2-40 アズメラ帝国の趨勢
冬のこの時期、毎年恒例と言わんばかりに、ドルストフ帝国の南方軍が攻めてくる。ドルストフ帝国は大陸最北端にあり、冬場は気温がマイナス30度を下回る極寒だ。特に南北に伸びた山脈の西側は豪雪地帯であり、冬場は流通が全て遮断され孤立する。冬の到来が早く冷夏であるから、不作になることもしばしばで、冬ごもりの為の食糧を確保できない村は少なくないらしい。
だから彼らは冬に南下する。彼らの得意な雪上戦で、南下と称してドルストフ帝国南西部と国境を接する、コバルト侯爵領から略奪を行うのだ。
とはいえ、ドルストフ帝国は貧困なわけでは決してない。東側は平原が広がる穀倉地帯であり、広い国土に比例して生産量もかなりのものだ。かつて傘下に収めた金の神の国の恩恵もあってか、南北に伸びた山脈からは大量の良質な鉱石が取れるし、ドワーフの里も有していることから、武器や金物などの発達は大陸一だ。ドルストフ帝国は、まごうことなき軍事強国。
それなのにアズメラ帝国に攻めてくるのは、地震が多い地域だと言うのも理由だろう。しばしば大地震が起きて、地震や津波で村落が丸ごと壊滅することがあるようだ。単に地形として地震が起きやすいのか、彼らが主張するように戦神ドルストフと地神アズメラが仲が悪いから、地神アズメラが嫌がらせしているのか、その辺はわからないが、豪雪に加えて地震まで発生するのであれば、人心が乱れるのも致し方ないのかもしれない。
かつては国境線上の村を取ったり取られたりしていたが、数十年の月日をかけて建設された砦と、長大な城壁が国境として機能し、ここ数十年は領土を奪われるようなことはない。しかし、過去には砦を突破されて村々が蹂躙されたこともあり、決してコバルト侯爵領の領民たちは慢心していなかった。当然、その領土の支配者たる侯爵もだ。
「侯爵閣下、全部隊配置につきました」
「うむ」
砦の中には、数えるのも馬鹿らしいほどの数の騎士が整列して待機し、城壁の上には隙間なく弓兵が並び、既に矢をつがえて構えている。砦の外では、雪原の向こう側にある山裾に騎士の大隊を潜ませている。
そして、魔術師団長の指示でやってきたという、グレイ伯爵の孫だと言う魔術師も、城壁で待機していた。
「グレイ準爵、準備は良いか」
「はい。お任せください」
引かれたそりに巻き上げられて、雪煙が上がる。白い軍服を着て雪に紛れたドルストフ帝国兵が、短いスキーを履いた足を滑らせてくる。雪上では馬や徒歩よりも余程機動力があり、くねくねと蛇行しながら向かってくるので、矢で狙いをつけにくい。
かたやあちらは、ドワーフ達の開発した、小型のクロスボウを自在に操る。クロスボウというのは見た目に反して殺傷力が高い武器だ。少なくともこの大陸では、生け捕りにして奴隷として売り飛ばすか、身代金を要求するのが当たり前だと言うのに、ドルストフ帝国はそんなものよりも殺す方を優先しているのだろうか。
現在のドルストフ帝国皇帝は冷血漢らしいので、その可能性もあるが、単に雪上戦で使用しやすいというだけかもしれない。氷点下を下回ると金属は著しく脆弱になるため、剣での戦闘は破損しやすく不利と言えるから、その点で考えるとクロスボウは良い選択だろう。
そんなことをつらつら考えながら、コバルト侯爵にしてコバルト侯爵領第1騎士団団長のフィリップは、英雄グレイ伯爵の孫である若干15歳の魔術師、イザイア・グレイを見やる。彼のその手には本が開かれていた。
(やはり青二才か)
フィリップがそう思うのも無理からぬことで、普通魔術師は魔術書など持ち歩かない。大抵の魔術は頭に入っているのが当たり前だからだ。カンニングしないと魔術を発動できないなど、まだまだ見習いの域を出ない。英雄の孫だと聞いたから期待していたが、これでは期待外れだ。
流石に表には出さないが、内心で落胆するフィリップに「行きます」とイザイアが言った。
イザイアの魔力が、魔術書の開かれたページに注がれる。そのページには細かい文字で書き込みがしてあるが、それ以上に目を奪われたのは十数個もの魔術陣が記載されていることだ。どれを使用するのかと見ていると、驚いたことにそのページ全ての魔術陣に魔力が浸透していく。
(まさか)
フィリップも多少の魔術の心得はある。だからこそわかった、この少年の異常さが。
(多重展開!? いや、しかしこの数をか!? これほどの数では構成することなど――)
フィリップの思考を打ち切るように、魔術陣が空中に展開する。展開された魔術陣は平面ではなく立体構造であり、複雑な多角形の中に内部で階層を描いている。驚愕するフィリップに気付きもせず、イザイアは告げた。
「極大・爆炎魔術陣、起動」
更に注がれた膨大な魔力に反応して、立体魔術陣が眩く光る。そして魔術陣から放たれた魔術が、ドルストフ帝国兵に着弾した時。
広大な白銀の雪原が、赤一色に染まる。遅れて上空の雲が逃げ出し、激しい爆音とびりびりとした振動がこちらにまで届いた。やがて、この時期には感じることのない、灼熱の爆風が襲い掛かってきた。
驚愕で刮目していたが、突然の爆風で目を閉じた。そして再度目を開いた時には、ドルストフ帝国兵のいた辺りは雪が飛ばされて地面がのぞいていた。その範囲は目測でも500平方メートルはあるだろう。ドルストフ帝国兵は、どこにも見当たらない。
「な……」
「うーん、思ったより威力が高すぎましたね。これでは奴隷も確保できないし、戦後交渉も難航しますよね。申し訳ありません」
当の本人は何やら反省中で、確かにイザイアの言うとおりだ。言う通りなのだが、フィリップはそれどころではなかった。
(全滅……全滅だと? 一撃で……? こんなことがあるのか?)
混乱の渦中から中々抜け出せずにいたが、これが英雄の孫かと納得してしまえば、後は早かった。
城壁の外で待機していた部隊に指示を送り、逃げていたり隠れていたドルストフ帝国兵を捕えさせた。
毎年恒例のコバルト戦役後、イザイアは若干15歳にして褒賞として男爵位を陞爵した。
また、イザイアという一個人が、数千の敵兵を一撃で屠ったことで、その存在を上手く脅しに使った外務大臣の外交努力もあり、ドルストフ帝国とは停戦し、冷戦状態となった。
しかし、ドルストフ帝国に先祖代々苦しめられてきた北部の国民たちは好戦的で、北部貴族の一部は開戦派を名乗った。そして、皇帝を筆頭とした中央貴族達は和平を推し進めようとする。また、戦争と縁がない南部貴族たちは中立派となった。
1135年のコバルト戦役以降、アズメラ帝国ではドルストフ帝国を巡る派閥が発生し、混乱の時代を迎えようとしていた。




