韓信飯を恵んでもらう
秦が天下を統一してから全く戦がなかったわけではない。
万里の長城を作っている北方ではモンゴルの騎馬民族が常に狙ってきているので防備は必要だ。
韓信が将としての働き場をそこに求めても良かったのだが、韓信の身分と身なりだと戦場に出るより万里の長城の土木工事にまわされそうだ。
一旦そこに入ってしまうと抜け出すのに時間が掛かるだろう…。
だからその手はあきらめた。
「やはり時期を待つしかないな…。」
専門家ではないが、将の最低限のスキルとして天文を見る事ができたのも関係したのだろう。
最近始皇帝を示す星の輝きが大分弱い。
暗殺さわぎがあった事を思い出した。
秦としての宿1)もかげりが見える。
(案外皇帝の寿命が尽きるのが近いかもしれん。)
だとすれば、秦の圧政によって溜まりに溜まった民衆の鬱憤がどうなるか、予想はしやすい。
始皇帝は五回目の巡遊途中に死ぬことになるのだが、巡遊に行くきっかけは、東方に天子の氣が立ち昇りそうになっている2)という天文の動きが出たため、その天子の氣を邪魔する、または防ぐために東方に向かうという目的があったが、その時の韓信はまだそこまではわからない。
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居候していた亭長の家から追い出された(?)韓信はぐーぐー鳴る腹を抱えて淮水の土手で今日も寝ころがっていた。
いい天気だ。
「あー、腹減った…。」
さすがにこの数日は水しか飲んでなかったから限界が来ている。
「あんた…」
ふと話しかけられている気がして声のする方を見てみると、淮水で布を漂している老婆がいた。
「いい若いもんが、この何日も何もせんでずっとそこに寝転がっているみたいだけど、あんた家は?」
老婆はあきれたような、哀れんでいるような目線を韓信に向けている。
「世話になってた亭長の家を出てきたのさ。飯をくれなかったんでね。」
「どうせ、今みたいにぼけーっと寝てばかりいたんだろう?そりゃ養えんわ。」
「わっはっは!」
なかなかにするどい。
老婆は仕事が済んだのか川から上がってくる。
「ほれ、食え。」
と包みを寄こされる。
どうやら飯を恵んでくれるようだ。
「あ、あぁ、ありがとう。ばあさん。すまない。」
礼を言って包みを広げた。
米のにぎり飯だ。老婆の昼飯だったのだろう。
限界だった腹が目の前のご飯を見てさらに音を大きくしてくる。
早く食えと主張しているようだ。
無我夢中で食べた。うまい!
手についた米粒まで丁寧に舐め取っているとすでに老婆は帰り始めていて土手の上の道へ歩いていくところだった。
「ばあさん!」
腹にものが入ったので大きな声が出る。
韓信は走って老婆を追いかけた。
「ばあさん、ありがてぇがよ。
これでしばらく生きていける。この恩は忘れない。
俺が出世したら必ずこの恩はお返しするからな!」
老婆はしばらくぽかんと何を言われたかわからない、という顔をしていたがやがて睨むような不機嫌な顔になり
「生意気言うんじゃないよ。誰もあんたのお返しなんぞ期待して恵んだ訳じゃないんだ。
だいたい日がな一日中寝転がって出世もなんもありゃせんわ。図体だけはでかいくせに。
あんたよりもそこら辺のガキの方がなんぼかマシってもんだよ!」
そう言い捨ててさっさと帰っていった。
韓信は老婆が見えなくなるまでそこに立っていたが、老婆の言う通りだなと自分でもわかって苦笑した。
それからというもの老婆が川に布を晒しに来る日はご飯を恵んでもらうことが日課になった。
老婆から言われたことに思うところがなかったわけではないが、今の韓信では何を言っても説得力がないとわかっていたので礼だけ言って包みを受け取った。
老婆の方もあれからは特に韓信に何も言わない。
韓信はただで飯をもらえるだけでも感謝した。
だが恩を忘れないつもりだし、恩は返す。
(それは俺自身が分かっていれば今はいい。)
そう自分の気持ちを納得させてごろんと土手に転がった。
老婆にあんなことを言われて思う所があっても韓信のやってる事は昼寝たった。
ある意味ブレない韓信であった。
1)宿中国では星座とは言わず宿と言っていました。代表例、北斗七星。まぁ星座だと思っていただいて構いません。
2)結果論ですが、この天子の氣は劉邦の事であっただろう、と言われてます。
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