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蛇足伝  作者: 大田牛二


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名家

 戦国時代、多くの思想家が現れた。その思想家の一派の一つに名家と呼ばれる思想家たちがいた。


 この名家が思想家としての主張は「名(名分や名目)」と「実(実態)」を明らかにするというものである。


 この思想は戦国時代という乱世の世の中を表している思想で、この名と実で問題となった存在がいる。天子、つまり周王の存在である。周王は本来であれば、諸侯の長であり、天下の主導者であった。しかし、戦国時代に周王に実権はなかった。


 つまり本来高貴な存在としての周王の名と実がかけ離れたものになっていると考え、それが今の乱世という混乱の大元であると考えた。そして、この名と実を合致させることが秩序の回復につながるとこの当時の思想家たちは考えたのである。


 儒教は名を正すというやり方をとった。つまり親子、兄弟、夫婦、君臣という形を礼によってきちんとした形にしようと考え、子が親に、弟が兄に、妻が夫に、臣下が君主を敬うという形こそが理想の秩序像とした。


 一方、法家は儒教の個人の道徳で秩序なんぞ作れるかと考え、法を持って人民を統制するという形を取った。


 名家は更に名と実の関係をより深く考えようとした思想である。彼らは言葉が持つ意味や意義を明らかにし、日常的に存在している誤った概念を一掃することによって「言葉(名)」と「事物の本質(実)」が正しく一致することを求めた。

 

 そんな彼らが主張した代表的な理論に、「離堅白」と「合同異」というものがある。


「離堅白」は公孫龍こうそんりょうが唱えたもので、「堅白石(堅くて白い石)」という「名」に対する理論のことである。

 

 石を見た時には、白という色はわかるが、堅いかどうかはわからない。石を触った時には、石が堅いことはわかるが、触覚から色を知ることはできない。


 そこで公孫龍は「堅白石(堅くて白い石)」を一つの石を表す概念ではなく、「堅い石」と「白い石」という二つの概念からなりたっているという結論を出した。

 

 一方の「合同異」というのは、公孫龍と同じ名家に属す恵施けいしが提唱した考えである。


 公孫龍は一つの事象に存在する複数の概念の分離性。つまり事象は一つであっても複数の概念が共存しており、それぞれの概念は独立していることに焦点を置いたが、恵施は異なる事象の同異性と相対性。つまり一つの事象において複数の概念が共存しているものの、それは異なるだけでなく、共通しているところもあるということに焦点を置いた。

 

「この世で最も大きな物(世界、宇宙、空間)にはそれよりも大きな物はないため、このような物には『大一』と名付ける。逆にこの世で最も小さな物にはそれよりも小さいものがないため、このような物には『小一』と名付ける」


 というものがある。「小一」は最も規模が小さい粒子と考えることができ、この世に存在する物はどんなに大きくても全て「小一」によって形成されている。


「大一」も「小一」によって成立しており、これが異なる概念の共通したところである。


 但し、一つ一つの「小一」には違いがあり、「小一」が集まって形成された物も同じではないとも考えた。


 また、こうとも考えた。共通性がある物は全て同類とみなし、これを「大同」とし、しかしその中にもそれぞれの特徴があって、その特徴は共通していることもあれば全く異なることもある。これを「大同」の中の「小同異」という。

 

 視野を万物に広げると、万物にも共通性があり、例えばすべての物が「小一(最小単位の粒子)」によって形成されているという点である。そのため万物は同じであると言える。しかし万物の中にもそれぞれの特徴があり、一つの物が持つ特徴が他の物に当てはまらないことがある。このような万物における同異を「大同異」としたのである。

 

 つまり事物には共通している面と異なっている面があるということである。

 

 

 更に、


「天下の中央は燕の北にあり、越の南にある」


 という言葉もある。


 燕は北の国で、越は南の国であるため、北国の北と南国の南というのは正反対に位置する。しかしそこに天下の中央があるということは、広大な天下には限りがないため、どこでも天下の中央になることができるという意味を表す。

 

 同じような意味で、


「天も地も低く、山も沢も平である」


 という言葉もある。天は高くて地は低く、山は盛り上がっていて沢は窪んでいるが、自分の立つ位置を変えれば高低も凹凸も変わって見えるため、一定したものではないという意味である。

 

 これらは事物の相対性を表したものである。そして恵施はこう結論づけた。


「広く万物を愛せ。天地は一体である」

 

 恵施はこの世のあらゆる事象が独自の特徴をもちながらも共通した存在であると考えた。この世がそうである以上、貴賎や大小、厚薄、親疎といった関係は必要ない。天地とは元々一体であるため、人々は広く万物を愛するべきであると恵施は訴えたのである。


 それを鼻で笑い、度々からかったのが荘子である。彼から言わせると恵施の考え方はどうも頭でっかちの考えでしかないと思ったようである。
















 

 恵施より有名な思想家は公孫竜である。彼は平原君の元で食客であった男で、平原君は弁舌に長けていると評価していた。

 

