2-11 西の庭園にて
拝啓、親愛なるシヴィルへ
元気ですか? 僕は元気です。連絡が遅れてごめんね。遅れたのには理由があるんだ。実はこの度僕は、祖父の養子としてグレイ伯爵家に入った。だから今は王都の祖父の屋敷にいる。君と気軽に会えない距離になってしまって、それならいっそのこと本格的に魔術の修行をしようと思ったんだ。今は毎日祖父にしごかれているよ。
君はどんな風に過ごしているだろう? ホワイト家にはもう慣れた? 騎士団には入れた? 君のことを考えると、つい本を捲る手も停まってしまう。君のことも聞かせて欲しい。
そういえば、祖父が君のお爺様の事を知っていて驚いたよ。祖父の魔法を受けて唯一死ななかったなんて、ゴリンデル殿は流石にお強いね。君もそんな強い騎士になるんだろうね。
また連絡する。
母が退室した部屋。数日前にイザイア様から届いた手紙を、何度目かわからないほどに読み返して、そっと膝の上に置いた。
イザイア様は王都に行って、立身出世を狙っている。自分の為でもあるはずだけど、私を迎えに来るために。
それに引き換え私は、家の問題すら満足に対処できないでいる。まだ何も成していない。
両頬をパチンと叩いた。こんなんじゃだめだ。私も頑張らなきゃ、イザイア様に顔向けできない。
一先ず明日は庭園を散歩して、綺麗な花を見て心を落ち着けて、それから考えよう。時間ももう遅いし、寝てしまった方が良い。
そう結論付けて、私はベッドに潜り込み就寝した。
午前の訓練を早めに切り上げて、西の庭園に向かった。外に行くからドレスじゃなくてワンピースを用意してもらったよ。
身長150cmの私よりも背の高いヒマーリが、お日様に向かって咲いている。まるでヒマーリ達が太陽に憧れているみたいだ。黄色い花弁の大輪の花が、一斉に咲き誇っているのは壮観だ。
花なんてと思ったけれど、奥様の言うとおりにして良かった。「綺麗なものは心を洗濯する」と、樹里も言っていた。そういえば樹里も花が好きだったみたいで、たまに花屋で買ってきたり、自分で育てていたっけ。
そんなことを考えながら、緑と土の匂いを嗅ぎつつ、ヒマーリ畑を散策していた。この頃にはすっかり私も冷静になって、まずは私が謝罪して、お二人の思いをお尋ねしてと段取りを考えていた。
ふと、ヒマーリが途切れたところで、ばったりと人に出くわした。自分の家の庭なので、気配など全く探っていたなかったから、少し驚いた。相手も驚いた様子だった。
「あ……」
「あら」
「まぁ、奇遇ね」
ユージェニー様とルサルカお姉様だった。もしや待ち伏せかと思ったけど、二人は驚いていたので偶然だろう。ならば、その動揺を利用した方がいかもしれない。
「ちょうどお二人とお話ししたく思っておりました。少しお時間を頂戴できますか?」
私の問いかけに、ユージェニー様は警戒するように無言になり、代わりにルサルカお姉様が胸を張って「いいわよ」と答えた。
礼を言って、二人と庭園のガゼボに腰を下ろした。
「お二方にとりましては、私の顔を見るだけでもご不快でしょうに、そのことを慮れず申し訳ありません」
いきなり口火を切った私の謝罪に、二人はやや動揺した様子だ。奥様の仰ったとおり、確かに真っ直ぐすぎて貴族には向かないのかもしれない。私が言えた義理じゃないけど。
「ユージェニー様とルサルカお姉様の事情、そしてこの家の事情について、把握していなかった私の責にございます。ご不快に思わせたこと、重ねてお詫びします」
丁寧に謝罪して頭を下げる私を、二人はじっと見つめていた。二人が何か言うまで頭を下げ続ける。
しばらく沈黙していたが、先に口を開いたのはユージェニー様だった。
「なぜそんな謝罪をする気になったのかしら?」
「ユージェニー様とルサルカお姉様のお立場を、私なりに理解したからです。お二人にとっては、本来私の存在自体許しがたいはずです。それでも一旦は受け入れてくださったのに、私はそのことに気づきもしませんでした」
「ええ、そうね。全くもって腹立たしいわ」
