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蛇足伝 作者:大田牛二
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鄭当時伝

 鄭当時(ていとうじ)は字は(そう)といい、陳の人である。

 先祖の鄭君(ていくん)項羽(こうう)に仕えていた人物であったのだが、項羽が滅んだ後、漢の高祖・劉邦(りゅうほう)が項羽に仕えていた者たちに項羽の名である(せき)を言わせたことがあった。

 かつての主の諱を言わせることは礼に背く行いのだが、それを敢えて行わせようとしたのだ。自分に仕えるんだからそれぐらいできるだろうな。という彼らを軽んじた行いと言える。

 皆は今後のことを考え、諱を言うのだが、鄭君だけは、

(そんなことは男のすることではない)

 と考え、彼だけは言わなかった。そのため諱を言ったものたちは皆、大夫となったのだが、彼だけは大夫に任命されなかっただけではなく、追放までされてしまった。

 鄭君は漢の文帝(ぶんてい)の頃に亡くなった。

 そんな血を受け継いだのか鄭当時は若いころは任侠を好み、呉楚七国の乱が起きた時に活躍した一人である梁の将軍・張羽(ちょうう)を窮地を救ったこともあり、梁と楚の間では有名であった。

 漢の景帝(けいてい)にもその名声は聞こえ、彼は太子舎人に任命された。

 鄭当時は五日に一度の休暇ごとに長安城外の近郊に駅馬を置いて、それを使って賓客と会った。彼らを接待し、夜を日に継いで明くる朝になるほどであったが、それでもあまねく行きわたらないことを常に恐れた。

 また、彼は黄老の学を好み、長者を尊重し彼らの言葉を大切にしつつそれを守れないことを恐れた。

 年が若いながらも自らの官位の低いことを自覚しており、その知友はみな祖父と同年輩で天下に知られた人士ばかりであった。

 武帝(ぶてい)が即位すると鄭当時は様々な職を歴任し、大司農にまで上り詰めた。彼は大司農になると門下の人々をこう戒めた。

「客が来たときは、その貴賤に関わらず、門で待たせるようなことがあってはならない」

 それだけ賓客を大切にし、自分は高位な身分になったにも関わらず、変わらず人にへりくだり、人柄は廉潔で、蓄財に努めず、俸給や恩賜の品を仰いで、諸公に分け与えた。

 だが、彼は少し変わった感性を持っているのか。人に贈る物には関しては、最低限なものしか渡さなかった。

 少し、首を傾げたくなるが、恐らくこれは隠者に対する礼儀であるのだと思われる。隠者の中には施しを受けないという考え方を持った人物もいるため、そんな彼らに対する礼儀の示し方であったのだろうと思われる。

 鄭当時は参朝する度に武帝の暇を見ては、天下の長者のことを語り、人を推薦する際は、余計な言葉を飾らず、自分を引き合いに出しながら自分よりも才覚があるとして推薦した。

 また、役人たちを呼び捨てにすることは一切無く、属官とともに話す際は相手の機嫌を損ねることはなかったかと常に考えた。人が善言を言えば、急いでこれを武帝へと申し上げ、遅れることがないかと心配した。これらのことを持って、山東の諸公は彼を大いに称えた。

 ある時、黄河が決壊したことがあり、使者として黄河決壊の状況を視察するよう命じられた時、旅行の支度のため五日間の猶予をもらいたいと自ら請うた。武帝は、

「鄭荘は千里の道を行くにも食料を携帯しないと私は聞いていたが、いま旅行の支度の猶予を請うたのはどうしてか」

 しかし、鄭当時は調停にいるときは、常に調子を合わせて、上意に逆らわず、事理の当否を思い切って言おうとしなかった。

 漢が匈奴征伐や四方の征服を行ったため支出が多かった。

 鄭当時は大司農として、その保任した人や賓客に大司農の運送の仕事をさせ、その利益を独占させたが、淮陽太守・司馬安(しばあん)がその事を暴き、鄭当時はその罪に坐して罪を購って庶人となった。

 しばらくして守丞相長史、汝南太守となり、数年して官にある時に死亡した。家には余分な財産はなかったという。

 鄭当時の兄弟で彼のお陰で二千石に至った者が六、七人いた。

 彼は汲黯(きゅうあん)とともに九卿の位に列なっていた頃は品行が正しく、二人とも中途で官をやめさせられると賓客たちはたちまちに離散してしまった。

 これよりさき翟公(てきこう)(翟方進(てきほうしん)の父)が延尉となり、賓客がその門を埋めるほど多かったにも関わらず、官をやめさせられると門に雀を取る罠を設置できる有様であった。

 後に復職すると賓客は押しかけるほど来ようとした。その有様を見た彼は門に大書して、

 一死一生、すなわち交情を知り、

 一貧一富、すなわち交態を知り、

 一貴一賤、交情すなわち見わる

 と記した。

 これは人との付き合いが生死や貧富、貴賤によってがらりと変わってしまうことを皮肉ったものである。

 人を大切にしてもそれが相手に伝わるかはわからない。人なんてそんなもんさと考えていた方が、気持ち的には楽なのかもしれない。


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