Side-O 過去と怒りと
俺はドラゴニカ家当主を連れ、王都の外にある高原へと転移してきた。
ここなら存分に戦える。
「この時をどれほど待ちわびたことか」
当主から少し距離を取りながら呟く。
「何のことだ」
「友の仇であるお前と対峙できる、この時を」
「人違いであろう……」
「人違いなものか。13年前、俺の目の前で友を攫った人間。金髪に錆びた鉄の色の瞳。忘れるはずがない」
軽く身体をほぐして彼を睨みつける。
思い当たる節がないというふうに考えていた彼だったが、やがて一つの結論に至ったようだ。
「13年前……。まさか、あの時の少年なのか……」
「思い出したみたいだな」
「てっきり始末したつもりでいたのだがな……」
「あいにく始末されたのはお前の配下達だ」
俺の言葉に秘められた殺気に勘づいたか、彼は紅いオーラを放つ魔剣を構えた。
「戦う前に一つ聞いておきたい。あの時何のためにお前は俺の友――ミーナを攫ったんだ?」
「教えると思うか……?」
「いいや。念の為尋ねてみただけだ」
「知りたくばこの俺を倒すことだ……」
彼は精神を研ぎ澄まし、魔剣の切っ先に魔力を乗せる。
「名前を聞いておこうか」
「ドラゴニカ家52代当主、ゴルドー・アルファ・ドラゴニカ。魔剣の銘は【吸血姫】リリアス。
貴様は名乗らんでいい……。【東の魔王】オラク・ジエチル・マンムート・サタンであろう……」
「ああ」
俺は静かに頷く。
既に彼の褐色の瞳は闘気に燃えている。一方の俺の両眼は憎悪に。
どこからか飛んできた枯れ葉が間に落ちたのを合図に、互いの魔力が爆ぜた。
「――“吸血魔刃”」
「――“黒焔”」
紅い三日月状の魔力の刃と夜よりも黒い炎が激突する。刹那均衡する様子を見せたものの、“黒焔”の威力が勝り刃を跡形もなく焼き尽くした。
“黒焔”は勢いそのままにゴルドーに迫る。
「――“吸魔血盾”」
自らの攻撃が破られても表情一つ動かさず、彼は冷静に障壁を展開した。
血の色をした障壁に黒焔が衝突し、彼の周囲が焼き尽くされる。だが障壁は黒焔の直撃を受けてもなお、削れる気配はなかった。
しばらくすると黒焔は勢いを失って消滅した。いや、吸収された。
「今のは?」
「血の盾に触れた魔力を跡形もなく吸い尽くす、【吸血姫】の能力を用いた魔法だ」
「なるほど」
“吸血”というから血に関係する能力がメインなのかと思っていたが、どうやらそれ以外にも能力はあるらしい。警戒しないとな。
「吸収した魔力はどうなるかわかるか……?」
「そうだな、だいたい想像はつく」
ゴルドーはニヤリと口角を上げた。
「答えはこれだ……。――“黒血魔焔刃”」
彼が剣を一振りすると、紅く煌めく魔剣から血の色が混ざった黒焔の刃が打ち出された。
なんとかすれすれのところで回避したが、後ろを見てみれば大地に大きな裂け目ができていた。
「まだだ」
目を丸くする俺にゴルドーが斬りかかってくる。身を捻って致命傷は避けるものの、残像が見えるほどの速度で振るわれる魔剣の攻撃を全てはかわしきれない。
肩、頬、胸と、少しずつ傷が増えていく。
「――“血鎖の泥沼”」
「っ!?」
突然、俺の足首にヘドロのようなものがまとわりつき、足元が浅い泥沼と化した。力尽くで抜け出そうとするも、足が泥沼の中にあってはうまく力が入らない。
俺がもがいているうちに、目の前には魔剣を斜めに構えたゴルドーが迫っていた。
「ふんっ!」
パパッと鮮やかな赤い血が飛び散る。
だが袈裟斬りのつもりで振るったであろう彼の魔剣は俺の肩を斬り裂いたところで止まっていた。
俺が素手で受け止めたのだ。
「……馬鹿な……」
手のひらに血が滲んではいるが、骨までは達していない。手の一点に魔力を集中させたことで極限まで肉体を硬化させたのだ。
「――“黒焔”」
ゴルドーの身体が遥か彼方まで吹き飛ばされる。“吸魔血盾”を使う間もない。大きな火傷を負った彼はボトリと地面に落下した。
「ぐはっ……。流石は魔王……途方もない威力だ……」
彼が立ち上がっている隙に俺は泥沼から抜け出す。数秒遅れてゴルドーもふらふらと立ち上がったが、その瞬間彼は目を剥いた。
「焼けている……だと?」
俺が黒焔を放っていないにも関わらず、彼の周囲が激しく燃え盛っていた。
炎の壁の先に俺の姿を捉えたゴルドーは咳き込みながら言葉を発する。
「幻術か……」
「ご明察の通り、これは幻術だ。だが心の底から幻術だと信じることができなければ、お前の肌は焼けただれる。その様子だと、信じ切れていないようだな」
「ほざけ。――“吸魔血盾”」
火の手から逃れようと彼は半球状に盾を展開したが、幻術の前には無意味。まやかしの炎は盾の内側にまで入り込み、やがて彼の足元まで達した。
「どうだ、熱いだろう」
「これしきの炎、冷たすぎて足元が凍りつくくらいだ……」
言って、彼は盾を解除すると勢いよく俺に迫ってきた。
「全身に火が回る前に俺を倒そうという魂胆か」
