024.卵焼きのセット
「騒がしいな」
ボソリと聞こえた一言と同時に、地面に無数の火の手が上がる。
突如出現した炎に驚いた群衆が左右に割れた。
顔を覗かせて見た地面の上では、捨てられたパンが炎上している。
そして、割れた人垣の間を縫ってローブ姿の青年が歩み寄って来た。
「すまないが、パンを売ってもらえないか」
少々不機嫌そうに見える青年は、シロウの前まで来るとパンの購入を希望した。
「おいテメェ、いきなり割り込んで来てんじゃねぇぞ!」
肥満児の護衛の一人が、我に返って青年の前に立ちはだかる。
肥満児を無視して蔑ろにされたと言う事は、護衛が仕事をしなかったのと同義。
だが男は、職務をまっとうすると言うよりもメンツを保つ為に青年に掴み掛かった。
青年は男が伸ばして来た手を長杖を使って反らす。
男にとっては、青年が抵抗する事そのものが気に入らない。
手を払われた事で頭に血が上った男は、腰の剣に手を伸ばして抜刀した。
それは男が普段から、格下の者を相手に行ってきた威嚇行為。
ゆえに男は、アイアンランクのプレートを身に着けた青年を侮っていた。
その時、シロウも同じ光景を目にしていた。
しかしその視線は、別の物を注視している。
それは、重なるようになっていた影から、一瞬姿を覗かせた紅いプレート。
ゆえにシロウは、青年の行動に警戒を強めて観察する。
「おれに刃物を向けるな」
青年は警告と同時に男の剣を炎上させて溶解する。
男は慌てて液体化した剣を手放した事で難を逃れるも、完全に戦意を失った。
また、その場に居た者達も、青年に文句を言う事すら出来ずに、二の足を踏む。
青年は周囲を制して有無を言わせない状況を作り出すと、シロウの返答を待った。
「すまないが、卵焼きもパンも単品では売ってないんだよ」
「ああ、看板にそう書いてあるな。じゃあ『卵焼きのセット』をもらおう」
シロウは青年の返答を聞いて、コイツは……と思う。
どうやら青年は、この商品の仕組みに気づいている様子だ。
周囲の郡衆が疑念を持ったように、卵焼きの大半はシロウ達が作っていた。
そうなると『孤児院の子供達が作った卵焼きのセット』と言う商品名が怪しくなる。
しかしそこには、ウソとならない仕組みが仕込まれていた。
その仕組みとは、パン皿の方は全て子供達によって焼かれていると言う点。
そして子供達の手によって、卵焼きとパンが一つのセットにされていると言う点。
つまり、『孤児院の子供達が作った卵焼きのセット』と言う商品名。
それは、『孤児院の【子供達が作った卵焼き】のセット』ではないのだ。
正しくは『孤児院の子供達が作った【卵焼きのセット】』なのである。
商品名に偽りは無い。
最終的には『孤児院の【子供達が作った卵焼き】のセット』にする予定ではある。
ただ現状では、ちょっとだけ子供達の練習時間と習熟度が足りなかった。
だから、その事実は秘匿し、突っ込まれた時の用心として、こう命名されていた。
決して詐欺ではないのだ。
シロウはテーブルに残されていた一セットを販売して、青年の様子を覗う。
青年はパンを受け取ると、端をちぎって口へと運び、満足そうに応えた。
「ああ、良いな。どこも凝り過ぎた物ばかりで困っていた」
「そう言ってもらえると、作った子供達も喜ぶ」
青年は周囲を牽制していた雰囲気を解いてシロウに礼を言う。
対してシロウも青年に感謝の言葉を述べた。
それは背後にいる子供達の気持ちを伝えたもの。
そして捨てられた子供達のパンが焼かれた事に、ご立腹なハツカをなだめる為の言葉。
青年はシロウの気苦労を察したのか、卵焼きを一口食べながら満足そうに立ち去った。
その様子に、周囲で膨れ上がっていた狂気が沈静化していく。
郡衆は自分達の欲望が、小さな子供達を怯えさせた事に気づき、恥じ始めた。
「ちょっと待つでしゅ! なんでアイツだけ買って行ってるでしゅかっ!」
そして、未だに見苦しい姿を晒している肥満児の姿に自分達を重ねて、反省を重ねた。
「子供達が作れる量には限りがあります。本日の販売予定分は終了しました」
「納得いかんでしゅーっ!」
エレナが肥満児に告げるも、彼はいつまで経っても駄々をこねる。
だが、もう彼に味方をする者はいなかった。
やがて、騒ぎを聞きつけた武術祭の巡回員に捕縛されて、どこかへと連れて行かれた。
