閑話休題一 宦官(※内容注意です)
※グロ系、痛い系が苦手な方は今すぐリターンです。
1000PVありがとうございます!
本当は登場人物紹介にしようと思っていたのですが、まだ大した人数ではなかったので次の機会にでも。
もうすぐ趙高が出てきますので、ここでは宦官というものの背景や制度について説明回です。
内容が内容なだけに苦手な方はこの回はすっ飛ばしても本編には影響は出ないはず(笑)なので大丈夫です。
中国の歴史においてこの宦官の存在を抜きには語れません。
なぜなら王朝の滅ぶ原因や遠因となるのが、たいてい宦官と外戚(奥さんの親戚一族)の権力が大きくなって皇帝の力を超えたり、コントロールが効かなくなる事だからです。
どの王朝も末期になると宦官が幅を利かせ始めるのが中国という地域の宿命。
宦官とは、去勢手術を施された官吏(というよりは権限が無い召使いの様な者)の事でほとんどが男性(?)であった。
仕事の内容は細分化されていたが大雑把に言えば貴人(主に後宮)の身の回りのお世話である。
天子や大きな権力を持った者達は、その権勢に比例して大きな後宮を持つ事が多かったため、奥さんや妾さんたちと間違いが起こらない人間として使われだしたらしい。
殷の時代(紀元前17世紀~紀元前11世紀)に戦争捕虜について去勢をして宦官にするかどうか、の占いの記録が残っている。
その頃には既に宦官が制度として存在したのだろうと考えられる。
中国では古来より家畜に去勢手術を施すと、気性が穏やかになり飼い主に従順になる事が知られており(家畜に対して)盛んに行われていた。
そして戦争によって捕虜になった敵国の人間や奴隷達に施した(自国や主人に対して反乱とか起こさないように、従順になるように)のが始まりのようだ。
去勢された捕虜や奴隷を貴人の身の回りの世話人として使い始めたら、アラびっくり!
役に立つし、メリットが大きいと言うことで宦官が当たり前のように重宝され使われ始めることになる。
大体こんな仕事をしていた。
* 料理・清掃などの雑用(これが大部分であった。)
* 財産・神器の管理
* 身辺の護衛
* 継嗣の確認
* 皇子の学問や行儀作法教育
* 不穏な官僚の摘発
* 皇帝と宰相の連絡
自国の人間が去勢されるケースもある。これは主に刑罰としてである。
古代では死刑の次に厳しい刑としてこの去勢刑(宮刑とか腐刑と呼ばれていた)があった。
※腐刑の由来として、男性器を切り取った痕が年配になってくると腐臭を放つ、男性器がない事から小便が駄々漏れになるため腐臭がする、などの説があります。
そして宮刑に処された罪人たちはほぼ全員宦官として宮廷などで働らかされた。
それでメリットだが、まず何と言っても男性自身を失っているのでハーレムの女性と間違い(強姦や密通)が起きにくいという理由が圧倒的である。
実際には若干の性欲があったみたいで(特になりたては)問題はかなり起こっていたという記録があるが(笑)
それでも普通の男性を使うよりは断然間違いが起こりにくいのは確かなのでそのまま使われていたようだ。
次に宦官は子供を作ることができない点も重宝される理由になった。
王朝が変わるたび、または皇帝が代わるたびに宦官の専横という問題が出てくるが、彼ら宦官には子供を作ることができないため、権力の世襲が行われにくかったという面がある。
なので例えば秦末期に趙高という宦官がいて権勢を振るったが、周りとしては
「まぁ趙高が元気なうちはしょうがない。
皇帝が代わるか(皇帝が代わると寵愛を受ける宦官も変わる)趙高が引退するまでは我慢するか。」
といった心境であったろう。
これが宦官ではなくて権力が子孫に世襲されるとしたら厄介極まりない。
趙高が元気なうちに彼の子供や親戚が高い地位に昇ってくるのである。
周りは気が気じゃない。
そういう意味でも宦官は安パイとして使われていた。
ただ後の時代に宦官も貴族になれたりして養子を貰って世襲を始めたりもする(有名なところだと曹操の祖父は宦官で曹操の父は養子である)ケースも出てきたりしたので一概には言えないが。
後は何だかんだで優秀で使える人間が多かった。
これは大きな理由になるのではないかと思う。
悪い意味で名前を残している宦官も多い反面、歴史に残る仕事をした宦官も多い。
史記を書いた司馬遷。
紙を発明した蔡倫。
軍人として反乱軍を鎮圧した童貫。
大航海を行った鄭和などなど。
権力を握れるという事は馬鹿では出来ないわけで(特にコネとか七光りなんてのは宦官にはないし、宦官という役職があったわけではない。宦官とは召使いだからである)実力でそこまで昇ったとするならば権力を握れる位には優秀だったのだろう。
まぁそんな理由から王朝にとって癌になりうるが、とはいっても便利なので使い続けた、と。
次にデメリットの方だが、能力の使い方が欲望に忠実だったという
よく言われているのが去勢を施すと男性ホルモンの減少から、体つきは丸みを帯び女性っぽくなり、ヒゲは薄くなるか全く生えなくなる。
