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パチッと火がぜる。


鐘離眜は、傍らに積んであるまきを無造作に火に投げ込むと、巻き込まれた埃に火が着き、火花となって空に吸い込まれた。


(―はっきり言って、上手くいっていない)


今、攻めている街のことである。


投降を勧める使者は首だけになって戻ってきたと聞く。


鐘離眜はその場にいなかったが、項羽の怒りは凄まじく、周りの物に八つ当たりし、すぐに街を激しく攻め立てさせた。


だが、一致団結した住民の抵抗は頑強で、中々攻め落とせていない。


それがさらに項羽の苛立ちを募らせるのだ。


(力で攻めるだけではどうにもならない……

住民への虐殺を繰り返すことにより、近隣の街が結束を固めている)


関中へ急がねばと気は焦るばかりで、実際は後れに遅れている。


どうやら、流れは良くない方向へ向かっているらしい。


原因はわかっているが、どうしようもできない。


鐘離眜は思ったよりも考え込んでいたようで、ふと顔を上げると韓信が目の前にいてびっくりする。


だが、韓信はそれには反応せず、珍しく憮然とした顔で手に持っていた竹簡をばらばらにして火にくべてしまった。


さらにおどろく鐘離眜。


鐘離眜の方を見ず、顔に火の明かりが映ったままの韓信は


「項将軍に進言を、と思って機をうかがっていたんだがな。

しくじった」

と独り言の様につぶやく。


三度みたび驚く鐘離眜。


それは韓信が項羽に直訴した事か、最近の項羽の機嫌の悪さを知っており、それを刺激したであろう韓信の行動へか――










□□□□□□









「おそれながら、申し上げます!」


「ん?」


韓信の声に項羽が振り向く。


韓信はサっと地に片ひざをつき、頭を下げたまま口上を述べた。


「おそれながら申し上げます。


臣は、このままですと函谷間にたどり着くのが遅くなると懸念けねんします。


兵たちの略奪や、住民の殺害を止めるべきかと」



「ああ!?なんだ貴様は?

今なんと言った?」


項羽の全身から怒りの気が膨れ上がってくるのがわかる。


その瞬間、韓信は自分の判断が誤ったことを悟った。


(機嫌が悪い時だったか!?

それとも言い方がかんに障ったか?)


韓信は、項羽の怒気にてられ、嫌な汗をかきながら、一体なぜ項羽は怒っているのか?

そして、この窮地をどう脱するか、高速で頭を回転させていた。


最初からわかっていたことだが、項羽は相手の身分により態度をはっきりと変える。


郎中とはいえ、身分でいえば雑兵にすぎない韓信の話は聞きもしないで怒ったのだ。


(この男の下にいては何もできないのではないか?)


少し、頭の片隅にそんな考えがよぎった。


だが今はそれよりも、項羽の怒りをなんとかせねばならない。


(下手をすると、命が危ないかもしれん……)


『項羽が怒ると恐ろしい』


この認識は敵だけではなく、味方に対しても同じである。


「お前!名を名乗ってみろ!

ん?

んん?

確か叔父上が俺に配属したやつだったか?」


「は、はい、武信君項梁様の命で郎中となりました、韓信と申します」


項梁の名が出たせいか、ほんの少しだけ怒気が減った気がした。


「ふん、たかが雑兵の分際で俺に意見しようと言うのか」


「古来より、愚か者の言葉にも一分の理があると申します。

私は雑兵ではありますが、兵書はそらんじ(暗記し朗読できる)、将として戦の指揮を取ることを夢想しております。

どうか、一度ご考慮くださりませ」


ここが頑張りどころだと感じた韓信は、両膝を地につけ、頭もつけ頼み込む、土下座である。


だがここではあえて、あからさまな命乞いはやめておいた。


直勘にしかすぎなかったが、この場面は進言を前面に押すことにより、命が助かるのでは?と計算の上である。


採用はされないだろうが――。


頭で高速の演算をはじいた韓信は、この場では自分の命を取ることにした。


(献策はまたの機会もあろう。

しかたない、出直しだ)


その時である。


「将軍、わしも同じ意見です」


と范増が姿を見せた。


亜父あほ、お前もか」


范増があらわれたとたん、項羽の怒りはあっさりと収まってしまった。


余談だが、項羽は范増の事を関中入りの前後より「亜父あほ」と呼び始める。


父親にも等しかった叔父、項梁を亡くし范増に代わりを求めたのか。


亜父あほとは”父にぐ”という意味である。


「お前は下がっていなさい」


そう范増に言われた韓信は、二人に頭を下げ天幕を去る。


すれ違いざまにちら、と范増は韓信の顔を見た。


その表情からは感情が読めなかったが、少し落胆しているかに思えた。




「将軍、今のままですと関中入りを沛公に越されてしまいますぞ」


項羽の前に立った范増はそう言葉を告げる。


それは韓信の進言と同じ内容であった。

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