ドレーノ擾乱 第二章11 開廷!
屋外に設けられた公判廷は、突貫で作られた割にはそれなりの体を成していた。
造りこみが豪奢な訳ではない。所謂、法廷という物を具現化した物として、誰もが認識できるものとして作られたという事だ。
原告側と被告側は、向き合うように席が造られ、その間に証言台が設けられている。証言台に対面するように、三人の裁判官が座る席が一部高い場所に設営されている。
公判廷を取り囲むように組み上げられた急造の傍聴席には、溢れんばかりの人が集まり、準備された傍聴席の数では足りなくなってしまう事は、火を見るより明らかだった。そこで、公判廷周囲の予め準備された席には、サイディーランだけが腰を下ろすことになる。何とか傍聴しやすい場所で裁判を見届けたかった何人かの紛れ込んだドレーノンは、捕えられた直後に、それこそ二度とそんな気を起こさないように痛めつけられ、公判廷外に叩きだされた。そして、殆どのドレーノンの人々は、サイディーラン側が設置した傍聴席の更に外側を覆うように自分たちで茣蓙を敷き詰め、そこに腰を下ろして、開廷を待ち続けた。
こうしてロニーコの人口のほぼ全員が、ドレーノの今後を決定する裁判を一目見ようと総督府の建物の前の広場に集結したのだった。自主的な傍聴者を相手に商売をする者もいたが、開廷の時間が近づくにつれ、その者たちも傍聴へと体制を変えていった。
ファルガとレーテも、法廷を取り巻くドレーノンに紛れる総督派の一部として、開廷を待ち続けていた。
当のファルガは、心を取り戻しつつあったが、まだ自らの意思で考え、動き回るまでには回復していないようで、目に宿る光も以前のファルガから考えると比較にならないほどに弱々しいものだった。では意思の疎通が全くできないのかというと、そんなことはなく、通常の会話は勿論の事、過去の記憶もしっかりしているようだった。心を取り戻した当日よりは体力も回復し、立って歩くことも可能にはなっていたため、今回の裁判の傍聴は行う事になったものの、少し離れた所に陣取る事になった。かつての彼を知る者が今のファルガを見たならば、『寝起きのファルガ』と表現するだろう。
そんな、どこか覇気のない、というよりは感情の起伏が乏しくなってしまったファルガに寄り添うように、レーテもドレーノンの傍聴席にいた。二人とも民族衣装のガラビアを身に付け、出来るだけ周囲の人々に同化し、息を潜めるように事の成り行きを見守っていくつもりだった。
父に会う為にこの地を訪れたレーテは、まだ一度も父レベセスアーグに会えていない。
最後に会ったのが二年前。ラン=サイディールからドレーノに赴任する直前だ。それ以降一度も会っていない。総督として赴任してからというもの、レベセスはラン=サイディールの地を一度も踏んでいないのだ。
今この瞬間、レーテが願うのは、ドレーノの独立でもラン=サイディールの未来でもなく、父が元気な姿を見せてくれることだった。
最後に見かけたのが二年前。
その直前、父と娘は喧嘩をした。
娘は父についていく事を頑として主張し、父は娘を絶対に連れて行かないと断言する。思春期前の娘を一人残すことは、一人の父親として心配だっただろう。だが、それ以上にドレーノに連れていく事の方が心配だった。赴任地では、短い期間に四人の総督がこの世から去っている。詳細情報は伝わってこないが、短期間に四人の総督が没するなど、どう見ても暗殺だった。もしそうでないとしたら、伝染病の蔓延だ。
属国ドレーノ。そこは魑魅魍魎の跋扈する地域にしか思えない。そんなところに、自分の娘を連れていく事は、弱点を曝け出して敵地に乗り込むのと同義だ。
父は決断する。
娘には出立に際して嘘の日付を教えた。少女が父の部屋の異常に気付き、父を追いかけてきた時には、父は既に船上の人になっていた。
少女が、ゆっくりと港から離れていく船の甲板に父を見つけられたのはほぼ奇跡だったが、同時に父も追いかけてきた少女の姿に気付いたようだった。だが、その少女を包む父の視線は物悲しかった。
裏切られたという感情はなかった。だが、置いていかれた怒りは、あの当時と変わらない。
父が二年でどの程度変わっているかはわからない。だが、レーテにとっては、今も昔も変わらぬ、厳格な父だった。
その厳格な父が、法廷で裁かれようとしている。それがレーテからすると信じられなかった。
