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界遊記  作者: かえで
ラン=サイディール禍

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38/257

塔での攻防

 ラン=サイディール国首都デイエンに、国家の中心としての偶像ともいうべき巨大な城が聳え立つ。ラン=サイディール国史上、後にも先にも山よりも巨大な城を建造したのは、ベニーバ=サイディールただ一人だ。

 だが、それはサイディール家の汚点として名を残すことになる。

 維持費が膨大なハリボテの城。本来の城の機能を持たぬ、偶像としての価値しかない、平和ボケした愚かな貴族のマイホーム。

 そこに存在することそのものに価値を求めたその城が、一日にして容易に落城したとなれば末代までの笑い種だ。ましてや、偶像としての価値しかない城が炎上、消滅すればもうそれは愚か者の寓話としてのみ、後世に残ることになるだろう。

 その一角に、これまた広告効果しか望めない鐘突き堂が存在する。この鐘楼堂は、巨大な薔薇城のまさに最上部に聳え立つ。遠巻きに臨む城の最も高い部分を指摘すればそれが鐘楼堂に間違いない。夕日を背に鳴り響く鐘の音は、初めて見る者の琴線に触れる。この鐘も、万人は鐘その物の形状は知らぬはずだ。

 その偶像の中に、一人の男が姿を現した。

 醜い肉塊。

 この国家の最高権者にして、最も逃亡をしてはいけない筈の人物。だが、彼がこの場所に姿を現したのは、自身の欲を満たす為でしかなかった。その男は、義務を放棄し、権利ですらない横暴を行なう為に、首都の象徴内に存在する。

 彼は、既に自分の仕事を完全に放棄していた。

 今までもそうだ。

 何か問題があると、必ず側近に対応させた。最初から最後まで。自分は現実逃避に没頭し、事態が通り過ぎるのを待つ。その間に側近が獅子奮迅の働きを見せ、絶望的な状況を打開する事で問題解決がなされた際、それを自分の手柄として名を挙げた。しかし、名を一つ上げる度、有能な側近を一人、また一人と失ってきたのだ。

 今回も、このビア樽は同じ手法で乗り切ろうとしていた。意識的にやっていたかどうかはわからない。ベニーバ自身は、テキイセ貴族を疎んでいたが、元々の出身は古都テキイセだ。自身も元々はテキイセ貴族に他ならない。根本は、毛嫌いし憎んだテキイセ貴族と何ら変わらなかったということだろう。そして、やっていることも行動原理も。

 マユリの自室を鐘楼堂に移したのは、マユリが彼の性癖の対象になってからだ。といっても、リャニップのような、対象を破壊する願望はない。ただ、ねっとりとしたどす黒い欲望で覆い尽くすだけだ。そして、本人が満足すれば離れ、必要になればまた覆い尽くす。本人も、対象も気づかぬ速度で徐々に蝕んでいくただそれだけの代物。

 自分の欲望を発散することで、自身が過度に受けたストレスが軽減される事を知ってからの彼のもっぱらのストレス発散方法だった。

 鐘楼堂を目指すには、謁見の間の玉座の背後にある扉から廊下に出なければならない。廊下に出て、右手に見える階段を上がっていくと、特殊な煉瓦でできた褐色の回廊が暫く続くが、その少し先に青銅で着色された螺旋状の階段が存在する。屋敷が一棟まるまる収まってしまいそうな広さに、見上げ続けるだけでも首が痛くなるような塔の内側を抉りながら昇っていくイメージの階段には、数ヵ所踊り場が設置されているが、その踊り場に対応するように、踊り場の壁の部分には一枚の扉が設けられていた。この扉の奥が、宝物庫であったり、独房であったりする。そして、その扉の傍には、外の様子を窺い知ることのできる窓が無数に穿たれている。螺旋階段の手すりには、燭台がずらりと並び、螺旋階段と限りなく上へと伸びる塔そのものを内部から美しく照らし上げていた。

 塔を壁に沿って上がっていくと、遥か上層に天井があり、その天井に階段が通じている。ここから臨むことはできないが、鐘楼堂はその天井の上にある。

 踊り場に対応するように設置された扉の奥には、人目につかず隠されてきたとされる宝物庫があり、人を隔離することのできるスペースがある。彼の目指しているのはまさにそのうちの一つ。

