Side-O 優しさに包まれて
戦いを終え、魔王城に帰ってきた日の夜。
俺が部屋で読書をしていると、控えめにドアをノックする音が聞こえた。
「入っていいぞ」
「失礼します」と中に入ってきたのは、火照った顔の金髪の麗人。オリビアだ。
「悪いな、呼び出してしまって」
「いえ、どうせまだ寝る時間ではありませんから」
「少し話をしたかったんだ」
本を片付け、ソファに腰を下ろす。
「座っていいぞ」
ゆっくりと彼女も対面に座る。
「以前、俺は友を亡くしたっていう話をしたと思う。オリビアが亡き友に似ているとも」
「はい」
「なぜオリビアが俺の友に似ているのか。答えが分かった」
そう言うと、彼女は答えを知るのが怖いというような表情を浮かべた。
俺もあまり話したくない。けれど、話しておくべきだ。そう感じた。
いや、違うな。俺は確かめたいんだ。オリビアの魂と同化した、友のことを。
かなり踏み込んだ話をしなければならない。相手の心を犯す勇気のない俺はアルコールの力を借りることにした。
「ワインを飲みながらでも話そう」
戸棚から一本のボトルとグラスを二本取り出して低いテーブルの上に並べる。
コルクを抜き、燭台の仄かな光に照らされて不気味な輝きを放つ液体をトクトクと注いだ。
「君の父親から聞いた。人間は魔族の血を飲むことでその魔族と魂が同化し、魂の格が上がると」
ピクッと彼女の眉が動いた。
「君が魔族の魂と同化した、という話も」
俺がグラスを呷ると、彼女も同じようにワインを喉に流し込んだ。
「すみません、隠してたつもりは――いえ、たぶん、隠していました」
彼女はそっとグラスを撫でる。
すると何とも言い難いガラス特有のくぐもった音がした。
「嫌われ、たくなかったんです。お城を追い出されてしまったら、わたしには行く宛がない。オラクさんに城に泊まるよう言われた時、わたしは遠慮しましたけど、内心ホッとしていました」
ワインを一口含み、続ける。
「人間界には戻りたくなかった。ですから追い出されないよう、オラクさんや魔族の方に嫌われるようなことは言いたくなかったんです」
嘘偽りのない本心だろう。
俺の配下達に講義をしてくれていたのも、もしかすると嫌われたくないとの思いがあったのかもしれない。
「ずっと黙っていてすみませんでした」
うなだれるように彼女は頭を下げた。
「謝らなくていい。俺がオリビアと同じような状況だったら、俺も同じようにしていただろうし」
言いながら彼女のグラスにワインを注いでやる。
「それで、俺の友に似ている理由についてなんだが……」
「……なんとなく予想はつきます。わたしの魂と同化したのが、オラクさんのご友人……なんですよね」
俺は静かに首肯した。
そして、オリビアの父親が俺の友を殺した張本人だという話、奴の姿を見て黒い感情が湧いてきた話をした。
「許せない、ですよね……。わたしに償えることがあれば何でもしますが……」
「いや、いいんだ。ふと我に返って思ったんだ。友は俺に復讐を望んでいるのかって。たぶんあいつは、償いなんて求めていない。復讐も望んでいない」
友の声が聞こえたような気がしたのだ。
『わたしは皆が笑って暮らしてくれれば、それで十分』
と。
「優しいですね……。オラクさんも、ご友人も」
「どうだろうな」
言葉を返してから、俺はあることを思い出してオリビアの顔を見つめた。
「俺は償いなんて求めない。だがもしオリビアの罪悪感が少しでも晴れるというのなら、償いをしてもらってもいいだろうか」
「はい」
「本当に友の魂はオリビアと同化したのか、この目で確かめたい」
「えっと……」
「俺は霊や死者、そして魂を操る死霊術師だ。相手の心の奥底に潜む魂を見ることができる。オリビアはただ、そこでじっとしていればいい」
一瞬目を丸くしたが、すぐに彼女の表情は笑みに変わった。
「素敵ですね」
それは、かつて友が語った言葉と同じ。忌むべき存在である死霊術師を称える言葉だった。
確かめるまでもないかもしれない。けど一応、見ておくか。
俺は深呼吸をして、漂う霊気を支配した。
