表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蛇足伝  作者: 大田牛二
19/30

漢の後継者決定への『史記』と『資治通鑑』の違い

 劉邦が後継者を劉盈にするか劉如意するかで悩んだことは有名な話しである。その際の決定での有名な話しが『史記』での『留侯(張良)世家』が載せられている。その詳しい内容を省略も加えながら記述する。


 劉邦は太子・劉盈を廃して戚夫人の子である趙王・劉如意を立てたいと思っていた。多くの大臣が諫争しても彼の固い意思を変えることはできないでいた。


 太子の母・呂雉が成す術なく恐れているところに、ある人が進言した。


「留侯(張良)は善く計筴(計謀)を画し、陛下も信用しております」


 進言を聞いた呂雉は建成侯・呂釋之を派遣した。(『史記』の文中では呂澤とされているが間違い)


 呂釋之が張良に協力を強制してこう言った。


「あなたは常に陛下の謀臣でござました。今、陛下は太子の廃立を欲している。君はどうして枕を高くして寝ていられるのか?」


 張良はこう答えた。


「かつて陛下がしばしば困急(困窮)の中にいた時は、幸いにも私の筴(策)を用いました。今、天下は安定し、愛情によって太子を換えようとしておられますが、これは骨肉の間の事です。私のような者が百余人いたとしても何の役に立つでしょうか」


 しかし呂釋之は引きさからず、


「皇后のために計を為せ」


 と言った。張良は仕方なく言った。


「これは口舌によって争っても困難でございましょう。今までに陛下でも招くことができなかった者が天下に四人います。四人は既に年老(老齢)で、皆、陛下が人に対して慢侮(傲慢で侮ること)であると判断しているため、山中に逃げ隠れしております。義によって漢臣にならなかったのです。しかし陛下はこの四人を敬重しています。今、あなたが金玉璧帛を愛すことなく、太子のために書をしたため、辞を低くして安車(小車)を準備し、辯士を派遣して強く請うことができれば、彼らは来てくれるでしょう。彼らが来たら客(賓客)として遇し、時折彼らを従えて入朝なさいませ。陛下に彼らを見せれば、陛下は必ずや不思議に思って四人に質問するでしょう。四人が質問されれば、陛下は四人の賢を知るため、一助となるはずでしょう」


 これを聞いた呂雉は呂釋之に命じて使者を派遣させた。使者は太子の書を奉じており、卑辞厚礼で四人を迎えた。


 四人が来ると建成侯の府邸で客になった。


 その後、英布の反乱が起こり、その討伐から帰還すると劉邦の病がひどくなった。彼はますます太子を廃立したいと思うようになった。張良が諫言しても聞かないため、彼は病を理由に政事から離れた。


 叔孫通しゅくそんつうが古今の教訓を引用して太子のために争ったため、劉邦は同意したふりをしたが、心中ではまだあきらめなかった。


 そんなある安閑とした日、酒宴を開いた。太子・劉盈が同席した時、彼には四人の老人が従っていた。四人とも八十余歳で、鬚眉は皓白(白く光ること)としており、衣冠はとても壮美であった。


 劉邦が不思議に思って問うた。


「彼らは何者だ?」


 四人は進み出てそれぞれ名を言った。


 劉邦は四人が東園公、角里先生、綺里季、夏黄公だと知り、驚いて言った。


「私はあなた方を数歳(数年)も求めてきたが、あなた方は私を避けて逃走した。今、あなた方はなぜ自ら我が子に従って交遊しているのか?」


 四人がそろって答えた。


「陛下は士を軽んじてよく人を罵倒しております。私たちは義によって辱を受けるわけにはいかないので、恐れて亡匿した。しかし太子の為人は仁孝で、恭敬な態度で士を愛しており、天下には頸(首)を伸ばして太子のために死を願わない者はいないとお聞きしました。だから私たちは出て来たのです」


