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界遊記  作者: かえで
ラン=サイディール禍
40/252

鐘楼堂へ

 眼前の蒼い髪の戦士に掴みかからんばかりに詰め寄ったレーテ。

 次の瞬間、彼女の身体は中空に放り出されていた。何者かが彼女の名を呼んだことは覚えている。だが、それは明確な映像記憶として覚えている訳ではない。ましてや、誰が呼んだのかなど、彼女に解る筈も無かった。

 彼女の視界はぐるぐると回っていた。天井が見え、床が見えた。それも映像というよりは視界の明暗で己が回転している事が想像できるくらいだ。

 ただなんとなく、近づいてくる物が床で、遠ざかっていく物が天井だ、という認識しかなかった。そして、床に叩きつけられたら自分の命も終わるのだろうか。そんなことを漠然と考えていた。

 突然、酷く強い力で腕を引かれる。体は回転を続けようとするが、腕が抑えられ、ひねった状態となり、酷く痛みを覚えた。だが、その直後その回転が抑え込まれるように止められた。

 宙に浮くふわりとした感覚があり、その後硬い物の上に横たえられた感覚が残る。なんとなく、助かったのはわかった。だが、どのようにして助かったのか確認する前に、少女の意識はぷっつりと途切れた。




 追手は無くなった。

 謁見の間の扉をこじ開け、広間を一瞬で駆け抜けたが、その横にいた初老の男性にはファルガの姿は捉えられなかったに違いない。そして、彼は知ることはないが、ベニーバとリャニップ以外の人間は、その二人に許可された者以外謁見の間の先への立ち入りが禁止されている。

 実質、追手はこれで撒いた事になる。

 少年ファルガは、抜刀したまま、回廊の先にある階段を駆け上る。

 真っ直ぐに昇っていく階段はすぐに途切れ、巨大な空間に躍り出た。

 その空間は兎に角広く、上空に高く伸びていた。空間の壁に沿うように昇っていく階段は、階段に寄り添うように昇っていく燭台の列に明るく照らされ、神秘的な教会のような雰囲気を醸し出していた。白い壁。青銅の手摺。神々しいとはまさにこのことか。そして、その先には名前の知らぬ、ラン=サイディール国首都デイエンにある薔薇城の最も高い場所。

 『鐘楼堂』。

 彼がこの名を知るのは大分後になる。

 その神々しい空間の床部分に、二人の人影が見えた。

 一人は黒マントに蒼髪の男。そして、もう一人は冒険者によくある、厚手の麻の衣服に身を包んだ少女。

 この少女が、レーテ=アーグであることを認識するのに、ファルガは幾何かの時間を要した。彼の見知った少女の風体ではなかったからだ。ここにいないはずのレーテが薔薇城の塔内にいるという事も彼の判断を遅らせた。彼が気づいたのは、黒マントと少女という、余り例のない組み合わせ。そして、ハタナハで起きた悲劇のフラッシュバック。

 あの男は、あの日ハタナハの中空に留まっていた三人のうちの一人だ。あの時は、真ん中の男が二人を完全に始末した。だが、その男は残ったはずだ。

 ハタナハでの一件では、黒マントの男の顔は見たことがなかったが、何となくその男だと、少年は確信した。少女の正体を知るとともに、黒マントの存在が、レーテの敵である事にも思い至る。ということは、横たわっている少女は黒マントの男に返り討ちにされたのか?

 その理解の後、倒れた少女を見下ろす黒マントが、少女を助けたとは到底思うまい。ハタナハでの悲劇が再度起こった、としか思えないだろう。

 ファルガの誤解は、仕方のないものだったのかもしれない。

「……レーテに何をした!?」

 ファルガの身体を光の膜が包む。

 彼の怒りの感情に呼応して、聖剣がファルガに力を与えた。

 一瞬体の力が抜ける感覚。いや、抜けるというより激しく剣に力が吸い上げられていく。その直後に、剣から逆流する圧倒的な力。生命力。それは、ファルガにとてつもない力を与えた。

