君の娘は?
ユニバンス王国・王都北部ドラグナイト邸
「あ~疲れた」
どっと沸いて来た疲労が半端ない。
ソファーに身を委ねて全力で脱力する。
このままスライムにでもなりたい。今の気分はそんな感じだ。
「ん。アルグ様が悪い」
「ノイエさん?」
「ん」
ふわっと姿を現したノイエから良い匂いがする。湯上りの匂いだ。
たぶん僕がセシリーンに怒られている間にお風呂を済ませましたか? 裏切りましたか? はい? そうしないと赤ちゃんを触っちゃダメと言われたと?
なるほどね。ならば許そう。
そんな訳で身綺麗にしたノイエの腕にはセシルが抱かれている。この子は何事にも動じないので多少ノイエが乱暴に扱ってもケロッとしている。
つかこの子って泣くの?
「泣きます」
「そっか」
返事をしたのはメイド見習いのスズネだ。まだ見習いだ。
幼いけれど貫禄と言うかハルムント系のメイドが漂わせ圧を感じる。
大陸西部に存在するサツキ村からやって来たモミジさんの親戚にあたるサムライガールは、本日も静かに職務を果たしている。これでコロネと同じ齢だというのだからその冷静さは筋金入りだろう。
で、ウチの馬鹿メイド見習いお尻スキーは?
「コロネ先輩ならお風呂に叩き込んでおきました」
「容赦ない」
多分この子は本当に叩き込んでいるはずだ。あの湯船の浅い風呂に。
「ですが義腕の無い先輩に出来る仕事もほとんどないので」
「あ~」
はきはき喋るスズネはコロネと違い舌っ足らずな部分が無い。
と言うかあの馬鹿は出会った当初はもう少しちゃんと喋れた気がする。ウチのメイド見習いは舌足らずが基本装備なのか? そうするとスズネが今度は該当しなくなる。
そんなスマートなメガネが似合う秘書系のメイドに育ってくれればと思うスズネだが、これはこれで結構危険な性癖を持っているとコロネからの密告もある。
と言うかウチのメイドでまともな性癖の人って居るの? ユニバンスの危ない性癖の人ばかり集まってない? 大丈夫この屋敷のメイドって?
「馬鹿の義腕は近々で作らせるから……まあしばらくはお休みってことで」
「よろしいのでしょうか?」
「ま~ね」
一緒に北部に行って死にそうな思いを何度もしたわけですしね。
「ただ義腕ができたらしばらく休み無しで」
「畏まりました。先輩にはそう伝えておきます」
たぶんスズネは今の言葉をミネルバさんに報告するから……うん。頑張れコロネ。次回の君の休みはいつになるのか僕にも分かりません。
「で、ノイエさん」
「はい」
セシルを抱いているノイエが僕を見る。
と言うかお嫁さん。そろそろ現実に戻ろうか? 目を背けないの?
「君の娘は?」
「……」
クルクルとしていた彼女のアホ毛が……止まった。と言うか諦めたか?
「この子」
「それは君の怒ったら怖いお姉ちゃんの愛娘です」
まさか怒ったセシリーンがあんなにも怖いとは知りませんでした。
微笑んだままで良く通る声が僕の脳内に響き渡るんです。耳を塞いでも意味がありません。ダイレクトに直接耳の奥に声を届かせて来るので逃れることはできません。結果としてあの人ほどお説教に向いている人は居ないという事実を実感しました。
そんな歌姫さまは僕を叱るだけ叱ってから、ノイエに娘を預けてお風呂へ向かった様子だ。
「アルグ様が悪い」
「その心は?」
「……お姉ちゃんはとっても優しい」
言葉を選んでノイエがそう言うのです。あのノイエがです。
「つまりノイエもセシリーンには怒られたくないと?」
「……お姉ちゃんは優しい」
お風呂に向かったセシリーンではあるが、彼女がその気になればここの会話をその耳で拾うことなど容易い。あの人は魔法は使えないけど超能力のような能力を持っている。
それを良く知るノイエはらしくないほど言葉を選んでいる。きっと怖いのだろう。
「ノイエさん」
「はい」
そんなお嫁さんにどうしても聞きたいことがあります。今後の僕の身の安全のために。
「怒ったら怖いお姉ちゃんを教えて」
クルンクルンとノイエのアホ毛が回る。
「……みんな優しい」
「ノイエさん?」
「それ以上お姉ちゃんたちのことを悪く言うなら、り」
「はいはい。怒らせた僕が悪いのです」
ノイエにそれ以上言わせないためにも全ての罪を務めます。
ただノイエも何かを理解しだしたのか、『り』まで言ってからこちらの様子を伺っている節がある。お嫁さんがどんどん悪女と化しているような?
