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その聖女、ゴリラにつき  作者: 時任雪緒
第1章 幸福な子ども時代
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1-9 6歳

 祖父から剣と弓の稽古をつけてもらえるようになった。母から私の出生の話を聞いて、自分や母を守れるようになりたくて、祖父にお願いしたら教えてくれるようになった。


 今のところは素振りばかり。色んな型を素振りさせられている。はっきり言ってつまらないのだが、基本は大事だと樹里の記憶にもあるので、めげずに頑張っている。

 勿論、筋トレとランニングだって続けている。最近は10kmくらい走れるようになってきた。


 私が体を鍛え始めたので、食事量が倍増し、祖父は狩りに行く日の方が多くなった。森の感覚を身に着けるためと言って、たまに連れて行ってくれるようになった。

 


 祖父は朝から狩りに行き、昼頃に帰ってくる。私はそれまで午前中は備忘録を書いたり、母の手伝いをして過ごす。

 小さなバケツを持って母についていき、水の入ったバケツを下げて帰る。村の傍を流れる川まで行ってお洗濯をして、家の軒先に干す。

 お手伝いできることも、格段に増えた。


 お昼ご飯を食べて待っていると、祖父が帰ってくる。祖父はお昼ご飯を食べた後、少し昼寝をして、私に稽古をつけてくれる。

 最初に筋トレや柔軟体操をして、ランニング。祖父が作ってくれた木剣を握って、色んな型を素振り。時々型が崩れると祖父から指摘が入る。


 稽古が終わったら、濡らした手ぬぐいで体を拭く。お洗濯ものを畳んで夕食の支度。晩御飯を食べた後は、火が勿体ないので就寝。

 私の生活リズムは、おおむねこの調子で定着してきた。



 そんな折にも暇を見つけては友達と遊ぶのだけれど、自由市民や平民は10歳から徒弟制度が始まるので、10歳を超えた子たちとは中々遊べなくなった。

 11歳になったモアは、実家の雑貨屋で、10歳になったゾンはジョバンニおじさんの治療院のお手伝いを始めていた。


 子どもグループもリーダーが世代交代して、私より年下の子たちも増えた。獣人の子が圧倒的に多い。

 獣人は基本多産なので、双子三つ子も珍しくない。モアは幼い頃に片割れを亡くしてしまったそうだけれど。


 この村は田舎だし、公衆衛生が発達してるわけでもないから、子どもはたくさん生まれて、たくさん死んでいく。高齢者はかなり少ない。人間でも平均年齢は60歳も行けば大往生という印象だ。


 子どもが死ぬということは、私達友達や親たちにとっても、とてつもなく悲しいことだ。だけど現実問題として、子どもが増えすぎても育てられない。だから仕方ないのだと受け入れている節がある。


 加えて、この村もそうだが、この国には学校という教育施設がない。身近な大人に教わる以外に、知識を得る機会がない。だから、大人が知らないことは、子どもも知ることなく育ち、大人になる。


 道徳と学問ついでに簡単な公衆衛生を学べる、樹里のいた世界の義務教育というものは、本当に優れたシステムなのだと、ここで暮らしているとつくづく思うのだ。


 だから私は友達に、読み書きや計算、うがいや手洗いなどの簡単な防疫策を教え始めた。


 それに食いつきが良かったのが、意外や意外、友達の親世代の大人たちだった。ゴリンデル家は過去に傭兵団をしていた仕事柄、貴族と交渉することもあったので、読み書き計算は出来た。

 でも、平民や自由市民の一部には、出来ない人もいる。田舎だと求められないので、とくにその割合が多いらしい。


「ジョバンニ先生がこの村に流れ着いて、アタシ達は初めて知ったんだよ。行商人に騙されてたって」

「物の数え方もわからねぇって、足元見られんのは悔しいだろ」


 この村のメインの取引先、モロク商会の隊商はこんなアコギな商売はしないそうなのだが、時々流れ着く行商人は、少しでも稼ぎたいのか、たまに金額を誤魔化す商人もいるようだ。

 確かに、計算できないとカモられる。価値がわからないと吹っ掛けられる。大人たちはジョバンニおじさんがこの村に来て、初めてカモられていたことに気が付き、行商人を叩き出したそうな。


「なるほど、そういうことなら。おばちゃん達も時間があるときに聞いて行って」


 私も毎日青空教室を開けるわけではないし、友達も大人たちもそうなのだが、チラホラと私の生徒さんは増えていった。


「商人さんから聞いたんだけど、村がなくなる規模の病気が流行ることがあるの。聞いたことがある?」

「そういえば、20年以上前に、西にあった村が病気でなくなったって聞いたことがあるねぇ」

「うん。あれは目に見えない小さな魔物の仕業だって言われていて、人から人に感染る。小さな魔物が付いた手で目をこすったり、手づかみで食べたり、人と近くで話しただけでも病気になる。だから、手を洗ったり、鼻や口を布で覆って、小さな魔物が体に入らないように守るの」

「それで病気にかからなくなるの?」

「完璧には防げないけれど、感染する確率はかなり減るよ」

「シヴィルちゃんは物知りだねぇ……」


 目に見えない小さな魔物のくだりは、適当だけども。だって菌やウイルスのことなんか説明できないもの。

 そうして今日は公衆衛生の話をしていたら、珍しいお客様が来た。


「これは面白い所に来たようだ」


 そんなことを言って現れたのは、準男爵様とイザイア様だ。私たちは揃って跪いたが、すぐになおるよう言われた。


「普段からこういう話を?」

「ええっと、はい。元々は友達に読み書きや計算を教えていたのですが、たまたま流行病の話を聞いたものでして」

「ほう。そなたらもシヴィルに習っているのか?」


 水を向けられたおじさんの一人が「へい」と答える。


「うちの子が読み書きできるようになったもんで、そりゃぁ驚きまして。誰に習ったと聞いたらシヴィルに教わったと。子どもが知っていることを親が知らねぇなんて恥ずかしいじゃありやせんか。それで時間があるときに習っているところで」

