ドレーノ擾乱 第二章9 裁判に向かって
リオ大陸にある唯一の国家、ドレーノ。その首都となるロニーコでは、裁判の準備が着々と進められていた。
この裁判は、仕組まれた物だ。但し、合法的なものだ。合法的なものであったわけではなく、合法的なものになったと言ったほうがいいだろう。
ドレーノ存在にする二つの階級、サイディーランとドレーノン。
彼らは、立場と目的が違いこそすれ、ドレーノはラン=サイディールからの独立を目指した。誰からも支配されぬ国家を。自分たちが自分たちの事を決めていく国家を目指した。
違うのは、『自分たち』の事をサイディーランはサイディーランのみだと定義し、ドレーノンはサイディーランもドレーノンも含めたドレーノ国民であると定義した事だろうか。そして、その微々たる差異が、国の体制を根本的に覆すものになりかねないのだ。
そして、今。
サイディーランによるドレーノ完全支配の状況を作り出すため、ハギーマ=ギワヤは法典の制定を指示し、同時に法廷の整備を指示した。
総督府にある議事堂を、第一位ドレーノンのハギーマは占拠する。それは奇しくも、憎むべきラン=サイディールの手先の象徴だった。それをドレーノンが占拠し、法典の制定を行う事で、明らかな対立姿勢をラン=サイディールに示したことになる。
物事には順序がある。
その順序に、ハギーマは従おうとしていた。
現在は、まだドレーノは国家としては認められていない。
ドレーノは、単なるラン=サイディール国の植民地に過ぎない。まだ、ラン=サイディールの領地にすぎないのだ。ラン=サイディールの一つの州に過ぎない。地続きではないが、一つの藩に過ぎない。
その植民地が独立を明示する為にやらなければならない事。州でも藩でもなく、一つの国として周囲に認識させるための必要条件。
それは、ラン=サイディールの設置した議会ではない、ドレーノ国民による議会の設置だった。
ドレーノはラン=サイディールから独立しようとする集団なのだが、最初はやはりラン=サイディールからの認可が必要だった。といっても、馬鹿正直に事情を報告し、承認を得るにしても、ラン=サイディールから認可が取れる筈も無い。
そこで、ハギーマが行なったのは、サイディーランによる議会設置の要請だった。
もちろん、その要請はラン=サイディールには届いていない。だが、過去のラン=サイディール国がドレーノに失脚した貴族たちを送り込んだ経緯を、ハギーマはうまく利用する。
ハギーマは、ドレーノの主権は改めてサイディーランが持つことを謳い、多くのサイディーラン……といっても、ドレーノンとの数の比較では、圧倒的に少数になるが……の承認を取り付ける。過去のラン=サイディールが与えた、ドレーノ国内でのサイディーランの優位性がここで効果を発揮することになる。
この瞬間、ドレーノにはドレーノの住人が主体となる議会が、歴史上初めて設置された。
その議会で、歴代の総督の悪事に対する裁判の開廷を承認。また、ドレーノ国としての憲法の制定についても承認、その素案が出されることになる。
そして、素案が正式なものとして可決された。その素案は、奇しくもラン=サイディールの憲法の中身をドレーノ向けに文言を変えただけの物だ。ブラッシュアップは後世の政治家たちが行えばよい。今は、とにかくドレーノが憲法を持ち、議会を持ち、その議会によって、王が選任される事こそが、最重要だった。
歴代の憲法など、時代によって形を変える物。現在の憲法では、主権がサイディーランである事さえ謳っておけばいい。半永久的に規定された、サイディーランに因るサイディーランの為のサイディーランの国家。
そして、今回の裁判での争点。
それは、歴代の総督の罪だ。その中でも最も重罪なのが、今回の事件……後世では『閃光の大火災』と呼ばれる出来事の実際の行為者であるということ。総督レベセス=アーグこそが、『閃光の大火災』の重罪人である事。その一連の大罪を裁く物として、レベセス=アーグ総督を裁判にて弾劾するに至った、という経緯だ。
もちろん、とある日の早朝の閃光は、レベセスの仕業ではない。また、その日の深夜帯に発生した火災も、レベセスは関わっていない。
だが、今回の裁判では、それを理由にレベセスを拘束した。そして、この罪状を元に、レベセスを処断する。