 この感覚は、実は二度目だ。何度かファルガは聖剣の力を引き出してはいる。だが、ここまではっきりと聖剣の力を引き出したのは二回目だ。

 一回目は馬上でのジョーとの戦闘の時。あの時は最初という事もあって、追跡する馬上から抜刀し飛び掛かった瞬間、ファルガは一瞬気を失っている。そして、その直後に数倍の力を剣から戻されたファルガは、言わば強制的に叩き起こされた状態だ。勿論その記憶などなく、本人の記憶に残る映像としては、ジョーに飛びかかった状態での聖剣使用。

 雄叫びを上げた次の瞬間には、ファルガの斬撃はマントの男に到達していた。

 ただ、ファルガの予想と違っていたのは、聖剣の力で大幅に増した速度の斬撃を、その黒マントの男は軽々と受け止めたという事だった。

 今まで、聖剣を発動させたファルガの斬撃を受けたり避けたり出来る者は存在しなかった。あのカニバル=ジョーですら。かの美神ですら、ファルガの斬撃を避ける事も受ける事も出来ず、左手を飛ばされている。あのまま戦い続けていれば、間違いなくファルガはジョーを倒すことができただろう。

 だが、この蒼い髪の戦士は、疾い斬撃にも余裕を持って対応し、軽々と捌いていた。

「ほう……、聖剣の力を早くも引き出せるようになったか。あの時から約十日。成長速度としては申し分ない。……だがっ!!」

 レーテを覆い隠すようにして立て膝をついていた黒マントの男ガガロ=ドンは、上部から斬りかかったファルガの剣を押し上げるように刃で受けつつ立ち上がると、そのまま左足の膝蹴りを少年の鳩尾に叩き込んだ。

 息が詰まる。呻き声すら上げられず、受け身も取れずに少年ファルガは床に落ちた。

 殺すつもりなら、黒マントの男は容易にファルガの首をとる事ができただろう。だが、黒マントの男の攻撃はそこまでだった。レーテの無事を一瞬の目配せで確認し、ファルガの更なる攻撃を牽制したものの、それ以上の追撃はせず、ゆっくりと浮遊を開始した。

 蒼い髪の戦士、ガガロ=ドン。彼にはやるべきことがあった。

 この城にあるもう一本の聖剣。それを手に入れなければ、この城を去る事はできない。

 ふわりと浮き上がり、螺旋階段の中腹へと再び舞い戻るガガロ。

 呻きながら半身を起こすファルガは、遠ざかる蒼い髪の戦士を目で追っていた。

(完全にやられた……。俺やレーテを殺す気になれば簡単に殺せたはず。あいつは俺たちの事を見逃したんだ……。一体何故……?)

 そこで、我に帰ったファルガは、眼前に横たわるレーテを見た。そのまま立ち上がると、一瞬体が引き攣るような不便さはあったものの、すぐにガガロの攻撃による痛みは薄れ、横たわるレーテに駆け寄る。

「レーテ! 大丈夫か! しっかりしろ!」

 少女の小さな胸は、ゆっくりと動いている。息はあるようだ。

 眼前の敵は遠ざかった。だが、今は撒いたにせよ、追手が続く可能性はある。今のうちに安全な所に移動しなければ。

 ファルガは剣を鞘に戻し、横たわるレーテを抱き起こすと、そのまま背負った。その上で、周囲を見回す。

 冷静に考えれば、逃げるところなどない。このままレーテを連れて塔を降りた所で、追手の方に進み、鉢合わせするだけだ。では、この塔に隠れてやり過ごすか。実際はそれも不可能だろう。となると、塔の階段を上がるしかない。上がって、状況を見極め、その上で脱出方法を模索しなければいけない。

 螺旋階段の途中で、詰問をする黒マントが遠巻きに見える。

 恐らく、その相手は肉塊宰相ベニーバ=サイディールだろう。やがて、黒マントはそのまま階段を上り始めた。

「ファルガ! レーテ! 一番上まで上がってこい!」

 聞き覚えのある声。しかし、その声の主の姿をファルガは知らない。どうもその声の主はレーテの事も知っているようだ。どこに逃げても逃げ場がないように感じでいたファルガは、レーテを背負ったまま、ゆっくりと階段を上り始める。声の方に行けば助かる。そんな根拠のない確信があった。