 一刻も早く心に圧し掛かるストレスを拭い去りたい。彼の当面の目的はそれだけだった。


 あと少し。

 あと少しで、この苦痛から脱することが出来る。

 数あるうちの部屋のうちの一つの前に、何とか四つん這いの状態で到達したベニーバ。その形相は、文字通りこの世の者ならざる存在に追われて逃げ惑う、恐怖の物語の主人公。

 いよいよ迫り来る恐怖から逃げ切れる。

 一瞬の安堵の表情が、恐怖に凍る。

 四つん這いの肉塊の前に立ち塞がったのは、黒いマントの人影。夏の北国の海を思わせる深く澄んだ蒼い髪の奥には、鮮血の様な輝きが二つ。

 かの男は、ゆっくりと腰の剣を抜き、その切っ先をベニーバの鼻先に突き付けた。

「何処へ行こうというのだ。お前のやるべきことはなんだ」

 顔面蒼白のベニーバ。

 謁見の間で同じような事があれば、すぐに近衛隊を呼び寄せただろう。だが、この場所は神聖領域。ベニーバとリャニップ以外は、立ち入りを著しく規制していた。この地に足を踏み入れることが出来るのは、彼等親子に招聘された者のみ。そこは治外法権。酒池肉林。そこでは、彼等の望むありとあらゆる快楽に纏わる物が備え付けられている。

 例え、ベニーバの悲鳴が聞こえた所で、その悲鳴の内容については預かり知るべきではない。そこで発せられる声は如何なる種類のものであろうと、全く危険がない場所での、あらゆる快楽を知り尽くしたベニーバの、新たな歓喜の叫びと解釈すべきだ。それがどれ程の規模のものであろうとも。

 マユリを求めて鐘楼堂を訪れた醜い肉塊は、上がってきた階段を必死になって逃げ出す。とは言っても、そのスピードは常人が鼻歌交じりに散歩する速度に過ぎないのだが。

 少しして、ベニーバは最も早い逃げ方を確立した。それは、手や足を使わずそのまま螺旋階段の上を転げ落ちる方法だった。醜い悲鳴とともに転がり落ちるベニーバが、やっとその体の回転を停めた場所は、いくつか設置してある螺旋階段の踊り場の一つだった。

 その新しい手法での逃亡が、どれほどの間合いを取れたかは、当人ですらわかっていないだろう。だが、その逃亡こそが、彼の命を繋ぐことになる。

 肉塊を踏み越えるように現れた青年と、まるで汚物を見るような眼差しで肉塊に一瞬視線を移すと、それに触れぬように階段を進んでいった少女。結果的にこの二人が彼の救世主になった。

 分厚い肉に阻まれ、重大な負傷は負っていないベニーバ。この喋る肉塊の言葉は、彼の眼前にいる青年と少女に向かって投げかけられた。この男からすれば、眼前に立ち塞がってくれた青年と少女は、彼を護るために現れた近衛兵と同義だったからだ。

「ほ……、褒美はいくらでも取らせる。あのおかしな男を排除せよ」

 屠殺場の豚の様な潰れた声で呻くベニーバ。

 だが、その男は階段の脇に積み上げられた肉塊には一瞥もくれず、そのまま階段を昇る歩みを止めない。その後に付き従う少女は、ちらりと振り返ったが、すぐに男を小走りに追いかけた。少女からすれば、『それ』は何となく印象には残っていたが、以前にも増して肥えたその忌むべき姿に、ラン=サイディール国王代行の影を見る事はなかった。彼女の目には、派手な布を巻き付けた肉塊としか映らなかったのだ。

 ヒータックは、階上に立つ鮮血の眼差しを持つ男の数歩前で立ち止まった。それに合わせて少女レーテも階段の途中で立ち止まる。

 SMGの血族は、眼前の男の強さを一瞬で見抜く。

 眼前の剣士は戦って勝てる相手ではない。そもそもこの男は人間ではないだろう。緋の目を持つのは、伝説の魔族ガイガロス人。

 まさか現存するとは。遠い昔に滅びた……古代帝国と共に滅び去ったといわれているが、その真偽を確かめた者はいないと言われる。眼前にいる存在は果たして本物か否か。目撃情報もあれば、自身がガイガロスだと名乗る者もいた。だが、彼が関わった限りでは、その情報は全て虚偽の物だった。もはやこの世には残されていない。そう考え始めた矢先の、突然の邂逅。だが、この世界の歴史に酷く興味を持ち、同時に造詣の深いヒータックからしても、まさかこのタイミングで本物と出会うとは思ってもみなかった。元はといえば、ガイガロスに興味を持ったのも、あの男の影響なのがなんとなく悔しい。