 劉邦は彼らに言った。


「あなた方にはこれからも太子の調護(教育補佐)をお願いしよう」


 四人は劉邦のために寿を祝い、酒を勧めてから小走り太子と共に去っていった。


 劉邦は目で送ってから戚夫人を招き、四人を指さして言った。


「私は太子を代えたかったが、あの四人が補佐しているため、羽翼が既に完成してしまった。これを動かすのは難しい。呂后が汝の主になるのは確実であろう」


 戚夫人は泣き始めた。


 劉邦は彼女を哀れみながら言った。


「私のために楚の舞を披露してくれ。私が汝のために楚の歌を歌おう」


 この時の歌の内容はこうである。


「大鴻、髙く飛び、千里に至る。既に翼ができて四海を横断する。四海を横断してしまえば、どうしようもない、たとえ矢があっても成す術がない」


 太子の地位が確定して動かせなくなったことを歌ったものである。


 歌は数回、繰り返され、歌い終わると戚夫人がむせび泣いて涙を流した。


 劉邦は立ち上がって去り、酒宴は終わった。太子の廃立が行われなかったのは張良が四人を招かせたおかげである。


 この内容は『漢書』にもある。しかし、『資治通鑑』ではこの逸話を採用していない。


 その理由を『資治通鑑』の注釈を行った胡三省こさんしょうの『資治通鑑考異』)に書かれている。


「劉邦は剛猛伉厲(剛直)な人物であるため、搢紳(官員や儒者)の謗りを恐れたとは思えない。大臣が太子廃立に反対したため、劉邦の死後、趙王が自分の地位を守れなくなるのではないかと心配したのが、廃立をあきらめた理由のはずである」


「もしも劉邦が強い意思を持って太子廃立を決定しているのであれば、張良のように長く仕えた近臣でも「口舌で争えることではない」と判断しているために山林の四老人が口出しして阻止できるような問題では無いはずである。もし四老人が口出しして劉邦の決定を阻止しようとしたとしても、劉邦の数寸の刃を汚すことになっただけで、彼の意思は変えられないだろう。「翼が完成してしまったのだから、矢を射てもどうしようもない」などという歌を歌う必要があるだろうか」


「また、もし四老人が劉邦の決定を阻止して太子廃立を中止させることができたというのであれば、それは張良が太子のために党を作り、父を制したことになる。張良がそのようなことをするはずが無いだろう。これは辯士が四老人の賢才を夸大に伝えようとして作った話である」


「かつても蘇秦が六国と合従したため秦兵が十五年にわたって函谷関を窺おうとしなかったという話や、魯仲連が新垣衍を論破したため秦将が五十里も退却したという話があった。四老人の故事もこれらと同じで、事実とは思えない」


「司馬遷は奇(特殊な事、不思議な事)を好んだために『史記』の中にこのような話を多数収録したのだ。そのため『資治通鑑』では全て削除している」


 書かれた年代に差があるために純粋に比べることは難しいが、『資治通鑑』の考え方が内容への指摘と考え方の筋が通っている


 だが、一つ意識しておかねばならないことがある。『資治通鑑』の作者(編集者と言った方が正しい)・司馬光は宋学の大家の一人であることである。


 宋学は宋代において儒教の哲学的な新たな思想体系ができたものである。


 その中で司馬光は歴史的な記述から名分を正す。つまり何が正しいことなのか。何が間違っているのかを後世に示すという考えの元でできたのが『資治通鑑』である。


 また、『資治通鑑』は編年体で書かれている。この歴史書が書かれる前までの『史記』を始め、紀伝体で書かれている。


 では、なぜ編年体にしたのかと言えば、司馬光が『春秋』及び『春秋左氏伝』を意識したためである。ただ彼はその二書を意識し、尊敬していたため、春秋時代については書かず、戦国時代から書いている。もし春秋時代にまで書いていれば、春秋時代の資料はもっと多くなり、様々なことを知ることができただろうが残念なことである。


 このように『春秋』を意識したために名分を正すということも行ったのである。ある意味、孔子が『春秋』を持って名分とは何かを示そうとしたようことに倣ったと言えるかもしれない。


 ここまで『資治通鑑』が何を意識したのかを書いたが、この名分、つまり何が正しく、何が間違っているかについてだが、その基準はあくまでも儒教思想である。その点については注意しなければならない。


 一方の『史記』は儒教思想に偏りすぎてはいない。つまりはどちらの史書もある程度の基準の違い、目線の違いを持って書かれているものであることがわかるだろう。


 今回は『資治通鑑』の方が忠実に近いと判断した。しかし世にも滑稽で不思議な話しの方が忠実に近いこともある。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