2-8 悪口の裏側
あれから、あの親子に顔を合わせると、廊下ですれ違いざまに含み笑いされたり、悪口を言われるようになった。腹の立つことに、夕食の席など人目のあるところではにこやかにされるので、質が悪いといったらない。
言い返そうにもすぐに立ち去られるし、仮に言い返せても無視されて終わり。私は毎度の敗北に苦汁を舐めていた。
「あぁ臭い! 鼻がもぎりとれそうですわ!」
ルサルカお姉様に臭いって言われた。今までも色々言われたけど、臭いって言われたのが一番つらい。思わず泣きそうになった。
悔し涙を堪えながら、お風呂に入ってゴシゴシ体を洗い、着替えてから香水まで振った。これでもう臭くないはず。
昼食の場では、相変わらずユージェニー様とルサルカお姉様は普段と変わらない様子で過ごしている。きっと今二人に悪口を言われたと訴えても、証拠があるわけではないし二人はしらばっくれるだろう。
そうなると、私が馬鹿を見るだけだ。でも、どうしても悔しくて、どうにかやり返してやりたい。
そんなことを考えながら、昼食後部屋に戻ろうとしていたら呼び止められた。振り返ると、少し周囲の様子を伺うようにした短く刈り上げた紫色の髪の青年、トバイアスお兄様がいた。トバイアスお兄様は第2騎士団で従騎士をしている。今日はお休みと言っていた。
それにしても、トバイアスお兄様に話しかけられるのは初めてだ。今までは挨拶くらいでしか話したことがなかったのに、どうしたのか。もしかして、トバイアスお兄様も私に悪口を言いに来たのだろうか。
警戒する私に近づいたお兄様が、むっと眉をしかめた。
「なんだお前、臭いぞ」
「えっ、まだですか!?」
そんな、酷い。トバイアスお兄様まで私に臭いって言った! もう泣きそう。
やはり涙目になる私だったけど、トバイアスお兄様は首を傾げている。
「まだってなんだ? あぁ、香水瓶でも倒したのか」
匂い消しにと思って、一心不乱に香水を振ったのが良くなかったようだ。なんかもう鼻が麻痺してよくわからなかった。
「は、はい」
「まぁいい。少し話せるか?」
「はい」
話とはなんだろうか。やはり何か文句を言われるのだろうか。そう考えながらトバイアスお兄様の後についていく。香水の匂いが気になるのか、お庭のガゼボに連れて行かれた。臭くてすみません。
椅子に腰かけると、早速トバイアスお兄様が口を開いた。
「お前、最近母上とルサルカに、何か言われているだろう?」
「え……なんで」
「そりゃぁ家族だからな。何を言われた?」
何故トバイアスお兄様がそのことを気にするのだろう。もしかして心配してくれているのだろうか? 少しだけ期待をしながら、言われたことを端的に伝えた。
剣を振るうことが野蛮だと言われたこと、騎士団に入ることを否定された事、平民出身だと馬鹿にされた事。臭いと言われたことは黙っていた。
それを聞いたトバイアスお兄様は、私の様子を見ながら腕組みをした。
「不服そうだな?」
「そりゃ、不服です」
「言っとくが、母上とルサルカの言っていることは正しいからな?」
「えっ? そんな……」
「やっぱりわかってなかったか」
少し困ったような顔をしながら、トバイアスお兄様が説明した。
女性の騎士はいないわけではないが、あまり多くはない。単純に男性の方が強いからというのもあるが、女性騎士に対するイメージ――ほとんど風評被害と言っていい――のせいだ。
貴族に関わらず一般の人でも、女性が剣を持って戦うことに眉をしかめる人は多い。基本的に女性は家にいるものだという考えに基づいている。
だから、騎士になる女性を差して「家にいることが出来ない女」とレッテルを貼られている。例えば、何か問題を起こして家から出されたとか、結婚できない行き遅れが騎士団で男漁りだとかだ。
例外的にギデオンお兄様の奥様である、サフィナお義姉様の出身地のように、頻繁に戦争があって「力こそ正義」な土地柄だと、そういう風潮もないようだが、この領地は違う。
「いいか? お前が騎士になるということは、辺境伯家が問題児を抱えているって宣伝しているようなものなんだよ。お前が騎士になるのを諦めるか、正騎士になったらさっさと退団して結婚するか、あるいはデカい功績でも上げなきゃ、お前とこの家がずっと後ろ指を指されることになるんだ。お前も好きでこの家に来たんじゃないってのはわかってる。でも、後ろ指を指されるのがわかっていて、お前の騎士団入りを許してくれている閣下の立場も考えろ。閣下は閣下なりに、お前に配慮してるんだぞ」
知らなかった。そっか、ユージェニー様とルサルカお姉様は、ただ私が気に入らないだけじゃなかったんだ。勿論気に食わないのだろうけど、加えて私がそれなりに配慮されているのに、辺境伯への態度が固いことが、余計に二人を刺激してしまったんだ。
