3-13 僕から見た彼女について
トーマスの話
自由市民の庶子がいて、そのひとを迎えに行くとお父様に聞いた時、僕は嫌だなと思った。だからシヴィル叔母様が家に来た時も、綺麗なひとだなとは思ったけれど、騎士団に入ると聞いて耳を疑ったし、くれぐれも家に迷惑だけはかけないで欲しいと、警戒していた。
初年から討伐に行くようになって、同僚の騎士が死んだとかで落ち込んでいたけれど、僕はむしろ騎士団内で評価されているなら、なんとか外部に言い訳が立つと安心していた。
「シヴィル叔母様と色々話してみたかったんです」
我ながら、堂々と嘘をつけるものだ。話したいなんて思ったことはなかった。お父様から様子を見ろと言われた時も、正直面倒だとしか思わなかった。だけど殺人を企んでいると知ったら、流石に看過出来ない。夕食を共にという口実で、このひとと話す機会を得た。暗殺計画を一緒に考えるふりをして、僕がダメ出しし続ければ、その間は決行できないと考えたからだ。家から殺人犯など出ては大変だ。
結局僕が考えていたのは家の保身で、シヴィル叔母様自体には興味なんて毛ほどもなかったんだ。お父様から、あの手紙が来るまでは。
一足先に、僕とシヴィル叔母様は領地に戻った。今日も二人きりでの夕食だ。話しながら僕が思うのは、このひとが生まれ育った村、このひとを取り巻いていた環境は、きっとのんびりしていて暖かくて善良だったのだろうな、ということだ。子どもは育てたように育つというけれど、彼女もそのように育ったのだろう。
僕らが皇都に行く前夜、夕食の席で僕は尋ねた。暗殺計画の進捗状況はどうなっているのか、その質問に彼女は肩をすくめて「面倒くさいからやめるわ」と、あっけらかんと言ってのけた。
人を殺す、証拠を残さず暗殺する。面倒くさくて当然だ。それでも人間は人を殺す。面倒くささよりも、憎悪や自身の利益の方が勝つからだ。
シヴィル叔母様だって、殺意を抱いても仕方がないほどの仕打ちを受けた。だから暗殺なんて考えた。だと言うのに、面倒くさいと言うだけで放り投げた。
シヴィル叔母様は、善良で優しい人だ。彼女の生まれ育った環境が、彼女をそのようにした。人並みに怒ったり恨んだりはするから、彼女の性根が女神のように神聖で清廉なわけじゃない。
とにかく彼女には、それが「向いていない」。向いていないから長続きしない。僕が剣に向いていなくて放り出したのと同じだ。人を恨むことに向いていないから放り出せる。
僕は彼女をそう定義している。
やがてお父様への爵位の継承が済んで、お父様と共にお爺様も領地に戻ってきた。お爺様は皇都にいる時にシヴィル叔母様から治療を受けているので、やや軽快した様子だが、全快とまではいかなった。時々癇癪を起して暴言を吐いたりする。
だからお父様は、ユージェニー様と共に、お爺様を別宅に移すつもりのようだ。
だが、そこにシヴィル叔母様が待ったをかけた。むしろ早く追い出した方が、シヴィル叔母様の為だと考えたお父様と僕は驚いた。何故だと問いかけたお父様に、シヴィル叔母様は「遠くに行かれると継続的な治療が大変だから」と言った。
「治療? シヴィル叔母様が、今後も治療するのですか?」
「そうよ。研究もしなければならないし、恐らくこの病を治せるのは私だけだもの」
善意ではないようだが、職業意識で言っているようだ。本当にこの人はよくわからない。呆れた。
自分を陥れたお爺様を殺したいほど恨んでいたのに、それよりも職業意識が上回ったなんて、全くどうかしている。
でも、シヴィル叔母様だってお爺様の事はもう嫌いだろう。そしてお爺様は病気のせいで、シヴィル叔母様に罵詈雑言を浴びせかけることもあるだろう。だから少し心配になる。僕はシヴィル叔母様を部屋に呼んで話をした。
「僕は、シヴィル叔母様が犠牲になることはないと思います」
「犠牲? 私はなんの犠牲も払わないわよ?」
「そうは仰っても、僕にはそうとしか思えないんです。お爺様に何を言われるかわかりません。何故シヴィル叔母様が、お爺様にそこまでしなければならないんです?」
「んー、どう説明すればいいかしら……」
しばらくこめかみを揉んでうんうん唸っていたが、ようやくシヴィル叔母様が僕に向き直った。