開いた扇で隠す気があるのかないのか、ルサルカお姉様は私を忌々しそうに見て言う。改めて言われて、怒りが再燃したのか、憤懣やるかたなしと言った様子だ。
「そう、ですよね……ですから、ユージェニー様とルサルカお姉様のお考えを、直にお聞きしたいと思いました」
「はっ、わざわざ文句を言われに来たというの?」
「そういうわけでは……ただ、お二人の気持ちも知らないままで、このまま過ごして良いと思えなかったんです。奥様も、何も仰いませんでしたが、気にしていらっしゃる様子でしたので、これ以上のご迷惑はと……」
奥様という単語に反応したようで、お二人はチラリと視線を交わしあった。やっぱり奥様効果は絶大である。
二人は視線を交わした後、大きく溜息を吐いたユージェニー様が、お返事した。
「よろしくてよ。では遠慮なく、言いたい放題言わせていただくわ」
「はい」
そして、二人からの怒涛の文句が飛び出した。ここで生きてくるのが、樹里の記憶に合ったクレーム対応マニュアル。まず第一に、相手の文句には一切口を挟まず、ひたすら話を聞いて受け止めること。今ここ。
「頭ではわかっているわ。裏切ったのは旦那様。侍女に手を出したのは旦那様。あなたを引き取ると決めたのも旦那様。認知すると決めたのも旦那さま。全部旦那様のしたこと。だからあなた自身の責任でないことは、私達だってわかっているわ。悪いのは旦那様よ。だけど、私は妾で、この子は庶子。それに、あの人を愛している。それに旦那様も……私達に言葉を尽くして、気遣ってくれる旦那様に文句など言えないわ。この怒りを私達はどこにもぶつけられない。誰にも言えないのよ。でも皆様お分かりの事、私達を憐れんでいることにも耐えられない。使用人まで遠慮して遠巻きにするわ」
憐れまれることすら、ユージェニー様にとっては屈辱だなんて。そういえば義父に暴行を受けてなお、立ち向かうような方だった。とてもプライドが高くて、そして情に篤い方なのだろう。
「実はまだステラに気があるのではないか、本当はルサルカよりも目をかけていたのではないか、そんな風に疑う私達に、旦那様は言葉を尽くして否定してくださったわ。旦那様は私達に何度も謝った。辺境伯閣下が私達に頭を下げてまで、謝罪してくださったのよ。そんなことをされたら、旦那様を許すしかないじゃない。受け入れるしかないじゃない。だから私達は耐えた。耐えて、あなたやステラの居る生活を受け入れると決めたわ。それなのに、それなのにあなたはっ」
話している内に感情が昂ってきたらしいユージェニー様の声が震え、私を睨みつけた。
「私達の気など知りもせず、旦那様の配慮に気づきもせず、旦那様に対する忌避感を隠しもしない。私達が、この家の人間が、あなたにどれほど気を遣っているか、あなたはまるで理解していない! あなたがこの家に来たことは本意でないことも、あなたに責任がないこともわかってるわ! けれど、ただ耐えるしかない私達の立場がないわ!」
「そうよ! 本当はお母様と結婚してほしいのに、本当は私の事も認知してほしいのに、私達にはそれが認められない。それなのにどうしてあなたは認められるのよ! 認められたのに、どうしてお父様を避けるのよ! 私の方がよほどお父様を愛しているのに、なぜ愛していないあなたの方が優遇されるのよ!」
ついに我慢できなかったのか、ルサルカお姉様も涙目になって抗議に加わった。
「せめてあなたがお父様を愛していたら、私だって耐えられたのに……」
泣きながら訴えるルサルカお姉様を見ていると、居たたまれなくなる。確かに、気持ちはわかる。私とルサルカお姉様が競い合って私が勝ったと考えれば、ルサルカお姉様だって納得できたはず。だけど今の状況は、勝負に参加する気のない人間にメダルをあげたようなものだ。納得できるわけがない。
だけど、最近まで知らなかった人を、しかも子どもの頃から嫌っていた人をいきなり愛するなんて、私には出来ない。
「すみません……」
私が思わず呟いた謝罪の言葉に、ルサルカお姉様は一層私を睨んだけれど、何を言えば良いのかわからなかったのだろう。ユージェニー様もルサルカお姉様も黙り込んだ。
