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蛇足伝  作者: 大田牛二
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郅都伝 ~蒼鷹と恐れられた酷吏~

 郅都しつとは河東郡楊県(漢書だと大陽県)の出身である。


 彼の家は裕福で、官に着かなくとも良い身分であったが、彼は役人たちを見ていて、何と愚かで法律一つ守れない者ばかりいると憤っていた。


 そのため親の静止を聞かず、朗官として漢の文帝ぶんていに仕えた。景帝けいていの代に中郎将になると直諌し、大臣をも面責するほど言葉に優れているところを見せるようになった。


 かつて景帝に同伴し、上林苑(大庭園の名前)で狩りを行った際、景帝は寵愛する邯鄲出身の賈姫かき(中山靖王・劉勝りゅうしょうの母親)を連れており、彼女が厠に入った時、そこに猪が入り込もうとした。


 景帝は郅都に助けるよう目配せしたが、彼は助けようとはしなかった。そこで景帝は彼女を救おうと武器を取ったが郅都が伏して止めた。


「一人の姫を失われようとも他にも姫はおりますし、天下にはまだまだ多くの姫がおりましょう。しかしながら陛下が自らを軽んじられようとしております。一体、宗廟と皇太后(竇太后とうたいごう)様をどうなさるおつもりでしょうか?」


 その言葉を受け、景帝は引き返し、猪はたまたま厠に入ることなく賈姫も無事であった。


 よくよく考えてみると彼によってもしかしたら賈姫は猪に殺され、中山靖王・劉勝は生まれることはなく彼の子孫であると言われていた劉備りゅうび(真偽のほどは定かではない)は生まれず、三国時代が生まれなかったかもしれないと思うと、恐ろしいことである。


 皇太后はこれを聞くと喜び、彼に黄金百斤を与え、景帝も同じ黄金百斤を与えた。以後彼は重んじられるようになった。


 斉の済南郡の有力豪族のかん氏は宗族が三百余家あり、法律を軽んじ、好き勝手しながらも歴代の済南郡太守は手を出すことができないでいた。


 そこで景帝は郅都を済南郡太守に任命させた。


 彼は赴任すると直様、瞯氏一門を捕らえ、皆殺しにし、その他の悪人と言われるものたちも殺した。これこそが自分がやりたかったことであり、遂に実行することができたのである。


 彼のその措置に人々は驚き、恐怖した。その後、一年が経つと郡中で道に落ちていた物を拾う者はいなくなり、周辺の郡太守は彼を恐れ憚り、まるで上官に接するかの如くであった。


 郅都は生まれつき勇猛でかつ、公平潔白であった。無私無欲で賄賂などの贈り物は一切受け取ることはなく、自分の資産はほとんどなかった。平素から、


「親に背き、任官した者であり、もとより職を奉じて、節義に死ぬのみである。妻子を顧みる必要は無い」


 と信念を述べていた。


(まだまだ、罰せられる悪がこの世にはある)


 そんな彼と仲が良かった者がいた。寧成ねいせいという人物である。彼は酷吏として有名で済南郡の都尉に配属になるとこれと親しく付き合った。似たもの同士仲が良かったようである。


 彼の成果を聞いた景帝は中央に戻るよう命じ、中尉に任命させた。その後、外戚の禍いを断つとし、前皇太子・臨江王・劉栄りゅうえいの母方の栗一族を誅殺させた。


 郅都は景帝にとって、暗部における腹心と言えた。


 この頃の丞相は七王の乱で活躍した周亜夫しゅうあふであり、周囲の者たちは彼を恐れ、敬ったが郅都は彼に会っても会釈する程度であった。


 当時、民は刑罰が重くなる世の中において質朴で、罪を恐れ自重に勤めていたが、郅都は容赦なく法を運用し、貴族外戚さえもはばからなかったため、人々は彼を『蒼鷹』と呼び恐れた。


 法という空から狙う正しく蒼鷹と言えた。


 そんなある日、臨江王・劉栄は宗廟を建てるべき地に宮殿を建てるという法律違反を犯したため、景帝は激怒し、郅都に彼の取り調べをさせた。


 郅都は厳しく、彼の取り調べを行い、劉栄が釈明文を書きたいと懇願しても許すことはなかった。


(皇族でありながら法を破るとは最も許せん行いである)


 彼は益々厳しく彼を取り調べた。


 その状況に竇嬰とうえい(竇太后の従子)は劉栄に同情し、密かに劉栄に釈明文を書くための刀筆(当時は紙ではなく木簡に書いていたため、書くというよりは掘って、文字を記していた)を渡した。


 劉栄はそれを受け取り、書簡をしたためた後、刀筆で自殺した。


 そのことを聞いた竇太后は激怒し、郅都に法をこじつけて罪名を着せようとしたため、景帝は彼の家に使者を派遣し、本来、参内しなければならないところを勅命により、雁門太守に任命して派遣した。都から彼を離すことで彼を守ろうとしたのである。


 雁門は匈奴と国境を接する場所であり、度々匈奴の侵攻を受けていたが、郅都の節義は匈奴にも有名であった。そのため彼を恐れ、雁門から兵を引き上げさせ、彼が死ぬまで雁門を攻めることはなかった。


 匈奴は郅都に対抗するため彼に似た人形を作って、これを射る訓練を行ったが、皆、郅都を恐れて射ることができなかった。


 この状況に困った匈奴は離間の策を実施することにした。この時の匈奴は軍臣ぐんしん単于の頃であり、彼には中行説ちゅうこうえつという人物がいた。


 彼は元々漢王朝に仕えていた宦官で、文帝の頃、匈奴との和睦のため公主を送る際、匈奴に行くことを拒否していた彼であったが、無理やり守り役に付かせられて匈奴に送られた。


 それからというもの、漢を憎み匈奴と漢の争いを煽動していった人物である。彼の手腕によって、恐らく郅都の離間策が行われたと思われる。


 この匈奴の離間策は成功し、竇太后は彼を処刑するよう景帝に迫った。景帝は、


「彼は忠臣です」


 と言って、庇おうとしたが、竇太后は、


「ならば、臨江王は忠臣ではなかったのですか」


 と景帝に言って、極刑にするように言ったためついに郅都は処刑された。


 空を飛び、多くの獲物を狩っていた蒼鷹は遂に射られたのであった。



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