「ええと、まずはね、前頭側頭型認知症はものすごく珍しい病気だし、多分症例報告なんてほとんどないわ。治療法も未解明。だからその研究をしなきゃいけないというのが一つ。ちなみに研究対象だから、同僚の聖者も来ると思うけれど、よろしくね。
次に、前頭側頭型認知症というのは、「そういうもの」なのよ。お父様だって好きで病気になったわけじゃないわ。好きで暴言を吐いているわけじゃない。「そういうもの」であり「仕方がない」の。本人にもどうしようもないの。聖職じゃない人は知らないと思うけれど、脳や精神の病気になった人は、こういう症状が出る人が本当に多いのよ。こちらは一生懸命世話していても、怒鳴られたり叩かれたり引っかかれたり噛みつかれたりね。そんなことは日常茶飯事で、私達は慣れているわ。あなたから見たら、そんなことをされたら第2を呼べとか裁判だとなるかもしれないけれど、私から見たら「病気だから仕方がない」それで済むことなのよ。
つまりね、聖女が考えなければならないのは、怖いとか悲しいとかではなくて、その患者が何故その行動をとったのか、そうしないために何をすればいいのか、私達に必要な視点はそういう事よ。
肉体や精神に起きている異常の原因を究明し、分析し、解決策と治療法を考え実施する。私達は癒し手であり、研究者でなければいけない。それが聖女という職業なの。犠牲でもなんでもないわ、ただ単に、聖女というのはそういう仕事なの」
わかってくれる? と、彼女は締めくくった。僕が、もしお爺様が暴れたりしたらどうするのかと聞いたら、ひとまず抑え込んで鎮静をかけると言った。力業だった。僕は「わかりました」と苦笑するしかなかった。
勿論、ちゃんと理解はした。だけど知らなかったな、聖女がこんなにも過酷な職業だなんて。罵倒されたり暴力を振るわれても、病気だから仕方がなくてお咎めなし、自分の感情は二の次。
シヴィル叔母様は今までどれだけ、自分の感情を殺し続けてきたんだろう。僕はそう思うけれど、シヴィル叔母様は犠牲ではないと言った。多分僕は根本的なところは理解できていないんだな。
恐らくシヴィル叔母様は、その辺の切り替えが得意なんだ。「令嬢シヴィル」と「聖女シヴィル」では、同じことを彼女に言っても、多分全く違う返事が返ってくるのだろう。
話のついでに彼女は、唇に指をあてて上目遣いで、実にあざとい顔をして言った。
「私をお父様の専属聖女として雇う形にしたら、お給料がもらえるかしらね?」
なんて人だ、顔とセリフの乖離が酷い。僕は呆れかえったが、「お父様に言っておきます」と返事をした。この人は自分が美人なことは、しっかり自覚しているらしい。まぁせっかくの武器だし、使える時には使えばいいと思う。あまりあちこちで乱用されると困るけど。
シヴィル叔母様は早速雇用契約書を用意して、お父様にサインさせていた。割のいいバイトが出来て嬉しそうだ。家から出るお小遣いと別に、騎士団の給料と聖女のバイト代もあるので、シヴィル叔母様は結構貯め込んでいるらしい。たくましいことで。
やがて、屋敷に数名の聖者と聖女見習いが出入りするようになった。シヴィル叔母様と共に、お爺様の病気の研究をしているようだ。そしてシヴィル叔母様達は、ついに治療法を確立した。徹夜で仕上げたらしい論文片手に出て行って、翌日には教会の司教や大司教も来て、僕と父とお婆様も、それに立ち会った。
お爺様の治療は、はっきり言って僕らが正視するには無理があった。お婆様が倒れた。司教様達は阿鼻叫喚だった。けれど、治療は成功した。
お爺様はやがて、ホッジ伯爵領にある別邸に、ユージェニー様と共に引っ越していった。シヴィル叔母様が確立させた「前頭側頭型認知症各論」とその治療法は発表されて、お爺様のいるホッジ伯爵領の教会にも提供された。一応心配だから、治療をする時にはシヴィル叔母様も呼んでもらうことになったらしい。彼らが慣れたら呼ばれなくなるだろうが、初期は念のため、だそうだ。あの施術なら聖者たちが不安がるのも理解できる。
その間ルサルカ叔母様とソフィア姉様は学園で、お母様は社交界で噂の払拭をしている。お父様とお婆様は継承に伴って領地や皇都であいさつ回りをしていた。
