ノイエが壊れれば良かったのに!
ペロリと腕に生じた傷を舐める。
軽く触れて出来た傷は余りにも鮮やかで……そのまま傷口を押し付けていればくっ付いてしまいそうだ。けれどレニーラはそんなことをしている暇がない。
目の前に居る壊れた少女をどうにかしないと。
《誰かに乱暴された?》
狂ってしまった少女のような存在を見つめ、レニーラは思考を走らせる。
確かファシーは何日か前にユーリカに連れて中央の建物に入って行かれたらしい。
ただユーリカが一緒だから誰も不安視していなかった。
あの桃色髪の狂人は、カミーラに対して正面から喧嘩を売るのだ。
もちろんそれ相応の腕前があるから出来ることで、実際ユーリカは何度かカミーラ相手に良い戦いを演じてみせた。
《ファシーが暴行を受けていてユーリカが黙っているだなんてことは無い。ならやっぱり》
誰かがあの子を壊したのだ。
暴力では無く別の方法……たぶん魔法で。
《ユーリカの魔法は何だったっけ? 何かアイルローゼが『あの手の魔法は好きじゃない』とか言ってたっけかな~》
ならば厄介な魔法なのだろう。あの臆病で優しかったファシーを壊したのだから。
「辛いよね。ファシー」
「あはは……死んじゃえっ! みんな死んじゃえっ!」
相手の言葉が胸の奥に突き刺さる。
分かっている。自分だって人を殺したのだと……ギュッと拳を握りレニーラは相手を見た。
きっと殺された人たちは全員がそう思ったはずだ。
「だけどっ!」
迷うことなく前へと足を踏み込む。
レニーラは走り出し飛んで来る不可視の刃を直感のみで回避する。
残り3歩とと言う所でレニーラはそれを見た。
ブツブツと呟いていたファシーの口が魔法語を綴っているのだ。
「ここで~!」
判断に迷った。
首輪をしているファシーが魔法を使えるわけが無い。
けれど飛んで来る不可視の刃がレニーラの判断を狂わせ隙を作った。
「千切」
「っ!」
綴られた強い言葉に反応は無い。
腕や足を動かし防御姿勢を取ったレニーラは、ファシーの前で完全に隙を見せていた。
「死んじゃえっ!」
ボロボロと涙を落とすファシーの笑顔にレニーラは苦笑した。
踊り足らないけれど……それは仕方がない。
目を閉じて、
「げふっ!」
横から食らった衝撃に息を詰まらせた。
ゴロゴロと地面を転がり……レニーラは空を見た。
「あれ?」
死んだと思ったのに生きている。
何より自分に抱き付いている存在が震えていた。
「ってノイエっ!」
視線を向けて、レニーラは大きな声を発する。
背中をパックリと割いたノイエが血の色に染まっていた。
「へい、きっ」
「だけど!」
ノイエが持つ祝福は傷を癒すものだ。
この程度の傷ならしばらく横になっていれば自然と治る。
だがノイエは掴んでいたレニーラの体から手を離して立ち上がる。
全身を震わせ……そしてポタポタと背中から血を溢しながら立ち上がった。
「おねえ、ちゃん?」
「あはは……あはっ……」
泣きながら笑うファシーにノイエはその目を見開いた。
自然と口元に手が動く。吐き気がするのだ。
流れ込んで来る黒くて嫌な物が、ノイエの心を冷たくしていく。
『死んじゃえ。死んじゃえ。死んじゃえ。死んじゃえ。死にたくない。死んじゃえ。死んじゃえ。死んじゃえ。死んじゃえ。傷つけたくない。死んじゃえ。死んじゃえ。死んじゃえ。死んじゃえ。殺したくない。死んじゃえ……』
泣きながら笑う相手の思いにノイエは口元を押さえ震える。
気を抜けば胃の中の物を全て吐き出してしまいそうだ。
「お姉ちゃん」
「死んじゃえ……死んじゃえ……」
吐き気をこらえノイエは1歩2歩と相手に歩み寄る。
「大丈夫だよ」
「死んじゃえっ!」
不可視の刃がノイエを切り裂く。
それでも少女は足を止めずに……正面からファシーを抱きしめた。
背中に腕を回してギュッと抱きしめる。
「また遊ぼう。みんなと一緒に遊ぼう」
「あはは……あはっ」
「遊ぼう。お姉ちゃん」
ギュッと抱きしめノイエは願う。
小さいお姉ちゃんは凄く優しい人なのだ。だから言えば分かってくれる。分かって、
『……嫌い』
「えっ?」
恐る恐る向ける視線はファシーの顔を見る。
ボロボロと涙をこぼすファシーは、ただただ冷たい目でノイエを見つめていた。
『全部持ってる。この子は全部持ってる』
「なに、を?」
『わたしが欲しかったものを全部持ってる。ズルいズルいズルい……』
「ひあっ」
流れ込んで来る黒くて嫌な物がノイエの胸を締め付ける。
『みんなに愛されてみんなを愛して……ズルいっ!』
「違う。お姉ちゃんも」
『死ねばいいのに……どうしてわたしなの? 何でわたしなの?』
「……」
ジロリと冷たいファシーの目が少女を見た。
「ノイエが壊れれば良かったのに!」
「ひうっ!」
ズキッと胸の中心が悲鳴を上げる。
自然と離れたノイエの腕を抜けて……ファシーは泣きながら笑う。
「死んじゃえっ!」
不可視の刃がノイエを狙うが、その柔肌を傷つけることは無い。
「ギリギリだったわね」
「だね~」
駆けて来たのはアイルローゼとシュシュ。
そして術式の魔女はシュシュの首輪に干渉して彼女が魔法を使えるようにしていた。
「で、息が~詰まるぞ~?」
「我慢なさい」
干渉するために握られている首輪のお陰で息を詰まらせているシュシュは顔色を悪くしているが、アイルローゼはそれを無視して視線をレニーラに向けた。
「何があったのか詳しく説明しなさい」
「私が聞きたいんだけどね。本当に」
疲れ果てた感じで地面に座る舞姫に対し舌打ちをしながら、アイルローゼは封印されて地面に転がるファシーを見た。
と言うか確認する必要もない。
どう見てもあの少女のような存在は……壊されていた。
(c) 2020 甲斐八雲
だって不憫だったんだもん! そんな作者の言い訳でした。
だからってファシーを贔屓して来た訳じゃないんですけどね。いやホントウダヨ?
ノイエを大切に思っていても、愛していても…本心は別にあったりするものです。
ファシーは心の奥底でノイエに対してずっと嫉妬していました。
だってあの子は全部持っているから。自分が得られなかったものを全て。
その心を、奥底に眠るどす黒い闇をノイエが覗いているとは知らずに…




