2-25 大喧嘩
騎士団に入団して一カ月が経った。季節はもうすっかり秋で、街路樹も色づいて、窓から見える空はまだ真っ暗。少し前まで4時ごろから明るくなっていたのに、秋になって一気に日照時間が短くなった。
騎士団やそれに付き合わされる以外の世の中の人達は、日の出と共に起きるのでまだ夢の中だろう。そんなことを思いながら、暖かい布団から出た。
今日も早起きして、6時から出勤だ。今まではルサルカお姉様達とご飯を食べていたけれど、今はギデオンお兄様とトバイアスお兄様とご飯を食べて、3人で家を出る。とは言っても、ギデオンお兄様は第1、トバイアスお兄様は第2で、詰め所はそれぞれ別のところにあるので、出勤先へは違う馬車で向かう。
馬車には毎日護衛で祖父も同乗するのだけれど、入団してからこっち、祖父は毎日騎士達に絡まれている。
「ゴリンデル殿!」
「ゴリンデル殿、是非手合わせを!」
「俺は護衛だっつってんだろ! あっち行け! しっしっ!」
「シヴィルちゃんに護衛なんかいらないでしょ! 俺らと遊んでくださいよ!」
「仕事しろ!」
毎日このありさまで、祖父は騎士にモテモテ。何故こんなに祖父が人気者なのかというと、20年以上前の事で私は知らなかったのだけれど、祖父は「竜殺し」の英雄らしい。スタンピードによる連戦の疲労に加え、竜の威圧で身動きできずにいた第3騎士団の騎士達の前で、祖父はたった一人で竜に立ち向かい、単独討伐を果たした伝説の剣豪らしかった。もちろんこれは誇張も入っていて、実際は辛うじて意識を保っていた師匠の支援魔法と風魔法を全力でかけてもらって、やっとこさギリギリの勝利だったんだとか。
でも、この時祖父が竜に勝てていなければ、騎士団は間違いなく全滅していたし、領地にも甚大な被害が出ていた。それを防いだこと、竜という驚異的な魔物を倒したことで、祖父の活躍は皇帝の知るところになったそうだ。
その功績で貴族への叙爵と領地という褒美が与えられるはずだったのだけど、祖父はそれを面倒くさがって辞退し、代わりに求めたのは「俺に構うな権」だったそうだ。詳しくは、この国に一切危害や損害、害意を与えない代わりに、皇帝からの命令を拒否する権利ということらしい。皇帝からの命令を拒否する権利を有する人なんて、国中探しても祖父しかいないだろう。褒美を与えて抱き込みたかった皇帝は、きっと歯ぎしりしながら受け入れたに違いない。本当、おじいちゃんはぶっ飛んでると思う。ちなみにこの話はザック様に聞いた。
そういうわけで、伝説の英雄である祖父は、騎士達の憧れでもあるらしく、こうして毎日モテモテだった。私からお願いした用事でもなければ、待っている間暇らしく、結局祖父は付き合っている。
「デリック、ティモシー。ごきげんよう」
「おはよ!」
「おはよう。今日も護衛さんは大人気だね」
「本当よ。じいやに嫉妬してしまうわ」
「あはは」
デリックとティモシーと合流して、すぐにお仕事開始。1カ月経って、先輩たちの指導は外れて、簡単な仕事は私達小姓だけでやることになった。先輩達は9時から厨房に入るまで、自主練の時間なのだそう。
私達は装備を点検して洗濯場へ。他の先輩小姓たちとも話すようになって、こう言うシミはこうやると落ちやすいなど先人の知識を教えてもらえるようになった。
秋も深まり、早朝の水はキンキンと冷えて冷たい。だがうちには旅の魔術師デリックがいる。デリックが出してくれた温水で石鹸で揉み洗い、すすぎをして、乾燥もあっという間だ。それを他の小姓たちが物欲しそうに見ている。
「旅の魔術師がいる班はいいなぁ」
こういう場面で旅の魔術師は重宝されるので、デリックはみんなから羨ましがられている。
「なぁ、デリック。俺のところもちょっと手伝ってくれよ」
「あ、俺も!」
「ウチも!」
「おいらも!」
「手伝いたいのは山々だけど、そんなに手伝ってたら僕が仕事に遅れちゃうよ!」
申し訳なさそうにしつつも憤慨するデリックに、他の小姓たちは「冗談だろ」と笑っていたけれど、一部は「俺は本気だったんだけど」と言っていた。それはみんなスルーした。
自分たちの分が終わって、他の班にさっさと場所を譲るべく動いた時、少し離れたところにルパート達の班を見つけた。最近悪い噂を聞いているけれど、偶然なのか狙っているのか、私がそれに立ち会うことがなかった。だが、今日は離れた所にいたせいか、私に気づかなかったようだ。
少しその場を離れて立ち止まった私が、ルパートに注目していることに気づいて、デリックとティモシーも察したようで、足を止めて私同様にルパートに視線を送った。
その視線の先、ルパートは一つの平民出身小姓の班に近づくと、抱えていた洗濯物の入った籠を、どさりと置いた。
「えっ?」
場所を開けろとでも言うつもりだろうか、その小姓が驚いた声を上げる。顔を上げた小姓に向かって、ルパートが尊大な態度で言い放った。
「これもやっておけ」
「はっ!?」
冗談じゃないと反論しかける小姓に、ルパートは不愉快そうに眉を顰める。