後漢末期、黄巾の乱に乗じた十常侍の粛清の時、袁紹と曹操は宦官を殺すためヒゲを生やしてない者を片っ端から斬っていった。
中にはもともとヒゲが薄いだけのれっきとした男性の官吏も巻き込まれて殺されてしまったらしい。
そして性欲がほとんどなくなるためか、代わりを補うのように他の欲望が強くなる傾向がある。
それが金銭であったり、食欲であったり、名誉や権力や地位であったり、そちらのベクトルが強くなる事が多い。
人間何事もバランスが大事なのかもしれない。
だがそれが必ず悪い面にだけ作用したか?というとそうでもなかったりするのも面白い。
例えば「史記」を書いた司馬遷は仕えていた皇帝、武帝の怒りをとある理由から買ってしまい死刑にされてしまう。
司馬遷には司馬一族の悲願でもあった歴史書『史記』完成させるためにまだ死ぬわけにはいかないと自ら願い出て宮刑に減刑される。
(個人的には死刑より嫌だけどなぁ……。)
そして身体的な痛みや苦しみ、人間として、男性としての尊厳を失くした事の苦しみと戦いながら「史記」を完成させる。
その信念たるや凄まじいものを感じます。
去勢を受けた事ですら「何としても史記を完成させる」という執念の手助けをしたのではないかと思うわけです。
当時の医療技術、衛生面から去勢してもその三割ほどは細菌の感染や他の原因で死ぬことが多かったという。
なんとも想像を絶する世界ですね。
男性なら共感してもらえると思いますが、人生のうちに一度や二度くらいは金的をぶつけた事はあると思う。
その時の痛みたるや……(汗)。
それをちょん切っちゃうわけだから……
あー自分で書いていてダメージを受けてしまう(苦笑)
ちなみに時代が下がってくると、宦官という職種(?)は権力を持てたり、豊かな生活ができる美味しい仕事だと世間一般に認知されていくようで、刑罰として宮刑にされるよりはるかに多い一般人が自分から望んで去勢をし宦官となっていきます。(これを自宮と言います。)
それもびっくりですけどね。
その数が余りにも多いので何回も自宮禁止令が出たそうです。
去勢する男が増えると、出生率が下がるため人口が増えない=国力や労働力が不足する。
100万人の人口の時代があって、去勢をした男性が2万人いたとか。
こうなってくるともう国家レベルな危機的状況です。
男性の50人に1人が男性器がない……わけです。
同学年50人男子生徒がいたとしたら1人はないのです(ナニが)。
そうそう、もし興味がおありでしたらぐーぐる先生の画像検索で「宦官」をやってみたら、清末期(ラストエンペラーや西太后の時期)に写真撮影された宦官達や後宮の様子が見れますのでよろしければ。
ただちょっと雰囲気が独特ですので、受け付けられない方は受け付けないかもです。
あくまで自己責任でご覧下さい。
他には、ちょん切る専門の職業が普通に成り立っていたとか、みんな望んで去勢するために刑罰としての意味がなくなり、刑としての宮刑はなくなります。
(それもどうなんだろうと思いますが。
流石に予想の斜め上を行く……おっと誰か来た〇〇)
まぁ何とも理解しがたいなぁと自分で書いていてそう思います(笑)
タブーと言えばタブーなんでしょうけど、確実に存在していてそれが何千年も続いて行われていたという中国。
そしてこの制度があった諸外国。
これに関してだけは日本人で良かったなと(現代人には関係ない?ですが)思うわけです。
さて、最後に日本での宦官について
日本では刑罰の一つとしてや宗教上の理由から去勢はあったようだが、宦官としての存在はほぼなかったとみてよい。
文化として、情報として、中国や朝鮮半島から入っては来たが、馴染まなく定着しなかったのだろう。
そもそも日本では家畜に対してもほとんど去勢自体が行われなかった(明治以前まで)。
日本の後宮自体も外国と比べて規模が小さく(せいぜい江戸時代の大奥が300人ほど、しかもお世話している女官や女中も入れての数)また通い婚(奥さんの実家に通う)が普通であったため、主人の生活の中心が奥ではなかった事も関係してくる。
それに日本人の場合、そこまで神経質に奥さんや妾を自分以外の他の男に接触させないようにはしてなかった、というのもある。
文化、慣習の違いであろう。
性的にもおおらか(?)であった日本。
東アジアで宦官が存在していた国や地域は中国をはじめとして、朝鮮半島やベトナムなどが挙げられる。
存在していない地域は日本、モンゴル、タイなど。
世界的に見るとヨーロッパはじめイスラム圏、インド、アフリカとほとんど世界規模で行なわれていた。
ヨーロッパの場合は宦官ではなくて、聖歌を歌う少年達がボーイソプラノの声変わりを恐れて去勢する事が多かったみたいですが。
という事で、かなりのタブーな部分だったと思いますが「宦官について」でしたー!
そう言えばなろうでは宦官って出てこないですよね(※訂正 日向夏先生の『薬屋のひとりごと』に出てきてました! )
まぁ出したところで誰得なんだっつー話ですが。
次の投稿は幕間二 劉邦を考えています。お楽しみに!
ちょっと趣向を変えてみました。
いかがだったでしょうか?
感想お待ちしてます!