 思わず舌打ちをするヒータック。

 だが、今ここでその伝説と衝突するつもりはない。彼の成すべきことは、免状を取り返す事。その免状は、他の宝物庫には見当たらなかった。となれば鐘楼堂にある部屋のどこかにあるとしか考えられない。


「お前たちはここに何をしに来た」

 緋の目の男は、突然現れた存在に戸惑っていた。

 当初、このベニーバという男を護ろうとする存在が出現したと感じた。だが、眼前の二人はベニーバを助け起こさず、自分の前まで歩みを進めてきた。この者達は何を望んでいるのか。ベニーバの命を守る事はせず、かといって自分の振るう剣に著しく興味を惹かれているわけでもない。だが、聖剣を知らぬ人間がこの地を訪れるとは考えにくい。

 聖剣に興味があるわけでも、ましてやベニーバを護ろうとするわけでもなく現れたこの二人は、ガガロにとって行動原理の読めぬ正体不明の不気味な存在でしかなかった。


 ヒータックの表情が一瞬曇る。

 この男、見たことがある。だが、思い出せない。

 最近ではない。だが、ラン=サイディールに潜伏している数日間と、ルイテウから離れて自立を図ろうとした数ヶ月の間に出会った男ではない。そしてそれ以前はSMGの本拠地ルイテウにいた。外部からの情報が隔絶された僻地。そこで、彼が出会う人間たちは皆見知った者たちだった。

 記憶の糸を辿ったが、やはり思い出せない。勘違いか?

 無意識に、ガガロを睨みつけるヒータック。戦うつもりはないが、退く事もできる状況ではない。この混乱に乗じてこの地まで来た。この先には宝物庫があり、その宝物庫にはSMGが発行した、貿易都市デイエンの自由貿易の権利を認めた免状が存在するのだ。それを取り返さない限り、SMGからの解放はない。

「退け。俺はお前と事を構える気はない。お前の欲する物と、俺の欲する物は違う」

 確証はなかった。どちらかというとはったりだといってもいい。だが、ヒータックには妙な自信があった。眼前の魔族は、おそらくあの聖剣持ちの小僧の剣を狙っているはず。そして、この下卑た肉塊はその剣を取りに来たはず。

 結果的に少年ファルガの持つ剣は、彼の手元に移動したものの、元々ベニーバはファルガの持つ剣をこの鐘楼堂の宝物庫に置いていた。属国ドレーノへ総督として赴任するレベセスに預けられた宝剣と二本並べてほくそ笑んだものだ。

 ヒータックは、蒼い戦士に吠え、同時に眼力を叩きつける。だが、その眼力も魔族相手にはそれほど効果があるとは思えなかった。

 トオーリ家に伝わる不思議な能力。その眼力は睨んだ者を竦ませる。なぜそういう効果があるのかはわからないが、SMG頭領リーザは、血の繋がった孫であるヒータックやサキですら震え上がらせ、反抗心を奪う程の眼力を使いこなす。一般人であれば、失禁、失神するレベルだ。ヒータックもそこまではいかなくとも、その眼力を使うことができた。事実、その能力を駆使し、SMGの荒くれ者たちを若輩にして仕切ることができた。リーザの孫という肩書きがなくとも、十分にこの組織でも成果は挙げられただろう。

 だが、やはり魔族には通じない。だが、効果がないというよりは、相手に耐性があるという感じだ。

 蒼い戦士の口元に笑みが浮かぶ。眼力が眼前の魔族に届いたのだ。だが、威力がどの程度だったのかは推して知るべし、だ。

「なるほど。だが、後ろの少女はどうかな」

 ガガロには見覚えがあった。

 以前は麻の服に幌生地でできたハーフパンツ。今回は完全に冒険者の様相。印象が余りにも違うため、別人のようにも見えるが、その強い眼差しは変わらない。

「残念ながら、この小娘は勝手についてきただけだ。俺とは関係ない」

 ヒータックは背後の少女に一瞥もくれない。

 だが、心なしかヒータックが背後の少女を庇ったのをガガロは見逃さない。行動原理の読めぬ男の行動を読むためには、ある程度精神的に揺さぶりをかけるしかない。

「では、お前は行くがいい。だが、後ろの少女は私に用事があるのではないか?」

 レーテは、不覚にも眼前の蒼い髪の戦士、後ほどヒータックが魔族と呼んだガガロという男が、既に出会っているとは思いもしなかった。

 だが、言われていれば、どこかで会っただろうか。レーテは記憶の糸を辿る。容姿にはやはり見覚えがない。

 だが、声に聞き覚えがあった。

 それは、十日前後前。陽床の丘ハタナハで、少女は大切な人間のうちの二人を失う出来事があった。三人組の黒マントの男に、育ての親と言っても過言ではないカゴス、ルサーの二人の老人を殺されている。殺される瞬間こそ見ていないものの、焼け落ちる小屋の奥で目の当たりにした、倒れた二人の姿を彼女は一生忘れることはないだろう。