処断をした上で、ラン=サイディールに対し、独立を宣言する。
歴代の総督、とりわけ現総督の統治より、かつてはラン=サイディールで権勢を振るったテキイセ貴族の末裔、サイディーランこそがドレーノを統治するに相応しい存在であると。そして、サイディーランの第一位、ハギーマ=ギワヤこそが采配を振るう事がふさわしい、と。
「三日後だ。三日後に、総督レベセスを弾劾裁判にかける!」
ハギーマはニヤリと口角を上げた。その表情は、以前の根拠のない自信に満たされていたあの時とは違う。裏打ちのある知識と実力を手に入れているそれだ。かつてのギワヤ家すら、ここまでの圧倒的な指導力はなかっただろう。
今、ハギーマはギワヤ家を超え、悲願であった王の地位へと昇りつめようとしていた。
弾劾裁判が三日後に行なわれる。
その触れは、半日を待たずしてドレーノ全域に伝わった。
ドレーノン達は、あまり関心を示さない。彼らは日々の生活を懸命に生きている。誰が支配階級として君臨しようが、彼等にしてみれば大した問題ではなかった。所詮、彼等はラン=サイディールに搾取され、政権が変わればサイディーランに搾取されるのだ。ラン=サイディールとサイディーランの二つに搾取されていた、所謂『搾取口』が一つに統一されただけで、彼等の生活は何も変わりはしない。どちらかというと、姿かたちを見たことのないラン=サイディールの人間よりはむしろ、馴染があると言える。無論、親近感を持つ類の馴染ではない。お馴染みの道楽に、お馴染みの搾取、お馴染みのドレーノン虐待が続くだけだ。半永久的に。彼らの立ち位置は何も変わらないのだ。
三日後の裁判に反応したのは、現在地下に潜っている総督派の面々だった。
三日後にレベセスが法廷に姿を現す。これは間違いないだろう。総督の姿なしに裁判を開廷することは事実上不可能だからだ。と言っても、それはあくまで普通の裁判の場合だ。欠席裁判の場合もあるが、今回の場合は、サイディーランがレベセスを確保しているのは間違いない。そうなれば、レベセスを法廷に引きずり出さない意味がない。
もっとも、法廷に上がってくるレベセスが本物かどうかはまた別問題だ。
もはや、レベセスを亡き者にしているとするならば、裁判に姿を見せるのは、ダミー。偽者だ。その偽者に、歴代のラン=サイディール国の総督の罪を認めさせる。そして、主権の移動を認定させる。
サイディーランの目的は、ドレーノ統治の根拠。それさえあれば、レベセスそのものの生死はそこまで大した問題ではない。ただ、今実際にレベセスの生死は不明だが、法廷で『レベセスと認識された何者か』が証言しさえすれば、その証言はレベセスが行った者として処理され、サイディーランの天下がスタートする。
総督派は、裁判の開廷する三日後までに、レベセスを奪取せねばならない。生きているレベセスを。サイディーランが準備したダミーのレベセスは、生死は問わない。ただ、レベセスがサイディーランに拘束されているのではないという事を、ドレーノンに示さなければならない。その一番確実な方法が、レベセスそのものに、裁判時に別の場所にいてもらう事だ。そして、政権の譲渡をサイディーランに行なうレベセスが偽者であることをドレーノンの前で証明しなければならない。
その為には、裁判前にレベセス本人を奪取しなければならない。
実は、そこが一番困難だが、今後のドレーノの運命を左右する問題なのだ。
「レベセス様の監禁場所はわからないのか?」
偉丈夫宰相カンジュイームはもどかしげに唸った。
少女ゼリュイアは、そんなカンジュイームの所作を不安そうに見つめていた。
三日後の裁判時にレベセスを奪取できなければ、裁判開廷時に、レベセスを殺すしかない。レベセスに独立の話を法廷でさせてはいけないのだ。
それを考えると、カンジュイームは気が重くなる。だが、カンジュイームはわかっていた。もしもの時は、レベセスを暗殺するように、カンジュイームは命じられていたのだ。
結局、総督派は三日の間の必死の捜索に拘わらず、レベセスの監禁場所を見つける事は出来なかった。
……サイディーラン、ドレーノン、そして総督派の人間が、それぞれの思いを胸に秘め、ついに裁判当日の朝を迎える事になる。