「ふむ、それは良い心がけだ」


 満足げにうんうん頷いていた準男爵様は、私に振り返るとこう言った。


「私達も同席して構わないか?」

「えっ、おっ」


 イザイア様はともかく、準男爵様が同席するなんて恐れ多い。あと滅茶苦茶緊張する。戸惑いからすぐに返答できなかったが、ノーなど言えるわけがないので、「このような場所で恐縮ですが、光栄でございます」と答えた。


 青空教室の最前列に、準男爵様とイザイア様が陣取っている。どうしてこうなったと途方に暮れたい気持ちを抑えながら、授業を再開した。


「小さい魔物ですが、弱いものから強いものまで、たくさんの種類がいるようです。そして、それは世界中どこにでも、例えばこの地面の土の中にもいます」


 えっ、と声が上がって、幾人かが地面を見る。


「例えば、転んで膝をすりむいてしまいました。その時に傷口に泥がついていた。そこから小さな魔物が入り込んで、腫れたり膿んで、どんどん広がっていってしまいます」

「そういやぁ、隣の家の子は、怪我が元で死んだって聞いたな……」

「そうです、放っておけば死ぬこともあります」

「どうしたらいい?」

「まずは、怪我をしたらすぐに水で綺麗に洗い流すことです。水が沁みて痛いかもしれませんが、そこは我慢して……それから、傷薬を塗って清潔な布を当て、それを毎日交換すれば治ります」

「毎日薬を買うのはちょっとねぇ」

「それはそうですね。でも、この話で一番大事なのは、水で綺麗に洗い流すことなんです。土の中の小さな魔物を、水で洗い流して体の中に入れない。これが一番大事なことで、次に大事なのは、綺麗になった傷口に新たな魔物を入れないように、布で守ること。なんなら布を変えるだけでもいいんです。勿論、薬を使えば格段に治りは良くなります」

「そのくらいなら、ウチでもできるね」

「そうねぇ」


 一番大事なのは、この村の生活様式に沿った防疫策であること。怪我をしましたすぐ病院なんて、この村ではできない。勿論ジョバンニおじさんが治療院をやっているから、そこに行けばいいのだけれど、ちょっとした怪我くらいで治療院に行ってお金を払う人なんかいない。少量の薬を買うのがやっとな人もいる。

 だから、普段の生活プラスアルファで出来ることを伝える。これ以上になると治療になるから治療院の仕事だけど、傷を洗うとか些細な事で死亡率は大幅に低下する。これは樹里の世界で証明されているから、大事なことだ。


 

 授業が終わって、準男爵様とイザイア様に挨拶をした。私の知識の出所を聞かれると思って用意していた答えは日の目を見て、祖父と母とジョバンニおじさんと商人から聞いたと答えておいた。嘘っぱちだ。


「君が説明していた話は事実か?」

「私自身が研究したわけではありませんが……聞いた話を総合すると、事実であると私は考えています。滅んだと言われる村でも、人と関わりたがらなかった方や、村八分になっていた家の人達は、感染することなく生き残ったそうです。怪我が元で亡くなる方も少なくないですから……」

「小さな魔物が、人から人へ、土から人へ侵入する証左であると?」

「はい、そう考えています」


 質問が詰問くらいに思えて、冷や汗を流しながらの回答になったが、準男爵様は少し考えたようにして「そうか、わかった」と納得してくれた。

 それを見届け――タイミングを見計らっていたのか――イザイア様が口を開いた。


「僕もそのようなことは知らなかったよ。とても学びになった」


 8歳になったイザイア様は、幼児からすっかり少年の顔立ちになって、貴族教育の賜物もあるのか、大人びた印象だ。


「お役に立てたなら光栄です」

「僕はまだまだ学ばなければならないようだ。また来ても構わないかい?」

「もちろんです」

「ありがとう」


 笑顔でお礼を言ってくれたイザイア様の顔は、やっぱり少しあどけなくて、つられて私も微笑み返した。







 屋敷に帰った準男爵は、シヴィルから聞いた話を紙に書き起こしてまとめていた。


 あの子の言う小さな魔物は、目に見えないというのだから存在は証明されていない。それに、水で洗うだけでどうにかなるというのも信じがたい。

 しかし仮に存在すると仮定した場合、その魔物の存在は領主として脅威以外の何物でもない。

 それを、水で洗い流し、布で鼻と口を覆うだけで防げるのならば、やって損はない。いや、指をくわえてみているよりは、はるかにマシだ。


 なにしろ、病は誰にでも起きうるが、怪我が元で死亡するのは、奴隷が最も多い。財産である奴隷を死なせるくらいなら、これを周知して備えた方が有益だ。

 それに流行病は、領地の存続に関わる。もしこの村でそういった病が発生した時、蔓延を防ぐためには領主主導で防疫施策を実施しなければならない。その為にこの知識は非常に有用だ。


 準男爵はそう考えて、まとめた紙を従士に預ける。


「この内容を奴隷達に告知し、習慣的に行うよう徹底させろ」

「かしこまりました」



 かくして、結果が出るのは数年後。この村の、特に奴隷の死亡率は、大幅に減少することとなる。



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