少年の疾走
遅筆が少し解消? そんなわけないですよね……。
何故こうなった?
ファルガは、かつてないほどに走り続けながら、必死に考えていた。
最初は、誰にも見つからぬよう、自身の幽閉される牢獄から脱出した筈だった。
事は静かに進めた筈だった。
彼は、現在のラン=サイディールが……首都デイエンがどうなってしまったのか知りたくて、最も高い場所を目指した。
高い場所。全てを見わたすことのできる場所。それは、幼子でも皆知っている。ラン=サイディール国首都デイエンに建造されたデイエン城、通称薔薇城の最上部にある、鐘楼堂。
鐘楼堂にある美しい鐘の音は、万人に美しい想像をさせる。これほど澄み渡った音色を遠くまで響かせるこの鐘は、美しいに違いない、と。
その鐘楼堂のある塔を目指してファルガは走っている……筈だった。
だが、上層階への階段を求めて扉を開ける度、彼が行こうとする場所とは全く違う場所だった。開けた所は兵の詰所だったり、侍女の部屋だったり、果ては城に設置された風呂の浴室だったりもした。
どうやら、自身では気づいていなかったが、ファルガは極度の方向音痴らしかった。
といっても、方角がわからないのではなく、建造物内で動き回っているうちに、自身がこの建造物のどこにいるのかという相対的な位置関係がわからなくなってしまうのだ。昔から山育ちの彼は、空を見れば方角がわかった。だが、建造物の中では方角を察する為の道具が全くない。少なくとも、一度通った道順を平面の図に落とし込めるような地図作成職、所謂『マッパー』と言われる職業は彼には全く向いていない事が否応なしに証明されてしまった形になる。更に、出鱈目と言っていいほど適当に扉という扉を開けたため、よりその方向感覚のなさを露呈することになってしまった。
扉を開ける度、悲鳴や怒声が響き渡り、その声に追われるように、彼が城内の廊下を疾走すると、その後続には何十人もの兵士や侍女がそれなりの武器を手に取ってファルガの追跡をしてくる。
彼のそれほど長くない人生経験上、ここまで不特定多数の人間から追い回されたことはなかった。それが何故、それほどまでに追い回されるのだろうか。
その理由には、彼の身に付けた収監着があげられるだろう。元々収監されている際に身に付けている着衣を身に纏った人間が王城の廊下を走っていれば、それは誰しもが取り押さえなければいけない人間だと判断を下すだろう。
それに途中で気づいたファルガは、何とか追手を一瞬撒き、別の衣装が手に入りそうな部屋に忍び込む。それは、侍従たちが更衣を行う小さな部屋。所謂着替え部屋だが、そこに数多くの衣服が置いてあった。
手に触れた衣装に取敢えず、着替えをするために部屋を物色するファルガ。収監着では、目について仕方ない。それ故、一番手前にあった箪笥の引き出しを開け、ほぼ暗闇の部屋の中で自分の体に合った服を探し、袖を通した。それと同時に、収監着を窓から投げ捨てる。この収監着がこの部屋に残されていれば、追跡者たちに、追跡対象の衣服が変わっていることを気づかせてしまうからだ。
着替えを終え、剣を背負って廊下に出たファルガは愕然とした。完全ピンクの侍女の着る衣装だったからだ。下半身は所謂『スカート』と呼ばれる服であり、非常に足元がスース―する。上半身は下半身の衣装とだけ比べてみれば見事なコーディネートだった。どこからどう見ても侍女の格好だ。……恰好だけは。
元々子供から大人へと体が成長していく年齢にはわずかに到達していないファルガは、喋らず黙ってさえいれば、年相応の少女として、城内を徘徊する追手たちの目を誤魔化せたかもしれない。
一瞬、侍女の振りをすれば、追われることもないかもしれない、と考えもした。
だが、そこでも違和感はあった。それは、彼が背負った聖剣だ。侍女が帯剣するなどありえない。追手を騙しきれたのは、ほんの短い時間だった。
改めて追跡される立場になったファルガは叫んだ。
「この城にはもっとまともな服はないのか!?」
まともな服がないわけではない。衣装については、単純に彼の選択ミスなのだが、ある意味、より追い込まれた彼にしてみれば、ボヤきたくなるのもわからなくはない。
ちょうど、彼が廊下に出たタイミングで、追跡者が追いついてきた。
もう、もう一度更衣室に忍び込んでいる時間もない。というより、忍び込むというのはあくまで万人の目に触れないことが大前提であり、この状況ではそもそも忍び込むという状況にはなりえない。
ファルガは、過去にないほどの屈辱を覚えながら、再び廊下を疾走する。
残念ながら、彼に追いつくスピードを持つ兵士も侍女もいない。必然的に、彼は単独で城内を走り抜けることになる。
運良く見つけた上りの階段も、なかなか鐘楼堂へ到着するものとはならない。フロアを移動したり、建物を移動したりすることはあっても、なかなか更に上層部への移動とはならなかった。
ファルガはふと気づいた。
塔の性質を考えれば、上層部へ移動するための階段の場所も自ずと予想がつく。
鐘楼堂は、あくまで観光名所として、あるいは人々の心の拠り所として存在する。簡単に側に寄ることができないからこそ、その存在価値がある。それならば、一般人が普通に出入りできる所にあっては上手くない。であれば、一部の人間、とりわけ王家の人間しか入れないところに上層階への階段があるはずだ。
ファルガはその推理の下、王族しか入れない場所をなんとなくイメージする。
その結果、たまたまではあるのだが、彼は真の結論にたどり着いた。
王は謁見の間の背後の入口から現れる。決して自分たちが通された大きな観音開きの扉からではない。そうすると、謁見の間の向こう側に更に上層階への階段があるに違いない。
その塔に入ろうとするなら、謁見の間を突破しなければならない!