 そんなある日、孔穿が魯から趙に来た。孔穿は孔子の子孫で、字を子高という。

 

 孔穿は公孫龍と「臧三耳」を論じた。臧というのは奴婢の姓で、「臧には三つの耳がある」という意味である。

 

 公孫竜の著書の中に、「鶏三足」の話が紹介されている。


 鶏の足は二本ある。しかし実態のある脚とは別に、「鶏の足」という概念(名称)も存在する。概念としての鶏の足は、一つ、二つといった数字とは関係はなく、実態のある二つの鶏の足と概念としての鶏の足を合わせると、鶏の足は三つになるというものである。

 

「臧三耳」も同じで、耳という器官は実際に存在する二つの耳と概念(名称)としての耳があるので、合わせると三つになると公孫龍は考えており、名称として存在する概念と実際に存在する実態は異なると考えていた。

 

 そのような思想と共に公孫龍は弁が立つ男であったため、孔穿は反論できず、すぐに退散した。

 

 翌日、孔穿が平原君に会いに行くと、平原君が問うた。


「昨夕の公孫竜の言は理屈が通っていたと申せましょう。先生はどう思いますか?」

 

 孔穿はこう答えた。


「その通りです。まるで臧(奴婢)に三つの耳ができたようでございました。しかしながら実際には難しいことです。一つ質問させてください。人に三つの耳があることを実現することは難しく、そもそも真実ではありません。逆に二つの耳があるというのは理解が容易でしかも真実です。あなたは容易な真実に従いますか。それとも困難で真実ではないことに従いますか?」

 

 つまり公孫竜の考えは彼自身の弁術によって人を納得させることができるが、他の者が同じことを説明しようとするとどうだろうかということである。


 はっきり言ってわかりづらい思想ということである。平原君は同じことを思ったのか返す言葉がなかった。

 

 翌日、平原君が公孫龍に言った。


「あなたは孔子高と事を弁じない方がいいでしょう。彼は理(道理)が辞(弁舌)に勝っており、あなたは辞が理に勝っている。最後は必ず退けられることになりましょう」

 

 その後、鄒衍すうえんが趙を通った時、平原君が、


「白馬非馬の説」


 について公孫龍と議論をさせようとした。

 

「白馬非馬」というのは「白馬は馬ではない」という公孫龍を代表する命題のことである。

 

「白馬」は「白」という色の概念と、「馬」という動物の概念が一緒になった言葉であり、「馬」といったら「黄色い馬」も「黒い馬」も含まれるが、「白馬」はあくまでも「白い馬」を指すだけであって、「黄色い馬」や「黒い馬」は含まない。よって特定の馬の種類を指す「白馬」は広範囲な「馬」という概念とは異なるというものである。

 

 ここから公孫龍は、


「白馬は馬ではない」


 という結論を出した。

 

 しかし鄒衍は議論を辞退してこう言った。


「辯論とは、異なる種類の主張を明らかにすることで、互いに害すことを防ぎ、異なる概念を明らかにして混乱を除き、自分の意見を述べて主旨を明らかにし、相手に理解させて困惑をなくすためにあるのです。そのため勝った者は自分の意見を守り、負けた者も求めるもの。つまり真理と道理を得ることができるのです。このようであるのならば、私は辯論をしてもかまいません。しかしもしも煩雑な文を利用し、言葉を飾って互いを誹謗し、巧みな比喩で趣旨を移し、人を引きつけながらも真理と道理に達することができないようならば、大道(学問の道理)を害すことになります。相手に勝つまで弁論を続けるようなやり方は君子の気風を害しますので、私にはできません」

 

 これは凄まじいほどの公孫龍への非難であり、彼は公孫竜の主張を学問とかけ離れたものであり、その主張は役に立たないどころか詭弁に過ぎない。そのため弁論するには値しないというのである。

 

 その場にいた者は皆、鄒衍を称賛され、公孫龍は遠ざけられるようになった。

 

『資治通鑑』に注釈を加えた胡三省こさんしょうは、


「最終的には、詭弁によって大道を破ることはできないのだ」


 と評している。

 

 韓非子かんぴしも自身の著作にこのような話しを載せている。


 宋の児説というものがおり、彼は弁論を得意にして、『白馬非馬』の説によって稷下(斉)の弁者を言い負かしてきた。そんなある日、白馬に乗って関所を通ろうとしたが、関吏に止められた。


 児説は白馬は馬ではないと主張しましたが馬の税を払ってやっと関を通り抜けることができたというものである。

 

 児説という人物は架空の人物と思われ、「白馬非馬」説を主張した公孫龍に対する皮肉と批判であると思われる。

 

 公孫龍の学説は言葉の概念を明らかにするという点で大きな意義があるものであり、一種の高度な哲学の一つと言えたが、理屈と実態がかけ離れているとして、詭弁と評価されることの方が多かった。


 そのため名家の主張は歴史において強い力を持つことはなかったのである。





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