「僕は貴族だぞ。貴族に逆らう気か?」
「……」
平民が貴族に逆らえるはずがない。黙り込んでしまった小姓に一瞥をくれると、ルパートは「終わったら騎士ライアン様のロッカーに入れておけ」と言い捨てて、その場を立ち去る。
ルパート達が、従騎士の指導期間が終わってからこっち、他の小姓に仕事を押し付けているという噂があった。そして、その話を私に聞かせたのは、この辺境伯領の騎士団で一番高位貴族である私に、彼らをどうにかしてくれということだ。実際今も、私にいくつかの視線が集まっている。
私が自由市民のままだったら、あの小姓を慰めながら一緒に手伝ってあげればいい。でも、私はもう貴族なのだ。私がルパートみたいな貴族を諫めなければならない、そういう立場になってしまった。心の底から面倒だと思うけれど、放っておけないのも確か。私は思い切って歩き出した。
「ルパート、お待ちになって」
制止の声に振り返ったルパートが、私に気づいて嫌そうに顔を歪める。伯爵家のルパートと一緒にいるのは、成金子爵家と貧乏伯爵家。2人は立場上、ルパートに強く出れないのかもしれない。
ちなみに同期の班に、貴族だけのグループはもう一つあるが、そこは準男爵家や田舎子爵家のグループで、彼らは「ほとんど平民みたいなもの」らしく、他の小姓とも上手くやっている。明らかにルパート達のグループに「面倒くさそうなの」が集められた感じだ。
「なんだ?」
嫌そうな顔を隠しもしないのは、まだ10歳という年齢ゆえだろうか。押し付けられて困った顔で小姓が抱える洗濯籠を指さす。
「あれはあなた達の仕事でしょう。自分の仕事を他人に押し付けるとはどういうことかしら?」
「あなたも貴族ならおわかりだろう。こんなものは貴族の仕事じゃない」
「ここでは貴族という立場はお忘れなさいと、何度言われればわかるのかしら。あなたも小姓ならおわかりでしょう、これは小姓の仕事よ」
言いながら私は小姓から洗濯籠を取り上げて、ルパートの右にいた成金子爵の息子に押し付ける。成金子爵の息子と貧乏伯爵の息子は顔を見合わせて、一応受け取ったもののルパートの顔色を窺っている。私の行動に、ルパートはきっと私を睨みつけた。
「勝手な真似をするな!」
「勝手をしているのはどちら? 私達にも他の小姓にも自分の仕事があるのよ。なぜあなたの我儘に付き合わなければならないの?」
「貴族は人を使うのも仕事だ!」
「人を使うのと、人に押し付けるのは全く違うわ。そういうセリフは、自分の仕事を満足に出来る様になってから言いなさいな」
ついに顔を真っ赤にして怒鳴り始めたルパートは、震えるこぶしを握ってギリギリと歯ぎしりしている。諦めて自分でやればいいのに……。
「黙れ! 訳あり女の分際で!」
ルパートの侮辱に、あたりの空気が一瞬で凍り付いたのがわかる。女性騎士は訳あり女。私にもそういうレッテルが張られていたのだろう。確かに訳ありと言えばそうだ。でも、そんなことを私が気にするわけがない。
「お生憎様、私は騎士になるべくして生まれたから、ここにいる。それだけよ。大した訳もなくて、ごめんなさいね?」
私の反論に、背後で小姓たちが「確かに」と納得して、クスクス笑っている。彼らは面白くて笑ったのだろうけれど、ルパートはそれを自分に対する嘲笑と受けとったようだった。
「貴様ら、今僕を笑ったな!? 顔を覚えたぞ!」
「私もあなたの顔は、とっくに覚えていてよ」
顔を覚えると言うのは、その人の背後関係や家族関係を調べて報復するという意味だ。自分が同じことを言われるとは思っていなかったのか、ルパートは見る見る顔を青ざめさせた。
「あなたに倣い、貴族らしく対応するわ。この件はライアン様、団長、そして父にも報告させていただくわ。あなた達も、よろしいわね?」
「ま、待ってください」
「本当は、僕は止めたんです!」
ルパート以外の二人は私に取りすがり、「では、どうしたらいいかわかるわね?」と問うと、すぐに籠を持って洗濯を始めてくれた。だが、ルパートはそれを見送った後、まだこの場に立ちすくんでいた。
「あなたも仕事に行ったらいかが? そうしたら見逃して差し上げても構わなくてよ」
我ながらすごく高飛車。ライアン様はともかく、父に報告する気などさらさらない。この程度で辺境伯閣下の手を煩わせるわけがないのだが、それをルパートは知る由もない。
「高慢な女だ! 親の権威を振りかざすなんて!」
「あらまぁ、可笑しいこと。その言葉、そっくりそのままリボンをかけてお返しするわ」
お前にだけは言われたくないわ。何なのこの子本当に。そろそろ時間も押してきているし、もうこんな不毛なやり取りは終わらせて厩舎に行きたい。先にデリック達だけ向かってもらおうかと、デリックの方に視線を流した時だった。デリックが目を見開いた瞬間、私の左頬にゴッと衝撃が走った。直後に視界の隅へ、ルパートの右こぶしが流れていくのが見えた。
は? 噓でしょう? 今この人、私を殴った? 油断? 当然してたよ。普通殴るなんて思わないから!
