6:魔物と遭遇、そして知らぬが仏。
「ハルト君!あそぼーよ!」
リナがそう言いながら、僕の肩を揺する。
「え、僕、この本読みたいんだけど」
そう言って、僕は『魔法書――初心偏』と表紙に書かれた本を見せた。
「そんな字ばっかりの本読んだって面白くないよー。あそんでー!」
「わ、わかったから」
僕がラネル孤児院に引き取られてもうすぐ一ヶ月経つ。
一ヶ月、長い様な、短い様な。
それでも、僕が孤児院に馴染むのには十分な時間だった。
そして、僕はリナの遊び相手を任されていた。
一番下の子で、自分と同い年の友達が欲しかったとのこと。
ネウルも設定としては僕と同い年なため、一緒に遊ぶことになっている。
「で、今日は何して遊ぶの?」
「んーとね、んーとね、おままごと!」
「そ、それは……」
中身は15歳な僕がおままごと。
想像するだけで自分相手に引ける。
「まあ、いいじゃないか、カモフラージュの手段だと思って」
「他人事じゃないからね、ネウル」
「ボクは別に気にしないさ。精霊に年齢はないしね」
くそ、何か僕しか負けてない気がする。
でも、今更ながら気になることがあった。
「そういえばネウルって、何でそんな口調なの?「ボク」とか、「~~さ」とか」
「何か問題でもあるのかい?」
「いや、可愛いんだから、もう少し女らしくした方がいいと思うんだけど……」
そう言ってネウルを見ると、彼女は僕を凝視しながら固まっていた。
「ど、どうしたの、ネウル?」
僕は心配になり、トントンと彼女の肩を突くと、はっと気づいた様な顔をした。
「なんでもないよ、うん。ボクはこのままの方がボクらしいと思ってるだけさ」
「そ、そうなんだ」
今の長い間は何だったんだろう。
そんなことを考えてると、リナがまた僕の肩を揺らす。
「あー、またハルト君がネウルちゃんにばかり構ってるー」
「そ、そんなこと無いってば」
「そんなことあるもん!」
「ご、ごめん」
必死に謝ると、リナがニッと笑う。
「じゃあ、おままごとの代わりに、森を探検しよーよ!」
唐突すぎる。
「森って、この村の隣の?」
「うん!」
このラネル村の隣には、大きめな森がある。
入り口付近は安全だけど、奥に入ると魔物の領域だから危険らしい。
「でも、行っていいの?」
「フィーナさんに聞きにいこー!」
そして、自室でくつろいでいたフィーナに聞くと、
「良いけど、奥には行かないでね。怖-い魔物がいっぱいいるから」
と、制限付きながらもあっさり許可を貰うことができた。
しかし、途中から話を聞いていたアリシア、ジャック、アルマが同行することとなった。
因みにセレカさんは現在、街の冒険者ギルドで仕事をしに行っている。
「さあ行こう、探検だー!」
「なんでアリシアが仕切ってんだよ」
「うるさいジャック、私の方が年上じゃない」
ジャックはアリシアが僕達を率いていることに不満らしく、アリシアと口論を始めた。
アルマは相変わらず本を片手に歩いている。
森の中で読み歩きとか凄いと思う。足元の根っことかの障害物があるのに。
因みに、リナは木の棒を振り回しながら、ネウルは僕の後ろに引っ付いて歩いている。
鳥のさえずりや木の葉の揺れる音で、心が安らいでいく。
自然って、どこの世界でも素晴らしいと思う。
「あ、川だ」
アリシアとジャックの二人が口論を続ける中、僕は視界の端に、流れる透明な水を確認した。
それは、ある程度の広さがある川だった。
川の周りは木もなく、日差しもあるので川の水が日光を反射していた。
角の丸まった石や砂利でできた足場を靴で踏むと、じゃりじゃりと音が鳴る。
因みに、靴は自分の服と一緒に貰った、孤児院のおさがりだ。
「あれ、何かいるよ?」
アルマが閉じた本を脇に仕舞いながら、川の向こう側にいた何かを指差した。
それは、確かに何かの動物だった。
50cmくらいある、リスの様な小動物っぽい外見だ。
