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076.その者の名は

 ◇◇◇◇◇


 ハツカは、フェイロイ王国の王都へと向かったルネ達を見送り、一人たたずむ。

 そこは、昨晩に夜営地として使った洞穴の前。

 その手元には、菟糸(とし)で受け止め、手繰たぐり寄せた一つの矢弾が握られていた。


「最初に言っておきます。私を相手に身を潜ませる事など無意味です」


 ハツカは、虹の道(レインボーロード)を使って駆けて行った子猫列車(ネコライナー)を狙撃した者に向けて警告する。


「アナタも周りに張られた障壁には気づいていたはず。あの程度では傷一つ付きません」


 谷間の反響を利用して襲撃者の耳に言葉を届ける。

 しかし、その声に(こた)える者は無く、ただ吹き抜ける風のみが反響する。


「それでも攻撃したのは、攻撃を気づかせて引き返させる為ですね、ザムザ」


 そこでハツカは、姿を現そうとしない襲撃者を断定してみせた。

 それは、ハツカの宝具である菟糸が持つ、ニオイの探知能力から割り出した特定。


 とは言え、ハツカ自身は、周囲に(ただよ)うニオイを逐一(ちくいち)認識している訳では無い。


 これは、あくまで宝鎖の能力であり、その記録からの照合で可能としている識別方法。

 ハツカが戦闘時に周囲の状況を把握しているのは、この仕組みの簡易版にあたる。


「……」(コーホーコーホー)


 岩場の影から黒い仮面を被った剣士が姿を現す。

 それは、国境を越えた夜に襲撃をしてきた集団の頭目(リーダー)


 その身は、以前には無かった、黒い仮面とクロスボウで武装を固めていた。

 そして、破損した仮面の一部を通して、独特の不気味な風切り音を立てていた。


 その姿を見てハツカは戸惑う。


 目の前の黒仮面の剣士は、ザムザと呼ばれていた襲撃者の頭目に間違いないはず。

 だが、被っている仮面は、あの時にハツカに襲い掛かって来た別の男(エディ)の物だった。

 それは、黒仮面に残る欠損部が、ハツカの反撃痕だった事から気づいた事実。


(しかし、菟糸から返って来る識別では、あの時の(エディ)では無いですね……)


 ゆえに、その黒仮面を被った剣士を菟糸が誤認したのか、と戸惑った。

 菟糸の反応は、目の前の黒仮面は、やはりザムザだと示している。


 自身の記憶と宝鎖の能力による齟齬(そご)に戸惑いながら、ハツカは会話を続ける。


「ここは一般道から掛け離れています。アナタも道を踏み外して落ちて来た口ですか?」


 ハツカは、周囲に他の襲撃者の気配が無い事を確認しつつ、黒仮面に探りを入れる。


 黒仮面の正体が何であれ、こちらの動揺を見せる訳にはいかない。

 目の前の者は、声を掛けなければ姿を隠したまま潜んでいた相手。

 少なからず、敵対行動を取っているのだ。


 ハツカは、何食わぬ顔で会話を続ける。

 ゆえに、そこで出た言葉は、自分達の現状を踏まえての、何気ない問い掛けだった。


 しかし、そのハツカの不用意な言葉が、黒仮面の琴線(きんせん)に触れた。


子猫(ケットシー)以外は見逃すつもりだったが、その言葉は看過できん」


 怒気を(はら)んだ黒仮面の言葉。

 その急変に、ハツカは反射的に身構えた。


 ハツカにとっては、ただ黒仮面の現状を(たず)ねただけの言葉だった。

 しかし、黒仮面にとっては違う。


 亡くなった大切な仲間()達を前に誓った子猫(ケットシー)への復讐(逆恨み)

 その目的と行動を、人間の道を踏み外した堕ちた行為、とハツカは言っている。

 そう受け取った黒仮面は、死者を想い、(とむら)誓い(怨念)を侮辱した、と曲解した。


 黒仮面にとってハツカは、死者との絆を冒涜(ぼうとく)する無礼者として映っていた。


「オレの名はシリィ。子猫(ケットシー)とオマエを殺す者の名だ」


 黒仮面は自らの名を名乗ると、クロスボウの引き金を引いた。

 ──が、その攻撃はハツカの菟糸によって当然のように防がれる。


「シリィ? ザムザではないのですか?」


 しかし、それはあくまで菟糸の自動防御による迎撃。

 ハツカの意識は、むしろ名乗られた知らない名前の方に向いていた。


 自身の記憶と菟糸の記録、そして知らない新たな名前。

 このたび重なる齟齬(そご)が、ハツカの集中力を()いでいた。


 それは、菟糸の自動防御に対する絶対の自信からくる油断。


【キン、キンッ、キィーンッ】


 ゆえに、継続される迎撃音によって我に返った時、シリィは目の前にまで迫っていた。


「こ、これはシロウと同じ攻め!」


 シリィは、ハツカに向けて投擲攻撃(スローイングナイフ)を仕掛けつつ間合いを詰める。


「迎撃が2に待機が2、間合いが約10メートル……か」(コーホーコーホー)


 その視線は、菟糸に与えていた攻防の役割を浮き彫りにしていた。


 ハツカは慌てて、シリィとの間合いを取り直す。

 剣を構え、菟糸で中距離(ミドルレンジ)での攻防に持っていく。


 対してシリィは、攻勢に出て来た二本の菟糸を剣で大きく弾いていく。

 一度弾かれた菟糸は、再度シリィに迫るまで、わずかながら時間を要する。

 その時間差を使ってシリィは、更に踏み込む。


 間合いが広い武器を相手にする時は、バカ正直に正面から受けてはならない、

 横に受け流してしまえば、そこは相手の攻撃の死角となる安全地帯へと変わる。

 

