陳勝王の死
何故か勢い良く書き上げてしまいました。
もうすぐ、韓信にとっての初陣が来るなぁ…。
韓信が会稽へ着いた辺りで大きな動きがあった。
ついに秦が反乱軍の討伐に乗り出したのだ。
正規軍20万と号する秦軍が首都咸陽を出発した。
大将は章邯という無名の将軍だった。
章邯は初めから武官だったのではない。
成り行き上、急遽武官にならざるを得なかったのだ。
元々は文官で役人である。
それも身分は高くない。
戦のいの字も知らない文官が急遽将軍になり20万を指揮する。
この時点で大問題である。
しかも正規軍20万と謳ってはいるが、中身はというと大部分が始皇帝陵や阿房宮の工事に携わっていた囚人と人夫達であった。
指揮官が素人なら兵隊も素人という前代未聞のこの正規軍は、装いだけは秦のカラーである黒の装備に身を包み咸陽を出発した。
なぜ、このような事態になったのか?
それには理由がある。
始皇帝亡き後を継いだ二世皇帝の胡亥は、宦官趙高の完全な傀儡と化していた。
政治の場には出てこず後宮に入り浸り、酒と女に溺れる生活をしていた。
そうする様に仕向けたのも趙高であったが、反乱などの第一級の情報は何としても皇帝の耳に直接届けなければならない筈なのだが、その事如くを趙高は握り潰した。
皇帝には
「陛下の威徳のお陰で天下万民は皆安らかに治まっております。」
と全くのデマを教え、政治の事を考えさせないようにした。
趙高の恐ろしいところは秦にとってピンチなこの状況を、国を守る事はせず更に自分の権力を高めるために利用したことである。
秦に趙高を超える権力を持つ者はこの時点で二人しかいなかった。
皇帝と丞相の李斯である。
奇しくも趙高を合わせたこの三人は始皇帝が死亡した時に暗躍した三人であり、趙高としても内容を知っているが故に早く決着をつけたい所だった。
趙高はまず、丞相の李斯をターゲットにした。
反乱軍が中国各地を落として行き、それぞれ勝手に王や国を名乗っている状況を何とか打開したいと李斯は皇帝に知らすべく動いていたがいつもいつも趙高に邪魔されていた。
皇帝が宴会を開いている時か女を抱いている時に趙高は李斯に
「陛下がお会いになられます。」
と使いを出し、李斯がはせ参じると皇帝に
「丞相がお見えです。」
と進言する。
皇帝が宴会中か女といる時に限ってである。
普段、皇帝の手が空いている時に李斯がやって来ても
「今陛下はお会いになりませぬ。」
と言って李斯を追い返していた。
そんな事を数回繰り返していくうちに皇帝が李斯に不信感を抱くようになる。
「趙高、丞相は平素暇な時には来ず、朕が忙しい時に限って来る。
朕が年下だから甘く見られているのだろうか?」
「陛下、丞相は功績大が故に陛下を侮っているやもしれませぬ。
先の陛下擁立の陰謀を知るものであり、自身が王になる下心を持っていると思われます。」
「なに!!それは真か!?
趙高、丞相を調べるのだ!」
こうして命令を受けた趙高は李斯を拷問に掛け、偽りの供述を引き出し、一族郎党全て殺してしまった。
そして李斯亡き後の丞相位は趙高が自ら取って代わったのだった。
秦の官吏、武官は趙高を恐れ、今や趙高に目をつけられぬ様振舞うので精一杯だった。
当然反乱の報はひっきりなしに咸陽に伝えてくるのだが、趙高が握り潰していたのと、下手に討伐にでも出た日には、功績を挙げても趙高に目をつけられてしまうし、失敗しても罪着せられ殺されてしまう未来が容易に予想できてしまう。
だから誰も秦を守ろうとはしなかった。
がしかし、ついに反乱軍が函谷関を突破したとの報が入ってきた。
函谷関とは首都咸陽を守る最大の砦で秦建国以来数百年の間一度も破られたことがない天然の要塞であった。
その報せはさすがに趙高を慌てさせた。
ここに来て文武百官を招集し事態の奪回を諮ったのだが、やはりここでも趙高を恐れて誰も意見を言わなかった。
やっと一人だけ文官の末席にあった章邯が勇気を持って進言した。
そのアイデアが人夫達を兵士にしてしまう、というものだった。
そして趙高はそのアイデアを出した章邯をそのまま大将を任命してしまう。
ここから秦最後の名将、章邯の八面六臂、縦横無尽の活躍が始まるのである。
章邯は素早く20万の人夫達を軍に編成し終えるとすぐに函谷関へ討って出た。
函谷関を抜いた陳勝軍は主力とも言うべき兵でその数数十万という大兵力を咸陽まであと200キロという所で布陣していた。
章邯率いる秦軍はそこに襲い掛かり見事撃破した。
その勢いを買って函谷関を脱出した陳勝軍を追いかけ壊滅させる。
そのまま陳勝の本拠地、陳まで攻め上がり章邯が咸陽を出兵してから二ヶ月で陳勝を降し陳勝は殺害された。
秦への反乱の旗頭であった陳勝が死んだことにより、情勢が大きく変わってくるのである。
陳勝が呉広と共に旗揚げをしてから半年後の事であった。
陳勝はあっけなく殺されたが、その行動は多くの反乱を呼び起こし秦を倒すキッカケを作った。
「嗟呼燕雀安知鴻鵠之志哉」
(ああ、燕や雀のような奴等には白鳥や鳳凰の志がわかるはずもない。)
「王侯将相寧有種也」
(王や貴族、将軍に血筋なんかは関係ない。俺達が取って代わってやろう。)
この言葉は今尚残っており、中国の歴史上初めての大規模な農民の反乱を起してその後の秦滅亡、漢成立に繋がったことから、劉邦は陳勝の子孫に爵位と領地を与え陳勝の功績を称えたという。
歴史に名前を残す悪臣の趙高ですが、その行動原理はとても不可解です。
国が亡くなれば権力も栄達もありはしないのに、国のピンチを無視して自分の権力だけを追いかけるとか全くよく分かりません。
秦は絶対に滅びない、という確信でもあったのでしょうか??
もしそうだというのなら、やはり愚かだと言うしかないでしょうね。
国のピンチを防いでから何ぼでも権力闘争はやればいいのに、作者は思ってしまいます。
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