ならば、謁見の間への道筋を見つけないと、そしてそこを突破しないと次には進めない。
ファルガは、一路謁見の間を目指した。
謁見の間は、ほぼ全ての城に設置されている広間だ。王が常駐する城ならば確実にあるだろう。だが、その謁見の間までの城のルートを知る者はあまりいない。
勘者の侵入を防ぎ、よしんば侵入を許したとしても、王の世俗との接点となる謁見の間は簡単には到達できない位置に設置されるのが殆どだ。
謁見の間での謁見者と王との位置関係は、それがそのまま天上と下界を指す。数段上がる王の席は、下界の謁見者が見上げることすら許されない。勿論、謁見者は王の顔を拝することもできない。唯一王から許しがあった時のみ、顔を上げることができる。
それ故、謁見の間で剣を抜いたファルガは懲罰の対象となり、地下牢に幽閉される事になったのだ。
近衛兵でもない存在が、謁見の間で剣を抜くなど、絶対にあってはならぬことだった。それを行なったのだから、束縛されても致し方ない、といったところだろう。勿論、あの状況下で剣を抜かなければ、あの場にいた人間はソヴァを除いた者全て、侵入者に倒されていただろう。
それほどの状況だった。だが、聖剣を欲していたベニーバは、それをいい口実とばかりにファルガを拘束したのだ。
走り続けるファルガ。
不思議と体力は消耗しない。息が切れることもない。ただ、気だけが急いていた。一体何が起こっているのか。それが知りたかった。
城の中を駆け巡る緊迫感と、城の外からなんとなく感じる戦いの印象と、幾許かの諦観の空気。少なくとも、ファルガが今まで感じたことのある雰囲気とは全く異なっている。もっとも、城内の緊迫感の何割かは、ピンクの侍女の服を着たまま規格外の身体能力で走り回る少年が原因ではあるのだが。
廊下を折れると、木造の巨大な観音開きの扉が姿を現す。その傍に兵士が二名、長槍を持って立ち番をしているが、疾走するファルガを見て、違和感を覚えたようだった。無理もない。侍女の服を着た少年が全速力で突進してくるのだ。その状態を黙って見過ごすわけにもいかない。
兵士は扉の前で長槍を交差させた。
だが、そんなものでファルガは止まるわけには行かない。また、止まるはずもない。
この時、なぜか少年ファルガには、槍の動きが酷くゆっくりと交差するように見えた。そして、その交差させた槍が、ファルガの方に倒される時も、酷くゆっくりとした動きに見えた。
ファルガはゆっくりと倒されてくる槍を受ける為、そして、弾き返すため、剣を抜いた。
槍がファルガの頭上に到達しようとしたその瞬間、ファルガは剣を袈裟に切り上げるように槍の柄の部分を打ち上げ、一瞬出来た間を使い、槍の門を通り過ぎ、そのまま応接の間へ続く扉のノブに手を掛け、押し開く。扉は非常に重かったが、扉の中でバキリと鈍い音がし、ゆっくりとではあるが扉が動き出す。
兵士たちの顔は驚愕で歪んでいた。
安全のため、謁見が成される時以外は、謁見の間は施錠され、固く閉ざされているはずだった。だが、けったいな風体のこの少年は、その重くて厚い扉の施錠をひと押しで破ったのだ。鍵がちぎれたのではないだろう。扉同士を結びつけている金属の『デッドボルト』部が扉の『トロヨケ』部を壊したのだろう。扉はメシメシと嫌な音を立てながら押し開かれていく。
謁見の間には一人、大臣がいた。本来ならば宰相はベニーバのはずなのだが、マユリが未成年者の為、後見人としてベニーバが王の仕事を執り行っている。それ故、ベニーバは自身の宰相という立場の代理を立て、その者に大臣という地位を与えた。
今、少年ファルガの前で、玉座の側にデスクとチェアを準備し、そこで佇むように書物に目を通していた大臣は、まさにその男だった。
男は扉の破砕音に驚き、扉の方に向き直った。だが、一瞬ピンクの何かが彼の視界を掠めたものの、それが何者であるかの判断はつかなかったようだ。彼はふらりと立ち上がると、開きかけた扉の傍まで歩みを進めるが、鍵部の破損には気づかず、再び扉を閉め、施錠した。鍵をかける時の手応えに多少の違和感を覚えながら。
注意すれば幾らでも現在発生している異常に気づくことができる要素を発見できたにも拘らず、この凡庸な国政補佐は、国家……というよりは、己の主の危機すら感づくことができなかった。
彼は再び自分の席に戻ると、薄暗いランタンの光で書物を読み耽った。