 シリィは、菟糸の自動防御を投擲攻撃で陽動して散らし、攻撃役を大きく弾く。


 これにより、シリィとハツカとの間の障害が取り払われ、大きく道が開かれた。

 ハツカは、意識を一瞬()らしていた事により、(またた)く間に劣勢に追い込まれる。

 

 シリィを(おお)禍々(まがまが)しい闘気が剣を(つた)い、その形状と共に間合いと威力を増大させる。

 その形状を長物へと変貌させていくシリィの剣。

 それを見たハツカは、シロウから聞いたザムザの戦技を思い出していた。


「どうやらあれが、剣虎(スミロドン)戦でザムザが見せたと言う『首刈りの大鎌(ヴォーパルサイス)』ですね」


 ハツカは、ここでようやく、菟糸の識別に間違いがなかった事を確認する。

 そうと分かれば、最早(もはや)、惑わされる事はない。


 冷静さを取り戻したハツカは、(おの)ずと、その対応策を思い出す。


燕麦(えんばく)


 それは、対シロウ戦後に用意した最固の盾。

 ハツカは、マフラーに偽装させている燕麦を正面に展開して防御障壁を張る。

 岩鼠(ロックチャック)の大群の突撃をも(しの)いだハツカの防御障壁。


 いまとなっては、ハツカにとって正面からの攻撃は脅威ではない。

 目の前の者の正体とシロウと同じ攻め手。

 偶然の積み重ねによってハツカは動揺した。

 しかし、このような状況での対処は、すでに構築済みである。


 ハツカは黒仮面の攻撃を受け止め、直後に反撃する、と言う得意の戦法に持ち込む。


 しかし──


「違う! 大鎌ではない?」


 防御障壁越しに黒仮面の挙動を(うかが)っていたハツカが異変に気づく。

 黒仮面が振るっている武器は、剣から巨大な(ハンマー)へと変貌していた。

 

背通しの巨槌(ヴォーパルハンマー)


【ドゴォーンッ!】


 黒仮面の攻撃を受け止めたハツカが、大きく後方に吹き飛ばされる。

背通しの巨槌(ヴォーパルハンマー)』の衝撃が、ハツカの防御障壁を貫通してきた。


「な、なんですか、いまの攻撃は……」


 いままでに無い攻撃を受けたハツカは、岩壁に背中を打ちつけて崩れ落ちる。

 ここに(いた)り、ハツカは再び混乱した。


 目の前にいる黒仮面は、ザムザで間違いない……はず。

 それは、ハツカの能力である菟糸の探知能力から伝わって来ている情報からの判断。

 しかしながら、目の前の者は、知らない名前を告げ、未知の技を放つ。


 ハツカは、前日からの疲労と岩壁に打ちつけられたダメージで、足が、おぼつかない。

 踏ん張りがきかない足を無理やり動かして立ち上がる。

 しかし、後ろの岩壁に、もたれていないと立っていられない。

 虚勢を張ろうにも、誤魔化しようがなく、こちらの状況は筒抜けとなっていた。


「あれで破壊できないとは、頑丈だな」(コーホーコーホー)


 だが、黒仮面が油断する事はなかった。

 それは、直前に犯した判断の過ちによって失った娘達から得た教訓。

 一瞬の油断が、次に瞬間に牙を向いて来る事を改めて知った黒仮面にスキは無い。


 逆に、それを、いまもって身に染みて知ったハツカは、まさに後悔していた。

 自身の能力を過信していた。

 そして同時に、戦いの最中に自身を信じられなくなり、終始フラフラした。

 情報に頼りすぎて、目の前の事象を(おろそ)かにした。

 敵を知る前に、自身を知る事を疎かにした結果が、これである。


 身体はもちろんの事、精神(こころ)が揺れ、菟糸燕麦の展開が困難になる。

 菟糸は単一での発現しか出来なくなり、燕麦は強度を失う。

 ハツカ自身も、手に残されている剣を杖代わりにして、かろうじて身体を支えていた。


 黒仮面は、手にした獲物を再び剣の形状に戻し、ゆっくりとした歩みでハツカに迫る。


 ハツカは、菟糸で牽制するも、黒仮面は、それを軽がると弾き飛ばす。

 そして目の前にまで迫ると、燕麦もろともハツカに斬りかかった。


「が、あぁぁぁ……」


 その瞬間、ハツカが胸を押さえて倒れ込む。

 黒仮面の剣が、堅固さを誇っていた燕麦の防御障壁を、いとも容易(たやす)く打ち砕いた。


 ハツカは気が動転して忘れていた。

 宝具の破壊によって、自身に反映されるダメージの事を……


 この瞬間、ハツカは顔面蒼白となり、菟糸燕麦の維持が出来なくなる。


 杖にしていた剣も取り落とし、地に伏せ、起き上がれなくなる。


(ああ、これはもう、無理ですね……)


 ハツカの精神(こころ)が砕かれる。


 気づけばハツカの目の前に、黒仮面の足があった。

 顔を上げる事も出来なくなったハツカは、最後の時が来た事を(さと)る。


「あの()らの死を侮辱した(むく)いだ」(コーホーコーホー)


 ハツカは、黒仮面が何を言っているのか分からない。

 ただ、この者を心底怒らせた事だけは理解した。

 そしてハツカは、痛みを感じる事なく、その意識を静かに沈めた。

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