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幕間一 張良黄石公に師事す

ここから少し韓信より離れます。


物語の背景としては避けられない部分ですので…

始皇帝暗殺に失敗してから後、お尋ね者になった張良は途中で倉海君と別れ下邳かひまで流れ着いた。


下邳は韓信のいる淮陰から100キロほど北西へ向かった場所にある。


ちなみに劉邦がいる沛県は下邳からさらに北西へ100キロほど行った所にある。


そう考えてみると案外みな固まって住んでいた事になる。


下邳は時代が下って三国志の時代には劉備が初期の本拠地であったり、呂布が駐留したり、曹操と争った場所でもある。




張良は始皇帝の暗殺に失敗したが諦めるつもりは全くなかった。


復讐のために生きていると言っても言い過ぎではないほどの人生を過ごしてきた張良であったが、ここ下邳でもそのための活動として地元の有力者と積極的に交流を持つのであった。


この辺は韓信とは違う点である。


張良は悲願の復讐を成すにおいて自分一人では限界があることをよく分かっていた。


商人や任侠達からは始皇帝を襲撃した男として張良は半ば公然と知られていた。


張良はパッと見、女性のような顔つきをしている。


美少年、美青年であったのだろう。


そんな優男にしか見えない張良のどこにそんな苛烈な部分があるというのか…。


張良と付き合いのあった者たちは皆そのギャップにおどろいた。


有力者達、特に任侠と呼ばれる人たちは骨のあるやつが大好きだった。


皆喜んで張良を畏れつつも親しく交わるのだった。


そして下邳にて確固たる地位を築いていく。





□□□□□□□□





そんなある日の事、張良が下邳の街を歩いていると街を流れる川の橋までやってきた。


見ると橋の向こう側に一人の老人が立ったまま橋を渡りもせずじっと張良を見ていた。


不思議に思いながら橋を渡り終えるとおもむろに老人は左足をひょいと蹴り上げた。


老人の履いていた靴がポーンと放物線を描き橋の下へ落ちていく。


張良はあっけに取られ立ち尽くしその光景を眺めていたら、突然老人が張良に向かってこう言った。


「小僧、わしの履物はきものを拾って来い。」


(なっ!!)


言うに事欠いてこのじいさんは頭がおかしいらしい。


無視してそのまま立ち去ろうとした。


すると、


「どうした小僧。早く取ってこんか。」


(はぁ??)


(ぐぎぎぎ……。んにゃろう…なんで俺がそんな事せにゃならん!)


老人はじっと張良を眺めている。


ふと張良は何となくこの老人に観察されている様な気分になった。


内心怒りながら何か釈然としない気持ちで土手を降り、老人の靴を拾いに行った。


幸い靴はすぐに見つかった。


(良かった、川に流されなくて。)


しかしばっちい靴だ。しかも臭う。


張良は「うえぇ」と思いながら靴を回収し老人の所まで戻って来た。


「ほら持って来たよ。」


張良がそういう前に老人が言った。


「履かせろ。」


!!!!


張良は今度こそ頭に来た。


よし、じじいの頭に靴を投げつけよう。そしてそのままダッシュだ!


「どうした?聞こえなかったのか?履物をわしに履かせろと言ったのだ。」


(むきーーっ!!これはもう殴ってよし!!)


握りこぶしに力が入る。


だが、不思議と老人の声の響きに何やら威厳みたいな物が含まれていることに気付いた。



ふむ…この老人は頭がおかしいか、ひょっとしてひとかどの人物か、どちらかだ。


直感でそう感じた。であるなら…


張良は老人の前に屈み、そのまま靴を履かせてやった。


「うむ。」


一言だけ、つぶやきとも吐息とも聞こえる言葉と共に老人は橋の向こうへ歩いていった。


なんだったんだ一体…?



軽い混乱と非日常に遭遇したような、もののけに化かされたような気持ちでぼーっと老人の背中を眺めていると老人は急に振り返りこう言った。


「お前はなかなかに見処みどころがあるようだ。五日後の夜明けこの橋まで来い。」


「!!…はい、承知しました。」


不思議と逆らえない雰囲気で気付くと張良は素直に了承していた。


老人は満足そうにその場を立ち去った。


張良は何となく「この老人の言う事は聞かねばならない。」と直感で思った。


何か、天啓のようなものを感じたのだ。





□□□□□□□□





張良は約束していた五日後の朝、夜が明けてから家を出てあの橋まで向かった。


するとそこにはすでに老人がいて張良を待っていた。


「小僧、目上の者と約束しておいて遅れるとは何事か!帰れ!」


と有無を言わさない勢いで一喝された。


張良は恐縮し、


「申し訳ございません。」と真摯に詫びた。


老人は張良の態度に満足したのか


「それならばまた五日後の明朝に会おう。」


そう言って去っていった。




約束の五日後、今度は夜が明ける前に家を出て橋へ向かった。



!!!!