一通り落ち着いてきたころに、シヴィル叔母様がシヴィル姉様になった。善良な人柄の貴族を探してあげるから、そこに養子に行ってもいいのだとお父様が言ったら、シヴィル姉様は、お父様が善良な人だということを知っているから、それでいいのだと言った。
なんていうか、この人はそのうち詐欺に遭うんじゃないだろうか。変な人に騙されそうで心配になった。
「トーマス」
この件で僕の事をすっかり信用してくれたらしい。シヴィル姉様はよく僕の部屋に来る。シヴィル姉様を促して先にソファに座ると、シヴィル姉様は対面でなく僕の隣に座った。僕の肩に頭をもたれかけて、「疲れた」とぽつりと言った。状況が落ち着いてきて、一気に色々な疲れが押し寄せたらしい。あの急報を受けた日から、シヴィル姉様は駆け抜けてきた。自分の気持ちなんて二の次で、お爺様の治療と状況の終息の為に奔走したんだ、疲れて当然だろう。
皇都で会合したあの日、今までずっと涙など見せなかったシヴィル姉様が号泣していた。それ以降はまた泣かなくなった。あの日の事を思い出すと、胸が痛んだ。今日くらい甘えさせてあげようと思って、僕はシヴィル姉様の頭を撫でて「お疲れ様でした」と言った。
今日まで、部屋にこもって論文を書いたり、書庫にこもって調べ物をしたり、聖者や知り合いの魔術師と検討会をしたり、時にはお爺様と対話したりして、シヴィル姉様は忙しく働いていた。お爺様の事について、僕達は出来ることがなく、シヴィル姉様に頼りきりだった。シヴィル姉様にとっては、一番関わりたくない相手だっただろうに、それでも僕らはシヴィル姉様に依存するしかなかった。流石に申し訳なさを感じる。
「お爺様の事では、本当にご迷惑をおかけしました。なにもかもシヴィル姉様任せで」
「あら、いいのよ。だってトーマスは聖者ではないのだもの」
やっぱり聖女として物を言う。
「僕が謝っているのは、聖女シヴィルに対してではなく、シヴィル姉様にです」
ぴくりと寄せられた体が強張ったのがわかる。やはりそうだ。シヴィル姉様は、聖女という鎧を着て武装して、自分を守っていたのだろう。「聖女シヴィル」ならお爺様に関われるけれど、「シヴィル姉様」のままでは逃げ出したくなるだろうから。
シヴィル姉様の体の緊張が取れたと思ったら、僕の肩に頭をぐりぐり押し付けてくる。骨が当たってちょっと痛い。
「トーマスのそういうところ、ちょっと怖いわ。私、いつもあなたに見透かされている気がするわ」
ぐりぐりするのをやめてくれたと思ったら、恨めしそうに僕を見ている。そんなことを言われても、シヴィル姉様がわかりやすいんだから仕方がない。
ルサルカ叔母様がグレイ伯爵に恋をして、2人の仲が噂された。それを真に受けたお爺様が、シヴィル姉様を無視して婚約させた。治療の合間にも時々罵倒を受けていたのを知っている。僕にはシヴィル姉様が部屋に来たときに話相手をするくらいしか出来なくて、大変な目に遭っているシヴィル姉様を、僕らはろくに救済してあげることもできなかった。僕らにはシヴィル姉様に負い目と恩がある。だから僕を睨みつけてくるシヴィル姉様に笑いかけて、頭を撫でる。この女に、せめて優しくしてあげたい。
「これからは僕らにもどんどん頼ってくださいね。たまには甘えてもいいんですよ」
「今まさにあなたに頼って甘えているわよ?」
「わがままも言っていいですよ」
「今日は随分甘やかしてくれるのね」
少し沈黙したシヴィル姉様が、僕から体を離した。そして、真剣な目で僕を見ていた。
「実はね、皆を怖がらせると思って、言っていないことがあるの。でもあなたは次期当主だから、知っておかなければならないことよ。後でギデオンお兄様……お父様にもお話しするけれど、まずはあなたに聞いて欲しいわ」
わがままではなく、何か重大なお知らせのようだ。僕も姿勢を正す。
「なんでしょう?」
「実はね、お爺様のご病気、前頭側頭型認知症は、遺伝するの。お父様やあなたも、将来発症する可能性があるわ」
鈍器で頭を殴られたみたいな衝撃だった。僕もお父様も、あんな風になるのか? 近しい人たちを傷つけて暴力を振るい、シヴィル姉様を泣かせたお爺様のように?