「で、ノイエさん」
「はい」
だからいい加減に現実を直視しようかお嫁さん。
「ノワールを助けてあげなさい」
「……」
あっちで死んだ魚のような目をした我が家の長女が、壊れた人形のような感じで首をぐりんと回しこちらを見ている。もうその様相はホラー映画の一場面だ。
しかしその死んだ目は『助けて』と語っている。熱く語っている。
なぜ彼女がそのような体勢なのかと言うと、彼女のお腹に顔を当てたお義母さまが猫吸いならぬ娘吸いをしているからだ。厳密に言うと孫吸いか?
ノワールのお腹に顔を当ててスーハ―スーハ―しているその様子は傍から見ていると狂気の何かだ。
「アルグ様」
「はい?」
セシルを抱いたノイエが僕を真っすぐ見て来る。
「あの子が呼んでる」
「……」
「頑張って」
まさかの丸投げですか? 娘よりもお義母さまに近寄ることをそんなにも嫌いますか?
だがノイエは僕の視線を受けても動じない。
アホ毛がユラユラと揺れ、それこそ『早くしろ』と言いたげな感じだ。
知らない間にウチのお嫁さんも母の強さを身に着けたのか?
仕方ない。重たい体を起こしソファーから立ち上がる。向かう先は義母さまの所だ。
「義母さま?」
「スーハ―スーハ―」
声に出してスーハ―スーハ―しないの。何より見なさい。ノイエに裏切られたノワールの表情を。絶望を通り越してこの世の終わりを目撃したような感じになってるよ?
「義母さま?」
「スーハ―」
スパンッ!
「いったぁ~い!」
振り抜いたミニハリセンが良い仕事をしてくれる。
ようやく義母さま……ラインリア義母さんがノワールのお腹から顔を離した。
「何をするの? アルグスタ?」
何をって貴女?
「ノワールが嫌がっています」
「嫌がる? 違うわアルグスタ」
虚無の極致に到達したような我が子の顔を見て違うと言える貴女も大概ですが?
「この子はわたしの深い愛情に戸惑っているだけ、」
スパンッ!
「にかいめ~!」
本当にこのミニハリセンは良い仕事をしてくれる。
片手でノワールを抱えもう片手で叩かれた頭を押さえ……義母さまが僕を涙目で見つめて来た。
「何て酷いことをするのっ!」
「娘が嫌がっているのに無視する方が酷いかなって」
「だから嫌がっているんじゃなくて、あぶなっ」
寸前で義母さんがミニハリセンを回避する。
ただ相手に隙が生まれた。
咄嗟にミニハリセンを捨てて手を伸ばし、ノワールを掴んで一気に引き寄せる。
「いたっ」
捨てたミニハリセンが義母さんの顔面を捉えたのは事故である。
「はい。ウチの娘を返してもらいます」
「いや~! わたしは子供を抱いていないと死んじゃうの~!」
そんな病気は存在しません。呪いの類ならあり得そうですが。
なによりぶっちゃけ眠いし面倒なのでさっさと済ませたい。
僕は娘に嫌われたお父さんなのです。きっと娘はお母さんを求めて……ノワールをノイエに渡そうとしたら我が子が全力で抱き付いて来た。
これでもかと全力だ。腕だけではなく足を使ってしがみ付いて来た。
「……ふっ」
何だろう? この胸の奥から湧き上がって来る感情は?
「これが父性かっ!」
娘が可愛いのです。必死に僕にすがる姿に何か別の理由を感じなくもないけれど、それでもこんな僕を頼ってくれる娘が可愛くないわけがない。否、ウチのノワールは可愛いのです。
「アルグスタ~。義母さんに娘を返して~」
「断る!」
飛びかかって来る義母さまの手からノワールを遠ざける。
「いやぁ~! 娘~。義母さんに娘を~!」
再び飛びかかって来る義母さまにはノワールで無くハリセンを押し付ける。
全力で。上段からで、だ。
「へぶっ!」
容赦ない一撃を受けた義母さまが蹲って動きを止めた。
今のウチにノワールをノイエに預けて……何故逃げているお嫁さん? ん? 口を動かして声にならない声で『頑張って』かな? つまりまだ僕に義母さまと追いかけっこをしていろと言うのか?
「アルグスタ~」
「……」
ユラ~っと危ない気配を全身から発した義母さまが立ち上がり……うん。これはあれだ。ヤバいな。
今更だがここは一度ノワールを諦めるか?
何かを察した娘が全力で僕の腕に抱き着いて来た。幼子の動きとは思えないほど器用に抱き着いて来る。そして必死だ。その目は『裏切らないで』と熱く語っている。
ふっ……娘よ。お父さんは仮に今だけでも頼られているこの状況を悪くないと思っている。
「よっしゃ~! かかって来いや~!」
背中にノワールを回し、僕は両手にハリセンを装備した。
今の僕なら魔王にだって挑める気がする! 勝てるとは言ってないがな!
© 2026 甲斐八雲
何やっているんだ? この主人公は?
ノワールが必死なのは相手が前王妃様だからで…そう言えば主人公は元王子だけどねw