 声の主は、塔の壁を巻き付くように昇っていく青い螺旋階段と天井がぶつかるその場所に穿たれた穴から、顔を出して叫んでいた。

 階段を昇っていく途中で、一昨日まで必死に守ろうとしていた肉塊が、階段にその醜い体を横たえている。何かを言いたげだが、震えて声にならない。何とか動かせる右腕で、ファルガの足を掴もうとする。だが、その手の動きでバランスを崩したベニーバは、腐り落ちる肉塊の様な声なのか、音なのかを立てながら下の踊場まで転げ落ちていった。

 ある程度階段を上がったところで、階下に多くの人の気配を察知するファルガ。その気配はやがて実態となり、ファルガの耳に足音として届き始める。階下に目を移した瞬間、米粒程に小さく見える追手たちが塔の床にさっと広がった。

 耳障りの悪い濁声が微かに聞こえる。だが、その声に反応した追手たち。次々に螺旋階段を上り始めた。

 このままだと追いつかれる! まだ距離はあるが、何十人もの兵士が、流れるように迫り来る。

 階段を上る速度を上げようとするファルガの背から、聞き慣れた声がした。

「ありがとう。もう大丈夫。降ろして」

 どうやらレーテは意識を取り戻したらしかった。

 ファルガは腰をかがめ、レーテを降ろす。

 その直後に背後から聞こえる揶揄とも聞こえる鋭く冷たい声。

「……ファルガ、貴方なんて格好しているのよ」

 そういえば、思い出した。今、自分は侍女の服を着ている。女物の制服に身を包み、生まれて初めて履いたスカートというものは足元からスースー風が入ってくる。この足元の寒さは、夏の終わりの明け方の気温だけが理由ではあるまい。

 好きでそんな恰好をしている訳じゃない。自身を追っ手から逃がすため、必死になって変装をしたのだ。手にとった服がたまたまそれであって、意図してそれを選んだわけではない。ましてや、あの更衣室は暗闇だった。前後ろさえわからない程の暗さで、服の向きを間違えなかっただけでもよしとしないと。

(……俺はなんでそんな言い訳を考えているんだ……)

 なぜか無性に目頭が熱くなったファルガは、言葉を一言も発することなく、階段を駆け上がり始めた。

「ちょっ……、ちょっと待ちなさいよ!」

 慌てて追いかけ始めるレーテ。そんなレーテを先に行かせ、ファルガも少女の後ろから階段を駆け上がり始めた。


 二人の少年少女が螺旋階段を駆け上がっていく。

 その足音とは別に、彼らの周りに不思議な金属音がし始めた。肉塊宰相が、床に這いつくばった状態で、さらに到着した追跡者集団に、矢を射掛けるように指示したのだ。

 射掛けられた大量の矢は、殆ど彼らに命中する軌道には飛ばなかったのだが、それでも少年たちの足を竦ませるのには十分な攻撃だった。

 通常、人間の長い人生では、剣で斬り掛かられることは殆どないが、大量の兵士から弓を射掛けられる経験など、殊更経験することはないだろう。実際、ファルガもレーテも大量の矢で射掛けられる経験は初めてだった。

 無数に飛来する矢。その風を切って近づいて来る音は、経験のない彼らからすれば脅威だった。そして、大量に飛来する矢の本数は、多数の人間に狙われているという客観的な事実として少年たちの心に届き、言い様のない絶望に包むことになる。

 彼らが攻撃している標的は、誰でもない自分達。彼らが殺意を向けている相手は、不特定多数の中の自分達ではなく、完全に自分達。それ以外の他者でもない。その向けられる殺意と悪意とが、まだ無垢な少年と少女の足を竦ませ、彼等の心を傷つけた。

「走れ!」

 そう叫ぶファルガだったが、自身の足も竦んでしまっているから、スピードに乗って走ることはできない。追いつかれるのは時間の問題だった。いつの間にか、追手の先頭が長槍を持った集団であることを目視できる距離まで、敵の接近を許してしまっていた。

