問題編①~特命捜査官、悪に堕ちる~
彼女が犯した罪について、努めて冷静に判断することにした。
「安心してくれ、メフィ。君は死刑にはならないよ」
私が声をかけると、末都メフィは泣き止んだ。
「……ほんとう?」
「本当だとも。刑法第199条――人を殺した者は、死刑又は無期もしくは5年以上の拘禁刑に処する――いわゆる殺人行為に対する罪では、たしかに殺害した人数が1人であっても死刑の可能性はゼロとは言えない。しかし、実際には1人を殺害しただけでは死刑になる可能性は低い。永山基準というものが存在するんだ」
永山基準、という聞き慣れない言葉。
とまどうのも無理はない。
泣きはらして化粧が崩れた目元をこすり、メフィは問いかける。
「永山基準って?」
「昭和43年に永山則夫という男が起こした連続殺人事件において、当時の最高裁が明示した”死刑に関する基準”だよ。犯人である永山は在日米軍から盗み出した拳銃を用いて、当時、4人もの人間を無差別に殺害した。その犯行の悪質性から死刑は確実だと思われていたが……意外にも、死刑を適用するかどうかについての議論は過熱したようだ」
「4人も殺したのに……? ふつうに考えたら、死刑だと思う」
「私もそう思うよ。だが、法律の世界は市民感情だけで罪が決まることはない。問題となったのは、犯行当時の永山はまだ19歳――未成年だった点にあるのさ」
少年犯罪。それでも、死刑を求める声は大きかった。
犯行自体の悪質性だけではなく、事件がもたらした社会的影響の大きさなど、複数の要因を加味した議論の中において――最高裁は死刑を適用するに至る理由の一つとして「殺害された被害者の人数」について言及したのだ。
無期判決を下した高裁に対し、最高裁は控訴審を破棄。
最終的には永山則夫には死刑判決が下されることとなった。
その際の言及を元に、一般には以下の量刑相場が存在する。
被害者数が1人なら、無期以下。
被害者数が3人ならば、死刑は確定。
被害者数が2人の場合には、無期か死刑かの境界となる。
「もちろん、この基準は絶対ではない。永山則夫の事件以降であっても、被害者数が1人であるにもかかわらず死刑に処された犯罪者は存在するよ。だが、それは特に殺意が明確であったり、犯行に計画性があったりといった悪質なものに限られるのが常識だ。君の場合は、そうではないだろう? ……メフィ」
末都メフィは、控えめにうなずいた。
閉店後のガールズバー。
室内は色めいたピンクの間接照明が照らしている。
光量の薄いライトを頼りながら、私は床を見下ろした。
染め残しの地毛が混じり黄土色になった金髪からはどくどくと血が流れており、その中心は食虫花のごとく、あるいはザクロのようにかち割られている。
そこにあったのは、命が失せた亡骸。
前頭部に一撃、か。
テーブルには頑丈そうなガラス製の灰皿。
おそらくは凶器。
思わず、死因を探るように遺体を検分してしまう。
いいや、何を考えているんだ、私は。
職業病というのが嫌になる。
メフィは逮捕すべき殺人犯なんかじゃない。
この私の、利根川 祈祷羅の――
何よりも大切な、友人なのだから……!