紅い右眼の対の色。青い左の瞳がより深い青に染まる。
俺は魂を捉えることのできる眼をオリビアの胸に向けた。
「……」
「……」
そこにある魂は一つ。しかし、人間の魂の一部に魔族の魂が溶けていた。
本来は交わることなどない二つの魂。けれど、ああ、なんて綺麗なんだ。
異なる輝きを放つ魂が渾然一体となり、神秘的な光を放っている。
「……どうですか?」
「同化、しているな」
まぶたを閉じ、俺は霊気を解放した。
「とても綺麗だった」
「あ、えっと……ありがとうございます……?」
微笑み、俺はワインを口に含んだ。
「俺が死霊術師だってことは秘密にしておいてほしい。実を言うとオリビアにも話そうかどうか悩んでいたんだ」
「わかりました。あまりいい印象を持つ人はいないですからね」
「そうだな。『素敵』だなんて言ってくれるのはオリビアくらいのものだ」
俺の友――ミーナはもうこの世にいないしな。
いや、でも。魂が同化しているということは、オリビアの中に、彼女は生きているともとれるか。
それに、俺の記憶にも。彼女は今も生きている。
「付き合ってくれてありがとう。これで話は終わりだ」
「……死霊術を使えば、ご友人に会えるのでは?」
「無理だろうな。魂がこの世をさまよっているならば呼び出すことも可能だが、友の魂はオリビアの魂の一部となっている。何かに結びついている魂を呼び出すのは難しい。それに今までも何度も試した」
「あっ……。ごめんなさい、よく知りもしないのに余計なことを言ってしまいました」
「気にするな」
言いながらグラスにおかわりを注ぐ。
今日はよく酒が進むな。
「……」
グラスを置いて黙り込んだオリビアは何かを考えていたようだったが、やがておもむろに立ち上がり、こちらへ近寄ってきた。
「会いたいですか?」
友にということだろう。
「叶うものなら」
彼女はそっと俺の隣に座る。
「ご友人の姿をお見せする力はわたしにありません。ですが――」
彼女の細腕が、優しく俺の身体を包み込んだ。
「温もりの中に、ご友人を感じることができるかもしれません」
抱き寄せられ、俺は彼女に身を委ねた。
「温かいな……」
柔らかい胸の中でポツリと呟く。
いつまでも浸っていたくなるような温かさに、不意に亡き友ミーナのことを思い出した。
あいつも子供のくせして包容力のある少女だった。
確かに……確かに。オリビアの言う通り、温もりの中にミーナを感じる。
どれくらい時間が経っただろうか。俺はゆっくりと身を起こした。
「泣き虫さんなんですね」
オリビアに言われて目をこすれば、わずかに手が濡れていた。
「前にそう言ったろう」
「そういえば仰っていましたね。でも、嘘なのかと思っていました」
「本当のことだ」
「はい。今ようやく納得しました」
ニッコリと彼女は咲くような笑みを浮かべる。
「妹さんがいて、配下がいっぱいいて。魔王として弱い所を見せられないのかと思います。ですが、わたしの前くらいでは弱音を吐いてもいいんですよ?」
「そう……だな」
「わたしは何度もオラクさんに助けていただきました。今回も呪いを解いていただいた上に、父上や王子様の考えを改めさせていただいて。本当に感謝してもしきれません」
半分くらいはライトのおかげだとは思うけどな。
「その、お礼です。いつでもお話を聞きますし、悲しくなった時は胸を貸しますよ」
なんて落ち着く声なんだろう。つい頼りたくなってしまう。
「オラクさんに借りた恩を返せるのなら、どんなことも躊躇いません」
「……じゃあ、一つだけいいか」
「はい」
「近い内に人間界に行こうと思う。その時に街を案内してもらってもいいか」
「お安い御用です!」
温かい。
「ありがとうな」
「お礼を言うならわたしもです。この度は本当にありがとうございました」
とても、温かい。
こんなやりとりができる安寧の時間がずっと続けばいいのにと、俺は心の底から願った。
――しかし俺の願いも虚しく、やがてこの平和な東の魔王領には、争いと、混沌と。そして災厄が訪れることになる――。