多分、このタイミングの事だろう。樹里のクレーム対応マニュアルその2。相手が散々文句を言って、落ち着いたころを見計らって、改めて謝罪し、反論もしくは提案する。
「本当に、申し訳ありません。お二人の気持ちも忖度できずにいた、自分の能力不足を痛感しております。謝ること以外償いをできないことを、とても心苦しく思います」
「……」
「……」
お二人とも沈黙していらっしゃるけれど、先程のような険しい表情ではない。ではこのまま反論に移っても大丈夫かな。
「ただ、私も今は自分の事で精一杯で、お二人に配慮する余裕が持てませんでした。それに……」
「なんですの?」
言いにくくて口ごもると、ユージェニー様に促された。ちゃんと聞いてくれていることはありがたいが、注意しないと余計に激昂するだろう。私は言葉を選びながら、慎重に言葉を続けた。
「お父様の事です。お父様の事は、母からは詳しいことは聞いていませんでした。父親がおらずとも、祖父がいたので寂しくはありませんでした。ただ、お父様が母にした行いを、私は……」
バシンと、テーブルに扇子が叩きつけられた。やはり逆鱗に触れたようで、扇子を叩きつけたルサルカお姉様が、肩を怒らせて立ち上がった。
「何を言っているのよ! お父様を誘惑したのは、あなたの母親でしょう! それなのに被害者面までするなんて、なんて厚顔無恥なのかしら!」
「えっ?」
「親が親なら、子も子ということかしらね。トバイアスにまで色目を使ったようだし」
ついにはユージェニー様も立ち上がった。だけど私は二人の言葉に目を白黒させた。
「ちょっと待ってください。母は誘惑なんてしてませんし、私はトバイアスお兄様に色目を使ったわけではありません!」
「嘘おっしゃい! お父様に続き、お兄様まで誑し込んで、さぞいい気分でしょうね! なんて下劣なの!」
ルサルカお姉様のあまりの言い様に、私もかっと頭に血が上った。テーブルを叩きつけて立ち上がると、木製のテーブルが真っ二つになった。二人はそれに怯んだけど、知った事じゃない。
「そんなわけないでしょ! 確かにお兄様と話はしたけど、そんな話はしてないわよ! それにお母さんは辺境伯の事が嫌だったから、奥様に頼んで家から逃がしてもらったのに!」
「何よその口の利き方は? 本当に品がないわね!」
「だとしたらあなたは騙されているんじゃないの? ステラが誘惑して子どもができたから、手切れ金を渡して追い払ったと聞いたもの」
「なんですって……」
そうなの? 私が母に騙されていたの? いいや、そんなことはあり得ない。母は、私にそんな嘘はつかない。隠したり黙っていることがあったとしても、私に嘘を吐いたりしない。
「違う! お母さんは嘘なんてついてない!」
「どうかしらね? 証拠があることでもないし」
「確かに証拠はないですが! でも、ユージェニー様を愛しているお父様が、お母さんに手を出すなんておかしいって、奥様も言ってたんです! 仮に母が誘惑したところで、簡単に浮気する人じゃないんですよね!?」
「っ!」
二人が動揺した。疑いきれないけど、信じきれない。そんな様子の二人に、私は続けて言った。
「奥様が仰っていました。あの時のお父様に、呪いか何かがかかっていたんじゃないかって。母も言っていました。あの時のお父様は、まるで別人のようだったと」
二人は顔を見合わせると、「それは本当なの?」と聞いてきた。私はその問いに首肯する。
「お父様も、お母さんも、私も、ましてやお二人も、何も悪くないんです。本当に悪い人は、別にいます。だから、一旦矛を収めてはもらえませんか?」
二人は迷った様子だったけれど、「わかったわ」と頷いてくれた。
よ、よかった。やっと二人との問題が解決した。結局喧嘩しちゃったけど、結果オーライ。
「ところで、母のことを聞いたと仰いましたよね。どなたにですか?」
思案するように右上に視線をさまよわせた後、ユージェニー様が答えた。
「私にその話をしたのは――」