「自ら罪を認めて、警察に出頭することを薦めるよ。もしも計画性がなく、突発的な殺人なのだとしたら、情状酌量の余地はあると判断されるかもしれない――」
「ううん、ギドちゃん。あたし、最初から京介を殺すつもりだったんだと思う」
メフィは自嘲的に笑った。
「じゃなきゃ、閉店後にわざわざ呼び出したりしないし。お金、払うってウソついてたし。あの灰皿だって、普段は出してなかったの。なにかあったら、あれで殴ろうと思って……なにかって、何? どうせ、揉めることはわかりきってたのにさ……!」
「……どうして、もっと早く相談してくれなかったんだ」
口にしつつも、その言葉は上滑りしていく。
いまさら言っても仕方がないのはわかってる。
メフィが昔の悪い仲間に目をつけられていたことに気づけなかった。
全ては私の落ち度だ。
だが、彼女は私の八つ当たりに付き合ってくれたらしい。
「ギドちゃんを頼れば、よかったよね……。でも、心配させたくなかった。というより、見栄を張ってたのかも。あたし一人でもう大丈夫だって……ううっ、もう変な連中なんかに負けないって……かっこつけて……バカだ」
彼女は、もう限界にきていた。
気づいたときには、コップから水があふれるように涙をこぼす。
「せっかく、ママにお店も任されるようになったのにさ。アイツらにやらされた、あたしがやらかした罪だって、ちゃんと償ったのに。あのとき、ギドちゃんがあたしを見つけてくれた。あたしのこと、まともな道に引き上げてくれたのに……全部、ダメにしちゃった。京介に……過去にやったこと、全部バラして、店潰してやるって言われたらカッとなって……店はあたしの全てだったから。へへっ、あたし、やっぱ、変われなかったよ」
過去の犯罪歴。
背筋を棘で刺されるような悪寒が走る。
最悪のケースを想定しろ。
先ほど、メフィには死刑にはならないと言ったが――
正直なところ、気休めに過ぎない。
この子は、法廷で器用に嘘を吐けるような子じゃない。
過去の犯罪歴を隠すための口封じ――計画性のある犯行だったと検察が判断する可能性は高い。そうなれば、死刑は回避できたとしても、無期刑はあり得る。
どうしてだ?
いったい、私は何を間違えた?
メフィがこんなに苦しんでいるのに気づけなくて。
いまさらのように右往左往している。
――とっくに手遅れだというのに。
バカの見本とは、私のことだろう……ッ!
胸元でスマートフォンが着信する。
ポケットから取り出し、画面を見もせずに通話を切った。
「いいの……? お仕事」
「どうせ、くだらない事件だ。遊び半分に――否、遊びで人を殺すイカレた犯罪者のゲームに関するタレコミだよ。そんなものよりも、今、私が大切なのは君だ」
「ギドちゃん……」
「なにが警察官だ。なにが特命捜査権だ。そんなものがあったって、私は友達ひとり助けることができないッ!」
友達……そんな偽善じみた言葉で隠していた、私の本心が露わになる。
目の前でふるえる肩。
少女のように細い体躯を抱き寄せ、私は腕に力を込めた。
「あっ……!」
「すまない……メフィ」
私は何に謝っているのだろう。
彼女の力になれない己の無力さなのだろうか?
それとも、想い人の弱みにつけこみ、醜い劣情を満たさんとする卑劣さか?
青いインナーカラーの黒髪が揺れ、シャギーに切り揃えられたメフィの不揃いな毛先が揺れるたび、乳白色を想起させる甘い体臭が鼻先をくすぐる。胸元にぶら下がったこの私の無駄きわまりない贅肉が、おしくらまんじゅうのように、彼女の女性らしい細身を包んで乳圧を押しつけた。理性はいけないと警告するが、本能は手放したくないと駄々をこねる。ここで離せば、もう会えないのかもしれない、と。これは恐怖だ。あるいは独占欲だ。吐き気だ。
言ってしまおう、ずっと秘めていた想いを。
何を恐れることがある。
今を逃せば、打ち明けるタイミングはもう無いのだから。
「私は……君が、好きだ」
「えっ……」
「君は、たぶんそうではないと思ってたから。ずっと我慢してた。でも」
堰を切ったようにあふれ出した言葉は、唐突な圧迫でかき消された。
誰も触れたことのない、私の初心な唇を。
ひんやりとした感触が支配する。