嫌悪感と軽い絶望感を感じる僕の肩を、シヴィル姉様はそっと労わるように撫でた。
「大丈夫、お父様やあなたが発症したら、私が絶対治してあげるから。だから大丈夫よ」
あの病は根治することは不可能らしい。以前シヴィル姉様に説明を受けたけれど、あまりにも専門的な説明で、半分程度しかわからなかった。根治治療は不可能ということだけはとりあえず理解した。
けれど、きっとシヴィル姉様がいてくれるなら、症状が顕在化する前に治療してくれる。僕は聖女としてのシヴィル姉様を信頼しているし、不安はあるが一応安堵した。
「それにね、必ずしも発症するとは限らないわ。可能性の話よ」
「ええ、でもあらかじめ聞けて良かったです。備えができますから」
「トーマスは強いわね」
僕の強がりをそう評したシヴィル姉様は、話を続けた。
「あなたやジャスティン、お父様は私が助けるわ。絶対あなたがあなたらしくいられるように、私が治すわ。だから心配しないで。あなたには、私がいるわ。けれど、私は不老不死じゃない。あなたの子どもや孫、その先の子孫は治療できない。その頃にはもう、私はこの世にいないもの。
だから、あの場でお爺様を全快させることが出来たけれど、そうしなかったの。この病を研究して、治療法を確立させて、聖者なら誰でも治療できるようにしておきたかったの。あなたの子どもや孫、未来のホワイト家の子ども達が、病を克服できるように」
この胸にあふれる感情は、衝撃と感激だった。お爺様とこの家は、散々にシヴィル姉様を傷つけたはずだ。僕だって最近まで、いないもののように扱っていた。それなのに、それなのに、この女は――。
僕達とこの家の未来までも、救ってくれたと言うのか。
「言っておくけれど、慈悲の心なんかじゃな――」
何か言っているけれど無視した。僕はそれどころじゃなかった。無視されたシヴィル姉様は、僕の腕の中で身じろぎして、くぐもった声で「トーマス?」と呼ぶ。なんだかもう、呼ばれただけで泣きたくなった。いや、手遅れだった。慈悲なんかじゃない? これが慈悲じゃなかったら、何が慈悲かわからなくなる。
「ありがとう、ございます」
僕の声も腕も震えたから、きっとシヴィル姉様にはバレてしまったんだろう。シヴィル姉様は僕の背中に腕を回して、あやすようにとんとんと叩いた。
「そんなに喜んでもらえるなんて、聖女冥利に尽きるわね」
茶化すように言いながら、とんとんと背を叩く、その振動が酷く心地よかった。
僕はこれまで、シヴィル姉様に興味も持たなくて、いてもいなくても変わらない存在のように扱っていた。今回のトラブルでも、ろくにシヴィル姉様の助けにもなってあげられなかった。でも、これからは。
「今まで、沢山傷ついてきましたよね。この家が、貴女を傷つけた。でも、これからは、僕が守ります。貴女を傷つけるあらゆるものから、僕が守りますから」
一瞬背中のとんとんが停まったけれど、すぐに再開した。
「ありがとう」
腕をほどくと、シヴィル姉様は嬉しそうに笑っていた。白い指先が、僕の睫毛に残る涙を掬った。
「頼りにしているわ、トーマス」
この日見たシヴィル姉様の微笑みは、今まで見たどの笑顔よりも、尊く美しかった。
そういえば、シヴィル姉様の師匠とか言うエルフ。シヴィル姉様と距離感がやたら近くて、なんかムカつく。でも目下はグレイ伯爵だ。どうやら冷却期間をという希望は叶わないらしい。手紙が来ていたらしく、忙しいと言っているのにと、シヴィル姉様は困り顔だった。一騎当千の魔術師を敵に回したくはないけど、仕方がない。打てる手を考えておこう。あぁ、頭が痛い。