「ふぅ、予定よりかなり早いけど、これで今日は店仕舞いだな」
「そうですね、あんな事もありましたから、子供達を休ませてあげたいです」
シロウが強引に初日の販売を切り上げた事に、エレナは異を唱える事は無かった。
「すみません、少々よろしいでしょうか?」
騒ぎが落ち着いた事で、のんびりと片づけをしていた所で声を掛けられる。
それは身なりの良い年配の男性からのものであった。
「こちらの品の噂を聞いて参りました。どうか一つお売りいただけないでしょうか?」
話を聞いた感じだと、男性が仕えている主人が噂を聞いて興味を持ったらしい。
先程の肥満児のような態度ではないので、心情的には売っても良いように思える。
それは隣にいたエレナも同様だったようだ。
しかし、いまここでそれをしてしまうと周囲が反応しそうで怖かった。
「すまないが、今日は店仕舞いなんだ。取り置きをしておくから明日ではダメかな?」
「分かりました。それでは明日に改めてお伺いしたいと思います」
男性は自らをセドリックと名乗って、シロウ達に一礼をする。
そして後ろに控えていた二人の人物の下へと戻って行った。
その人物とは、一人はルネ達とあまり変わらない年齢のポッチャリ体型の少女。
もう一人は、その護衛らしい男性であった。
少女は婦人帽から垂らした薄いベールで、日焼けや塵から顔を保護していた。
その為、顔は見えなかったが、かなり裕福な人物のようだ。
そうでなければ、あのように、ふくよかには育たないだろう。
シロウは、全体的にポッチャリしているお嬢様のゴージャスな胸部装甲に目がいった。
「シロウ、どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」
ハツカが、またトラブルかと、シロウの様子を覗きに来る。
シロウは、そんなハツカのフラットな胸部装甲に、なんの気なしに視線が向いた。
「シロウ、一言いいですか?」
「なんだ?」
「女性は自分に向けられた視線が、どこに向けられているかが分かります」
シロウが、しまった、と思った瞬間にハツカの一撃が加わった。
「……いやらしい」
「いや、そう言うつもりで視線が行った訳じゃないんだ」
しかし、それも言い訳にはなっていなかった。
なぜなら、暗にハツカの胸部装甲の薄さに対する認識を認めてしまっていたからだ。
ハツカは無言で更に一撃を加えると、シロウの前から立ち去った。
「シロウさん、大丈夫ですか!」
ハツカと入れ替わるようにエレナが、何事かとシロウに駆け寄った。
倒れ込んだシロウの視界に、エレナに実った二つの大きな果実が飛び込む。
それを見てシロウは、以前に友人が語ったサルの話を思い出した。
サルのメスが発情期に入ると、お尻の性皮と呼ばれる部分が肥大化ないし発赤する。
これはメスがオスに対して生殖準備が整った事を示す合図。
合図がお尻に出るのは四速歩行をするサルの視線が、その高さと一致するから。
対して二足歩行をする人間の場合は、視線がお尻に向きにくい。
真っ先に向かうのは、相手の顔となる。
そう、実は人間の女性の場合は、顔に赤みが現れている。
しかし、これは人間の視覚では判別が不可能な微細な変化。
ある意味、生物として退化した能力の一つと言える。
そうなると、次に男性の視線が向くの女性の胸部。
男性は胸がふくらんだ女性を、妊娠や育児能力がある存在として本能的に認識する。
男性の視線が、自然と女性の胸部に向いてしまう事。
それは、人間の身体的構造と繁殖能力と言う二つの観点から仕方が無い事象であった。
付け加えるなら、女性の乳房の九割が脂肪で、残り一割が乳腺で出来ている。
赤ちゃんに母乳を与えると言う目的だけなら、大きな胸は必要ない。
男性が女性の胸を好むのは、本能的に、そこに安心感を求めるからだ。
言い換えれば、自分の遺伝子を残してくれる可能性が高い女性に惹かれている。
ゆえに紳士な友人は、『胸の大きさに貴賎は無い!』と声高に熱弁していた。
シロウは、そんなバカ話を思い出しながら、クリーンヒットした一撃に悶えていた。
それは、なんとかしてハツカをフォローしようとしたシロウの努力が見せた走馬灯。
でも、こんな話をしても、また怒られるだけだよな。
そんな事を思いながら、シロウはエレナに大丈夫だ、と答えて孤児院へと撤収した。