(何て事だ。すでにご老人はいらっしゃる…。


俺としてはかなり早く来たつもりだったが…。)


冷や汗が出てくるのを感じながら張良は老人の前に出た。


「小僧!またしても遅れるとは何事か!!帰れ!!」


「はっ!申し訳ありませんでした!!しかしながらご老体、今一度、今一度機会をお与え下さいませ!!」


張良は必死になってそう言った。


「…次はないと思え。また五日後じゃ。」


「!!ありがとうございます!!」


良かった…何とか首の皮一枚ぎりぎり繋がったようだ。


次こそは、必ず…。


そう固く決意する張良だった。





□□□□□□□□





約束の五日後はもう最初から一晩中待っていた。徹夜だ、徹夜。


こうでもせねばあの老人は何時到着したのか分からない上に、おそらく次はない。


もう失敗できない事は張良もよく分かっていたのでこうしたのだ。




東の空がオレンジに染まり始めた頃老人はやってきた。


老人は張良の姿を認めると嬉しそうに


「おう!そうであるべきだ。そうあるべきだ。


小僧の忍耐と工夫の精神やし。


帷幄いあくにありてはかりごとを巡らし、千の戦を先に決っす。


すいとはかくあるべし。」


「はっ??」


張良は突然老人が言った言葉がわからなかった。


「今はまだわからずともよい。」


老人はそう言うと懐に手を入れ竹簡の束を取り出して来た。


竹間を張良に差し出しこう言う。


「この本はいにしえの太公望1)の兵法である。


これをよく読み己のものとせよ。」


張良は思わず跪いて、恭しく竹簡を受け取った。


「小僧、この兵法の真髄を己のものとすれば帝王の師となるであろう。


小僧は今より十年後に世に出ることになる。」


そう言うと老人は元来た道を引き返そうとする。


張良は慌てて頭は下げたまま


「ご老体、せめてお名前を…!!」


必死にそれだけを何とか言えた。


「ふむ、わしか??


そうじゃのう、小僧は今より十三年後済北の穀城山2)の麓で黄色い石を見るであろう。


それがわしじゃ。」


その言葉を最後に老人は立ち去った。


後に張良が穀城山を通過する時に麓で黄色い石を確かに見つけた。


張良は胸がいっぱいになり、大事に大事に家へと持って帰り、丁重に祭った。


それは老人に会ってからちょうど十三年後であったという。






□□□□□□□□






不思議な体験をした張良は老人より授けられた兵法書をよく読み、研究し、自分のものにしていった。


太公望の兵法を学んでいくうちに皇帝を暗殺しようという考えはなくなっていった。


「皇帝を殺せば俺の復讐は達成する、そう考えていたがどうやらそれは間違いのようだ。」


張良は自分の考えを改めた。


トップを殺したとしてもまた別のトップに取って代わられるだけだ。


それでは意味が無い。


秦とは決定的に違う国そのものをゼロから作り出さねばならない。


その為にはどうしたらよいのか??


それを目的として張良が今まで学んできたことを当てはめて熟考する日々を送るのだった。




そんなある日仲良くしている任侠から知人を一人かくまって欲しいと連絡が来た。


どうやら殺人罪で追われているらしい。


よくよく聞くと冤罪のようだった。


張良自身もお尋ね者になった経験を持っている。


その時も沢山の人達にお世話になった。


張良は恩返しのつもりで自分で良ければと快く承った。


任侠が連れて来た男は項伯と名乗った。


楚の名門項家の出であるという。


しかもあの名将項燕将軍の子息だとか…。


思わぬ大物に張良はびっくりしたが、丁重にかくまったのだった。


その間張良と項伯は親交を暖めるのだが、項伯は張良が只者ではない事にすぐ気づいた。


また張良が韓の王族出身であったり、始皇帝襲撃の犯人であることを知りさらに驚く。


縁とは不思議なものであるが、項伯は天の采配というべき人物と知り合えたことに感謝するのであった。


項伯は項梁の弟であり項羽のもう一人の叔父にあたる。


歴史上のキャスティングボードが徐々にそろいつつあった。





□□□□□□□□





しばらくしてほとぼりも冷めたころ項伯は張良の元を去ることになった。


「すっかりお世話になりました、張良どの。


このご恩は決して忘れませぬ。


あなたに一大事がありましたらこの項伯、一命を持って答えるつもりです。」


「いえいえ、こちらこそ貴種な時間でした。


伯どのは会稽かいけいへ向かわれるとの事ですが?」


張良がそう訪ねると項伯はその通りとうなずく。


「兄と甥がおりまして、かの地では顔役になっているとか。


そちらに身を寄せたいと思います。」


「なるほど、項家にとっては地元ですから安心ですね。


長旅でしょうが、お気をつけて!


縁がありましたらまたお会いできるでしょう。」


お互いに手を握り、名残惜しそうに礼をした後、項伯は去っていった。



始皇帝が死ぬ五年前であった。


前に黄石公より兵書を授けられて五年ほど経っている。


「あと五年か…。」


なんとなく張良はそう呟いて深い思考の海へ沈んでいくのであった。



1)後の時代に「黄石公三略」と呼ばれる書物となる。有名な文章としては「柔良く剛を制す」など。


2)穀城山、現在の山東省聊城市東阿県

誤字脱字ありましたら一報お願いします。


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