防具に向かって、わざわざ攻撃を仕掛けてこない。

 必ず、効果的な攻撃を加える為に、防具が無い部位を狙ってくる。

 つまりこの防具は、対人戦において、相手の攻撃を制限させる誘導装置。

 相手の攻撃の選択肢を減らしてしまば、菟糸の自動防御の精度が向上する。


 今回の依頼を受けた際に予想された、アニィを狙う襲撃者の存在。

 その脅威に対する備えとして、今回ハツカが導入したのが、この仕掛けであった。

 コレは、いわゆる『対人メタ装備』なのである。


 ゆえに、現状のように宝具が使えない状況は想定されていない。

 魔物の攻撃を(しの)ぐだけの性能など皆無なのであった。


【パチッ】


「──!」


 焚き火の中から弾けた火の粉が、音を立てて響く。

 その不意うちに、ハツカは思わず身構えた。

 胸の前で組んだ手から、自身の高ぶった鼓動が伝わってくる。


 パチッ、パチッ、と再び焚き火の中から火の粉が弾ける。

 その音の正体に気づいた時、ハツカは自身を笑ってしまった。


 宝具が使えなくなり、周囲の様子を察する事が出来なくなったハツカ。

 いままで当たり前のように得ていた情報。

 それを失った事で、ハツカは必要以上に怯えてしまっていた。


「私は、こんなにも臆病だったのですね……」


 たかが焚き火の音。

 そんな些細な事にも反応して、身を固めて動けなくなる。


 この世界に転移してくる以前の状態に戻っただけ。

 いや、まだ、こちらに来てから覚えた生活魔法が使える分マシ。


 そう思うようにしよう、としたのだが、逆に性質(たち)が悪かった。


 余計に失ったものの大きさを実感してしまい、気づけば身を震わせていた。

 込み上げてくる喪失感が、否応なしに不安を増幅させ、精神を(むしば)む。

 その沈んだ気持ちを紛らわそうと、外の空気を吸いに出ようとするも、足がすくむ。


 それはそうだろう。

 外は、宝具が使えた時ですら苦戦を(まぬが)れなかった魔物が闊歩(かっぽ)する世界。

 そんな所に、いまのハツカが軽々しく足を踏み出せるはずがなかった。


 時間が経つにつれ、身動きが取れなくなっていく。


 いままで出来ていた事が、急に出来なくなり、何をどうしたら良いのか分からない。

 平気で出来ていた事が、なぜ出来ていたのかが分からない。

 当たり前だった事が、なぜ当たり前だったのかが分からない。


 ネガティブな思考がループする。


 そもそも、なぜ自分は、この場に残ったのだろう。


 始まりは、ルネ達に王都に向かって出発する事を告げられた時。

 あの時、一緒に行動していれば、こんな事にはならなかった。


 だがあの時は、とてもではないが、長距離の移動に付いて行くだけの体力がなかった。

 ゆえに、同行を断り、待つ事を選んだ。


 ……いや、それは少し違う。


 あの時の選択には、根拠の無い自信があった。

 自分一人なら、この場に残っても身を守って生き残れる、と言う自信が。

 そして何より、自分なら行方不明のシロウを先に探し出せる、と言う自惚(うぬぼ)れがあった。


 そんな自尊心を満たすような考えがあっての行動だった。

 そして、その自信の根底には、菟糸燕麦と言う宝具の存在があった。

 ──が、その結果が、現在の(てい)たらくにである。


「私は、何をやっているのでしょうね……」


 菟糸が砕かれた時は、宝具の再展開が可能だった。

 だから、意識を取り戻した後も、まだなんとかなる、と心のどこかで思っていた。

 しかし、現実は無常である、

 いまだに宝具は復調の(きざ)しを見せない。


「あの時との違いは、なんなのでしょう」


 出てくる言葉は、どれも悲観的なものばかりとなっていく。

 そうして、グルグルと空回りする思考に疲れ果て、いつしか再び意識を失っていった。

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