 この声の主は、あの三人の黒マントのリーダーに違いなかった。

 その瞬間、それまで直隠しにしていた感情が大きくうねる。レーテの呼吸が乱れ始めたのは、それを見ていないヒータックにもすぐにわかった。

 動揺している。平常心ではない。だが、それも無理はないだろう。大切な存在を奪われたのはほんの少し前の話。自分の気持ちの整理などつくはずもない。だが、それを押し殺してファルガとともに行動し、デイエンを訪れているに過ぎない。

 思わずレーテの方を振り返るヒータック。

「落ち着け小娘!」

 ふらりと階段を上り始め、ヒータックの前に出ようとするレーテの目からはボロボロと涙がこぼれ落ち、やや過呼吸気味の激しい呼吸と、嗚咽が漏れる。

「……貴方が直接二人に手を下した訳ではないのは分かっています。でも、どうしてあの二人を止めてくれなかったんですか? 手を下した後に処刑するなら、最初から止めてくれればよかったんじゃないですか?」

 だが、その問いにガガロは答えない。

 確かに、彼自身あの殺戮が無意味であったことはよくわかっている。だが、その一方で、あの少年の持つ剣が聖剣のうちの一本、『勇者の剣』であることがわかったのは収穫だった。あの一連の出来事がなければ、少年はあの力を解放することはなかっただろうし、それによって邪神フィアマーグの言うところの『神賢』の者の候補を見つけることができなかっただろう。全ては必然だったと考えるしかない。運命の日までに神勇の者と神賢の者を揃えなければならない。それができねば、世界は失われる。

「……大事の前の小事だ」

 一瞬ガガロの目に哀しみの光が宿る。だが、その憂いをレーテは感じ取ることはなかった。その余裕がなかったのかもしれない。

「止められない理由でもあったんですか!?」

 レーテは、迸る怒りを身に纏い、ヒータックの制止を振り切ってガガロの前に出た。ガガロとレーテの距離は一気に詰まる。

「教えてください。私たちが原因なの? それとも、また別の何かなの?」

 レーテの口から漏れる言葉が、一瞬鋭さを増す。殺気まではいかないが明らかな怒気がガガロを包んだ。

 一瞬ガガロの背に冷たい物が走る。

 次の瞬間、レーテは大きく弾き飛ばされていた。

 蒼い髪の戦士は、一切少女に触れていない。それどころか微動だにしていない。だが、周囲の者から見れば、レーテは激しく突き飛ばされたように見えた。

 思わず息を飲むヒータック。

 レーテは一瞬目を見開くが、何が起きているか理解していないようだった。

 どこかを激しく打たれたという印象はなかった。ただ、全体的に体が押し出された、と感じた。ガガロの周りに、突然彼を中心とした球体の不可視エネルギーが発生し、それがレーテを弾き飛ばした。そんな印象だった。

 レーテより少しだけ後方にいたヒータックも、レーテと同じように弾き飛ばされた。ガガロの傍にある燭台の蝋燭の火が全て掻き消えたのも、ガガロの身体から、何かしらのエネルギーが放出されたからなのだろう。 

 ガガロから弾き飛ばされたレーテは、青い螺旋階段の転落防止用の柵に腰を打ち付けたが、そこで気を失ったのか、柵の手摺で腰を中心にバランスを崩すと、頭から真っ逆さまに転落していった。

「貴様! 一体何を!?」

 レーテ同様、弾かれたものの、何とか手摺に掴まることで転落を免れたヒータックの怒声に我に返るガガロ。レーテが落ちていくその直前、彼は確かに一瞬恐怖を感じたという。

 それは、かつて似たような恐怖を感じたことによるフラッシュバックといってもいい。だが、そのような理由があったとしても、丸腰の少女を弾き飛ばすというのはガガロの美学に反していた。無論、その力の発揮が、ガガロにとって予測できたものではない。

 だが、少女レーテの怒りは、魔族ガイガロス人であるガガロ=ドンの肝を一瞬とはいえ冷やすに十分なものだったということか。

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