「……存じ上げず、不快に思わせてしまい、申し訳ありません」
「俺に謝る必要はない。でも、母上とルサルカにも立場がある。あの二人にとっては、お前は嵐みたいな存在だからな。一応俺からもあんまり苛めるなって言っといてやるけど、ちゃんと自分で二人と話をした方が良い」
「……努力します」
出来る気は全くしないけれども、確かにお二人ときちんと話し合って、誤解があれば解いた方が良いし、お二人の地雷を踏まないように、お二人にとって気に入らないことをちゃんと教えてもらえた方が良い。そうしたら、その内仲良くなれるかもしれないし。
「でも私、騎士団に入らなきゃいけないんです」
「政略結婚が嫌だからか?」
「はい」
「どの道、騎士団にいてもお前は結婚させられるぞ」
「えぇっ!?」
「やっぱりわかってないな、お前……」
トバイアスお兄様はうんざりした顔をする。呆れないで。傷つくから。今本当に心が弱ってるから。
やれやれとトバイアスお兄様がテーブルに頬杖をつく。お行儀悪いですよお兄様。
「いかに辺境伯家の令嬢とはいえ、騎士団に入ってる平民上がりの女なんか、嫁の貰い手はいない」
「じゃぁ大丈夫じゃないですか?」
「大丈夫なわけがあるか。身内の恥は身内で始末するしかないだろ」
「え? どういうことですか?」
「まだわからないのか? その内お前は、俺と結婚させられるって言ってるんだよ」
「えぇ!?」
なんで? だってお兄様だよ? そんなのアリなの?
目を回す私に、お兄様は頬杖を突きながら溜息を吐く。
「知らなかったか? 俺は母上の連れ子で、閣下とは血が繋がってない」
「あっ、なるほど……」
「それに母上は夫人じゃなくて妾だし、俺は母の籍にある。俺が正騎士になったら多分、母上のこともあるから男爵位には叙爵される。お前が正騎士になった時に嫁の貰い手がなければ、俺が押し付けられる」
トバイアスお兄様は今17歳で、正騎士になれるのは20歳以上だから最短3年。私が正騎士になれるのは8年後。流石に8年後、自分がどうなっているのか想像もつかない。
あとは、トバイアスお兄様にお願いするしかないじゃないか。
「まぁ、お前は見目は良いし、見目だけでも貰い手はあるかもしれないが……騎士8人を軽々ぶっ飛ばす嫁は、ちょっとどうだろうなぁ……俺は悪いが遠慮したい」
「わかってます! なんか振られたみたいな気分になるので、わざわざ言わないでいただけるでしょうか!?」
「悪い」
「それよりトバイアスお兄様、お願いですから3年以内に結婚相手を見つけてください!」
私の懇願を聞くと、トバイアスお兄様は少し目を泳がせた。そして「誰にも言うなよ」と前置きをして、私に小声で言った。
「実はいる」
「いるんですか!?」
「声が大きい!」
「すみませんっ。でも、じゃぁ、その方と……」
「そのつもりだ。だからお前を押し付けられるのは困るんだ」
「なるほど。ちなみに私もいるんです」
「嘘だろ!?」
「嘘じゃないし、声が大きいです!」
「悪い。平民か?」
「いえ、貴族です」
「なら話は早いな」
「はい。頑張ります。トバイアスお兄様も頑張ってください。応援します」
「要らん」
「えー……」
奥様以外で沢山話せたのはトバイアスお兄様が初めてで、しかも共通点のある相手だったから、仲良くなれると思ったのに、トバイアスお兄様がつれない。思わず下唇を尖らせる。
「そういう子どもっぽい顔をするな。もう12だろ」
「癖で……すみません」
「あと、軽々しく謝るな。奥様に言われなかったか?」
「言われました……」
「それと、俺はお前に必要以上に関わる気はないし、味方じゃない。勘違いするな。馴れ合うつもりはない。下手に馴れ合って「お似合いだから結婚させよう」なんてことになったら堪らないからな」
「確かに……わかりました」
「わかったならいい。話は終わりだ」
言うなり、トバイアスお兄様は立ち上がって背を向けた。さっさと立ち去るトバイアスお兄様の背中に向かって「ありがとうございました!」と声をかけると、振り向きもせず何も言わなかったけど、小さく手を振り返してくれた。
トバイアスお兄様にとっては、母親のユージェニー様と妹のルサルカお姉様の方が大切だから、私に味方してくれることなんかない。だけど、色々話を聞けて良かった。
トバイアスお兄様に言われた通り、どうにかお二人とちゃんと話し合わなきゃ。また何か言われると思うと、二の足を踏んでしまうけれど……。
だけど、話せばわかるはず。このままでいいはずがないもの。私にとっても、お二人にとっても。
よし、元気出た! 頑張る!