法廷で裁かれる人間は、悪人、悪党と相場が決まっている。歴史上では独裁者が弾劾裁判にかけられ、処刑されることもあるのだろうが、レベセスは少なくとも独裁者ではなかったはずだ。言葉少なく誠実に生きて来たであろう父、レベセス=アーグが断罪されるというのは、どうにも悪い夢を見ているようにしか思えない。もし、本当に何らかの罪で裁かれようとしているとするならば、それは何者かに陥れられたに違いない。
そう考える方がずっと信憑性がある。
だが、それは理屈だ。まだそこまで社会を、人を知らぬレーテからすれば、人が自らの欲の為に、悪意を持って人を陥れるということがあり得るという事など、理解はできても納得できるはずもない。
百歩譲って断罪される可能性のある『比較イベント』ならば、レベセスの治世の中で、負の印象を与える施策だったと言える。だが、そのイベントすらも、全体的に検証した時、その比較の趣旨は、差別を助長するものではなく、サイディーランとドレーノンには能力的な差がない事を世に知らしめるための物であり、今更裁判で断罪される性質のものでもないはずだ。
父が……厳格で、融通の利かない男だったあの父が、この地で罪に問われる謂れを少女は理解できなかった。勿論、ヒータックからは、政争に巻き込まれたのだと説明は受けた。だが、それでも父が裁判の被告人になるという状況に、レーテは決して合点がいかないのだった。
レーテから見て、テントの右手の方から徐々にざわめきが起きる。
時間になったのだろうか。まだ彼女の目には映らないが、そのざわめきは徐々に中央に移動してくる。
波。レーテにはざわめきがうねりとして感じられた。
人々のざわめきに悲鳴が混じり始め、それと共に怒声が渦巻き始める。その人々のざわめきは轟音となり、レーテを飲み込んだ。
レーテは見た。
彼女の周りに立ち尽くす人々の隙間から、先行して歩く数名の貴族の後につくドレーノの兵士たちを。そして、総督の正装に身を固め、両腕を後ろ手に縛られ、数名の兵士に拘束された男の姿を。
男の頭には麻袋が被せられていて、表情こそ確認できないが、それはレベセスに違いなかった。
人々のざわめきの波動は、この総督の姿を見たから巻き起こったに他ならなかった。そして、そのざわめきは、集まった民衆にとって、そのままこの後何が起こり、レベセスがどのような目に遭うのか、想像するに難くないことを示している。
レーテの背筋が凍り付く。
あの麻袋は、何の為に掛けられているのか。
ラン=サイディールの首都がテキイセからデイエンに遷都される時、それに抗ったテキイセ貴族は、一族郎党全て処刑された。それは、宰相となったベニーバによる、見せしめの意味合いが強かったが、その処刑方法は様々だった。
断頭台で首を落される者。磔にされ槍で突かれ、そのまま火で焼かれる者。そして、絞首台で首の骨をへし折られる者。少し地方に行けば、十字や断頭台のない所では、牛馬に腕と足をロープで縛って牽かせて、上半身と下半身を引きちぎらせる『八つ裂きの刑』も行われたというから、十年前の遷都では随分な量に血が流されたに違いない。
今、レーテの眼前を歩く父の姿は、幼少期に乳母に抱かれて見た、国を衰えされたとされるテキイセ貴族達重罪人が、裁きを受けた後の刑の執行の直前の様に限りなく似ていた。
当時、眼前で行われたその光景の余りの衝撃に、レーテはしばらくその映像そのものを記憶から排除していたが、今目の前に広がる光景を目の当たりにし、その幼少期の記憶が明確に蘇ってきた。
眼前でこれから行われることに思い至り、気が遠くなりそうになったレーテは、ふらついたところをファルガに支えられる。
今回の裁判は、総督の処刑が大前提だ。
少女はそう確信した。
「もっと近くに行こう」
立ち尽くすレーテの手を引き、少年ファルガは人を掻き分け、公判廷がもっと見えるところ……彼らの声が聞こえるところまで近づいていった。
広場のどこかに設営された銅鑼が鳴り響く。
日の出を確認したであろう書記官の一人が、開廷を告げる。
麻布を被った被告人が拘束された状態で通過した通路を、今度は黒い法衣を着た集団が通過する。
先頭の、特に派手な印象を受ける仰々しい黒い法衣は、裁判長のもの。
それよりはシンプルだが、まだ何重にも襟や裾がある、仰々しい法衣を身につけた、裁判官。
そして、どちらかというと黒よりは紫に近い法衣を身につけた人間が証言台をはさんで向かい合う。いわゆる弁護士的な役割を担う代理人なのだが、その人間は、身につけた法衣の色のせいだろうか、ひどく邪悪に感じられた。