それには答えずに、彼は無言で魔剣を振り抜く。しかし、彼の瞳に映っていた俺の身体は霧となって消えた。
「……?」
「悪いな、それも幻術だ」
まやかしの炎は膝まで達している。
忌々しそうに振り返ったゴルドーは、信じられない光景にただ眉を顰めた
「“百鬼夜行”」
彼の瞳に映るのは、百人の俺。全て幻術を用いて作り出した分身だ。
本物の俺は浮遊霊に支えてもらい滞空しているが、どうやらバレてはいないみたいだ。
「……百人もの魔王を相手にせねばならんとは……悪夢だな」
呆然と立ち尽くす彼にまとわりつく炎は、もう腰まで達している。
「「「――“黒焔”」」」
乾いた笑いを漏らすゴルドーに、百人の俺は容赦なく黒焔を射出した。
「どれが本物かもわからん……。ならば、全て滅ぼすのみ。
――“吸血魔刃”、【乱】」
彼が腰を低くして魔力の刃を乱れ打ちしたのと同時に、黒い壁のようなまやかしの黒焔が彼を直撃した。
「……」
分身を全て消し、ゴルドーの背後に降り立つ。
……見事なまでに黒焦げになっているな。幻術だと信じ切ることができなかったか。
俺はゴルドーの首を掴んで彼の身体を持ち上げた。
「聞こえるか?」
囁やけば、微かに彼の魔力が揺らいだ。
息はあるようだな。
「お前の負けだ。ミーナについて教えてもらおうか」
瞬間、腹部に熱い痛みが走った。見れば、【吸血姫】が俺の腹で怪しい輝きを放っていた。
「“吸血”」
いつの間にか魔剣を逆手に持ち替えていたゴルドーがかすれ声で呟く。すると剣が刺さっている俺の腹部から、いや。先ほどつけられた頬や胸、肩の傷口からも血が吸い取られ、魔剣の刀身に蓄えられていく。
「油断したな魔王……」
「……やはり血を吸う能力があったのか」
ぐっと力を込め引っこ抜こうとするも、うまく力が入らない。ゴルドーの首を締めていた右腕も力が抜け、彼のことを手放してしまった。
もはや膂力はアテにならない。魔法を使うしかないか……。
「貴様にはここで消えてもらう……」
横に構えた彼の魔剣が陽炎のように揺らぐ。否、魔剣だけではない。凄まじいエネルギーに、大気そのものが歪んでいるのだ。
……こちらも殺す気でやらないとダメっぽいな。
手加減をしていて、それで俺が死んだら元も子もない。本気を出そう。
「――“鮮血一文字”」
「――“黒焔”」
紅い魔力と黒い魔力。
異種の魔力が至近距離で激突し、辺り一面が一瞬で焼け野原と化した。
「……」
「…………がはっ……」
血を吐いて倒れたのはゴルドー。同時に【吸血姫】リリアスもポキンと真っ二つに折れた。
「今度こそ勝負あったな」
「……先ほどまでとは比べ物にならない威力……。騎士団の長でもある、この俺に対して手心を加えていたというのか……」
彼は仰向けになり、折れた魔剣を見つめる。
「少女について聞きたがっていたな……」
「ああ」
一旦言葉を切り、呼吸を整えてから彼は続ける。
「13年前、俺は魔界から攫ってきた少女の心臓を抜き、その晩の料理にその血を注いだ……」
「血を!?」
ゴルドーの頭を踏みつけたくなる衝動をなんとか抑え、続きを促す。
「……こんな伝承があるのだ……。『魔族の血を飲んだ人間は、その魔族と魂が同化し、魂の格が上がる』と。ドラゴニカ家の歴史を遡ってみれば、初代当主を初め、幾人かが魂の同化を果たしていたことがわかった……」
「つまりその伝承は正しい、と」
「わからん。だが試す価値はあると思い、俺は戦争を利用して魔族を攫っては、その血を料理に入れることを繰り返していたのだ……。そしてついに、子供達のうちの一人が貴様の友と魂の同化に成功した……」
初代当主と同じ、魂の同化を?
魂の格が上がるということを考慮すると最も可能性が高いのは――
「――ライトか」
「違う」
「え?」
「オリビアだ」
刹那言葉に詰まる。
ああ、でも言われてみれば納得だ。Aランクの部において一人頭の抜けた実力。それに、魔力の香り。
以前から違和感を覚えていた。オリビアの魔力に、ほんの少し、魔族に似た香りが混ざっていることに。
ミーナの魂と、同化していたのか……。
なぜミーナの姿と重なることがあったのか、ようやく理解した。
「これで満足か……?」
「ああ」
「なら、殺せ。仇なのだろう……」
「……そうしたい気持ちも山々なんだけどな。オリビアと約束したから。殺さない、と」
「ふん、くだらん」
「代わりに夢を見るといい」
「夢だと……?」
不可解そうに眉根を寄せるゴルドーの額に手を当て、ゆっくりと魔力を注ぐ。
「があ"あ"あ"ぁぁぁあああああああああっ!!?」
俺が手を離すと、彼は苦悶の表情を浮かべて発狂した。
これは以前オリビアにもかけた精神操作系の幻術。娘は耐えられたというのに、父親は耐えられなかったみたいだ。
ゴルドーに蔑みの目線を向けながら、俺は転移魔法陣を展開した。
「せいぜい苦しめ。友の人生を奪ったお前を、俺は許さない。俺達が――ミーナが味わった苦痛をその身に受けるんだな」