毛皮は黒いせいか、この光景の中では目立っていた。
しばらくその小動物を皆でじっと見ていると、ネウルが耳打ちしてくる。
「(魔物だよ)」
一瞬驚いたが、なんとか声を漏らさずに済んだ。
僕は小声で返す。
「(なんでもっと早く言わなかったの? ネウルなら魔力を感知できるじゃなかったっけ?)」
「(大丈夫、大人しいタイプだから。こちらから何かしなければ相手も何もしてこない。それに、魔物の領域からは遠いから、多分迷子か何かじゃないかな)」
何故か、「迷子」という単語のみを聞き取ったリナが川をぱしゃぱしゃと水を飛び散らせながら走り抜けた。
「って、リナ!?」
「迷子さんなら、早くその子のお母さんに会わせないと!」
何か、嫌な予感しかしない。
魔物とは、魔法を使うだけの魔力がある動物のことであり、それなりに危険視されている。
勿論人間も魔物といえば、魔物に分類されるのだが、僕らより魔物に近いのは魔人だ。
そういう余談を置いておくとして、話を要約すれば。
魔物はいかなる外見をしていようが、魔法を使えるため、その力で人間を上回る時がある。
所謂、食物連鎖に置いてトップになりえるのだ。
つまり、人間を食べることがある。
この小動物はまだ子供なので魔力も小さく、人も食わなさそうだけど、もしその親と遭遇したら危険だ。
「リナ、危ないよ!」
「だいじょーぶ!動物助けだから!」
魔物だと分かっていないリナは、最悪なことに、ひょいとリスみたいな魔物を両手で抱きかかえた。
幸い、魔物はきょとんとした表情をしていて、特に抵抗したり親を呼ぶ素振りは無い。
思考を繰り返していると、アリシアが歩み寄ってきた。
「ハルト君、何がそんなに危ないの?」
「え、えっと………」
どう誤魔化そう。
魔物だなんて言ったらパニックになりかねない。
「ねえってばっ」
「魔物だよ、あれ」
ネウルが隠すことなく、あっさりとそう返した。
「(ネウル!?言っちゃダメなんじゃないの!?)」
「(小動物くらいの魔物なら魔力も比較的少ないし、ペットでもよくあるから、多分大丈夫)」
何故か、納得できないモヤモヤが胸から消えずにいた。
「魔物?もしかして、スクルかなぁ。あ、でもスクルは茶色か。じゃあなんだろう?」
ペットに良くある魔物と認識したらしく、アリシアは思い出そうと頭を傾げている。
可愛げのある仕草だったけど、今はそんな場合じゃない。
「(で、ネウル。あれの親は大人しい?)」
「(あれはグリス種……君の世界でいう熊に近い存在だね。動物じゃなくて魔物だけど)」
「(超危険じゃん!子グマは可愛いけど親グマはヤバイ!この近くにいるとしたら早く逃げないと!)」
聞いた話では、グリズリーなどの熊は人肉を好んで食べるのもいるらしいし!
クマ危険、逃げるべし。
死ぬフリは迷信だとか。
「ハルト君~!可愛いよこの子っ!」
リナが川の向こう側から帰ってきた。
そして、グリスと呼ばれる小さな魔物を魔物と知らずに、無邪気な表情で僕に差し出す。
これを両手に抱いてみて、ということなのだろう。
ヤバイ、難題だ。
緊張で手が震えながらも、恐る恐る僕はクマの重みを両手に預かった。
リナが僕の顔を見て、不思議そうに首を傾げている。
「おい、何て顔してんだお前。すげえ引きつってんじゃねえか」
ジャックに指摘され、すぐに顔を擦る。
リスの様な、クマの様な魔物『グリス』も、首を傾げている。
あまり自分の状況を把握できていないのだろう。
ははは、落としたら僕は親グマに殺されるんだろうなぁ。
というか、たとえ落とさなくても、見つかった時点で食われるけど。
「そんなに魔物が怖いの?このくらいのサイズならあまり心配ないと思うんだけど……」
アルマが微笑みながら、グリスを撫でつつそう言った。
でもね、親は十分恐ろしいんですよ、なんて言える訳もなかった。
知らぬが仏とはまさにこのことだと、僕は思った。