唇を封じた唇が離れた。
なにかの間違い、錯覚だろうか。
ありえないこと。
想定外。
現実を理解できないまま、私は困惑する。
「どうして」
「ふふっ」
口元をハートの形に切り結び、メフィは私の耳元に手をかけた。
いたずらな笑みと共に、アンダーリムの眼鏡が外される。
「ちょっと待って……」
「待たない。これ、邪魔だもの」
裸眼の視力は0.1だ。
視力が弱まり、ぼやける視界。
次第に愛する人の輪郭がハッキリとする。
接近しているのだ。
「………………っ!」
幻ではない。二度、彼女の唇を味わった。
私は……メフィと、口づけをした。
「えへへ。ギドちゃん、もしかしてファーストキス?」
「う、うん」
「こっちはあげらなくて、ごめんね」
「いや……ありがとう」
ありがとうって何、と彼女は笑う。
笑顔。
こんなときでなければ、永遠に見ていたかった。
「君は、その……男性が好きなのかと」
「セックスするのは好きだよ。でも、心は別だから」
「そういうものなのか」
「あたしだって、ギドちゃんのこと……好き、だったんだからね?」
「か、感謝する」
感謝するって何、と再び彼女は笑った。
いかん。
予想外の展開に、ロボットみたいになってしまった。
「あ、でも……あたしも初めて、あげられるかも」
「ッッ!」
「女同士は、あたしも……ね」
黒いナイトドレスの紐をゆるめる、メフィ。
ほんのりと汗の匂いが蒸気する。
ああ、駄目だ。
白い肌を目の当たりにして、理性の糸が切れる音を聴いた。
「ああっ……ギドちゃん、好き……っ!」
果実にむしゃぶりつくように、ソファに倒れ込み身体を重ねる。
崩壊の足音。
積み重ねてきたキャリアが崩れていく。
おしまいだ。あぁ、おしまいだとも。
――殺人現場で、性交などと。
刑事としての私は、このときに死んだのだと思った。
「……やはり、馬鹿らしいな」
「何が?」
「ゲームメイカーだよ」
しばらくの後。
荒れた息を整えて、私はワイシャツを羽織った。
スマートフォンに着ていた通知を確認する。
この情報は――もしかしたら、使えるかもしれない。
「私が今追っている、連続殺人鬼――ゲームメイカー。どこの誰だか、男か女かもわからない正体不明の存在。わかっているのは、馬鹿げた法則に従って、おそらくは無差別に東京都民を殺しまわっていることだけ。もし捕まれば間違いなく死刑確定の犯罪者だ。あのゲームメイカーがゴミのように人を殺しまわっているというのに。どうして、たかが一人、世の中の役に立たないクズを殺しただけの……君が悩まなければならないんだ?」
「クズって……ギドちゃん、そんなこと言っていいの? 刑事なのに」
「もう刑事じゃないさ」
私は悪に堕ちる。
友達――否、誤魔化すのはやめよう。
愛する人だけが大事だ。
そのためなら、クズみたいな男が死のうがどうでもいい。
「刑事ではないが、その権限だけは使わせてもらう。特命捜査権についてもな」
「なぁに、それ?」
「警察庁において、この私だけが与えられた権利だよ。東京都内においてのみ、好きなように自由に刑事事件を捜査して構わないという特権。また、捜査情報の共有はもちろん、所轄や警視庁の人手も自由に使うことができる」
「すっごい。ギドちゃんってエリートなんだ」
「それなりに手柄を積んでいるからね」
といっても、私だけの功績ではない。
私の幼馴染――あの奇人の推理力にキャリーしてもらってるのが真実だが。
そんな恥ずかしいことは、メフィには言わなくていいだろう。
見栄を張らせてもらう。ちょっとだけ。
「私は、私のもてる力すべてを利用して君を守る。どんな手を使ってでも」
「ギドちゃん……でも、あたしにそんなことしてもらう価値なんて」
「大丈夫。心配しなくていい。私には計画があるんだ」
木を隠すなら、森の中。
死体を隠すのなら、死体の森に隠せばいい。
大量殺人――せいぜい、利用させてもらおう。
「メフィ。君にはこれから、出来るだけアリバイを作るように行動してもらう。証拠物件については、まず処理すべきはスマートフォン。それと、あの男の死体については……そうだな、葛飾区で発見されることになるだろうな」