 このままだと、天井に到達する前に、長槍部隊に追いつかれることは間違いない。

 ファルガは、再度聖剣を抜き放つと、走って逃げるレーテの背後を守る為、階段の中心で仁王立ちになった。


 兵士たちは、ファルガから少し離れたところで立ち止まる。

 この少年からは、えも言われぬ気配を感じる。殺気とも違う、強い覚悟を纏った覇気のようなもの。それを感じ、兵たちは足を止めた。

「行かせないよ。この上に何があるかはわからないけれど、ヒータックが何かを準備してくれているはず。その何かが彼らを救うまで」

 ファルガの心の中は、冷静だった。

 今までは、感情の発露とともに聖剣を振るった。今回も、感情の発露には違いない。だが、その感情は、迸る一時の感情ではなく、彼の冷静に思考した上での覚悟。その上に成り立っていた。

 螺旋階段を駆け上がってくる兵士たちの戦闘集団である槍部隊が、立ちはだかる少年に目掛けて、排除の突きを繰り出したその瞬間、ファルガの目に映る時の流れが突然その速度を落とした。

 ゆっくりと冷たい光を放ちながら接近してくる数本の穂先。その中の、ファルガの手元に一番早く到達しそうな物から、聖剣を使って順番に弾いていく。一番手前の穂先は右に弾き、その次は左に。背の高い兵士から繰り出される穂先の鋭い突きは、そのまま上に弾いた。下に払い落としてもよかったが、次のファルガの攻撃の妨げになる。

 彼は彼に向かって来る槍の穂先を全て弾いた後、一番ファルガに近い兵士の鳩尾に柄での打撃を見舞った。その動きの後、二番目に近い兵士の顎を肘打ちで打ち上げた。三番目に近い兵士の前で、肘打ちからの流れで一回転したファルガは、そのまま三番目に近い兵士の股間部に左足での回し蹴りを叩きこんだ。

 全ては、突然兵士たちの動きが遅くなったが故、実行に移せた攻撃だった。

 そして、腹を抑えてゆっくりと蹲ろうとする一番手前の兵士を突き飛ばし、距離をとった。

 最もファルガに肉迫していた兵士は、悲鳴を上げながら、戦闘集団の数人を巻き込み、階段を転げ落ちた。

 だが、背後には恐らく数十名の兵士がいたのだろう。先頭の兵士たちの転倒に後続の兵士を巻き込んではいけない。転がり落ちてくる兵士を、箒で家の外に吐き出すように排除した二列目集団の兵士たちは、そのまま先頭に躍り出ようとする。

 哀れ、先頭にいた兵士集団は悲鳴を上げながら螺旋階段からずれ、階段の下に落下していく。そして、耳障りのいいとは決して言えぬ、液体に湿らせた雑巾を落した時に聞こえる音が辺りに数回こだまする。

 ファルガは次の穂先の一撃を待ち、それらを全て弾き返すつもりでいた。

 だが、そこでまた新たな変化が起きる。

 ファルガから見て左手側をぐるりと一周する塔の壁が、突然轟音と共に弾け飛んだのだ。弾け飛んだ壁はそのまま螺旋階段も打ち壊し、ファルガと兵士たちの間に大きな溝を作る。

 何十人もの兵士が転落していく。そして、ややあって先程と同じ音を幾つも響かせ、塔の床は赤い絨毯が敷き詰められることになった。

 ファルガは、壁を壊した正体を見極めようと穴の向こう側にいる存在に目を凝らした。だが、ファルガの乗っている側の螺旋階段が徐々に歪み始めたため、その正体を確認できないまま、背から呼びかける声に導かれるように、少年は剣を鞘に戻し、ゆっくりと傾き始めた螺旋階段を駆け上り始めた。

 ファルガが走る螺旋階段の崩壊は、彼の駆け上がるスピードよりほんの少しだけ早かった。聖剣の力で、走る速度は相当に高まっていたはずだが、それでも螺旋階段の崩壊の方が少し早かった。

 ファルガが到達する直前、天井に繋がっていた螺旋階段が崩壊し、ファルガは中空に投げ出された。だが、落下を始める直前に、ファルガの手を掴んだ者がいた。

 初めて見る男。だが、その気配には覚えがあった。

 鉄の扉越しに、ファルガを挑発し、叱咤した男。だが、あそこでこの男に叱咤されなければ、未だにファルガは、牢の中でソヴァやマーシアンを待ち続けていたかもしれない。

 ファルガは、天井に穿たれた穴に引き上げられた。

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