レーテとファルガは、できるだけ被告人席に近づこうとしたが、サイディーラン席に阻まれ、ある程度までしか近づくことができなかった。そして、あまり近づきすぎると、競技場の観客席然と、公判廷から離れれば離れるほど背が高くなってくるサイディーラン席の構造上の問題で、あまり近づきすぎると余計見えなくなってしまう。そこで、被告人席と証言台とが見えるぎりぎりの近さで待つしかなかった。
裁判官の三人が裁判官席に着いたところで、裁判長が口を開いた。
「これより、ラン=サイディール国より派遣された総督レベセス=アーグの弾劾裁判を開廷する。
本法廷は、ドレーノ国の議会により承認されたものであり、同時に議会により承認されたドレーノ法典により、被告人の過去の言動が法典で禁止されている言動または思想に該当するかどうかを裁判官が判断し、有罪か無罪かを示すものである。これ以降、裁判官が発言を許可した者以外の発言は禁止する。また、裁判官の指示に従わない者については、本法廷より退出を命ずる場合がある」
裁判長の言葉は定型なのだろうか。淀みなく発せられる裁判官の言葉に、若干の白々しさを覚えるレーテ。だが、それを口にしたり態度に示したりしてはいけないと言われている以上、黙っているしかない。ちらりと横のファルガを見るも、ファルガも何か難しそうな表情を浮かべて、口を閉じてピクリとも動かない。
一瞬の違和感に心を揺すぶられている間にも、どんどん開廷の為の宣誓の手続きは進んでいく。
原告側の弁護人も、己の誠実な対応を宣誓し、被告側の弁護人も同様の宣誓を行う。これにより、正式に裁判がスタートした。
原告側の弁護人の言うレベセスの罪状というものに、少女は非常に興味を持っていた。一体父レベセスが何をしたのか。そして、その行為のどこが有罪なのか。はたまた、それは無実の罪なのか。父と数年間あっていない少女は、父の潔癖を信じつつも、盲信できない複雑な自身の心に戸惑いながら、唇を噛みしめていた。
だが、実際はそんなことは総督派にとっては大した問題ではなかった。
総督という地位で、何か罪を断じられれば、誰しも痛い所はつかれることになるだろう。大の大人が表舞台で活動していれば、叩けば埃は必ず出てくる。
清濁併せ持たぬ大人などいるはずもない。ましてや、高官となれば、多少の濁は持ち合わせているだろう。その濁がなければ、政治の世界でうまく立ち回ることなどできるはずもない。
だが、そんなこと以上に大切なことは、如何に民衆が納得のいく国を作ることが出来るかどうかが問題になる。例え濁であったとしても、民衆が認めれば正義のはずだからだ。
そういう意味では、ラン=サイディール国から属国に派遣された総督が、サイディーランの開廷した公判で被告席に座っていること自体があってはいけない事なのだ。
その裁判の公共性を認めさせることをしてはいけない。
それこそが総督派の活動の根幹にあり、そして作戦なのだ。
裁判がスタートし、それぞれの思惑を持つ者達が、目的を果たすように公判廷内外を動き始める。
裁判は、滞りなく進んでいく。
原告側の弁護人は、まずラン=サイディールから送り込まれてきた初めての総督の言動から順番に述べていく。
正直、初めての総督など、何十年、いや、何百年も前の話である以上、誰も覚えていない。いや、記録にある内容は話せるが、それについての真偽を問える人間などいる筈も無い。レーテの覚えている違和感は、過去の総督の行なった様々な負の行為が、全て伝聞でなく断定で語られている事だった。
確かに、何も知らぬ人間が聞いたら、過去の総督の所業は無謀だと言わざるを得ない。だが、それはあくまでそれが実施に移された場合であって、その実施に移されたという根拠は何もない。
それでも裁判は、定型としてつつがなく進行していく。それは即ち過去の総督の所業が暗に事実であったとされていくということであり、被告人としてここにいる現総督レベセス=アーグの罪状として罪状が蓄積されており、誰からも否定されることなく全て有罪としてカウントされているという事実だった。
そして、ついにレベセスも知る時代の所業に突入する。
レベセスの直近四代目までの総督は、ほんの数年の間に起きた出来事になる。そして、元総督達が代替わりした理由が、余りの横暴であったことに腹を立てた民衆がリコール活動を行い、退任させた事になっていた。
