第1話 毒殺作戦(前編)
【悲報】勇者が殺せない件
1:魔王 ◆VaLgRaVe
突然すまない。我は異世界で魔王をしている者だ。
勇者が、殺せない。知恵を借りたい。
2:名無しさん
なりきり乙
――これは、胃の弱い魔王が、異界の掲示板に助けを求めた日から始まる物語である。
◆ ◆ ◆
魔王城の最上階、執務室。
黒曜石の机の上には、天井に届きそうなほどの書類が積まれていた。
「南部の灌漑工事、予算超過……。東の港町、関税の見直し要望……。北の鉱山、落盤事故の補償……」
角を生やした巨躯の男が、羽ペンを走らせながら呻くように読み上げる。
漆黒のマント。紅く光る双眸。見る者すべてを震え上がらせる威容。
世界の八割を支配する魔王、ヴァルグレイヴ。
彼は今、胃を押さえていた。
「……リリエラ。胃薬はまだあったか」
「本日三包目です、陛下。飲みすぎです」
傍らに控える銀髪の秘書官が、表情ひとつ変えずに薬包を差し出す。ヴァルグレイヴはそれを水で流し込み、深く息を吐いた。
この世界で魔王が支配を始めて、およそ三百年。
魔族が要職に就いてはいるが、人間もエルフも獣人も、以前と変わらぬ暮らしを続けている。税は軽く、街道は整い、飢饉の年には備蓄の麦が配られる。
恐怖による支配ではない。魔王が自ら書類と格闘し、帳簿を睨み、陳情を一件ずつ処理して築いた、地道な安定だった。
なぜそこまでするのか。理由は単純だ。
死にたくないからである。
その時、ヴァルグレイヴの目の前に、半透明の板が音もなく浮かび上がった。
――――――――――
【通知】人間領・聖王国アルシェにて、勇者召喚の儀を確認しました。
【予言】魔王は、勇者によって討たれる。
――――――――――
「……来たか」
ヴァルグレイヴは、羽ペンをそっと置いた。
この板は「システム」と呼ばれている。三百年前、彼を魔王に任じ、そして同時に「いずれ勇者に討たれる」と告げた、顔のない上司だ。
以来、数年に一度、世界に残された最後の人間国家――聖王国アルシェが、異世界から勇者を呼び出す。そのたびにシステムは律儀に通知を寄越し、同じ予言を繰り返す。
冗談ではなかった。
討たれてたまるか。そう決意した若き日の魔王は、勇者に攻め込まれる隙を作らぬよう世界を征服し、民が勇者を歓迎する理由をなくすため善政を敷いた。
結果、世界の八割が魔王領となり、聖王国は大陸の端に残る小国となった。
そして召喚された勇者は、これまでに十一人。
全員、魔王城にたどり着くことなく処理されている。
「リリエラ、今回の勇者の情報を」
「はっ。聖王国に潜伏している間者からの報告です」
秘書官が羊皮紙を広げる。
「名は『シライシ』。異世界の出身で、召喚直後から全身鎧と兜を身につけ、人前で兜を外すことはないとのこと。体格は小柄、口数は少なく、声は兜にこもってよく聞き取れないそうです」
「小柄か。歴代と比べて?」
「かなり。ただ、歴代の勇者は全員男性でしたので、今回もそのように記載されています」
「ふむ。若い男か。……スキルは?」
「不明です。聖王国の神官にも、鑑定が通らなかったと」
ヴァルグレイヴは眉間を揉んだ。鑑定を弾くとなれば、相応の加護持ちと見るべきだろう。
だが、恐れることはない。どんな加護があろうと、人間である以上、食べて寝なければ生きていけない。
「定石でいく。毒だ」
聖王国から魔王領へ向かう街道は、一本しかない。その最初の宿場町にある宿屋『金麦亭』の料理人は、魔王軍の間者である。
使う毒は『黒百合の雫』。一滴で竜すら三日は寝込む、魔王軍秘蔵の品だ。
歴代勇者のうち四人は、これで旅を終えている。
「承知しました。手配いたします」
リリエラが一礼して下がる。ヴァルグレイヴは再び羽ペンを取り、灌漑工事の書類に向き直った。
今回も、いつも通り終わる。
そう思っていた。
◆ ◆ ◆
三日後。
「……完食した、だと?」
「はい。勇者は毒入りのシチューを残さず食べ、そのまま二階の客室で就寝。翌朝、普通に朝食をとって出発したとのことです」
執務室に、重い沈黙が落ちた。
「量を間違えたのではないか」
「料理人は規定の三倍を入れたと申しております」
「三倍」
竜が九日寝込む量である。
「勇者に異変は」
「まったく。むしろ顔色……いえ、兜で顔は見えませんが、足取りは軽かったそうです」
ヴァルグレイヴは書類を脇に寄せ、両肘を机についた。
「他に何か報告は。どんな些細なことでもいい」
「些細なこと、でしたら」
リリエラが羊皮紙をめくる。
「勇者は食事の前に、皿とスプーンを持参の布で丁寧に拭いていたそうです」
「……礼儀正しいな」
「それから宿の主人によれば、勇者の泊まった部屋が、来た時よりも綺麗になっていたと」
「どうでもいい」
「最後に、料理人から。厨房の鍋が新品のように光っていて気味が悪い、と」
「どうでもいい!」
魔王の怒声に、窓の外のガーゴイルが一羽、驚いて飛び立った。
ヴァルグレイヴは咳払いをして、声を落とす。
「……毒耐性の加護か。あるいは、毒を無効化する聖遺物を持っているのかもしれん。持参の布というのが怪しい。聖布の類か」
「次の宿場町でも、同じ手を試しますか」
「ああ。毒の種類を変えろ。黒百合が駄目なら、腐竜の胆汁だ」
◆ ◆ ◆
さらに二日後。
「勇者、腐竜の胆汁入りの煮込みを完食。おかわりを要求したそうです」
「おかわり」
「宿の女将が、こんなに綺麗に食べてくれた客は初めてだと感激しておりました」
ヴァルグレイヴは、ゆっくりと机に突っ伏した。
目の前に、また半透明の板が浮かぶ。
――――――――――
【報告】勇者の進行度:3%
【評価】魔王の対応:遅延
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「……評価をつけるな」
こめかみがずきずきと痛む。胃はもっと痛い。
三百年で十一人。一度として、毒が効かなかった勇者はいなかった。
「リリエラ。胃薬を」
「本日四包目です」
「構わん」
魔王は四包目の胃薬を飲み干し、天井を仰いだ。
今回の勇者は、何かが違う。