びっくりしてルパートを見返すと、ルパートはまだ殴りかかろうとしている。散々時間を無駄に浪費させられて、つまらないことで精神を摩耗させられた上に、殴られるってなんなのよ! 本当に頭に来た!
拳が届く直前、私は紙一重でそれを避けて、ルパートの右脛を思い切り蹴りつけた。ボギッという後の音にバランスを崩したルパートは転倒し、右脛を抱える。
「ぎゃぁぁぁ!」
「まぁ、突然どうしたの? 大変、骨が折れているわ!」
白々しく演技をして、右脛に触れて治癒してやる。痛みで絶叫していたが、治癒してやると痛みが引いたのか、性懲りもなくまた睨まれる。
「貴様! 自分が何をしたかわかっているのか!」
「あなたの足を治癒して差し上げたのだけど?」
「何を言う! 貴様がやったんだろう!」
当然見ていた他の小姓を見渡して、私は尋ねる。
「どなたか、私が彼に反撃した瞬間が見えていたかしら?」
その質問に、見ていた小姓たちは首を横に振る。勿論わかっていて聞いている。みんなは私の攻撃スピードを視認できない。
だから、状況で私が何かをしたのはわかっても、私が何をしたかがわからない。仮に誰かが見えていたとしても、怪我は直しているので被害を受けた証拠もない。つまり、無罪。
「ふざけるな! 貴様らはこういう時だけ権力に阿るのか!」
「そんなこと言われても……権力と関係ないし」
「なぁ? だって本当にシヴィルちゃんが何かしたところは見えなかったし」
「嘘じゃねーよ。シヴィルが何をしたか、俺達は見てない」
「そうそう、俺達が見ていたのは、アンタがシヴィルを殴った後勝手に転んで、骨折したのをシヴィルが治したってことだけだ」
「そもそも攻撃したのはルパートだろ。女を殴るなんて、男の風上にも置けない奴だな」
「しかも自分ちより高位貴族の令嬢をだぞ? 頭がどうかしてるぜ」
私の質問の意図を理解してくれているらしい、数人の小姓が反論してくれる。段々ただの悪口になって言って、ざわざわし始める。それで旗色が悪くなったと察したようで、ルパートは止めるのも聞かず、その場から走って出て行ってしまった。
「逃げられたわ! 洗濯してほしかったのに!」
「いや、この雰囲気じゃ無理じゃないか」
「僕でも逃げたくなるなぁ」
確かにそうかも。針の筵状態で大人しく洗濯できるわけがない。しくじった。
「あぁ、もう。面倒ね。どうしたらよかったのかしら」
「どうもこうも、あれはどうしようもないんじゃないかなぁ」
「俺は正直ザマーミロって思ったし、みんなもそう思ってるだろうから、これでいいんじゃないか」
「そうかしら……」
実際、みんなはちょっと喜んでいるようだ。平民の小姓にとって憎むべき敵を、貴族の令嬢がやっつけたのが痛快だったんだろう。その話で持ちきりだ。
でも今更になって、自分の器の小ささが嫌になる。ムカついて殴ってきたルパートと同じだもの。私だってムカついたから反撃したんだし。
意識を変えて仕事をして欲しかったのに、ルパートをやり込めることに意識が向いてしまった。結果としてルパートの居場所を奪って、更に仕事をやりにくくしてしまった。これじゃぁ状況はむしろ悪化したと言える。
あぁ、こういう時、父や奥様だったら、どうするんだろう。本当に私ってまだまだだ……。帰ったら奥様に相談しよう。
「はぁ……ザック様に怒られちゃうわ」
「あはは……一緒に怒られるよ」
「俺も。連帯責任だもんな」
「2人とも……ごめんなさいね。ありがとう」
仕事を押し付けられた小姓にお礼を言われ、他の小姓に囃し立てられつつも、肩を落とした私を、2人が慰めてくれたのだった。