レーテが知る由はないが、総督派の面々は過去の総督たちが悉く暗殺されたことを知っている。現総督が就任した際、次々に襲い掛かる暗殺の魔手を潜り抜け、今に至る事は総督派の中では周知の事実だった。
騒めき立つ傍聴席。
原告弁護人の起訴事実に対して、違和感を覚えるドレーノンは数多く存在した。実際彼らが見聞きした状況とは、様々な事象が異なって示されているからだ。
公判廷内の傍聴席からは、列挙される歴代総督の悪行と、その罪状が挙げられる度に歓声が上がる。公判廷外部の傍聴席からは、その度に怒声が上がる。総督府の広場に設営された公判廷は、完全に歓喜と憤怒の二色の感情に色分けされた。
だが、それらの感情すら無視され、裁判は粛々と進む。
そして、ついに陳述は現総督レベセスにまで至る。
会場は騒然となった。もはや裁判官の声も、原告側の弁護人の言葉さえも聞き取れないほどに公判廷は混沌とする。
何度も銅鑼が打ち鳴らされた。
公判廷内外の歓声と怒声が、裁判の進行を明らかに妨げていると裁判官が判断したようだ。
ハギーマのこの裁判に於ける狙いは、サイディーランを喜ばせる事ではない。ドレーノンを怒らせることでもない。
宗主国ラン=サイディールに対して、ドレーノ国の独立の正当性を宣言する事であり、他国に対してドレーノ国が一国として独立することを承認させる為の裁判だ。
牛馬の如きドレーノンの為に、穀潰しの如きサイディーランの為に、この裁判を開廷したのではない。
だが、裁判は必要だ。そして、ラン=サイディール国から派遣された総督に対しての判決も。
原告席に座る第一位サイディーラン、ハギーマ=ギワヤの表情が厳しくなる。
裁判は円滑に進めなければならない。
属国ドレーノが、独立した国家となる為に、法典は準備された。そして、その法典によって謳われた議会も発足した。その議会の中で法典が承認された。法典の中で謳われる、問題のある為政者に対する弾劾裁判を、実施に移すところまではこぎつけた。
この後は、宗主国からの総督よりも、属国ドレーノの第一位サイディーランによる治世の方が優れている旨を、ラン=サイディール総督を有罪にする事で世界中に周知し、自治権の成立と発動を宣言する所までを、ラン=サイディールが軍を送り込んでくる前に成立させるという、国家独立の慣習に沿った形でドレーノ国の独立を宣言しなければならないのだ。
その目標に至るまでの工程として、ドレーノンとサイディーランによる裁判の意図せぬ妨害は必要のない物だった。むしろある事により裁判が遅延することの方が問題だ。
ハギーマからすれば、傍聴席など無用の長物だった。だが、ツーシッヂの助言により、傍聴席を設置することになった。国民の審判という側面を裁判に持たせる必要があったからだ。そして、それをハギーマは受け入れた。諸手を挙げての賛成ではなかったが、その方が裁判に公平性がうまれるというツーシッヂの言葉に反論できなかったからだ。
だが、今回、それがまさに裏目に出ている。
傍聴席の存在が、裁判を遅らせている事に、ハギーマは苛立ちを隠せなかった。
だが、ここでハギーマが感情的に行動を起こしてしまっては、元も子もなくなる。現在も、進行こそ遅れ始めているが、国家独立の慣習に基づき、そして、当初の計画通りに事は進んでいるのだ。その進行をハギーマの感情で損ねてしまえば、今度はハギーマの為政者としての資質が疑われることになる。サイディーランからも、ドレーノンからも、そして、この動きを見ている世界中の国家からも。
「……裁判長、一度休憩を……」
苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべていたハギーマは、裁判長に選任されたサイディーランに弁護人を通じて休憩を申し入れる。
そのまま無言で立ち上がったハギーマは、一度公判廷から姿を消した。
怒りに任せて足早に立ち去るハギーマに続くように、裁判長と、裁判官二名と原告側弁護人が、先程入ってきた通路を通って公判廷から出て行く。少ししてから、被告側弁護人も立ち上がり、何人かの兵士によって拘束された総督も立ち上がった。そのまま半ば逃げるようにその場から立ち去る。
こうして、公判廷からは、誰も居なくなった。
裁判官三名、被告人席のレベセスとその代理人、そして原告席のハギーマとその代理人のいなくなった公判廷には、暫くの間悲喜交々の感情が入り乱れることになる。
年内最後の投稿になりそうです。
さて、この後どうなるのか。着地点は見えてますが、そこまでうまく運べるかどうか。




